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三日目

悲しき浮遊霊①

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”コン、コン”

「もうこんな時間か! 今夜のお客様が来ちまった!」

 ゴシゴシと髪の毛の水分を飛ばしていたタオルを、見えないバックヤードにポイッと投げる藤沢。
 慌ててテーブルの上を整い始めると共に、大きい声で「今行きまーす」と叫んでいる。
 玄関の方に向けて発しているから、外で待っているお客様にも聞こえているだろう。ノックの音がパッタリと止んだ。

「こんなに早く来るとはな。おい、リュウ君も今日は手伝ってもらうぞ」

「は? 何を!?」

「何をって……接客だよ。と言っても、もう人手は足りてるから、お客様を満足させるようなトークをよろしく」

「ちょっと、勝手に決められても」

「大丈夫、私もいるから。リュウは、いつも通りでいればいいから」

「いつも通りって、ここに居る時点でいつも通りにはいかないんだけど」

「いいから! 藤沢さん、準備オッケーです」

 恵那とリュウが使っていたタオルも、恵那がバックヤードに投げ込んだ。
 ボサボサな髪型をしている三人が、今夜のお客様を迎え入れようとしている。
 藤沢が扉を開けると、外の雷雨の音がより大きく聞こえてきて、リビングで待機している恵那は一瞬ビクッとしてしまった。
 気を引き締めるように、隣で顔面蒼白になっているリュウの背中を軽くポンと叩くと、リュウは我に返ったかのように目をパチリとさせた。
 いよいよ、リュウも浮遊霊と対面することになる。

「いらっしゃいませ。ようこそ、アロマが香る山カフェへ」

「すいません……素敵な木造建築だったので、来てしまいました」

「ありがとうございます。ただの山小屋ですが、どうぞ中へ」

 玄関前で、いつも通りの挨拶をする藤沢。やり取りしているお客様の顔を、恵那たちはまだ見ることができないけど、男性の穏やかな声に、藤沢が応えているのは聞こえる。
 二つの足音が、リビングに近づいてくるのを聞いて、恵那は鳥肌が止まらなくなった。何だか……やけに胸がザワザワする。
 リュウも同じ気持ちなのか、唾を飲み込む音が、隣に立っている恵那にも聞こえてくるくらいだった。
 恵那とリュウが待つリビングに、今夜のお客様がついに登場した瞬間、二人は声を詰まらせながら驚愕した。

「巴……先輩?」

「兄貴……なのか?」

 なかなか声帯を振るわせられない恵那とリュウを見て、より驚いていたのはお客様の方だった。
 今日のお客様は、さっきまで話題の中心にいた、巴先輩。
 リュウと同じ制服を着ている巴先輩が、ついにこの山小屋に行き着いた。
 リュウよりも少しだけ背が高くて、フチなし眼鏡をかけている賢そうな外見は、間違いなく巴先輩だ。
 恵那が、この山小屋に滞在している目的を、奇跡的に達成することができたのだ。
 どう見ても巴先輩なので、いちいち確認をすることはしなかったリュウが、巴先輩の前まで行って溢れ出る想いを言葉にした。
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