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三日目

好きな香り⑥

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 微かに聞こえた、扉をノックする音。
 その音を合図に、二人は目線を逸らした。
 藤沢は反射的に時計を見てみるけど、当然のように時間は進んでいない。
 まだ午前の十時なのにも関わらず、この山小屋を訪れる何者かが現れたのだ。
 この山小屋は通常、浮遊霊にしか見えないはずだし、浮遊霊が訪れるにしても、夜にやって来るのが決まり事になっている。
 それなのに……どうして扉を叩く音が聞こえたのか。
 恵那のような特殊なケースもあるわけだから、とんでもなく驚いているわけではないけど、藤沢が思考停止に陥っているのは恵那でもわかる。
 時間を動かすように、恵那は藤沢に声をかけた。

「藤沢さん、誰か来ましたよ。こんなことって、あるんですか?」

「え? ああ、俺も初めてのケースだ。いや、マルナが来たから初めてではないか」

「藤沢さん、混乱してるみたいですね。私が見てきましょうか?」

「いや、女の子にそんなことさせられないよ。もし不審者とかだったら、危険だろ」

「……そうですか。気をつけてくださいね」

「おお、行ってくるわ」

 藤沢は強がっているみたいだったけど、足元が震えているのが恵那の目には映っていた。
 そんな男気を見せてくれた藤沢のために、一応恵那も用心する。
 何かあった時のために、手にはフライパンが握られていた。
 もし藤沢が何者かに襲われた時は、このフライパンでボコボコに殴ってやる……そんな勇気を振り絞りながら、藤沢が先に行った玄関までついて行く。

「マルナ、いいから茶の間に隠れてろって」

「藤沢さんに何かあったら、私困りますもん」

「大丈夫だって、ここは俺に任せとけって」

「嫌です。大丈夫ですよ、いざとなったら逃げれますから。それより早く出てください」

「はぁー、頑固なんだから。じゃあ、開けるぞ」

 藤沢が小声で命令をしても、恵那は一向に耳を傾けない。
 呆れるような溜息を吐きながら、藤沢も扉を開ける決意を持った。
 ドアノブを持って、恵那と一度目を合わせる。
 藤沢は心の中で、開けるタイミングを計っているみたいだ。
 一、二、と数えるように頭を動かして、三のタイミングで一気にドアを開ける。

”バン”

「い、いってぇー!!」

「ええ!? すいません!」

 勢いよく開けた扉が、綺麗に何者かの額を捉えた。
 ぶつかりどころが悪かったのか、しばらくは倒れたまま動かない。
 藤沢も、まさかこんなことになるとは思わなかったので、「すいません」と連呼しながら、その場に立ち尽くすしかなかった。
 そんなハプニングを目撃してしまった恵那は、唖然としている藤沢に変わって、その何者かに近づいていく。
 横たわっている男の子は、恵那が見覚えのある顔だった。
 まさかとは思いつつも、顔を覗くように近づくと、見慣れた顔がそこにはあった。


「リュ、リュウ!?」
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