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二日目

決して一人じゃない①

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「私はもう……死んでいるのか」

 大きな溜息の後に発した独り言からは、人間の覇気を感じられなかった。
 鮫島は、自分の身に何が起きたかを、全くわかっていなかったみたいだ。
 力が抜けるように上半身をダラッとさせているのは、自殺を後悔しているからなのか、それとも楽になったからなのか……恵那には察することができない。
 打ちひしがれている鮫島に軽い会釈をした後、藤沢は恵那のいるキッチンに入った。

「マルナ、さっきのクッキー焼き始めていいぞ」

「え、このタイミングでですか?」

「いいから、オーブンに入れてくれ」

「わ、わかりました」

 ほんの十秒だけやり取りをした後に、藤沢はまた同じ立ち位置に戻った。
 相変わらず呆然としている鮫島に、浮遊霊になった意味を説明する。
 恵那は藤沢の指示通りに、さっき作ったクッキーの生地を耐熱皿に並べた。鮫島がここに現れる前に、もう型は作っていたので、あとは並べて焼くだけの状態だ。
 オーブンからジリジリと熱している音が聞こえてくる中、藤沢の声も負けじと響く。

「鮫島様は……降りかかった不幸を一人で抱え込んで、一人で処理しようとしていましたね」

「……誰かを頼ることは、しなかったな」

「ですよね。上司の裏切りがあっても、部下のことを考え、そして家族から冷遇されたとしても、必死に働いた。どこにも吐き出すことなく、一人で処理しようとした。それが……ある時爆発した」

「じゃあ、私は突発的に、自殺したということか」

「そうだと思います。ある瞬間に、自分の存在意義がわからなくなって、そのままの勢いで自殺をしたのでしょう」

 死ぬ前の記憶を探すようにしても、なかなか思い出すことはできない。これが浮遊霊になった人の共通項だろう。
 どこまで覚えているか、鮫島は記憶を遡るように考え込んでいる。
 死んでいるということに疑いはないみたいなので、取り乱す気配は感じられない。
 どうして、浮遊霊になっているということを、受け入れられるのか。恵那は、鮫島が落ち着いていることに、まず驚いている。
 そんなことを気にしていないであろう藤沢は、懸命に思い出そうとしている鮫島の記憶を、掘り起こすような会話を続けていた。

「鮫島様、死ぬ直前の記憶で、一番新しいのは何ですか?」

「死ぬ直前か……ぼやっとしか覚えていないけど、とても正常ではなかっただろうね。酒に溺れて、とにかく破滅したいと思っていたのではないか」

「これといったシーンは覚えていないけど、精神崩壊を起こしていたことは、何となく記憶にあると?」

「ああ、自殺したと聞いて、そんな記憶がうっすらと蘇ってきたよ」

「他に何かありませんか?」

「他に……あ、そうだ。そういえば、この街の闇サイト? っていうのかな、そういうのをネットで見て、死というものを考え始めたのは覚えている」
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