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一日目

アロマの香りで成仏を③

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「それでも茂木様が、生きていたということは事実です。どんなにイケナイ恋をしようが、親から授かった命を必死になって燃やしました。それは間違いありませんね?」

「それは……そうですね。最終的には無駄だったと後悔しましたけど、それまでは全力で生きたつもりです」

「良かったです。短い人生だったと思いますが、茂木様には忘れられない恋の記憶があるでしょう。その生きた証を胸に封じ込めて、死を受け入れてください……」

「……お兄さん、ありがとう。忘れられない恋の記憶が、私の生きた証なんですよね。その言葉を聞いて、私の人生は無駄じゃなかったと思えました」

 藤沢の心温かい言葉によって、茂木の強張っていた顔つきが解れるように優しくなった。
 止めどなく流れていた涙も、いつの間にか乾いている。
 無駄だと感じて捨てた人生。そんな人生になったのは、茂木自身がイケナイ恋をしたからだ。
 断じて許される行為ではないが、それでも一生懸命に人を愛し、その上で淪落した。
 生きた証は、その恋に閉じ込められてある。だからこそ、意味のない人生なんかではないのだ。
 藤沢が説き伏せるように言ったセリフは、全く関係のない恵那の胸にも刺さっていた。
 この世に生を享けた時点で、どんな人間にも生きた証があるという、恵那自身も考えさせられる内容。
 そんな深みのある言葉が、チャラついた容姿をしている藤沢の口から飛び出すなんて。
 藤沢のギャップに戸惑いながらも、恵那はダイニングテーブルの前でやり取りをしている二人から、目を背けずにいた。
 話が落ち着いたところで、茂木はカップに残っていたハーブティーを全て流し込む。
 ゴクッという音が鳴った後に、緊張感から解放されたかのような、涼しい溜息が聞こえてきた。

「ご馳走様でした。何だかどんよりしていた気持ちも、このフレッシュミントのおかげで吹き飛んだ気がします。もう思い残すことはありません」

「……では茂木様、成仏しましょうか」

「ええ、もう覚悟は決まっています」

「かしこまりました。テーブル中央にあるアロマディフューザーの香りを、思いっきり嗅いでください」

「この香りを嗅いだら、私は成仏できるんですね?」

「はい、間違いなく成仏できます。信じてください」

 最終局面に入った二人の会話は、室温を上げるように熱を帯びていた。
 藤沢の真っ直ぐな瞳を確認した茂木は、ニヤリと口角を上げる。そして、勢いよく噴出している香りの強い蒸気に、顔を当てた。
 白い湯気に茂木の顔が覆われると、やがて体中までもが飲み込まれるようになる。
 さっきまで存在していた皮膚が見えなくなって、茂木の姿は蒸気と共に呆気なく消えていった……。
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