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一日目

夜の訪問者①

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 少しヒートアップしていた恵那に冷や水をかけるように、男はシリアスな顔つきに変わった。
 玄関へと消えた男の後を追うように、恵那も玄関に向かう。一体何が起きているのか、恵那は気になって気になって仕方がないのだ。
 男がゆっくりと扉を開けると、ラフなワンピースとスポーティーなレギンスを着こなしているカジュアルな女性が、扉の前に立っていた。

「いらっしゃいませ。ようこそ、アロマが香る山カフェへ」

 深くお辞儀をしながら、お客様と呼ばれる女性に挨拶をする。女性もニコッと笑って、男の挨拶に応えていた。
 どうして、こんな山中にある奇妙なカフェに、人が訪れたのか。
 わけもわからず、何が起きているのかを必死に思索する恵那。
 目をキョロキョロさせながら、自分がやるべき行動を考えていると、呆れ顔の男と目が合った。男の目は、何やら合図を出しているようだった。
 キッチンの方に目線を飛ばしているのを確認した恵那は、先にキッチンで待っていることにした。おそらく、男はそうしてほしいのだろう。

「お客様、どうぞこちらへ。この席にお座りください」

 さっきまで恵那が座っていた木製の椅子に、その女性が座る。
 先に対面キッチンで待機していた恵那は、小声で「いらっしゃいませ」と呟いた。
 一度も働いたことがない恵那にとって、カフェ店員は憧れでもある。恵那の小さな声を聞き取ったお客様の女性は、目尻を垂らしながら、一回だけ会釈を返してくれた。
 お客様の案内を終えた男が、恵那のもとに駆け寄ってくる。

「いいか、お客様が来ちまったから、今回は手伝ってもらうぞ」

「いや、何でこんな所に人が来るんですか」

「その話は後だ。それとも、働くのが嫌なのか?」

「嫌じゃないですけど……まず第一に、私には自殺するっていう計画があって」

「まだそんなこと言ってんのか。とりあえず、接客するのが先だ」

 頑なに死なせてくれない男に、吹き出しそうになってしまう。
 腹筋に力を入れて何とか耐えてみるけど、男の顔は至って真剣だ。
 死なせてほしいという願望を、軽く流されたというこの状況は、恵那からしたら異様な状況でしかない。とにかく、言われるがままに行動しなければ。
 温度差があることを十分に把握した上で、恵那はこの男のペースに飲まれることにしてみた。

「わ、わかりましたよ」

「よし、いい子だ。お前、名前は?」

「丸井 恵那です」

「そうか。じゃあ、マルナだな」

「マルナ!?」

「いいだろ、俺はそう呼ぶから。俺は藤沢 椋野(ふじさわ りょうの)。藤沢さんって呼べ」

「……はい」

「よろしくな。まあ難しいことは何もないから、指示に従ってくれればそれでいい」
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