上 下
34 / 38
王宮 恋する獣人 編

33:目覚めのふさふさ※獣化あり

しおりを挟む
 ぺろっ、ぺろっ……。

 頬を何かに撫でられる。

 それは、温かく、くすぐったい……。

「ん……ん……」

 イングリットはかすかに声を漏らし、目を開けた。

「……っ!」

 思わず息をのんだ。

 目の前に美しい毛並みの青い狼がいたのだ。

 しかしゆっくりと頭が動き出すことで獣の目に覚えがあって、ふっと力が抜けた。

「……ま、マクヴェス……?」

「おはよう」

「お、おはよう……私……」

 少し身体を動かすと、痛みがはしる。

「私……火事で……」

 服はすっかり着替えさせられラフな部屋着になっていた。

 髪もポニーテールがほどかれ、背中に流されている。

 何気なく頬のあたりを触れようとすると、そこうにはガーゼがはっつけられていた。

 ようやく周囲を眺めれば、ベッドに寝かされていた。

 イングリットたちのつかっている部屋よりもこざっぱりしているから、どこかの空いた部屋を緊急的に使用しているのかもしれない。

「身体のあちこちにヤケドを負ってるんだ。あの状態から考えれば奇跡とよべるくらいの軽傷らしい。棚を盾にしておいたのがよかったんだろう」

「……マクヴェス、あなたが助けて……?」

「間一髪のところでな。アスコットも手伝ってくれた」

「アスコットも……。
ところで、どうしてその……獣化してるの……?」

 マクヴェスはイングリットに寄り添うように身を置いて、顔をもちあげている格好だった。

「お前のことだ。目覚めたときはこの姿のほうが安心できるだろうとな。……良かっただろう?」

「そうかも」

「そう即答されると、人間の姿が変だと言われてるみたいだ」

 そのすねたような物言いに、イングリットはくすりとした。

「そういうわけじゃないけど、私からすれば、こっちも最高ってことだから」

 イングリットが顔をそっと両手で包み込むように、そのフサフサの首筋に顔を埋めるようにする。

「ありがとう、マクヴェス」

 あらためて感謝を述べた。

「お前に会わせたいやつがいる」

「誰?」

「おい、入ってこい。目を覚ましたぞ」

 姿を見せたのは人間の姿をしたアスコットだ。

 彼は目を伏せ、愁いの影を顔に刻み、頬が痩こけ、憔悴したように見えた。

「アスコット」

「申し訳ありません……!」

 彼はまるではじめて会った時のような殊勝な態度で、頭を下げた。

「私の至らなさのせいで、イングリット、きみを危険な目に遭わせてしまった……っ!」

「や、やめてよ、アスコット。あなたのせいじゃ……」

「ロシェルがお前の部屋から“別れろ”と書かれた紙を何枚も見つけ出した。あれは脅迫だろう。思い当たることはコイツとのことだけだ」

「そ、それは……」

「犯人を知っているのだろう。言え」

「……覚えてない」

 イングリットは首を横に振った。

 記憶にある侍女たちへ腹立たしい気持ちはもちろんあるが、火事になってしまったことはあくまで事故だ。

 彼女たちも本当にイングリットを焼き殺そうとは思わなかったのだろう。

 それになにより自分のうかつさも原因の一つだという、後ろめたいこともある。

 仲間がいるのだろうから一網打尽にしてやろうと余計なことを考えた挙げ句、命を危うくしてしまたばかりか、マクヴェスたちにまで迷惑をかけたのだ。

 最初、あの侍女が接触してきたとき、自分がしっかり対処しておけば、あんなことにはならなくて済んだ。

「何度いわれても無駄よ。覚えてないの」

「イングリットっ、どうしてそんなやつらのことをかばう。お前に手をだしたんだ。全員、俺が八つ裂きにしてやる……ッ」

 狼の姿でも、その目の中にははっきりと怒りの炎が逆巻いていた。

(だから、よ)

 耳を後ろに引き、目を細める。

 イングリットは彼の目をじっと見つめた。

「――マクヴェス、少し、アスコットと二人きりにして」

「なぜだ」

 声が低くなるが、イングリットは無視する。

「良いから。お願い」

「…………」

 しばし見つめ合うと、目を最初にそらしたのは彼のほうだった。

 不満げに鼻を鳴らしながら、「すぐ外にいる。話が終わったら呼べ」と言い置いて、人間の姿になって出て行った。

「ふう……」

 今のにらみ合いは、病み上がりにはかなり荷が重く、変な汗をかいてしまった。

 緊張感から解放されたイングリットは、まるで彫像と見まがうばかりに背筋を伸ばし、その場で立ちつくしているアスコットに笑いかけた。

「そんなところで突っ立ってないで座ったら」

「いや……」

「遠慮しなくても」

 アスコットは言うや、服を脱ぎ始める。

「ちょっと!? 何!?」

 アスコットは構わず脱ぎ続け、やがて四つ足の獣に変身した。

 雨宿りの洞窟以来の犬化だ。

「…………へ?」

 どうして急に、と頭に疑問符が浮かぶ。

「イングリットはこちらのほうが良いと殿下から聞いたんだ」

 狼よりもずっと柔らかな眼差しに、ついついほっこりしてしまう。

「なるほど。本当のようだ」

 アスコットは口を開ける。それは少し笑ったように見えた。

「身体の具合は?」

「多少、痛むくらいだけど……。……あなたにはまた助けてもらったみたいだな」

「いや、完全に俺は添え物だったよ。真っ先に燃えさかる小屋に飛び込んだのはマクヴェス殿下だったんだ。頭から水をかぶり、王宮内ではほとんど厳禁になっている獣人の姿となった上で、怯むことなくあのなかへとびこんであなたを救出された」

「でもアスコットも……」

「私は完全に二番煎じだった。何とかしなければと想いながら、きみがあそこにいる可能性なんかをくどくど考えていた。殿下が走っていかれ、ようやくだ」

「いいじゃない、どっちが最初とかなんて、くだらない。
あなたと、マクヴェス、二人はどちらも正真正銘、命の恩人……恩獣って、言ったほうがいいかな?」

 子どもの頃に母親から読み聞かせてもらった、動物の恩返しの逆だ。

 これはしっかりとお礼をしなければ。

「……違う」

 その愛らしい姿とは裏腹な深刻な声をつぶやく。

「え?」

「私のせいで、きみを巻き込んだ。私さえ、もっとしっかりきみを送り届けていればこんなことには……。これはすべて私の落ち度だ。犯人は今、捜索している。それほど手間がかからないだろう」

「そんなこと……」

 と、不意にアスコットが首をのべると、そっと頬を舐められる。マクヴェスよりも怖々と、少し控えめななめかたで、少しがっかりした。

 もっと!と――。

「……きみはたしかに並の男よりもずっと勇気があるし、膂力りょりょくも兼ね備えているだろう。しかしどれほど男のように振る舞おうとも、きみが女性であるということは変わらない。
いや、これは侮辱ではないんだ。
もってうまれたものは変え難い、ということだ。……だからその、今後は身を慎まれたほうがいい……その……」

 アスコットは目をさまよわせ、

「殿下のためにも」

 と言った。

「……たしかに、そうかも。今後は気をつける」

 イングリットがうなずくと、アスコットは安心したように目を細める。

「ねえ、触っても良い?」

「ん?」

「撫でるだけでもいいから」

 気分が緩んだせいかついつい、いつもの調子で言ってしまった。

 しまった――そう思っても、遅い。

 アスコットはきょとんとしたが、

「あ、ああ……」

 戸惑ったようだが、大人しくその場に伏せてくれる。

 さすがに、ここまできて「今のなし!」とも言えないので、せっかくだからと撫でさせてもらう。

「ふさふさね」

 つぶやくと、アスコットが笑った。

「前にも、その言葉は聞いた」

「え?」

「あの雨の洞窟のなかでも、きみは眠りながら“ふさふさ”とつぶやいていた。一体、どんな夢を見ていたのかと思っていたが、なるほど、風邪を引きそうな状況で見る夢が動物を撫でることだなんてはじめて知ったなぁ」

「嘘!」

「本当さ」

「あ、あれは、あなたが、そばにいたからだっ……だから!」

 恥ずかしさに耳が熱くなってしまう。

「そこまでムキにならなくても」

「なってない……!」

「まあそういうことにしておこう。しかし、そんなに撫でるのが好きなの?」

「気持ちいいし、手触りとか……」

「そっか。なら、今後はこれまで以上に入念な毛繕いをしようかな」

「え?」

「冗談だよ。――さあそろそろ私は去ろう。きっと殿下はカリカリされているだろうから」

「あ、うん……ご……」

「ご?」

「ううん。あ、ありがとう」

 思わずごちそうさまと言いかけ、慌てて言い直す。

 アスコットは不思議そうに小首をかしげると、人間の姿に戻る。

(あーあ)

 あんな可愛らしい生き物から愛くるしさが失われ、がっかりしてしまう。

「そんな急に落胆しなくてもいいだろう。王宮内で獣人の姿でうろつくわけにはいかないんだから」

 偶然振り向いたアスコットは苦笑しながら言った。

「分かってる」

 イングリットは肩をすくめた。

 アスコットは頭を下げ、部屋を出て行くと、予想以上に待たされたマクヴェスが案の定、むっつりとした顔で部屋に入ってくる。

「何を話していた」

「盗み聞き、してたんじゃないの」

「するわけないだろう」

 そばにある椅子を引き、どっかりと座った。

「謝られたの。今回のことを」

「当然だ」

「ねえ、彼に何かしなかった?」

「どういう意味だ」

 マクヴェスは眉をひそめた。

「お前のせいだってその……手荒いこと」

「本当ならするつもりだったが、お前の救助に一役買ったからな、それは許してやった」

「良かった。ねえ、何か羽織れるものある。さすがにこの格好だけじゃ……」

「何をする」

「目が覚めたから……服を着替えて、いつも通りの仕事を……。痛いっていっても、別にそんな騒ぐようなもんでもないし……」

 その時、目の前に黒々とした影がすっとんできた。

「ちょ……!」

 影の正体はマクヴェスだった。

 急に獣化して、ぐっとベッドに押し倒されてしまう。

「な、何……っ」

 彼の重みが胸にかかる。

「駄目だ。まだ火事のことからそれほど時間がたっていないんだぞ。今は絶対安静だ」

「……ぜ、絶対、安静の人にすることじゃ、ないと思うけど、これは」

「お前が聞き分けがなさすぎるからだ。
――もう少し、自分をいたわれ。お前が傷つけば、俺の胸が張り裂けてしまいそうになることを……分かってくれ……っ」

 それは頼みというより、懇願だった。

 そうつぶやく、マクヴェスのほうが辛そうな顔をしていた。

 アスコットと同じことを言わてしまた……。

 イングリットは身体から力を抜く。

「分かった。お医者さんが良いと言うまでは休むから」

「そうだ。……それまで、俺がそばにいてやる」

 ふさふさの尻尾を触れとでもいいたげに胸元にもってこられた。

「……ありがと」

 イングリットはその毛量の多い、尻尾を抱え込むようにする。

 撫でているうちにすぐ、瞼が重たくなった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

転生したら美醜逆転世界だったので、人生イージーモードです

狼蝶
恋愛
 転生したらそこは、美醜が逆転していて顔が良ければ待遇最高の世界だった!?侯爵令嬢と婚約し人生イージーモードじゃんと思っていたら、人生はそれほど甘くはない・・・・?  学校に入ったら、ここはまさかの美醜逆転世界の乙女ゲームの中だということがわかり、さらに自分の婚約者はなんとそのゲームの悪役令嬢で!!!?

【完結】番(つがい)でした ~美しき竜人の王様の元を去った番の私が、再び彼に囚われるまでのお話~

tea
恋愛
かつて私を妻として番として乞い願ってくれたのは、宝石の様に美しい青い目をし冒険者に扮した、美しき竜人の王様でした。 番に選ばれたものの、一度は辛くて彼の元を去ったレーアが、番であるエーヴェルトラーシュと再び結ばれるまでのお話です。 ヒーローは普段穏やかですが、スイッチ入るとややドS。 そして安定のヤンデレさん☆ ちょっぴり切ない、でもちょっとした剣と魔法の冒険ありの(私とヒロイン的には)ハッピーエンド(執着心むき出しのヒーローに囚われてしまったので、見ようによってはメリバ?)のお話です。 別サイトに公開済の小説を編集し直して掲載しています。

獣人の世界に落ちたら最底辺の弱者で、生きるの大変だけど保護者がイケオジで最強っぽい。

真麻一花
恋愛
私は十歳の時、獣が支配する世界へと落ちてきた。 狼の群れに襲われたところに現れたのは、一頭の巨大な狼。そのとき私は、殺されるのを覚悟した。 私を拾ったのは、獣人らしくないのに町を支配する最強の獣人だった。 なんとか生きてる。 でも、この世界で、私は最低辺の弱者。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

お母様が国王陛下に見染められて再婚することになったら、美麗だけど残念な義兄の王太子殿下に婚姻を迫られました!

奏音 美都
恋愛
 まだ夜の冷気が残る早朝、焼かれたパンを店に並べていると、いつもは慌ただしく動き回っている母さんが、私の後ろに立っていた。 「エリー、実は……国王陛下に見染められて、婚姻を交わすことになったんだけど、貴女も王宮に入ってくれるかしら?」  国王陛下に見染められて……って。国王陛下が母さんを好きになって、求婚したってこと!? え、で……私も王宮にって、王室の一員になれってこと!?  国王陛下に挨拶に伺うと、そこには美しい顔立ちの王太子殿下がいた。 「エリー、どうか僕と結婚してくれ! 君こそ、僕の妻に相応しい!」  え……私、貴方の妹になるんですけど?  どこから突っ込んでいいのか分かんない。

【完結】ペンギンの着ぐるみ姿で召喚されたら、可愛いもの好きな氷の王子様に溺愛されてます。

櫻野くるみ
恋愛
笠原由美は、総務部で働くごく普通の会社員だった。 ある日、会社のゆるキャラ、ペンギンのペンタンの着ぐるみが納品され、たまたま小柄な由美が試着したタイミングで棚が倒れ、下敷きになってしまう。 気付けば豪華な広間。 着飾る人々の中、ペンタンの着ぐるみ姿の由美。 どうやら、ペンギンの着ぐるみを着たまま、異世界に召喚されてしまったらしい。 え?この状況って、シュール過ぎない? 戸惑う由美だが、更に自分が王子の結婚相手として召喚されたことを知る。 現れた王子はイケメンだったが、冷たい雰囲気で、氷の王子様と呼ばれているらしい。 そんな怖そうな人の相手なんて無理!と思う由美だったが、王子はペンタンを着ている由美を見るなりメロメロになり!? 実は可愛いものに目がない王子様に溺愛されてしまうお話です。 完結しました。

処理中です...