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第二章 悪女への道

自分以外の皇后候補、嫌みな連中が三人も!

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 翌日、旬果を起こしたのは菜鈴だった。
「旬果様。起きて下さい」
 旬果は寝返りを打つ。
「……菜鈴。ごめん。もう少し寝かせてーっ」
「もうお昼を過ぎております。それから他の皇后候補たちから後宮へのお誘いが、ありました」
 旬果は、顔をがばっと上げた。
「えっ!?」
 菜鈴が促す。
「着替えも用意してございますので。急いで参りましょう!」

                      ※※※※※

 そうして菜鈴に急かされるがまま、旬果は後宮へ向かった。
(お腹、空いた……)
 食事をする暇もなかった。
(起きたばっかりだけど、むくんでないよね?)
 
 旬果は後宮の女官に先導され、人工池の中に佇んでいる亭閣《ていかく》に案内された。
 そこにはすでに、三人の艶やかな襦裙姿の皇后候補たちの姿があった。
 ここまで案内してくれた女官が少女たちに恭しく頭を下げて、旬果がやって来たことを伝えると、少女たちは一斉に旬果を見た。
 さすがに緊張せざるを得なく、旬果は背筋を伸ばした。
 しかし相手は同年代。劉皇后の時よりはまだ安心できる。

 旬果はしづしづと歩み寄り、頭を下げた。
「どうも、皆様……。王旬果と申します。お見知りおき下さい」
 女性たちのうち一人が立ち上がると、二人も同じように立ち上がった。
 それだけで、何となく三人の力関係が分かった。

 最初に立ち上がった、切れ長の眼差しが劉皇后によく似ているのが、皇后の姪であろう。 広い額が自慢なのか、それを目立たせるような髪型だ。
 その右手側にいるのは、前髪をぱっつんと切りそろえた、三人の中では一番小柄で、幼く見える少女。旬果を見ながらニヤニヤしてる。
 左側にいるのは、緩く巻いた髪を肩にかけた、おどおどした雰囲気のある少女。伏し目がちで、小動物のようだ。

(でこに、ちびっこに、小動物……)
 本人の前ではとても口に出来ないことを胸の内で考える。

 でこが言う。
「ようこそ、旬果様。さあ、こちらにいらっしゃって。お話をいたしましょう」
「あ、ありがとうございます」
 ここに来るまでの輿の中で、菜鈴から言われたのは余計なことは言うな、何でもはいはい、と言っていろ――ということだ。

 でこが言う。
「さあ、皆さん。旬果様へ自己紹介をいたしましょう。――私は劉麗《りゅうれい》と申します。よろしくお願いしますね」

 幼児が言う。
「私は、康慧星《こうけいせい》ですわ。よろしくお願いいたしますわ」
 小動物がぽつりと呟く。
「……洪周《こうしゅう》と申します。……よろしくお願いいたします」
 旬果は頭を下げる。
「皆様、よろしくお願い致します」
 劉麗は、慧星の座っている場所を示す。
「さあ、こちらにお座りになって」
「え、いえ。そちらには慧星様がいらっしゃるので。私はこちらに……」
 劉麗はニコッと微笑む。
「あら。こちらでよろしくてよ? 慧星様がどかれればよろしいんですもの。ね、慧星様」
 平然とそう言うのである。
 一瞬、引き攣った笑みを見せた慧星はホホホと微笑んで、席をずれた。
「さあさあ。こちらにお座りになって下さいませ」
 しかしちびっ子の目は笑っていない。

(怖っ!)
 しかし今さら、辞退など出来るはずもない。
「で、では……失礼します」
 劉麗はにこりと笑いかけてくる。
「旬果様はどちらのご出身なの?」
「えっと……」

 その時、きゅぅっ……と、お腹が思いっきり鳴ってしまい、はっとしてお腹を押さえた。
 腹の虫の音に、劉麗たちは顔を見合わせたかと思うと、慧星は袖で口元を隠す。しかし肩が笑いで小刻みに震えてしまっている。

 劉麗は、にこやかな表情を崩さない。
 洪周も必死に笑いを噛み殺そうとしているせいで、口がモゴモゴとしてしまっている。
(笑ってくれた方が、よっぽど良いから!)
 旬果は誤魔化すことも出来ず、頬を染めて俯いた。

 劉麗がこれを召し上がって、とお菓子の入った器を差し出してくれる。
「あ、ありがとうございます」
 適当な菓子を抓んで口にすれば、
「甘い!」
 旬果は思わずそう口走った。
「……すごい。こんなに甘いもの、初めて食べました」
 でこは柔らかく微笑んだ。
「砂糖菓子よ。お好きなだけ、どうぞ」
 全部食べるのはさすがにあり得ないと、旬果は五つくらいで遠慮しておく。
 その食べっぷりを、三人の皇后候補たちがじっと見つめる。
「お菓子、ありがとうございます。どうにかお腹の方、落ち着きました……」

 でこは頷く。
「では話を元に戻しましょう。あなたのご出身はどこですの?」
「余州北山県壬午村、です」
 ちびっ子が大袈裟に驚く。
「村!? あなた、村の出身なんですの!?」
「え、ええ……」
「あらあら。村出身なんて……そこのと、同じですわねえ」
 女官の何人かを指さし、くすくす笑う。
(ちびっ子の分際で腹立つわね)

 劉麗はやんわりと宥める。
「慧星様。いけませんよ。村でも良いじゃないの。それで、その村は、どちらにあるのかしら」
「えっと……都から十日ほどかかる場所に……」
 言い終わらぬ内に、劉麗が話をかぶせてくる。
「そうなのね。私たちは都から出たことがないので。それでどんな場所なんですか?」
「都ほど物はありませんが、緑が豊かで綺麗な場所です」
 ちびっ子は、にやつく。

 旬果は眉をしかめた。
「慧星様。何ですか?」
「田舎の方は純朴だと思っていましたけれど、例外というのもあるんですわねぇ」
「は?」
「だって、あなたのこと、女官たちが怖がっていますわよ?」
「怖がる……ですか?」
 ちびっ子は、でこに話を振る。
「劉麗様は、旬果様に関するお噂を聞きまして?」
 劉麗は相変わらず、控え目な笑みを浮かべている。
「ええ。旬果様がおかゆや水のことで、女官を厳しく叱責したと皆が噂しているようですね」
(菜鈴の作戦は効果抜群、ね)
 旬果は苦笑する。
「あ、そ、それはですね……」
 劉麗が大丈夫と言うかのように、手で制する。
「女官という者はしっかり教育しなければ、さぼりたがるもの……。あなたがやったことは決して間違ってはいないと思うわ」

(……本当にそうだとしたら、あんたたちはおかしいけどね!)
 ひとまず旬果は、ホッと安心したような素振りを見せる。
「でしたら、良かったです」
 その時、宦官が恭しく前に出てくる。
「――失礼いたします。陛下が劉麗様をお召しあそばされるとの御意でございます」
「あら。それはすぐに参らなければ。――旬果様、今日はとても楽しかったわ。またこうして四人で会いましょう。皆、皇后候補ではありますが、女同士、気が合いそうですもの」
「はい。喜んで」
「あなたが一刻も早く、後宮に上がれるのを楽しみに待っていますね」

 でこが立ち上がると、それを見送るようにちびっ子と、小動物も立ち上がった。
 旬果も立ち上がり、劉麗とそのお付きの女官たちを見送る。
 そして劉麗の姿が見えなくなるや、ちびっ子が思いっきり溜息をついて、吐き捨てる。
「ったく……。良い気なものですわね。自分は皇太后陛下の姪だからって、皇后に選ばれることを微塵も疑ってない」
 旬果は、その変貌ぶりに愕然とする。
 その声はさっきよりも数段低いし、笑顔はすっかり影を潜めていた。
 旬果は恐る恐る声をかける。
「……慧星様?」
 しかし聞こえないのか、無視である。
 もう一度、声をかける。
「慧星様?」
 肩に触れようとすれば、手の甲をぴしゃりと叩かれてしまう。
「いたっ!」
 慧星がキッと睨んできた。
「気安く話しかけないで下さる? わたくしとあなたとは格が違いますの。……ふん、あなたには、村に帰って動物とでも戯れている方がお似合いですわよ。失礼」
 慧星はさっさとその場を後にしてしまう。お付きの女官たちが、慌てて後を追った。
(嘘……。そんな露骨に変わる訳? 村娘にだって五分の魂って思わないの?)
 そうなると怖いのが、残りの一人。勝手に心の中で命名した小動物こと、洪周嬢である。
(牙を剥いて飛びかかったりとか、さすがにしてこないわよね……)
 怖々と洪周を窺うものの、そこには静かに庭を眺める彼女の姿があるばかり。
 しかし油断は出来ない。気安く話しかけた途端、ちびっ子のように牙を剥くかもしれない。

 旬果は恐る恐る、席に腰掛けた。
 しばらくすると、洪周が視線を寄越す。
「悪いことは言わないから、早く故郷に帰った方が良いわ」
(来た……!)
 旬果は心の中で身構えつつ、洪周と目を合わせる。
 洪周は言う。
「さっきの慧星様の変わり身を見たでしょう? ここにいるのはああいう人たちばかりなのよ。純朴さを完全に失ってしまう前に、帰るべきよ」
 相手の出方をみる為に、旬果はわざと渋る。
「……でも、折角陛下にお声をかけて頂いたのに……」
「あなたは選ばれないわ」

 内心、溜息をつく。
(結局、この子も他の連中と一緒か……。大人しい腹黒っていうのが一番手に負えない)
 洪周は、静かな眼差しで言う。
「どうしたって後宮の世界で生き残るには後ろ盾が必要だもの。このままいけば間違いなく、劉麗様が皇后になるはずよ。だって皇太后陛下の姪御様なんだもの」
「そう思われているのに、洪周様はおうちに戻られないんですか?」
 洪周は寂しそうに微笑んだ。
「……そうね。戻れるものなら、戻りたいわ」
「え?」
 どういうことかもっと聞きたかったが、洪周は立ち上がってしまう。
「忠告はしたわ。危ない目に遭いたくなかったら、村に帰りなさい。そうした方が幸せになれる」
 踵を返したかと思うと、さっさと立ち去ってしまう。
 お付きの女官たちが全員いなくなってしまえば、旬果と、旬果をここに案内してくれた女官が取り残される格好になった。
 旬果が女官を見れば、女官は「ひっ」と声を詰まらせ、平伏する。
「む、鞭打ちだけはご容赦を……! こ、故郷に老いた両親がおりましてぇっ!」
 旬果は溜息を吐く。
「……帰るから、案内して」

                       ※※※※※

 旬果が白鹿殿に戻ると、門前に泰風と菜鈴が待ってくれていた。
 旬果の姿を見ると、二人ともほっと胸を撫で下ろしたようだ。

 旬果は笑いかけた。
「二人とも、ただいま」
 泰風が頷く。
「お帰りなさいませ」
 菜鈴が心配そうに、旬果の顔を覗き込んだ。
「ど、どうでしたか。余計なことは……」
「言わなかった……と思う」
「思うでは困ります。下手に目を付けられては、後々どのような災いが降りかかるか……」
「それなら心配ないわ。私が村出身って知って、安心したみたいだから」
「そうですか。それなら良かったです!」
 旬果は足を止めて、菜鈴を見る。菜鈴は小首を傾げた。
「いかがなさいましたか?」
「私が女官にひどいことをする噂で、後宮はもちきりだそうよ」
「それが何か? 私だって断腸の思いで女官に当たっているんです! そんなことより、他の候補たちのことを教えて下さい!」
「それはまた今度。今日は疲れちゃって……。休むわ」
 旬果は自分の部屋に入るなり、襦裙を脱ぐのも面倒で、そのまま寝台に倒れ込んだ。
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