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第26話 脱出
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その日は早くから、外の騒がしさでオルティスは目覚めた。
(一体どうした……?)
窓を開けて通りを見ると、衛兵隊たちが街の出入り口へ向かっているところだった。
胸騒ぎがした。
オルティスは服を着替えると部屋を出たところで、アルバートと鉢合わせる。
「兄上、ちょうど部屋に行こうとしてたところです」
「この騒ぎのことだな」
「はい」
「様子を見に行くぞ」
オルティスたちは街の出入り口へ向かう。
そこでは、以前、東部の村で出くわした黒い巨大な獣たちの姿があった。
衛兵隊は必死に押さえ込もうとしているようだが、為す術無く蹴散らされている。
街の人々は逃げ惑い、屋内へ逃げ込んだ。
「アル!」
「はいっ! ──全員、どけっ!」
衛兵隊がはっとして振り返る。
アルバートは氷のオーラを全身にまとわせ、黒い獣めがけ剣を振りかぶった。
オーラの力に当てられ、獣たちが消し飛ぶ。
「平気か!」
衛兵隊は顔を見合わせる。
「い、今のはオーラ……」
「お前、手配人のアルバート・ブラッドリーかっ!?」
命を助けた相手に槍を向けるなんて呆れる。
「そんなことを言っている場合か! 今の化け物が見えなかったのか!? あれは闇魔導士の手先だ!」
オルティスが一喝すれば、衛兵隊ははっとする。
「責任者はっ」
「わ、私です」
中年男が前に出た。
「ひとまず怪我人の収容、それから民を落ち着かせるんだ」
オルティスはフードを外す。
「あ、あんた!」
「元宰相のオルティス・ブラッドリーだ。ここでまた逮捕だのなんだのと騒ぎ立てて時間を無駄にするか? それとも、民を守るという衛兵隊の本来の役目を全うするか?」
「……分かった」
「冷静でありがたい。それから馬を二頭借りたい。安心しろ、逃げるつもりはない」
「なら、何をしに行くんだ」
「外の様子を見てくる」
「兄上、正気ですかっ」
「アル、当然お前も来てくれるよな?」
「無論です」
「で、どうする? お前らのうちの誰かが代わりに見て来てくれるならそれでもいいが」
衛兵たちは目を伏せた。
「……馬を」
「隊長、よろしいのですか!? こいつらは手配人ですよ!?」
「聞こえなかったのか! さっさとしろっ!」
隊長の言葉に、部下は渋々、馬を手配してくれる。
オルティスたちは馬にまたがった。
「実は、他の街の屯所との連絡が取れないんだ。もしお前の言う通り、闇魔導士が暗躍しているのなら……」
「とにかく、民を落ち着かせてほしい」
オルティスたちは街を出た。
どんよりとした雲が日射しを遮っている。
すでに秋も終りに近づき、冬が近づきつつあるのを冷たい風が教えた。
街道に出ると、すぐ違和感に襲われた。
早朝から輸送業者の姿はあってしかるべきなのに、それがない。
それどころか、鳥のさえずりも聞こえなかった。
空には分厚い黒雲が垂れ込め、日差しがない。
早朝にもかかわらず、まだ夜明け前のようにも思えてしまう。
「悪い予感しかしませんね」
「まったくだ。グラムに託した手紙の返事が来ないのも気にかかる」
「……王都が落ちた、と?」
「そうは言わないが……」
しかし各地の屯所と連絡がつかないというのも、胸騒ぎの原因の一つでもある。
「とにかく近くの街へ行こう」
「はい」
街道を駆けることおよそ三十分、宿場町が見えてきた。
人口五百人ほどの町だ。
しかし近づくだけで異様さを感じてしまう。
そう、宿場町は早朝から稼働しているものだ。
にもかかわらず、人の気配を全く感じない。
と、馬が動きを止めた。
「おい、どうした?」
馬腹を軽く蹴るが、ぴくりともしない。
「どうしたんだ。動け」
「兄上、馬が怯えています」
無理矢理進めようとすると、馬はいやいやとするように歯を剥き出しにして頭を振り、抵抗するのだ。
衛兵隊の馬だからそれなりの調教をしているにもかかわらず。
「それなら、徒歩で……」
「待ってください。逃げましょう」
「何を……」
その時、宿場町の入り口から何か黒い泥のようなものが溢れてくる。
「なんだ、あれ」
泥には靴や服、剣や農機具などが浮いていた。
泥はみるみる街道に溢れると、まるで生き物のように蠢く。
馬がヒヒィン、と落ち着きを失い、いなないた。
「アル、」
逃げるぞ、と言うよりも先に、泥が動く。
触手のようなものが泥の中から伸びてきたかと思えば、オルティスめがけ向かってきた。
「っ!!」
それを遮ったのが、氷のオーラ。
黒い触手が消し飛ぶ。
しかし黒い泥はさらに量を増やし、街道に溢れた。
「アル、行くぞ!」
「はいっ!」
あれは、まさに闇の力。
黒い泥はオルティスたちを追いかけるように街道をどんどん浸食していく。
木々や草がみるみる黒く枯れはてていく。
(……街の人間はおそらくあれに喰われたんだ)
※
街へ戻ったオルティスたちはすぐにフォグマンと衛兵隊の隊長との会合を持ち、自分たちが見てきたものを伝えた。
「急ぎ、人々の避難誘導を。このままではこの街は闇に飲み込まれる」
「避難すると言っても、どこへ」
衛兵隊長が表情を強ばらせながら聞いてくる。
「海へ。闇の力は海にまでは出られない」
「どうしてそんなことが言えるのですか」
「王都の図書館で闇の力に関しての古い文献を読んだことがあるんです。なぜかは分かりませんが、闇の力は海にまでは及ばない」
「その通りだ。有能な宰相として辣腕を振るってきた兄上の言葉だぞ」
アルバートの一言もあり、「わ、分かった」と衛兵隊長はうなずき、部下へ号令をかけに出る。
「アル、ありがとう」
「いいんです。兄上を支えるのが私の使命ですから」
使命という重たい言葉の響きに、思わず苦笑してしまう。
「フォグマン殿は食糧と水を、急ぎ船へ運び入れてください」
「分かりました!」
早速、全員が動き出す。
泥の浸食速度だと昼前には街に達するだろう。
人々には必要最低限の荷物だけを持って、船へ乗り込むよう誘導していくが、命令を無視して大荷物を抱えて移動しようとする人々が後を絶たず、衛兵隊との間で悶着が起こる。
(まったく緊急時に……!)
「命令が聞けないのなら、船には乗せられない!」
オルティスは少し乱暴だと思いながらも断固とした姿勢を見せる。
ここで悠長な話し合いをしている時間はない。
少しの遅れが、この街の人間たち全員の命を危うくするのだ。
「も、申し上げます!」
そこへ街の外の哨戒を任せていた衛兵が駆けこんできた。
「泥が丘を越えてきました!」
街の人々を含め、オルティスも顔を上げた。ここからでもはっきり、街へ押し寄せる泥の姿を確認できた。
緑の色をしていた丘は今や、真っ黒だ。
それまで衛兵隊と悶着を起こしていた人々は荷物を放り出し、船へと殺到する。
(どうにか間に合った……)
「兄上、私たちも行きましょう」
「ああ」
渡り板に足をかけようとしたその時、その足を止めた。
「兄上?」
「今、声が……」
振り返っても、見えるのは街に迫り来る泥だ。
「何も聞こえません。気のせいでしょう。それより急いでください!」
「いや、確かに聞こえた。──見てくる!」
「兄上!?」
「まだ少し猶予はあるっ!」
オルティスが街へ戻ると、すぐに足音がついてくる。
「アル、お前……」
「無駄口をたたいている暇はありません!」
「そ、そうだなっ」
無人街と化した街中、辺りを見回すと、
「うわあああん! ママぁぁぁ!」
人形を抱えた少女がうずくまり、泣いているのを見つけた。
「もう大丈夫だ!」
オルティスは少女を抱き上げた。
「兄上、急ぎましょう!」
オルティスたちは走りながら、後ろを振り返る。
泥がついに、街の入り口に達した。
(速度が、さっきよりも速い!)
アルバートがオーラをぶつけ、浸食速度を緩めようとするが、焼け石に水だ。
すぐに欠けた部分が次から次へと押し寄せる泥によって修復されていく。
歯を食いしばり、船めがけ走る。
久しぶりの全力疾走で、苦しさと気持ち悪さに襲われるが、足を止めたら終わりだ。
船は渡り板を外し、出航しようとしていた。
「アル、お前だけでも船へ行け! お前だけなら間に合う!」
「兄上をおいていける訳がないでしょう!」
「いざという時は海に飛び込む!」
だが海に飛び込む時間すらあるのか。
急速に迫り来る黒い泥の気配を、背中でひしひしと感じる。
アルバートは加速しつつ、手をかざし、船の縁に氷で手がかりを生み出したかと思うと、見事な跳躍力でそこに右手をかけ、オルティスに向かって左手を伸ばす。
「兄上! 捕まってくださいっ!」
オルティスはしっかり少女を左腕に抱えると、大地を踏みきり、アルバートの手を掴んだ。
アルバートも手を掴んでくれる。
アルバートのお陰で、オルティスたちは船に乗ることに成功した。
港を見ると、黒い靄が悔しげに蠢いている。
「キーナ!」
少女の母親と思しき女性が駆けつける。
「ママぁ!」
二人は抱き合った。
(良かった)
肩で息をするオルティスはその様子を口元を綻ばせて、見つめた。
「本当にありがとうございます! キーナ、あなたもお礼を言いなさい」
「ありがとう、おにいさん!」
オルティスはその場に座りこんだまま、少女に手を振る。
と、目の前のアルバートはしゃがんだかと思うと、これまで見たことがないくらい怖い顔で睨まれた。
「……こんな馬鹿げたことはこれで最後にしてください。生きた心地がしませんでした」
これで最後だ、と言えればどれだけいいだろう。
「悪いが、まだ馬鹿げたことに付き合ってもらうことになる」
アルバートは思いっきり溜め息をつく。
「今度は一体、どんな無茶をするつもりなんですか?」
「──闇魔導士を討つ」
アルバートは目を大きく瞠った。
(一体どうした……?)
窓を開けて通りを見ると、衛兵隊たちが街の出入り口へ向かっているところだった。
胸騒ぎがした。
オルティスは服を着替えると部屋を出たところで、アルバートと鉢合わせる。
「兄上、ちょうど部屋に行こうとしてたところです」
「この騒ぎのことだな」
「はい」
「様子を見に行くぞ」
オルティスたちは街の出入り口へ向かう。
そこでは、以前、東部の村で出くわした黒い巨大な獣たちの姿があった。
衛兵隊は必死に押さえ込もうとしているようだが、為す術無く蹴散らされている。
街の人々は逃げ惑い、屋内へ逃げ込んだ。
「アル!」
「はいっ! ──全員、どけっ!」
衛兵隊がはっとして振り返る。
アルバートは氷のオーラを全身にまとわせ、黒い獣めがけ剣を振りかぶった。
オーラの力に当てられ、獣たちが消し飛ぶ。
「平気か!」
衛兵隊は顔を見合わせる。
「い、今のはオーラ……」
「お前、手配人のアルバート・ブラッドリーかっ!?」
命を助けた相手に槍を向けるなんて呆れる。
「そんなことを言っている場合か! 今の化け物が見えなかったのか!? あれは闇魔導士の手先だ!」
オルティスが一喝すれば、衛兵隊ははっとする。
「責任者はっ」
「わ、私です」
中年男が前に出た。
「ひとまず怪我人の収容、それから民を落ち着かせるんだ」
オルティスはフードを外す。
「あ、あんた!」
「元宰相のオルティス・ブラッドリーだ。ここでまた逮捕だのなんだのと騒ぎ立てて時間を無駄にするか? それとも、民を守るという衛兵隊の本来の役目を全うするか?」
「……分かった」
「冷静でありがたい。それから馬を二頭借りたい。安心しろ、逃げるつもりはない」
「なら、何をしに行くんだ」
「外の様子を見てくる」
「兄上、正気ですかっ」
「アル、当然お前も来てくれるよな?」
「無論です」
「で、どうする? お前らのうちの誰かが代わりに見て来てくれるならそれでもいいが」
衛兵たちは目を伏せた。
「……馬を」
「隊長、よろしいのですか!? こいつらは手配人ですよ!?」
「聞こえなかったのか! さっさとしろっ!」
隊長の言葉に、部下は渋々、馬を手配してくれる。
オルティスたちは馬にまたがった。
「実は、他の街の屯所との連絡が取れないんだ。もしお前の言う通り、闇魔導士が暗躍しているのなら……」
「とにかく、民を落ち着かせてほしい」
オルティスたちは街を出た。
どんよりとした雲が日射しを遮っている。
すでに秋も終りに近づき、冬が近づきつつあるのを冷たい風が教えた。
街道に出ると、すぐ違和感に襲われた。
早朝から輸送業者の姿はあってしかるべきなのに、それがない。
それどころか、鳥のさえずりも聞こえなかった。
空には分厚い黒雲が垂れ込め、日差しがない。
早朝にもかかわらず、まだ夜明け前のようにも思えてしまう。
「悪い予感しかしませんね」
「まったくだ。グラムに託した手紙の返事が来ないのも気にかかる」
「……王都が落ちた、と?」
「そうは言わないが……」
しかし各地の屯所と連絡がつかないというのも、胸騒ぎの原因の一つでもある。
「とにかく近くの街へ行こう」
「はい」
街道を駆けることおよそ三十分、宿場町が見えてきた。
人口五百人ほどの町だ。
しかし近づくだけで異様さを感じてしまう。
そう、宿場町は早朝から稼働しているものだ。
にもかかわらず、人の気配を全く感じない。
と、馬が動きを止めた。
「おい、どうした?」
馬腹を軽く蹴るが、ぴくりともしない。
「どうしたんだ。動け」
「兄上、馬が怯えています」
無理矢理進めようとすると、馬はいやいやとするように歯を剥き出しにして頭を振り、抵抗するのだ。
衛兵隊の馬だからそれなりの調教をしているにもかかわらず。
「それなら、徒歩で……」
「待ってください。逃げましょう」
「何を……」
その時、宿場町の入り口から何か黒い泥のようなものが溢れてくる。
「なんだ、あれ」
泥には靴や服、剣や農機具などが浮いていた。
泥はみるみる街道に溢れると、まるで生き物のように蠢く。
馬がヒヒィン、と落ち着きを失い、いなないた。
「アル、」
逃げるぞ、と言うよりも先に、泥が動く。
触手のようなものが泥の中から伸びてきたかと思えば、オルティスめがけ向かってきた。
「っ!!」
それを遮ったのが、氷のオーラ。
黒い触手が消し飛ぶ。
しかし黒い泥はさらに量を増やし、街道に溢れた。
「アル、行くぞ!」
「はいっ!」
あれは、まさに闇の力。
黒い泥はオルティスたちを追いかけるように街道をどんどん浸食していく。
木々や草がみるみる黒く枯れはてていく。
(……街の人間はおそらくあれに喰われたんだ)
※
街へ戻ったオルティスたちはすぐにフォグマンと衛兵隊の隊長との会合を持ち、自分たちが見てきたものを伝えた。
「急ぎ、人々の避難誘導を。このままではこの街は闇に飲み込まれる」
「避難すると言っても、どこへ」
衛兵隊長が表情を強ばらせながら聞いてくる。
「海へ。闇の力は海にまでは出られない」
「どうしてそんなことが言えるのですか」
「王都の図書館で闇の力に関しての古い文献を読んだことがあるんです。なぜかは分かりませんが、闇の力は海にまでは及ばない」
「その通りだ。有能な宰相として辣腕を振るってきた兄上の言葉だぞ」
アルバートの一言もあり、「わ、分かった」と衛兵隊長はうなずき、部下へ号令をかけに出る。
「アル、ありがとう」
「いいんです。兄上を支えるのが私の使命ですから」
使命という重たい言葉の響きに、思わず苦笑してしまう。
「フォグマン殿は食糧と水を、急ぎ船へ運び入れてください」
「分かりました!」
早速、全員が動き出す。
泥の浸食速度だと昼前には街に達するだろう。
人々には必要最低限の荷物だけを持って、船へ乗り込むよう誘導していくが、命令を無視して大荷物を抱えて移動しようとする人々が後を絶たず、衛兵隊との間で悶着が起こる。
(まったく緊急時に……!)
「命令が聞けないのなら、船には乗せられない!」
オルティスは少し乱暴だと思いながらも断固とした姿勢を見せる。
ここで悠長な話し合いをしている時間はない。
少しの遅れが、この街の人間たち全員の命を危うくするのだ。
「も、申し上げます!」
そこへ街の外の哨戒を任せていた衛兵が駆けこんできた。
「泥が丘を越えてきました!」
街の人々を含め、オルティスも顔を上げた。ここからでもはっきり、街へ押し寄せる泥の姿を確認できた。
緑の色をしていた丘は今や、真っ黒だ。
それまで衛兵隊と悶着を起こしていた人々は荷物を放り出し、船へと殺到する。
(どうにか間に合った……)
「兄上、私たちも行きましょう」
「ああ」
渡り板に足をかけようとしたその時、その足を止めた。
「兄上?」
「今、声が……」
振り返っても、見えるのは街に迫り来る泥だ。
「何も聞こえません。気のせいでしょう。それより急いでください!」
「いや、確かに聞こえた。──見てくる!」
「兄上!?」
「まだ少し猶予はあるっ!」
オルティスが街へ戻ると、すぐに足音がついてくる。
「アル、お前……」
「無駄口をたたいている暇はありません!」
「そ、そうだなっ」
無人街と化した街中、辺りを見回すと、
「うわあああん! ママぁぁぁ!」
人形を抱えた少女がうずくまり、泣いているのを見つけた。
「もう大丈夫だ!」
オルティスは少女を抱き上げた。
「兄上、急ぎましょう!」
オルティスたちは走りながら、後ろを振り返る。
泥がついに、街の入り口に達した。
(速度が、さっきよりも速い!)
アルバートがオーラをぶつけ、浸食速度を緩めようとするが、焼け石に水だ。
すぐに欠けた部分が次から次へと押し寄せる泥によって修復されていく。
歯を食いしばり、船めがけ走る。
久しぶりの全力疾走で、苦しさと気持ち悪さに襲われるが、足を止めたら終わりだ。
船は渡り板を外し、出航しようとしていた。
「アル、お前だけでも船へ行け! お前だけなら間に合う!」
「兄上をおいていける訳がないでしょう!」
「いざという時は海に飛び込む!」
だが海に飛び込む時間すらあるのか。
急速に迫り来る黒い泥の気配を、背中でひしひしと感じる。
アルバートは加速しつつ、手をかざし、船の縁に氷で手がかりを生み出したかと思うと、見事な跳躍力でそこに右手をかけ、オルティスに向かって左手を伸ばす。
「兄上! 捕まってくださいっ!」
オルティスはしっかり少女を左腕に抱えると、大地を踏みきり、アルバートの手を掴んだ。
アルバートも手を掴んでくれる。
アルバートのお陰で、オルティスたちは船に乗ることに成功した。
港を見ると、黒い靄が悔しげに蠢いている。
「キーナ!」
少女の母親と思しき女性が駆けつける。
「ママぁ!」
二人は抱き合った。
(良かった)
肩で息をするオルティスはその様子を口元を綻ばせて、見つめた。
「本当にありがとうございます! キーナ、あなたもお礼を言いなさい」
「ありがとう、おにいさん!」
オルティスはその場に座りこんだまま、少女に手を振る。
と、目の前のアルバートはしゃがんだかと思うと、これまで見たことがないくらい怖い顔で睨まれた。
「……こんな馬鹿げたことはこれで最後にしてください。生きた心地がしませんでした」
これで最後だ、と言えればどれだけいいだろう。
「悪いが、まだ馬鹿げたことに付き合ってもらうことになる」
アルバートは思いっきり溜め息をつく。
「今度は一体、どんな無茶をするつもりなんですか?」
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