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縁談

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 ルカは、ローザンの私室の扉をノックをする。

「ルカでございます。奥方様がお呼びと伺いました……」

「あぁ、ルカ!」

 出迎えたローザンはいきなり、ルカを抱きしめてきた。

「っ!?」

 ルカは目を見開いて驚く。

‘なに!? 何なの!?’

「お、おやめください……!」

 ルカは困惑し、思わずローザンを突き飛ばしてしまう。

 ローザンはバランスを崩し、尻もちをつく。

「あ! 申し訳ございません、奥方様。つい……」

 ルカは慌てて、ローザンを抱き起こす。

 どんな罰を申し渡されてしまうのか。

 恐怖で身をすくませながら、ルカはローザンの顔を見る。

「!?」

 そこにあったのは少しも崩れぬ、笑顔。

「いいのよ。気にしないで。私がいきなり抱きついたのがいけなかったんだもの。それに奥方様だなんて他人行儀な言葉はやめなさい。お義母様と、昔のように呼んでちょうだい」

 これは新手の罠か、新しいイジメの手法なのか、とルカは困惑せずにはいられなかった。

「まあいいわ。そこに座って。大切な話があるのよ」

「は、はい……」

 ソファーに座ろうとしたルカは、さらに驚かされた。

 勧められたソファーにはもう一人、すでに座っていた。

 それはシェリル。

 普段ならローザン同様、同じ空間にいるだけでも嫌味を言ってきそうなものなのに、

「お姉様にお茶を。早く!」

 そうメイドに指示を出す。

‘お、お姉様……? 一体なに? なんの冗談!?’

 あまりの不気味さに、背筋を冷たい汗が流れていく。

「さあ、お姉様。どうぞ。クッキーもございます」

 ルカはどうかなりそうだった。

 毒でも入っているのかとも考えたが、そんな遠回りなやり方などせずとも、ここにいる連中は望むがままにルカを痛めつけられる。

‘もういいわ!’

 そっちがその気なら、乗るまで。

 ルカはクッキーを一枚取り、口に運んだ。

「!」

 その美味しさときたら、頬が落ちるとはよく言ったもので、クッキーは口に入れた途端、体温で溶け、ふんわりとした甘さが広がった。

‘美味しい! こんなにクッキーが美味しいものだったなんて!’

 奴隷同然の生活を送るようになってから、子どもの頃のように甘いものなど望むべくもなかったルカは貪るようにクッキーを頬張った。

 一度、そのサクッとした食感と甘みを覚えたら、もう手が止まらない。

 夢中になってクッキーを貪り、大皿山盛りのクッキーを全て平らげてしまった。

「はぁ……」

 あまりの美味しさに、最後に大きく息を吐き出す。

「ま、満足……した、かしら?」

「……はい」

 ローザンの引き攣り笑顔を前に、ルカはクッキーのカスで汚れた口元を腕で豪快に拭う。

‘もう、どうとでもなれ、よ!’

「それで、あなたを呼んだ用件なのだけど」

「ああ……はい。何でしょう」

「その……アルズール様のことは知っていて?」

「白き竜様ですよね。次の竜帝に一番近いと言われている方で、お嬢様の許嫁」

「その通り。しかし今や輝かしいはずの竜帝の地位は、穢れた黒き竜の手に渡ってしまいました……」

「みんなが噂をしていました。本当なのですね」

「残念ながら。どのような経緯があったかは分からないけれど、とんでもないことだわ。そして……」

 ローザンはいきなり涙ぐみ、ハンカチで目元を拭う。

「お姉様ぁ!」

 シェリルが、ルカに抱きついてくる。

「!?」

 全身に鳥肌が立ち、嫌悪感が駆け抜けた。

 はっきり言ってこのまま殴りたいくらい憎らしい嘘泣きだったが、今のルカはクッキー成分を補給したことで気持ちが高揚し、どんな悲劇でも受け止められそうな全能感に浸っている真っ最中だったので、許してやる。

「あぁ、哀れなシェリル……。実は黒き竜より使いがやってきて、シェリルを妻にしたいと言ってきたの。あの穢れたおぞましい黒き竜風情が図に乗って……!」

「しかしながら今や黒き竜こそ竜帝……。その言葉は絶対なのでは?」

「ひどいわ、お姉様! 私が、穢れた竜に食べられてもいいと仰るの!?」

‘ええ、食べられて欲しいわ。頭からむしゃむしゃと。骨ごとバリバリと。内臓の一欠片も残さず。できれば、私の目の前で!’

 心の中でルカはそう思いながら、シェリルの背中を撫でる。

「実は、今の黒き竜の元を訪れた妻候補である聖女たちは次々と追放されているの……。戻ってきた聖女たちはある方は茫然自失、ある方は一日中泣き通し、ある方は寝込んだまま動けず……どんな酷い目にあったのやら……」

「奥方様、単刀直入に仰ってください。私にどうしろと仰るのですか? まさか黒き竜と交渉をして、お嬢様を諦めるよう説得しろと?」

「違うわ。あなたにはね、シェリルの代わりに黒き竜に嫁いでもらいたいの」

‘なるほど。ここまで好待遇の意味がようやく理解できた。つまり馬鹿な妹の代わりに、生け贄になれってことね……’

「お姉様、お願い! シェリルを黒き竜のもとへやらないで!」

 ルカは小さくため息をつく。

‘私が黒き竜のもとへ嫁ぐのは問題ないってこと? 本当にこのどうしようもない品性下劣な母子は揃いも揃って……’

 うんざりしてしまう。

 しかしここで断れば、おそらくこの母子は態度を豹変させるだろう。

‘ここは言葉を選ばないと’

「お嬢様のお願いですから、行って差し上げたいのは山々でございます。しかし残念ながら私は聖女ではありません。お忘れではありませんよね?」

 ルカは言外に『あんたたちは私を罵るたびに、聖女ではないことをあげつらいましたよね?』と匂わせる。

 ローザンは頷く。

「そう、確かにその通り。でも聖女の力がないことを知っているのは私たちと屋敷の者たちだけ」

 確かにその通りだ。

 聖女ではないことは家の恥であり、その事実は秘匿される。

 さらにルカは学校に通うことすら禁じられており、その存在を知る者は外部にほとんどいなかった。

「だから愛しいルカ。あなたに聖女のふりをして欲しいの」

「そんな……。無理です。通じるはずがありません! 第一、私に聖女の力がない以上、嫁いだとしても子をなせません……」

 竜と交わることができるのは聖女だけ。

 普通の女性では竜の持つ力――竜気を受け止めきれず、その身を灼き尽くされてしまう。

 もちろん竜にもメスは存在するが、竜同士のつがいで生まれるのは凡庸な竜だけであり、竜帝ともなれば聖女とつがいになるのが当然だ。

「黒き竜のようなケダモノと、あなたは交わりたいの?」

「そ、それは……」

 実際の黒き竜を知らない以上、ルカには分からない。

 でも黒き竜が噂通りの存在であるならば、たとえ聖女であったとしても、そんなおぞましい生き物となんて子などなしたくはない。

「お姉様、お願い! 私だって嫌なのよぉ! 私の身も心も、アルズール様だけのものなの!」

 聖女であることを偽り、黒き竜の元へ嫁ぐ。

 良くて追放、最悪、殺されるかもしれない。

‘殺される…………’

 そこまで考えて、ルカの頭にはとある考えが浮かぶ。

‘それって、今の扱いとどう違うの?’

 ルカは、憎たらしい義母と腹違いの妹を見る。

 二人は、ルカにこれまでした仕打ちなど完全に記憶から抹消したような表情で見つめてくる。

 正気を疑いたくなる浅ましさとおぞましさ。

 どのツラ下げてルカに頼んでいるのか。

 でもきっとここで断れば、ルカはここにいる怪物母子によって嬲り殺しにされるだろう。

 でももし黒き竜に嫁げばどうなるだろう。

 聖女でないことがバレなければ、生存確率はあがる。

 それに仮にも竜界の頂きである竜帝に嫁ぐことになるのだ。

 今の奴隷同然の生活から逃れられるかもしれない。

「……分かりました。二人がそうまで望むのならば、私が代わりに黒き竜に嫁ぎます」

「お姉様、ありがとう!」

「ルカ! あぁぁ……最愛の娘。よくぞ決断してくれました。では早速、準備をしなければいけないわね!」

「準備?」

「少しでも先方に気に入られるようにしなければいけないわ。もっと肉を付けて、髪や肌の手入れもしっかりと。もちろん教育も!」

 それからルカの生活は一変した。

 幼い頃のように世話をする侍女がつき、三食の食事だけでなく、午後のティータイムまでをあたえられ、服も綺麗なものが用意され、部屋も屋根裏部屋から、かつて使っていた一室をあてがわれた。

 さらに家庭教師がついて、熱心に勉強を教えてくれた。

 そんなこんなで数ヶ月はあっという間に過ぎていく。

 凍てついた冬の季節が過ぎ去り、温かな日射しと芽吹きの季節を迎える。

 そしていよいよ明日、黒き竜の元より迎えが来るという日。

 明日を迎える不安と、嫁ぐことへの一抹の期待でなかなか眠れないルカはバルコニーに出た。

 よく晴れた晩で月明かりが眩しく、星々の瞬きが目に染みる。

 こんなにも感傷的になっているのは、生まれ故郷を離れることへの感傷だろうか。

 ルカはそんなことを考えながら、手元にある美しい装飾のついた手の平サイズの宝箱を開ける。

 そこに収められているのは、母の形見のネックレス。

 美しい赤い石がはめこまれた、唯一の形見。

 どれだけ理不尽な目に遭いながらも、これだけは取られてはいけないと必死に守り続けていた。

 ルカはそのネックレスを優しく両手に包み込むように握りしめて胸に抱くと、ゆっくりと目を閉じた。

‘お母様、どうか私をお守りください……’

 祈りを捧げ、ルカは最後の夜を過ごす。
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