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第三章(3)
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それから一週間後、いつものように薪割りをしていると、三郎から秋光が呼んでいると告げられた。三郎は太郎を部屋まで連れて来るとすぐに席を外した。
「用があるって……」
「お前の村のことだ」
「あれはもう良いんだ。そう言ったろ。迷惑をかけたくない」
「お前の村は山を越えた向こうにあるのだろう。だったら馬を走らせれば、日帰りで何とかなる。用意をしろ」
「連れていってくれるのか? でも、大丈夫なのか」
「問題があったらこんなことをわざわざ提案するわけないだろ」
「でも」
「行きたいのか、行きたくないのか」
「い、行くよっ」
太郎は言った。準備らしい準備というのも特にする必要はない。必要なのは身一つだけだ。太郎は秋光の従者という格好で馬の轡を掴む役割を当てられた。
馬には穴を掘る時に使う鋤を乗せている。
源家の領土を過ぎ、街道を進んで間もなく武士の一行と鉢合わせる。向こうは騎馬武者を中心に数人の徒(かち)という並びだった。
思わず太郎は身を強張らせてしまうが、「落ち着け。普通にしていれば良い」と秋光に言われた。
「そこの者、どこへ行く」
騎馬武者の胴間声が響き、徒の兵が太郎たちを取り囲んだ。
太郎は緊張感の余り激しい渇きに襲われる中、秋光は「精が出るな」と平然と応じ、笠を上げた。
「これはっ」
すぐに秋光の姿を知ったのか、騎馬武者は馬より下り、頭を下げた。
「源の殿様でございまりましたかっ」
徒たちも頭を下げた。
「和泉殿の家中か。大月よりの指図か」
「はっ。左様にござりまするっ」
「精が出るな。俺のところもそれで大わらわだ」
秋光は笑みを浮かべ、朗らかに応じる。
「お供はお一人で?」
「いつもあいつらと一緒だと息が詰まるからな。お忍び、というやつだ」
「道を空けよっ」
侍大将の命に徒はすぐに道を譲る。
「すまない。和泉殿によろしく伝えてくれ。また飲もうと」
秋光は落ち着き払ったまま言うと、悠々とその場を後にした。無論、誰も轡取りに扮している太郎に目を配る者はいなかった。
「……正直、寿命が十年は縮まった」
武士たちの姿が見えなくなると、太郎はぽつりとこぼす。
「書状からは特にお前の面相を割る手がかりはない。ただ美しい子どもとあるだけでな。だから普通にしていれば問題はない」
「そうなのか……。なあ、誰も、大月のやっていることをおかしいとか思わないのか」
「思っているさ。堂々と自分の領土の村を焼き討ちにあっているんだ」
「それなのに?」
「真っ向からぶつかっても勝てる見込みはない。勝てぬ戦をする事は愚かだと分かっている。それに内紛を起こせば他家に攻め入られることも考えなければならない。やるならば、よほど周到な準備を進める必要がある」
武士同士の力学は、太郎にはさっぱりだ。
「満寿の領地は、されたことは?」
「ない」
「……そうか」
それから街道より間道へ入る。そこから山中へと潜りこむようになる。何人かの商人や付近の農民たちと擦れ違うことになったが、誰も太郎に目を向けることはなかった。
山の中腹で休憩をとり、また進んだ。
日が中天をやや過ぎた当たりで見慣れた赤松林に出くわした。
秋光は何かを察したらしい。
「近いのか」
「こっちだ」
轡から手を離した太郎はほとんど衝動的に駆けだしていた。秋光がその後を馬で追いかける。進めば進むほど全てが見知った光景になる。懐かしさに胸が熱くなる。戻って来たのだという喜びが満ちる。これまでの疲れなど瞬く間に消えた。
杉林の間から眼下を見る。かつて、そこから黒煙を目の当たりにしたのだ。
太郎は駆け続けた。徐々に下り道になっていくのを転げるようにとにかく駆けた。息が切れ、汗が噴き出す。それでも足を止めることはなかった。
そして村へと行き着く。
あの時、太郎が見たのは家々が真っ赤な炎に飲まれていくところだった。今、太郎の視界にあるのは全てが終わった姿だった。
家は黒々とした炭になり、形を留めているものは何も無い。太郎の気配を察したのか、無数の烏(からす)が甲高い声を上げ、ばさばさ飛び立った。
空を見れば、かなり多くの烏の群が周回していた。悪夢は確かに実在した。時間が経っただけで何も終わっていないことを否応なく自覚させられる。
太郎は村をみてまわった。すでに骨となった人間が投げ捨てられている。その骨の形で大人か子どもかは判別できたが、どこの誰なのかは全く分からない。
それにここに横たわるのは大人か、赤子か、女子かだ。この中の骸に男子はいない。
太郎を含め、全て大月の館に連れて行かれてしまったのだから。
太郎は吐き気を覚え、膝を折る。何度もえづく。涙が頬を伝った。
「太郎! 大丈夫かっ!」
秋光が馬より降り立ち、駆け寄る。
背中からぎゅっと抱きしめてくれるその手に、太郎は縋り付く。
だがいつまでもこんなところで悲嘆に暮れている訳にはいかない。ここには悲しむ為に来た訳ではないのだ。
「……みんなを集めてくる」
秋光は頷く。
「俺は穴を掘ろう」
太郎はまず家の残骸に潰されていない、道すがらに投げ捨てられている亡骸を抱え上げ、秋光が穴を掘っている傍らへ並べていった。そして太郎は朽ち果てた残骸――我が家の前に立った。
戦慄く唇を引き結び拳を硬く握ると、残骸を一つ一つ取り除いていく。激しく燃えたせいだろう。柱だったものや壁だったものを退かせることは大したことはなかった。
全身が炭で汚れるのも構わず黙々と残骸をどかしていく。やがて下敷きになっていた一塊の亡骸を探し当てた。父と母、そして姉。三人分の亡骸が重なり合っている。
(おっ父(と)ぉ。おっ母(か)ぁ。姉ちゃん。俺、生きて戻ってきたぞ。今、ちゃんと供養するから)
太郎は亡骸を拾い集める。家族三人分の骨は腕で抱えられるほどでしかなかった。
他の家も同じようにし、最早誰とも分からなくなってしまった亡骸を集める。
山の中腹にあるような小さな村だ。人口は少なく、それほど時間はかからなかった。
「……これで全員だと思う」
「そうか」
太郎も鋤をで穴掘りを手伝った。そうして出来上がった穴へ骨を埋めていく。
埋め終わると土まんじゅうに周りで取ってきた野花を添え、その前で両膝を突き、手を合わせた。
(みんなの仇は俺が取る。あの鬼を必ず殺してやるから)
これでもう思い残すことはない。
死ぬことへの恐れはない。最早怖れる理由など何もないんだから。
(みんな。俺、やるから……やってみせるから)
そうして目を開けて、振り返る。
「満寿、わざわざこんなところまで付き合ってくれてありがとう。これでみんなも浮かばれるはずだ」
急いで帰ろう。太郎は歩き出そうとしたが、「待て」と手を掴まれた。
「どうしたんだよ」
「お前、何を考えてる。これで思い残すことはない、なんて馬鹿なことを考えてるんじゃないんだろうな」
「な、何言ってるんだよ」
太郎は笑って誤魔化して背を向けようとするが、秋光は手を離そうとしなかった。
「……帰るのが遅れるぞ」
「俺の目を見て答えろ。お前、あんな奴と差し違えようと考えてるんじゃないのか。馬鹿なことはやめろ」
「馬鹿……」
太郎は秋光は睨んだ。
「馬鹿ってどういうことだよっ! あいつはみんなの仇なんだぞ! そいつを殺そうと思うことのどこが馬鹿なんだっ!?」
「後先も考えず、そうして突っ走ろうと思っているとこがだ」
「それがどうしたんだよ。お前には関係ないだろ!」
「なら、お前は最初から死ぬつもりで、俺に抱けと言ったのか」
秋光は怒鳴りはしなかった。しかしその声には鬼気迫るものがあった。太郎の腕を掴んでいる手に力が入り、腕が軋むような痛みに襲われてしまう。
「俺の胸に心を残して、お前は家族の仇が討てれば本望だと言って勝手に死ぬのか」
その声に混ざる切なげな響きに、太郎は胸を締め付けられ、彼の眼差しを直視しきれず俯いてしまう。
「父上もそうだった。俺が大月に手込めにされたことを知ると、周りの反対を押し切って兵を挙げ、大月に討たれた」
「え……」
「お前は知りたがっていたよな。俺が誰に抱かれたかを。俺はお前と同じように大月国隆に抱かれた」
「どうして。お前は……だって、武士だろ……」
「人質に出された時だ。あいつの不寝番に命じられている時、寝所へ侍るよう命じられ、抱かれた。逆らえなかった。逆らえば家が潰されるのは分かったからだ。だから俺は毎夜恐怖と狂おしさに襲われながら、あの男を悦ばせることを強いられた。――俺にとっても、あいつは仇なんだ」
あまりに衝撃的なことに、太郎は言葉を失ってしまう。
「差し違えようと思えばいつでも出来た。だが、その後は? 俺には多くの守るべきものがある。臣下や領民だ。父は大月方に味方する他の武将たちに道を阻まれ、あの男に指先すら触れられぬまま討たれた。父の気持ちは嬉しかった。でも、死ねば何の意味もない。家が潰されなかったのは俺が大月のお気に入りだったからだ。今こうして俺がいるのは、皮肉にも大月のお陰でもある……。たとえ本懐を遂げる事が出来ても残された者のことを考えられなければ意味がない。だから俺はずっとその策を考え続けた。それがもうじき実を結ぼうとしている……」
「大月を殺すのか」
秋光はうなずき、決然と言う。
「そうだ」
「っ」
「だから、お前もこらえてくれ。頼む」
秋光の手の力が緩み、腕を離した。彼の指の後が白い肌に色濃く残る。
「……一つ教えてくれ。俺を抱いたのは、同じ境遇の俺への憐れみからだったのか」
太郎の声は震えていた。
「国隆に抱かれた後の俺はいつも罪深い熱に苛まれ続けていた。爺はそれを理解してくれたが、俺は皆に対して後ろめたい気持ちをずっと抱き続けた。俺が穢されたことを知れば誰もが失望するかもしれないと怖れた。そこにお前が現れた。お前は気付かなかったかもしれないが、俺はお前の美しさに、瞳の中の強い光に見取れたよ。同じ境遇にありながら、どうしてこうも怯えることなく、気高いのか。俺はお前に惹かれ……惚れた」
こんな時なのに頬が火照る。
「……ほ、惚れた」
「お前の前だけでは飾らぬ自分でいられた。棟梁としても男としても。嫉妬に駆られたのはそのせいだ。俺にとってお前は他に代え難い存在だ。だがお前は何にも縛られてはいない。望めばすぐにでも俺の手から離れていける。お前を知って、もうあの頃にはもう戻れないと分かった。それに、俺は憐れみで抱くほど人間が出来てないから」
太郎は彼の手を取り、そっと握りしめた。
「……分かった」
「そうか」
秋光は泣きそうな顔をして笑った。
「用があるって……」
「お前の村のことだ」
「あれはもう良いんだ。そう言ったろ。迷惑をかけたくない」
「お前の村は山を越えた向こうにあるのだろう。だったら馬を走らせれば、日帰りで何とかなる。用意をしろ」
「連れていってくれるのか? でも、大丈夫なのか」
「問題があったらこんなことをわざわざ提案するわけないだろ」
「でも」
「行きたいのか、行きたくないのか」
「い、行くよっ」
太郎は言った。準備らしい準備というのも特にする必要はない。必要なのは身一つだけだ。太郎は秋光の従者という格好で馬の轡を掴む役割を当てられた。
馬には穴を掘る時に使う鋤を乗せている。
源家の領土を過ぎ、街道を進んで間もなく武士の一行と鉢合わせる。向こうは騎馬武者を中心に数人の徒(かち)という並びだった。
思わず太郎は身を強張らせてしまうが、「落ち着け。普通にしていれば良い」と秋光に言われた。
「そこの者、どこへ行く」
騎馬武者の胴間声が響き、徒の兵が太郎たちを取り囲んだ。
太郎は緊張感の余り激しい渇きに襲われる中、秋光は「精が出るな」と平然と応じ、笠を上げた。
「これはっ」
すぐに秋光の姿を知ったのか、騎馬武者は馬より下り、頭を下げた。
「源の殿様でございまりましたかっ」
徒たちも頭を下げた。
「和泉殿の家中か。大月よりの指図か」
「はっ。左様にござりまするっ」
「精が出るな。俺のところもそれで大わらわだ」
秋光は笑みを浮かべ、朗らかに応じる。
「お供はお一人で?」
「いつもあいつらと一緒だと息が詰まるからな。お忍び、というやつだ」
「道を空けよっ」
侍大将の命に徒はすぐに道を譲る。
「すまない。和泉殿によろしく伝えてくれ。また飲もうと」
秋光は落ち着き払ったまま言うと、悠々とその場を後にした。無論、誰も轡取りに扮している太郎に目を配る者はいなかった。
「……正直、寿命が十年は縮まった」
武士たちの姿が見えなくなると、太郎はぽつりとこぼす。
「書状からは特にお前の面相を割る手がかりはない。ただ美しい子どもとあるだけでな。だから普通にしていれば問題はない」
「そうなのか……。なあ、誰も、大月のやっていることをおかしいとか思わないのか」
「思っているさ。堂々と自分の領土の村を焼き討ちにあっているんだ」
「それなのに?」
「真っ向からぶつかっても勝てる見込みはない。勝てぬ戦をする事は愚かだと分かっている。それに内紛を起こせば他家に攻め入られることも考えなければならない。やるならば、よほど周到な準備を進める必要がある」
武士同士の力学は、太郎にはさっぱりだ。
「満寿の領地は、されたことは?」
「ない」
「……そうか」
それから街道より間道へ入る。そこから山中へと潜りこむようになる。何人かの商人や付近の農民たちと擦れ違うことになったが、誰も太郎に目を向けることはなかった。
山の中腹で休憩をとり、また進んだ。
日が中天をやや過ぎた当たりで見慣れた赤松林に出くわした。
秋光は何かを察したらしい。
「近いのか」
「こっちだ」
轡から手を離した太郎はほとんど衝動的に駆けだしていた。秋光がその後を馬で追いかける。進めば進むほど全てが見知った光景になる。懐かしさに胸が熱くなる。戻って来たのだという喜びが満ちる。これまでの疲れなど瞬く間に消えた。
杉林の間から眼下を見る。かつて、そこから黒煙を目の当たりにしたのだ。
太郎は駆け続けた。徐々に下り道になっていくのを転げるようにとにかく駆けた。息が切れ、汗が噴き出す。それでも足を止めることはなかった。
そして村へと行き着く。
あの時、太郎が見たのは家々が真っ赤な炎に飲まれていくところだった。今、太郎の視界にあるのは全てが終わった姿だった。
家は黒々とした炭になり、形を留めているものは何も無い。太郎の気配を察したのか、無数の烏(からす)が甲高い声を上げ、ばさばさ飛び立った。
空を見れば、かなり多くの烏の群が周回していた。悪夢は確かに実在した。時間が経っただけで何も終わっていないことを否応なく自覚させられる。
太郎は村をみてまわった。すでに骨となった人間が投げ捨てられている。その骨の形で大人か子どもかは判別できたが、どこの誰なのかは全く分からない。
それにここに横たわるのは大人か、赤子か、女子かだ。この中の骸に男子はいない。
太郎を含め、全て大月の館に連れて行かれてしまったのだから。
太郎は吐き気を覚え、膝を折る。何度もえづく。涙が頬を伝った。
「太郎! 大丈夫かっ!」
秋光が馬より降り立ち、駆け寄る。
背中からぎゅっと抱きしめてくれるその手に、太郎は縋り付く。
だがいつまでもこんなところで悲嘆に暮れている訳にはいかない。ここには悲しむ為に来た訳ではないのだ。
「……みんなを集めてくる」
秋光は頷く。
「俺は穴を掘ろう」
太郎はまず家の残骸に潰されていない、道すがらに投げ捨てられている亡骸を抱え上げ、秋光が穴を掘っている傍らへ並べていった。そして太郎は朽ち果てた残骸――我が家の前に立った。
戦慄く唇を引き結び拳を硬く握ると、残骸を一つ一つ取り除いていく。激しく燃えたせいだろう。柱だったものや壁だったものを退かせることは大したことはなかった。
全身が炭で汚れるのも構わず黙々と残骸をどかしていく。やがて下敷きになっていた一塊の亡骸を探し当てた。父と母、そして姉。三人分の亡骸が重なり合っている。
(おっ父(と)ぉ。おっ母(か)ぁ。姉ちゃん。俺、生きて戻ってきたぞ。今、ちゃんと供養するから)
太郎は亡骸を拾い集める。家族三人分の骨は腕で抱えられるほどでしかなかった。
他の家も同じようにし、最早誰とも分からなくなってしまった亡骸を集める。
山の中腹にあるような小さな村だ。人口は少なく、それほど時間はかからなかった。
「……これで全員だと思う」
「そうか」
太郎も鋤をで穴掘りを手伝った。そうして出来上がった穴へ骨を埋めていく。
埋め終わると土まんじゅうに周りで取ってきた野花を添え、その前で両膝を突き、手を合わせた。
(みんなの仇は俺が取る。あの鬼を必ず殺してやるから)
これでもう思い残すことはない。
死ぬことへの恐れはない。最早怖れる理由など何もないんだから。
(みんな。俺、やるから……やってみせるから)
そうして目を開けて、振り返る。
「満寿、わざわざこんなところまで付き合ってくれてありがとう。これでみんなも浮かばれるはずだ」
急いで帰ろう。太郎は歩き出そうとしたが、「待て」と手を掴まれた。
「どうしたんだよ」
「お前、何を考えてる。これで思い残すことはない、なんて馬鹿なことを考えてるんじゃないんだろうな」
「な、何言ってるんだよ」
太郎は笑って誤魔化して背を向けようとするが、秋光は手を離そうとしなかった。
「……帰るのが遅れるぞ」
「俺の目を見て答えろ。お前、あんな奴と差し違えようと考えてるんじゃないのか。馬鹿なことはやめろ」
「馬鹿……」
太郎は秋光は睨んだ。
「馬鹿ってどういうことだよっ! あいつはみんなの仇なんだぞ! そいつを殺そうと思うことのどこが馬鹿なんだっ!?」
「後先も考えず、そうして突っ走ろうと思っているとこがだ」
「それがどうしたんだよ。お前には関係ないだろ!」
「なら、お前は最初から死ぬつもりで、俺に抱けと言ったのか」
秋光は怒鳴りはしなかった。しかしその声には鬼気迫るものがあった。太郎の腕を掴んでいる手に力が入り、腕が軋むような痛みに襲われてしまう。
「俺の胸に心を残して、お前は家族の仇が討てれば本望だと言って勝手に死ぬのか」
その声に混ざる切なげな響きに、太郎は胸を締め付けられ、彼の眼差しを直視しきれず俯いてしまう。
「父上もそうだった。俺が大月に手込めにされたことを知ると、周りの反対を押し切って兵を挙げ、大月に討たれた」
「え……」
「お前は知りたがっていたよな。俺が誰に抱かれたかを。俺はお前と同じように大月国隆に抱かれた」
「どうして。お前は……だって、武士だろ……」
「人質に出された時だ。あいつの不寝番に命じられている時、寝所へ侍るよう命じられ、抱かれた。逆らえなかった。逆らえば家が潰されるのは分かったからだ。だから俺は毎夜恐怖と狂おしさに襲われながら、あの男を悦ばせることを強いられた。――俺にとっても、あいつは仇なんだ」
あまりに衝撃的なことに、太郎は言葉を失ってしまう。
「差し違えようと思えばいつでも出来た。だが、その後は? 俺には多くの守るべきものがある。臣下や領民だ。父は大月方に味方する他の武将たちに道を阻まれ、あの男に指先すら触れられぬまま討たれた。父の気持ちは嬉しかった。でも、死ねば何の意味もない。家が潰されなかったのは俺が大月のお気に入りだったからだ。今こうして俺がいるのは、皮肉にも大月のお陰でもある……。たとえ本懐を遂げる事が出来ても残された者のことを考えられなければ意味がない。だから俺はずっとその策を考え続けた。それがもうじき実を結ぼうとしている……」
「大月を殺すのか」
秋光はうなずき、決然と言う。
「そうだ」
「っ」
「だから、お前もこらえてくれ。頼む」
秋光の手の力が緩み、腕を離した。彼の指の後が白い肌に色濃く残る。
「……一つ教えてくれ。俺を抱いたのは、同じ境遇の俺への憐れみからだったのか」
太郎の声は震えていた。
「国隆に抱かれた後の俺はいつも罪深い熱に苛まれ続けていた。爺はそれを理解してくれたが、俺は皆に対して後ろめたい気持ちをずっと抱き続けた。俺が穢されたことを知れば誰もが失望するかもしれないと怖れた。そこにお前が現れた。お前は気付かなかったかもしれないが、俺はお前の美しさに、瞳の中の強い光に見取れたよ。同じ境遇にありながら、どうしてこうも怯えることなく、気高いのか。俺はお前に惹かれ……惚れた」
こんな時なのに頬が火照る。
「……ほ、惚れた」
「お前の前だけでは飾らぬ自分でいられた。棟梁としても男としても。嫉妬に駆られたのはそのせいだ。俺にとってお前は他に代え難い存在だ。だがお前は何にも縛られてはいない。望めばすぐにでも俺の手から離れていける。お前を知って、もうあの頃にはもう戻れないと分かった。それに、俺は憐れみで抱くほど人間が出来てないから」
太郎は彼の手を取り、そっと握りしめた。
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