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第一章(2)
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白桜丸は寝かされていた部屋に戻されると、差し出された白湯を飲んだ。
散々泣き、乾いた身体にそれは優しく染みた。ようやく人心地がついた。
「お代わりは?」
目の前には、あの少年がいた。
白桜丸は首を横に振ると告げる。
「……悪かった。怖がらせちまって」
少年は屈託ない笑みをたたえた。
「平気さ。怖いというより驚いただけだから。俺は梶原三郎。お前は?」
「俺は……太郎だ」
白桜丸は大月から寵童にされた時に与えられた名前だった。
すでにあの男の元から逃れた今、その名前を使う必要はないと思った。
三郎はどうやら太郎の世話役を申しつけられていたようで、一度席を外して戻って来た時にあの騒動に直面したらしい。
「ここは、どこなんだ?」
「源様のお屋敷だよ」
「源……?」
「この当たりを収める領主。武士だ」
「武士……」
正直、武士というものに太郎は良い想い出はない。
武士といえば全てを暴力で奪い尽くす、野盗よりもずっと狡猾で悪辣な連中だ。
(それに、大月はみんなの仇だ……)
唇を噛みしめる。血の味がした瞬間、
「太郎、大丈夫か」
呼びかけられ、はっと我に返る。
「ご、ごめん」
「良いんだ。お前が、武士を好きになれない気持ちは分かる。でも殿も俺も、そういう奴らとは違うから……って言っても、すぐに、はいそうですかって頷けないかもしれないけど」
その時、妻戸が開くと、あの男が姿を見せた。
三郎は頭を下げると、入れ替わるように部屋を出て行く。
青年はその場に胡座を掻いて、太郎と相対した。
太郎は緊張感に身を強張らせてしまう。
無論、彼らを野盗などとは思っていないし、恐怖感もなく、落ち着いている。
ついさっき、あの胸に顔を埋め泣いたのだ。
子どもどころか、女のような真似をした。
今さら冷静になって全てが恥ずかしく、目を合わせられない。そのせいだった。
「落ち着いたか」
太郎はうなずく。
「俺は源秋光という。この館の主人だ。お前、名は?」
「太郎。……なあ、あんた……武士なのか。三郎から聞いたんだけど」
「そうだ。なんだ、野盗より武士のほうが嫌いか?」
怒っている素振りはなく、むしろ笑い混じりに秋光は聞いてくる。
太郎は首を横に振った。
「……あんたが、俺を助けてくれたのか?」
「そうだ。狩りの最中に遭遇したんだ。覚えているか」
「……落ち着いたら、少しずつだけど思い出してきたんだ。どこからか矢が飛んできて、盗賊どもを殺した」
「血なまぐさい話はよそう。まあしばらくはここに逗留しておけ」
「い、良いのか?」
「ああ。せっかく助けた命だ。今お前を一人で歩かせるとすぐに死んでしまいそうなくらい弱り切っているからな」
「…………そうか」
「何か欲しいものがあれば三郎に言え」
秋光は立ち上がり、部屋を出ようとする。
「あっ」
「どうした?」
秋光は妻戸に手をかけ、振り返った。
「……ありがとう」
それだけをどうにか言うと秋光は涼やかに微笑み、出て行った。
白桜丸は布団の上に寝転がる。睡魔が忍び寄るに任せて、目を閉じた。
※
秋光は私室で酒を飲んでいた。
傍には梶原三郎成久(なりひさ)が控え、酌をしている。三郎は秋光の近習として何くれとなく世話をさせている。ちなみに三郎の祖父が、爺こと梶原勝久だ。
「……三郎。太郎の様子は」
「だいぶ落ち着いて、ずっと眠っております。よほど気を張り続けていたのかと」
秋光は頷く。
「お前はあれを何者だと見る?」
「……ただの子どもではないのですか。お前と同年代だぞ」
「私はすでに元服しております。立派な侍です」
三郎は唇を尖らせた。
「そうだな。悪かった」
秋光が笑う。そこへ嗄れた声がかかった。
「――立派な侍とは片腹痛い。このひよっこが」
顔を出したのは爺だった。
「お前も飲むか?」
杯をそっと差し出すが、爺は首を横に振る。
「酒が欲しくて参った訳ではございませぬ」
爺は目線で三郎に下がるよう仕向ける。
三郎はこうべを垂れて、そそくさと部屋を出て行った。
「殿。三郎が調子にのりまする。ご自重を」
「厳しいな、爺は。三郎はあれでも弓の腕前はなかなかではないか」
「元服など時が来れば誰でもいたしまする。一人前というのは幾つもの合戦を経て始めて名乗れるものでございまする」
「そんなことを言うから、鬼ジジイと呼ばれる」
「それを言うてたのは主に、殿でございますぞ」
「ばれてたか」
「歳はとっても耳はまだまだ丈夫にございます」
秋光は歯をこぼす。
爺は秋光の守り役で、子どもの頃から武芸の指南を受けてきた。今では主従の間ではあるが、心は今でもあの時のように師匠と弟子の関係だ。
秋光は笑みを消す。
「……太郎のことか」
「御意」
「何か分かったか」
「――あの小僧の衣はやはり絹でございました。かなり上等な品でございます」
「……絹を纏った子どもが、山道を一人で……か。都から来たか」
「それにしては所作は野卑でございました。あれほどの上等な品をまとえるくらいの身分でしたら、もう少し……」
「まあそうか」
太郎を保護してから周囲を探り、野盗の巣を見つけたが、そこにはろくなものが無かった。つまり偶然、あの場で太郎と野盗たちは鉢合わせたということになる。
(従者もつけず、旅支度もせず、ただ高価な絹の衣だけを纏った男、か)
考えても答えは見つからない。
「大月様にお知らせいたしましょうか」
「いや、良い」
「はっ」
「爺、待て」
腰を上げた爺を引き留め、酌を勧める。
「久しぶりに飲もう。付き合ってくれ。無論、飲めぬとは言わせんぞ」
「何の。殿にはまだまだ負けませぬっ」
二人は声を重ねて笑った。
散々泣き、乾いた身体にそれは優しく染みた。ようやく人心地がついた。
「お代わりは?」
目の前には、あの少年がいた。
白桜丸は首を横に振ると告げる。
「……悪かった。怖がらせちまって」
少年は屈託ない笑みをたたえた。
「平気さ。怖いというより驚いただけだから。俺は梶原三郎。お前は?」
「俺は……太郎だ」
白桜丸は大月から寵童にされた時に与えられた名前だった。
すでにあの男の元から逃れた今、その名前を使う必要はないと思った。
三郎はどうやら太郎の世話役を申しつけられていたようで、一度席を外して戻って来た時にあの騒動に直面したらしい。
「ここは、どこなんだ?」
「源様のお屋敷だよ」
「源……?」
「この当たりを収める領主。武士だ」
「武士……」
正直、武士というものに太郎は良い想い出はない。
武士といえば全てを暴力で奪い尽くす、野盗よりもずっと狡猾で悪辣な連中だ。
(それに、大月はみんなの仇だ……)
唇を噛みしめる。血の味がした瞬間、
「太郎、大丈夫か」
呼びかけられ、はっと我に返る。
「ご、ごめん」
「良いんだ。お前が、武士を好きになれない気持ちは分かる。でも殿も俺も、そういう奴らとは違うから……って言っても、すぐに、はいそうですかって頷けないかもしれないけど」
その時、妻戸が開くと、あの男が姿を見せた。
三郎は頭を下げると、入れ替わるように部屋を出て行く。
青年はその場に胡座を掻いて、太郎と相対した。
太郎は緊張感に身を強張らせてしまう。
無論、彼らを野盗などとは思っていないし、恐怖感もなく、落ち着いている。
ついさっき、あの胸に顔を埋め泣いたのだ。
子どもどころか、女のような真似をした。
今さら冷静になって全てが恥ずかしく、目を合わせられない。そのせいだった。
「落ち着いたか」
太郎はうなずく。
「俺は源秋光という。この館の主人だ。お前、名は?」
「太郎。……なあ、あんた……武士なのか。三郎から聞いたんだけど」
「そうだ。なんだ、野盗より武士のほうが嫌いか?」
怒っている素振りはなく、むしろ笑い混じりに秋光は聞いてくる。
太郎は首を横に振った。
「……あんたが、俺を助けてくれたのか?」
「そうだ。狩りの最中に遭遇したんだ。覚えているか」
「……落ち着いたら、少しずつだけど思い出してきたんだ。どこからか矢が飛んできて、盗賊どもを殺した」
「血なまぐさい話はよそう。まあしばらくはここに逗留しておけ」
「い、良いのか?」
「ああ。せっかく助けた命だ。今お前を一人で歩かせるとすぐに死んでしまいそうなくらい弱り切っているからな」
「…………そうか」
「何か欲しいものがあれば三郎に言え」
秋光は立ち上がり、部屋を出ようとする。
「あっ」
「どうした?」
秋光は妻戸に手をかけ、振り返った。
「……ありがとう」
それだけをどうにか言うと秋光は涼やかに微笑み、出て行った。
白桜丸は布団の上に寝転がる。睡魔が忍び寄るに任せて、目を閉じた。
※
秋光は私室で酒を飲んでいた。
傍には梶原三郎成久(なりひさ)が控え、酌をしている。三郎は秋光の近習として何くれとなく世話をさせている。ちなみに三郎の祖父が、爺こと梶原勝久だ。
「……三郎。太郎の様子は」
「だいぶ落ち着いて、ずっと眠っております。よほど気を張り続けていたのかと」
秋光は頷く。
「お前はあれを何者だと見る?」
「……ただの子どもではないのですか。お前と同年代だぞ」
「私はすでに元服しております。立派な侍です」
三郎は唇を尖らせた。
「そうだな。悪かった」
秋光が笑う。そこへ嗄れた声がかかった。
「――立派な侍とは片腹痛い。このひよっこが」
顔を出したのは爺だった。
「お前も飲むか?」
杯をそっと差し出すが、爺は首を横に振る。
「酒が欲しくて参った訳ではございませぬ」
爺は目線で三郎に下がるよう仕向ける。
三郎はこうべを垂れて、そそくさと部屋を出て行った。
「殿。三郎が調子にのりまする。ご自重を」
「厳しいな、爺は。三郎はあれでも弓の腕前はなかなかではないか」
「元服など時が来れば誰でもいたしまする。一人前というのは幾つもの合戦を経て始めて名乗れるものでございまする」
「そんなことを言うから、鬼ジジイと呼ばれる」
「それを言うてたのは主に、殿でございますぞ」
「ばれてたか」
「歳はとっても耳はまだまだ丈夫にございます」
秋光は歯をこぼす。
爺は秋光の守り役で、子どもの頃から武芸の指南を受けてきた。今では主従の間ではあるが、心は今でもあの時のように師匠と弟子の関係だ。
秋光は笑みを消す。
「……太郎のことか」
「御意」
「何か分かったか」
「――あの小僧の衣はやはり絹でございました。かなり上等な品でございます」
「……絹を纏った子どもが、山道を一人で……か。都から来たか」
「それにしては所作は野卑でございました。あれほどの上等な品をまとえるくらいの身分でしたら、もう少し……」
「まあそうか」
太郎を保護してから周囲を探り、野盗の巣を見つけたが、そこにはろくなものが無かった。つまり偶然、あの場で太郎と野盗たちは鉢合わせたということになる。
(従者もつけず、旅支度もせず、ただ高価な絹の衣だけを纏った男、か)
考えても答えは見つからない。
「大月様にお知らせいたしましょうか」
「いや、良い」
「はっ」
「爺、待て」
腰を上げた爺を引き留め、酌を勧める。
「久しぶりに飲もう。付き合ってくれ。無論、飲めぬとは言わせんぞ」
「何の。殿にはまだまだ負けませぬっ」
二人は声を重ねて笑った。
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