19 / 31
第四章(4)
しおりを挟む
どれくらい眠っていただろう。そばに気配を感じて由季は目を開ける。
「んぁ……?」
「おはよう」
彰がマグカップを手に、由季の寝顔を眺めていた。
「おはようって……え、私、寝ちゃってた!?」
「寝ちゃってた」
タオルケットがかけられていた。きっと彰がかけてくれたのだろう。
「本当は部屋まで連れて行こうと思ったんだけど、あんまりに気持ち良さそうに眠ってたから邪魔するのもなと思ってさ。夏だし、ここで寝ても大丈夫だと思って。一応、タオルケットはかけといたんだけどな。体調は?」
「大丈夫……」
由季は目をこすり、伸びをする。頭はクリアだし、温泉効果のおかげか気力が充ち満ちている。
「待ってろ」
腰を上げた彰はマグカップにコーヒーを淹れてきてくれた。ミルクとシュガーを入れて、コーヒーを味わう。
「腹は?」
「……びっくりするくらい空いてる。昨日あれだけ食べたのに」
「ごみごみした街中を離れて気分転換した効果かもな。俺も普段は食にそこまでこだわりはないのに、旅行してるとめっちゃ食欲に支配されるんだよな」
彰はバスケットに盛ったパンを差し出してくれる。
「いただきますっ」
手を合わせ、早速食べる。最初に食べたのはクロックムッシュ。濃厚なチーズのうまみが口いっぽいに広がった。
「美味しい!」
「喜んでもらえて何より」
「……彰、今日はちゃんと取材がしたいんだけど、大丈夫?」
「問題ない。でも疲れも溜まってるんだし、無理は……」
「そうはいかないよ。彰の貴重な時間も使ってるんだから、このままじゃ本当に旅行をしに来ただけになっちゃうから」
「んなの気にすることないのに。これはお前に楽しんでもらいたくって作った時間なんだぜ?」
「でも私と過ごしてなかったら、新しいビジネスとか取引先との打ち合わせとか、とにかくお金を生むアイディアを思いつくのに割けてた時間なんだから……」
すると、彰はムッとする。
「なんだよ、俺は守銭奴か?」
「そういうことを言ってるんじゃなくって……」
「金を稼ぐのは使うためだし、俺は預貯金とか金融資産の桁があがるのに幸福を見出すような人間じゃない。俺は、稼いだ金で大切な人を幸せにすることで満足感を得られるタイプなんだ。だからお前とこうして朝飯を食ってる時間とか、無防備な寝顔をたーっぷり眺める時間は十分、有意義なことなんだよ」
嬉しさと恥ずかしさで、体がムズムズしてしまう。
「ど、どれだけ人の寝顔を見てたの!?」
「大した時間じゃない。一時間くらい」
「大した時間だから、それ。……もう、恥ずかし過ぎ」
恥ずかしさを紛らわせるためにコロッケパンに夢中でかぶりつく。
その間も彰から穴が空くほど見られてる自覚があったけど、恥ずかしかったので気付かないフリをする。
「ま、由季がそこまで取材がしたいなら分かった。確か、別の奴の記事だと仕事のアイディアを生むための息抜き、みたいなの掲載してたよな。じゃ、今日の午後はそれを紹介する。今日は外に長くいると思うから、紫外線対策を忘れるなよ」
「分かった」
朝食を終えると一度部屋に戻って身支度を調える。
時刻は午前十一時。
彰はチノパンにポロシャツ姿。筋肉質な腕をこれでもかと露わにして、爽やかな彼の印象によく似合うスタイリッシュさ。
車に乗る。
「今日は助手席か。助かる」
「……い、意地悪いわないでよ」
「悪い」
サングラスをかけた彰が車を発進させる。熱海の道は細くて、かなりドライビングテクニックが要求されるんだと、ペーパードライバーの由季にも分かった。
――仮にペーパーじゃなくてこんな細い道、絶対運転できない……!
それをいとも簡単にやってしまうのだから彰は運転がうまいのだろう。
海岸まで下りると、パーキングに車を止めて外に出る。
彰はストラップのついたクーラーボックスを肩にかつぐ。
「暑……っ」
帽子をかぶっていても、真夏の太陽に肌が炙られる。
日焼け対策に長袖を着たことを後悔した。
山と違って市街地は暑くて、蒸し蒸しする。
風が出ても、熱気が顔に吹き付けてくるだけだから辟易としてしまう。
――早く山に帰りたい……。
げっそりしながら彰のあとをついていく。
海岸線に沿うようにしてしばらく歩くと、「あれだ」と彰が指さしたほうを見ると、ヨットハーバーがあった。
二十席を越えるヨットやクルーザーが停泊している。
桟橋を歩いて進み、一隻のクルーザーの前で足を止めた。
「これ……会社の?」
「いや、これは俺個人の」
「操縦できるの!?」
「当然だろ。じゃなきゃ買わない」
――やっぱり、彰ってお金持ちなんだ……。
車の免許を取るのは分かるけど、船を操縦しようなんて一般人では思いもしないだろう。
先に彰がタラップをあがり、手を貸してくれる。由季は少し汗ばんだ彼の手を握り、クルーザーに乗り込む。
「日射しがきつかったら船室で休んでて良いぞ」
船室を覗くと、手前にはL字型のソファーとミニキッチン、奧の部屋にはベッドまで置かれていた。
「クルーザーに乗るのは初めてだから、デッキにいる」
「じゃあ、適当な所に座っててくれ。落ちないように気を付けろよ」
「了解」
クルーザーがゆっくりと動き出す。
青い海を白い飛沫をあげながら、沖合に向かって進んでいく。
吹き付ける潮風に乱れる髪を押さえる。
「友哉にはさ、金の無駄だって言われるんだよな」
「社長に?」
「そう。ま、たしかに実際、なかなか来られないし、一年に乗れて数回で、管理費も維持費もどっちもそこそこかかるから、正直もったいないと言えばもったいないんだよ。でも大学在学中に起業しようって踏ん切りがついたのって、広い海を見たからなんだよ」
「そぅなんだ」
「潮風を浴びながら、青い海と空を見てると、世界はこんなに広くて綺麗で。なのに、何をウジウジ悩んでるんだって。起業したあとも、でかい取引とか新規事業の計画とかを前にした時に、やっぱり怖いんだよ。だってそれでしくじったら何もかもが終わる。俺や友哉だけが損害をひっかぶるだけだったらまだしも、そうじゃない。うちの社員はみんな若いから所帯持ちは少ないとはいえ、それぞれの生活があることを思えば……二の足を踏みたくなったりもする。そういう時にこうして海に出ると、それまでの視界を覆っていた霧が嘘みたいに晴れて、どうするべきか、どう行動するべきなのがベストかが見えてくる……そんな気がするんだ」
そう語る彰は、これまでのようの軽口を叩く恋人ではなく、起業家の顔をしていた。
その表情にトクンッと鼓動が強く震え、体が芯から熱くなる。
三百六十度、見渡す限り一面の海。
遮るものは何もない、どこまでも広がる空間は解放感があった。
彰が今語った、迷いが晴れるというのは決して誇張ではないと由季にも感じられた。
「なんだか意外。彰、高校の時からどんな時にも自信満々で、不安に感じることなんてないと思ってたのに」
「あのな、俺を完璧人間だって思ってくれるのはすげえ嬉しいけど……」
「そこまで言ってない」
小さく吹き出してしまう。彰も口の端をもちあげて笑う。
「不安になるに決まってるだろ。人間なんだから。ま、そこらへんの奴らより度胸も能力もあるって自覚はあるけど、な。でもいつだって不安はつきまとう。ただ人より虚勢の張り方がうまいってだけ」
たしかに彰の言う通りだ。不安を抱かない人間はいない。そこに例外はないのだろう。
特に彰は実家が名家であるというのも加わっているのだから。起業する時にだって家族から反対されたに違いない。
『利用してやれば良い』――学生の頃の口癖も、彰が現実と折り合いをつけるのに必要な、彼なりのはったりだったのかもしれない。
「――これから外海に出るから揺れが大きくなる。デッキにいるんだったら手すりに捕まっておけ」
「う、うん」
由季は手すりを掴む。それまでは滑るように走っていたクルーザーだったが、速度は変わらないのに、大きく揺れ始めた。それでも彰の操船技術のお陰か、次第に落ち着いてくる。
ぐるりと大きく円を描くように回ると、そこで止まった。
「ここでちょっと休憩。飲み物を取ってくれ」
クーラーボックスを開けると、ペットボトルや缶タイプの水やジュース、ビールが入っていた。
「何が良い?」
「水」
ミネラルウォーターを手渡す。由季も同じものを選んだ。
乾杯をして、喉を鳴らして飲む。
炎天下のもと、デッキに座りながらキンキンに冷えた飲み物を口にするのは最高だった。
思わず彰が水を飲んでいる様を盗み見る。
張り出した喉仏が上下し、余った水を頭からかぶった。
「はあ! 気持ちいい……!」
水も滴る良い男。そんな文句が頭を過ぎる。
「分かる。社会人だってことを忘れそう」
「いいぜ、このまま忘れても」
彰が不意に由季に覆いかぶさらんばかりの勢いで身を乗り出し、じっと見つめてくる。 その目つきが妙に甘ったるく、色気をたたえる。恥ずかしさのあまり顔を背けてしまう。
さっきの妙に真剣な彼の話を聞いてから、なんだか妙に体が心から火照る。
「わ、忘れられるもんじゃないでしょ。なに、ニートにでもなれって言うの?」
「結婚」
「誰と!?」
声が上擦ってしまう。危うく飲み物を吹き出しそうになってしまう。
すると、妙に芝居がかった態度で彰は腕を組んだ。
「二股してないんだったら、俺とだな」
「し、してないし……でも結婚とか……なんで」
「なんでって、まさか俺とは遊びか?」
「遊びなんかじゃ」
「結婚願望ナシ?」
「そういうことじゃなくって」
「あるのか、ないのか。どっちなのか聞かせてくれ」
彰は大真面目に聞いてくる。その勢いに押され、「あ、あるけど……」と素直に答える。
彼は緊張感の漂う気配を消し、にこりとする。
「良かった。子どもは二人くらい。まあもっと多くても良いし、いなくても別にそれはそれで良い。夫婦水入らずで過ごすのも悪くないし。犬も飼いたいな。ゴールデンレトリーバーみたいな大型犬」
「勝手に話を進めないで。私たち、付き合ってまだ……」
「またその話かよ。あと二、三年で、お前も三十だし、区切りとしては悪くないだろ?」
「そういうのは女が思うことであって、男が考えることじゃないから」
「ま、この話は追々だな。とにかく、俺はお前と結婚する気だってことは覚えとけ。そろそろまた走らせるかぁ」
腰を上げた彰は操縦席に戻っていった。
「んぁ……?」
「おはよう」
彰がマグカップを手に、由季の寝顔を眺めていた。
「おはようって……え、私、寝ちゃってた!?」
「寝ちゃってた」
タオルケットがかけられていた。きっと彰がかけてくれたのだろう。
「本当は部屋まで連れて行こうと思ったんだけど、あんまりに気持ち良さそうに眠ってたから邪魔するのもなと思ってさ。夏だし、ここで寝ても大丈夫だと思って。一応、タオルケットはかけといたんだけどな。体調は?」
「大丈夫……」
由季は目をこすり、伸びをする。頭はクリアだし、温泉効果のおかげか気力が充ち満ちている。
「待ってろ」
腰を上げた彰はマグカップにコーヒーを淹れてきてくれた。ミルクとシュガーを入れて、コーヒーを味わう。
「腹は?」
「……びっくりするくらい空いてる。昨日あれだけ食べたのに」
「ごみごみした街中を離れて気分転換した効果かもな。俺も普段は食にそこまでこだわりはないのに、旅行してるとめっちゃ食欲に支配されるんだよな」
彰はバスケットに盛ったパンを差し出してくれる。
「いただきますっ」
手を合わせ、早速食べる。最初に食べたのはクロックムッシュ。濃厚なチーズのうまみが口いっぽいに広がった。
「美味しい!」
「喜んでもらえて何より」
「……彰、今日はちゃんと取材がしたいんだけど、大丈夫?」
「問題ない。でも疲れも溜まってるんだし、無理は……」
「そうはいかないよ。彰の貴重な時間も使ってるんだから、このままじゃ本当に旅行をしに来ただけになっちゃうから」
「んなの気にすることないのに。これはお前に楽しんでもらいたくって作った時間なんだぜ?」
「でも私と過ごしてなかったら、新しいビジネスとか取引先との打ち合わせとか、とにかくお金を生むアイディアを思いつくのに割けてた時間なんだから……」
すると、彰はムッとする。
「なんだよ、俺は守銭奴か?」
「そういうことを言ってるんじゃなくって……」
「金を稼ぐのは使うためだし、俺は預貯金とか金融資産の桁があがるのに幸福を見出すような人間じゃない。俺は、稼いだ金で大切な人を幸せにすることで満足感を得られるタイプなんだ。だからお前とこうして朝飯を食ってる時間とか、無防備な寝顔をたーっぷり眺める時間は十分、有意義なことなんだよ」
嬉しさと恥ずかしさで、体がムズムズしてしまう。
「ど、どれだけ人の寝顔を見てたの!?」
「大した時間じゃない。一時間くらい」
「大した時間だから、それ。……もう、恥ずかし過ぎ」
恥ずかしさを紛らわせるためにコロッケパンに夢中でかぶりつく。
その間も彰から穴が空くほど見られてる自覚があったけど、恥ずかしかったので気付かないフリをする。
「ま、由季がそこまで取材がしたいなら分かった。確か、別の奴の記事だと仕事のアイディアを生むための息抜き、みたいなの掲載してたよな。じゃ、今日の午後はそれを紹介する。今日は外に長くいると思うから、紫外線対策を忘れるなよ」
「分かった」
朝食を終えると一度部屋に戻って身支度を調える。
時刻は午前十一時。
彰はチノパンにポロシャツ姿。筋肉質な腕をこれでもかと露わにして、爽やかな彼の印象によく似合うスタイリッシュさ。
車に乗る。
「今日は助手席か。助かる」
「……い、意地悪いわないでよ」
「悪い」
サングラスをかけた彰が車を発進させる。熱海の道は細くて、かなりドライビングテクニックが要求されるんだと、ペーパードライバーの由季にも分かった。
――仮にペーパーじゃなくてこんな細い道、絶対運転できない……!
それをいとも簡単にやってしまうのだから彰は運転がうまいのだろう。
海岸まで下りると、パーキングに車を止めて外に出る。
彰はストラップのついたクーラーボックスを肩にかつぐ。
「暑……っ」
帽子をかぶっていても、真夏の太陽に肌が炙られる。
日焼け対策に長袖を着たことを後悔した。
山と違って市街地は暑くて、蒸し蒸しする。
風が出ても、熱気が顔に吹き付けてくるだけだから辟易としてしまう。
――早く山に帰りたい……。
げっそりしながら彰のあとをついていく。
海岸線に沿うようにしてしばらく歩くと、「あれだ」と彰が指さしたほうを見ると、ヨットハーバーがあった。
二十席を越えるヨットやクルーザーが停泊している。
桟橋を歩いて進み、一隻のクルーザーの前で足を止めた。
「これ……会社の?」
「いや、これは俺個人の」
「操縦できるの!?」
「当然だろ。じゃなきゃ買わない」
――やっぱり、彰ってお金持ちなんだ……。
車の免許を取るのは分かるけど、船を操縦しようなんて一般人では思いもしないだろう。
先に彰がタラップをあがり、手を貸してくれる。由季は少し汗ばんだ彼の手を握り、クルーザーに乗り込む。
「日射しがきつかったら船室で休んでて良いぞ」
船室を覗くと、手前にはL字型のソファーとミニキッチン、奧の部屋にはベッドまで置かれていた。
「クルーザーに乗るのは初めてだから、デッキにいる」
「じゃあ、適当な所に座っててくれ。落ちないように気を付けろよ」
「了解」
クルーザーがゆっくりと動き出す。
青い海を白い飛沫をあげながら、沖合に向かって進んでいく。
吹き付ける潮風に乱れる髪を押さえる。
「友哉にはさ、金の無駄だって言われるんだよな」
「社長に?」
「そう。ま、たしかに実際、なかなか来られないし、一年に乗れて数回で、管理費も維持費もどっちもそこそこかかるから、正直もったいないと言えばもったいないんだよ。でも大学在学中に起業しようって踏ん切りがついたのって、広い海を見たからなんだよ」
「そぅなんだ」
「潮風を浴びながら、青い海と空を見てると、世界はこんなに広くて綺麗で。なのに、何をウジウジ悩んでるんだって。起業したあとも、でかい取引とか新規事業の計画とかを前にした時に、やっぱり怖いんだよ。だってそれでしくじったら何もかもが終わる。俺や友哉だけが損害をひっかぶるだけだったらまだしも、そうじゃない。うちの社員はみんな若いから所帯持ちは少ないとはいえ、それぞれの生活があることを思えば……二の足を踏みたくなったりもする。そういう時にこうして海に出ると、それまでの視界を覆っていた霧が嘘みたいに晴れて、どうするべきか、どう行動するべきなのがベストかが見えてくる……そんな気がするんだ」
そう語る彰は、これまでのようの軽口を叩く恋人ではなく、起業家の顔をしていた。
その表情にトクンッと鼓動が強く震え、体が芯から熱くなる。
三百六十度、見渡す限り一面の海。
遮るものは何もない、どこまでも広がる空間は解放感があった。
彰が今語った、迷いが晴れるというのは決して誇張ではないと由季にも感じられた。
「なんだか意外。彰、高校の時からどんな時にも自信満々で、不安に感じることなんてないと思ってたのに」
「あのな、俺を完璧人間だって思ってくれるのはすげえ嬉しいけど……」
「そこまで言ってない」
小さく吹き出してしまう。彰も口の端をもちあげて笑う。
「不安になるに決まってるだろ。人間なんだから。ま、そこらへんの奴らより度胸も能力もあるって自覚はあるけど、な。でもいつだって不安はつきまとう。ただ人より虚勢の張り方がうまいってだけ」
たしかに彰の言う通りだ。不安を抱かない人間はいない。そこに例外はないのだろう。
特に彰は実家が名家であるというのも加わっているのだから。起業する時にだって家族から反対されたに違いない。
『利用してやれば良い』――学生の頃の口癖も、彰が現実と折り合いをつけるのに必要な、彼なりのはったりだったのかもしれない。
「――これから外海に出るから揺れが大きくなる。デッキにいるんだったら手すりに捕まっておけ」
「う、うん」
由季は手すりを掴む。それまでは滑るように走っていたクルーザーだったが、速度は変わらないのに、大きく揺れ始めた。それでも彰の操船技術のお陰か、次第に落ち着いてくる。
ぐるりと大きく円を描くように回ると、そこで止まった。
「ここでちょっと休憩。飲み物を取ってくれ」
クーラーボックスを開けると、ペットボトルや缶タイプの水やジュース、ビールが入っていた。
「何が良い?」
「水」
ミネラルウォーターを手渡す。由季も同じものを選んだ。
乾杯をして、喉を鳴らして飲む。
炎天下のもと、デッキに座りながらキンキンに冷えた飲み物を口にするのは最高だった。
思わず彰が水を飲んでいる様を盗み見る。
張り出した喉仏が上下し、余った水を頭からかぶった。
「はあ! 気持ちいい……!」
水も滴る良い男。そんな文句が頭を過ぎる。
「分かる。社会人だってことを忘れそう」
「いいぜ、このまま忘れても」
彰が不意に由季に覆いかぶさらんばかりの勢いで身を乗り出し、じっと見つめてくる。 その目つきが妙に甘ったるく、色気をたたえる。恥ずかしさのあまり顔を背けてしまう。
さっきの妙に真剣な彼の話を聞いてから、なんだか妙に体が心から火照る。
「わ、忘れられるもんじゃないでしょ。なに、ニートにでもなれって言うの?」
「結婚」
「誰と!?」
声が上擦ってしまう。危うく飲み物を吹き出しそうになってしまう。
すると、妙に芝居がかった態度で彰は腕を組んだ。
「二股してないんだったら、俺とだな」
「し、してないし……でも結婚とか……なんで」
「なんでって、まさか俺とは遊びか?」
「遊びなんかじゃ」
「結婚願望ナシ?」
「そういうことじゃなくって」
「あるのか、ないのか。どっちなのか聞かせてくれ」
彰は大真面目に聞いてくる。その勢いに押され、「あ、あるけど……」と素直に答える。
彼は緊張感の漂う気配を消し、にこりとする。
「良かった。子どもは二人くらい。まあもっと多くても良いし、いなくても別にそれはそれで良い。夫婦水入らずで過ごすのも悪くないし。犬も飼いたいな。ゴールデンレトリーバーみたいな大型犬」
「勝手に話を進めないで。私たち、付き合ってまだ……」
「またその話かよ。あと二、三年で、お前も三十だし、区切りとしては悪くないだろ?」
「そういうのは女が思うことであって、男が考えることじゃないから」
「ま、この話は追々だな。とにかく、俺はお前と結婚する気だってことは覚えとけ。そろそろまた走らせるかぁ」
腰を上げた彰は操縦席に戻っていった。
11
お気に入りに追加
603
あなたにおすすめの小説
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
隠れ御曹司の愛に絡めとられて
海棠桔梗
恋愛
目が覚めたら、名前が何だったかさっぱり覚えていない男とベッドを共にしていた――
彼氏に浮気されて更になぜか自分の方が振られて「もう男なんていらない!」って思ってた矢先、強引に参加させられた合コンで出会った、やたら綺麗な顔の男。
古い雑居ビルの一室に住んでるくせに、持ってる腕時計は超高級品。
仕事は飲食店勤務――って、もしかしてホスト!?
チャラい男はお断り!
けれども彼の作る料理はどれも絶品で……
超大手商社 秘書課勤務
野村 亜矢(のむら あや)
29歳
特技:迷子
×
飲食店勤務(ホスト?)
名も知らぬ男
24歳
特技:家事?
「方向音痴・家事音痴の女」は「チャラいけれど家事は完璧な男」の愛に絡め取られて
もう逃げられない――
不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました
入海月子
恋愛
有本瑞希
仕事に燃える設計士 27歳
×
黒瀬諒
飄々として軽い一級建築士 35歳
女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。
彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。
ある日、同僚のミスが発覚して――。
同期の御曹司様は浮気がお嫌い
秋葉なな
恋愛
付き合っている恋人が他の女と結婚して、相手がまさかの妊娠!?
不倫扱いされて会社に居場所がなくなり、ボロボロになった私を助けてくれたのは同期入社の御曹司様。
「君が辛そうなのは見ていられない。俺が守るから、そばで笑ってほしい」
強引に同居が始まって甘やかされています。
人生ボロボロOL × 財閥御曹司
甘い生活に突然元カレ不倫男が現れて心が乱される生活に逆戻り。
「俺と浮気して。二番目の男でもいいから君が欲しい」
表紙イラスト
ノーコピーライトガール様 @nocopyrightgirl
溺愛ダーリンと逆シークレットベビー
葉月とに
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。
立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。
優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?
同居離婚はじめました
仲村來夢
恋愛
大好きだった夫の優斗と離婚した。それなのに、世間体を保つためにあたし達はまだ一緒にいる。このことは、親にさえ内緒。
なりゆきで一夜を過ごした職場の後輩の佐伯悠登に「離婚して俺と再婚してくれ」と猛アタックされて…!?
二人の「ゆうと」に悩まされ、更に職場のイケメン上司にも迫られてしまった未央の恋の行方は…
性描写はありますが、R指定を付けるほど多くはありません。性描写があるところは※を付けています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる