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第三章(3)

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 買い物を終えた由季は、彰の自宅へ。
 ご飯は一から炊くのは時間がかかるし、そもそも彰の家には炊飯器というものが存在しないので、パックご飯を購入した。
 メニューは肉じゃが、なめこと大根下ろしとポン酢を混ぜたものを厚揚げにかけたもの、サニーレタスとトマト、大根を使ったサラダ、そして味噌汁。
 出来上がった料理をダイニングテーブルに並べていく。

「どうぞ」
「うわ、マジ感動なんだけど……。肉じゃがとか何年ぶりだろうな。いただきますっ」
「大げさよ。肉じゃがなんてありふれてるし、どこでも食べられるでしょ」
「ただの肉じゃがは、な」
「? ただの肉じゃがだけど? まあ、普段あんまり行ったことがないスーパーで食材を買ったし、お肉もかなりの高級品だから、私が普段食べてるのとはちょっと違うかもしれないけど」
「由季が作ってくれることに意味がある」
「本当は肉じゃがは味を染みこませられればもっと美味しいんだけど、今日は急遽だったから、そこのところは……」
「問題なし」

 彰は早速、肉じゃがに手をつける。

「どう?」
「うまい! マジ泣ける……」
「大げさすぎて、嘘っぽい」

 由季は苦笑しながら自分でも食べてみる。
 良い食材を使っているだけあって、いつもより上品な味がする。特にお肉。
 彰はうまいうまいと言いながら肉じゃがをオカズに、ご飯を食べている。

 ――……結婚したら、こんな感じなのかな。

 そんなことをほとんど無意識のうちに考えている自分に気づき、由季は赤面する。
 耳が熱くなって、ウズウズした。
 と、彰がじっと見つめてくる。

「俺との結婚生活を想像した?」

 心のうちを言い当てられて、口を開くが言葉が出てこず、口をパクパクさせる。

「俺としてはいつでも良いけどな。何なら今から籍を入れても良い」
「あ、あのね。ふざけないで」
「大真面目だけどな」
「はいはい」

 そんな感じで夕食の時間は過ぎていく。
 洗い物は彰がやってくれて、食後は彼が淹れてくれたコーヒーを味わう。そんな風に時間を潰していると、いつの間にか午後九時を回っていた。

「そろそろ帰るね」

 明日は午前中から打ち合わせが入っていた。

「送る」
「まだ電車があるから大丈夫」
「恋人を一人で帰らせるわけないだろ。この間は朝だから譲ったんだ。夜は駄目だ」
「じゃあ、タクシーを呼ぶから」

 彰にじっと見つめられる。こういう時の彼は絶対に譲ったりしない。

「……分かった」

 ここで押し問答しているのも時間の無駄だと折れた。
 彰は満足そうに頷き、部屋を出る。エレベーターに乗り込み、地下駐車場へ。
 車に乗り込むと、すべるように発進させる。

「本当は今日は帰したくないんだけど、明日は残念ながら午前中から会議なんだよな」
「私も打ち合わせがあるから」
「フリーランスなんだから、別にどこで仕事はしても良いんだろ」
「? そうだけど」
「じゃあ、うちを使ったらどうだ? ここなら、都心へのアクセスは良いだろ?」
「家があるので、お構いなく」
「でもあそこは正直、セキュリティも怪しいだろ。オートロックでもないし。すげえ心配なんだけどな」
「私にヒモになれっていうの? 絶対に嫌。それにね、あそこは静かな住宅街で気に入ってるし、治安だって良いんだから」
「嫌な言い方するな。恋人だろ」
「恋人は対等じゃないの? どっちがどっちにおんぶにだっこになるんじゃなくって」
「俺は愛する人に全てを捧げるタイプだから」
「その提案は却下で」

 頑固なんだからな、と彰は呟く。

「ま、結婚までお預けってことで」
「だから、気が早いのよ。付き合ってまだ一週間も経ってないじゃない」
「でも高校からの積み重ねがあるだろ。大人で初めて会った者同士なら時間は必要かもしれないけど、おたがい高校時代を知ってるんだ。これってでかいと思うけどな。その人間の素が分かってるわけだから」

 そんな本気とも冗談ともつかないような話をしていると、由季の自宅が見えてくる。

「あっという間だな。名残惜しいけど……」

 車が減速する。その時、マンション前に誰かがいることに気付く。
 鼓動がドクン、と強く脈打つ。

「待って! 止まらないで!」

 ギアにかかっていた彰の腕を掴んでいた。

「おい」
「お願いっ」

 由季のただならぬ気配を察したのか、彰は少し速度を上げてそのままマンションを通り過ぎる。
 ハイビームがマンション前を舐めれば、黒いシルエットになっていた人の姿――飼い犬の散歩に出ている初老の男――が浮かび上がった。

 ――……ち、違った。

 安堵と同時に、全身から冷たい汗が噴き出す。

「由季。平気か?」

 はっと我に返った由季は「ご、ごめんね。大丈夫……」と慌てて笑顔を取り繕う。
 彰はミラーでマンション前の男をうかがう。その目が異様に鋭かった。

「警察を呼ぶか?」
「う、ううん。平気。不審者かなって勘違いしたけどぜんぜん違った。ごめんね。神経質になっちゃってた。アハハ、駄目よね。さっきあんな話をしといて……」
「由季――」
「送ってくれてありがとう。えっと、パーティーは金曜日よねっ」
「ああ。五時に迎えに行く」
「さすがに早くない?」
「ヘアセットとかしてもらう時間がいるだろ」
「そうだけど、それなら行きつけの美容院に……」
「腕の良い美容師がいるところを知ってるから。じゃ、金曜の五時な」

 由季はショッパーを手に車を降りた。
 彰は何か言いたげな表情をしていたが、結局は何も言わなかった。
 由季は背中を向け、マンションへと歩き出す。そしてマンションに入り際、ちらりと振り返るが、彰の車は路肩に停められたままだった。



 由季がマンションに入って行くのを見届け、彰はステアリングに突っ伏す。
 必死に誤魔化そうとしていたが、あの恐怖に凍り付いた顔は一度見れば忘れられない。
 友哉の言う通り、過去に犯罪被害に遭ったのだろう。
 別れてから、再会するまでの期間に。

 別れていたし、そもそも彼女は卒業を前に退学して、行方もしれなかった。
 守ることなどできなかったと頭では分かっているのに、自分がそばにいれば、と悔やまずにはいられなかった。
 詳しく聞きたかった。彼女が何を怖れ、何をトラウマに思っているのか。
 だが、その古傷は触れて良いものではないことも分かっている。
 由季はフリーライターとして仕事に励んでいる。さまざまな苦労を経て、今の由季になっているはずだ。
 忌まわしい過去など触れて欲しくもないだろう。

 ――俺にできることは……トラウマを忘れるくらい、あいつを愛することだけ、か。役立たずだよな……。

 自分の無力さに苛立たずにはいられなかった。
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