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第一章(3)

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 駅の改札付近で待っていると、また電話が入った。



『着いた。今どこにいる?』

「改札前だけど……」

『お、見えた、見えた』



 由季がきょろきょろと周囲を見回していると、背後で濃厚な人の気配を感じた。



「待ったか?」



 耳元で声がした。



「っ!!」



 由季は振り返るが、心臓がどきどきして言葉が出ない。

 ちょっとしたおふざけのつもりだったのだろう。

 彰は想定外の由季のリアクションに慌てる。



「悪い。ちょっと悪ノリした」

「私のほうこそ、ご、ごめん……」

「ちょっとびっくりしただけ。それで、お店は?」



 こっち、と彰はすぐに余裕のある笑みで切り替えて歩き出す。



「それにしても、服も高校とそんなに変わってねえなぁ」

「子どもぽくて悪かったわね」

「すねるなよ」



 彰が高校時代と変わらず接してくるから、由季も釣られた。



「髪は癖毛だからアレンジの手段は限られるし、服は動きやすいのを選んだだけ」

「ハハ」

「何? そんなに……おかしい?」

「いや、変わらない良さってあるんだなぁって微笑ましく思ったんだよ。あ、でも変わったこともあるか」

「ある?」

「あの頃よりももっと大人っぽくなった」

「彰は……変わらないよね」

「ひっでえ。これでも生き馬の目を抜くビジネス界で生き残るために、大人の貫禄をつけようと必死なんだぜ?」



 ――彰は高校から大人びていたからっていう意味だったんだけど。



 彰は迷いのない足取りで向かったのは住宅街。



「まさか、家へ連れ込むつもり?」

「違う。ま、俺はそれでも良いけどな」



 地下に下りていく階段の先に店はあった。

 店内に入るとジャズだろうか。会話を邪魔しないながら、沈黙をほどよく埋めてくれるささやかなBGMがかかっている。

 間接照明で薄暗い店内は、まずまずの入り。

 彰に促され、カウンターに座る。



「いらっしゃいませ」



 初老のバーテンダーが微笑む。



「なに飲む?」

「シャンディ・ガフ」



 ジンジャーの香りとピリッとした後味が好きで、バーにきたら最初はこれを頼む。



「俺はいつもの」

「かしこまりました」

「常連なんだ」

「まあな」



 勝手にお金持ちというのは、ホテルのバーで飲んでいるとばかり思っていた。

 彰は、一体どれくらいの女性はここに連れてきたんだろう。



「……言っておくけど、一人で来るから」



 由季の心を読んだように、彰は言った。



「何も言ってないでしょ」

「言いたげな顔をしてたから一応」



 シャンディ・ガフ、そしてミックスナッツが差し出される。



「ありがとうございます」



 そして彰のもとには白ワインと、ティラミス。



「あいかわらず、甘い物が好きなんだ」



 学生時代から、デートに行けばクレープやアイスを食べ、教室でもお菓子を良くたべていた。男一人だと入りずらいという理由で一緒にパンケーキ屋に並んだりもした。



「これ、マスターの手作りで結構いけるんだぜ……っと、その前に乾杯だな。再会を祝して」

「……祝して」



 グラスをそっと打ち付け合う。

 彰はティラミスをつっつき、白ワインを口にし、人懐こさのこもった笑みを浮かべた。



「食うか? いけるぜ?」

「ん、じゃあ、ちょっともらうね」



 バーテンダーにフォークをもらい、食べる。



「ん、美味しいっ」



 体型維持のため、甘い物を控えている由季だったが、このティラミスは甘さがしつこくないのに、舌に残る濃厚な味わいがあった。

 つい二口目にいきそうになったのを、理性を総動員して止める。



「いいよ。食えよ。足りなかったらまた頼めば良いんだからさ」

「……いや、そこまでは」

「ほら、我慢は毒だぞ」



 我慢できず、二口目を食べる。本当に美味しい。



「それにしても十年ぶりか。あっという間だな」

「彰は家の仕事を継ぐと思ってた」



 学生時代も、彰は実家を継ぐことを公言していたはずだ。そのために大学も国立大学の経営学部を志望していたはず。



「ね、どうして……」

「言っただろ。その話は今後のお楽しみ、って」

「今は取材じゃないけど」

「取材じゃなくても、お楽しみは取っておいたほうがいいだろ」



 思わせぶりな言い方。

 こうして軌道に乗せられるんだから、彰は昔も今も優秀だ。



「由季こそ、フリーライターをしてるなんて意外だけどな。お前、昔から堅実だっただろ。だから公務員か、大手企業狙いかと。それがフリーランスだもんな。年齢的にも就職先で経験を積んで独立ってわけでもないし。大学出てすぐに?」

「まあね。それにしても常務だなんてすごいなぁ」

「創業メンバーだしな。うちくらいの規模じゃあ、まだまだすごいと言えるかは微妙だけど」



 こういう時の彰はぜんぜん嫌味がない。

 学生時代もやっかみ半分で「司馬はいいよな、太い実家があって」とクラスメートから言われたら、迷わず、「うらやましいだろ」と臆面もなく答えるタイプだった。でも男女問わず好かれるカースト上位のカリスマのお陰で、ぜんぜん嫌われることがなかった。



「そういや、今、フリー?」



 いきなりの質問に、由季はゲホゲホとむせてしまう。



「ちょ、ちょっと、いきなりなんなの。それ、セクハラじゃない」

「昼間はさんざん人に質問しといて、俺の質問はセクハラなのかよ」



 彰は少しいじけたように唇を尖らせた。



「あれはあくまで仕事」

「別に良いだろ。減るもんじゃないんだから」



 確かに彰の言う通りである。由季としても本気でセクハラと思っているわけではない。



「……今はっていうか、長らくフリー。フリーランスだとなかなか、そういうところまで余裕がなくって」



 そう考えると、男女が三年間、一緒の空間で過ごすことが普通である学生時代というのはすごく貴重な時間だったんだと、しみじみ思う。

 と、彰がじっと見つめてくる。



「な、何?」

「俺のことは聞いてくれないのか?」



 実はチェックはした。左手の薬指に指輪はなかった。今はしてないだけかもしれないし、婚約中の彼女がいるかもしれない、と頭の片隅では思いつつ。



「彰はどう?」

「いない。俺もそんな余裕はなかった。一から会社を立ち上げて、友哉の考える世界を現実世界に出力するためにかけずり回って……」

「そういえば秘書の田村さん、美人だったよね」

「ん? あぁ、だよな」

「気のない返事」

「あのな。秘書に手なんか出すかよ。……ティラミスおかわり」

「ちょっと、大丈夫? 一応夜だけど」

「大丈夫。週三で筋トレしてるし、毎日ジョギングもしてる」



 なるほど。それでそこまで鍛え抜かれた美しいボディを維持しているのか。

 由季と彰は二十代半ば。油断していると、あっという間にだらしない体型になる。



「それもそうだけど、胃にもたれるとか」

「甘いもん食うのに、そんなのいちいち考えないよ」



 彰がティラミスの載ったお皿を、由季のほうに寄せる。

 大丈夫だからと言いたい気持ちもあったが、ついフォークが伸びる。ありがたくいただくことにしよう。



 ――私は筋トレもジョギングもどっちもしてないけど……。



「ありがとう」

「どういたしまして」



 由季はティラミスをつつきながら、彰の横顔を見る。

 正直、彼の顔や仕草に色気を感じた。

 別れを切り出したのは、由季からだった。

 あの時は別れる以外の選択肢が存在しなかった。

 嫌いで別れたわけではないのだが、別れる理由をうまく説明することもできなかった。



 ――そのくせ、こうして彰と再会できて舞い上がるなんて身勝手……。



「酒がなくなったくらいで、そんな切なそうな顔をするなよ」



 彰は笑みまじりに言った。



「別にそういうわけじゃ……」

「じゃあ、次はなに飲む?」

「次? えっと……じゃあ、同じのをもう一杯」



 シャンディ・ガフがすぐに運ばれる。

 彰も白ワインをおかわりをし、また乾杯してから、ティラミスを肴に飲んだ。

 久しぶりに楽しい時間を過ごすことができた。
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