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11 迷子

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 婚約者でなくなって初めての孤児院訪問。
 と言っても、何が変わる訳ではない。
 子どもたちと遊んで、院長先生や他の先生たちとの意見交換。
 もし何か必要なことがあれば、お父様に言えばいい。
 院長先生のもとへ顔を出す。

「ミレイユ様、ようこそ、いらっしゃいました」
「院長先生、お久しぶりです」
「ふふ」
「どうかされましたか?」
「いいことがありましたか? なんだか、以前いらっしゃった時よりも顔の色艶がよく見えますねえ」
「そ、そうですか」

 頭の中に、陛下の顔がなぜか過ぎってしまう。

「お若いですから色々ありますものねえ。人生は楽しんでこそ、でございますもの」
「ありがとうございます。それじゃあ、子どもたちに会ってきますね」

 私は妙に気恥ずかしくなって、早口で言った。
 すると、院長先生に呼び止められる。

「実は子どもたちは体調を崩してしまっていて……。せっかく来て下さったのですが」
「みんな、ですか?」
「ええ、そうなんです」
「お医者様には?」
「それなんですが、お医者様に診て頂いて薬も処方してもらったんですけど、長引いてしまっているようなんです。ですから今日のところは」
「そうでしたか……。何かお手伝いすることがあれば」
「お気になさらないでください。それより、ミレイユ様に病気がうつってしまったら一大事ですもの」
「分かりました。何かありましたら知らせてください」

 部屋を出ようとしたその時、廊下側から扉が勢い良く開くと、先生の一人が飛び込んでくる。

「院長先生!」
「なんですか騒がしい。お客様の前ですよ」
「し、失礼しました。ミレイユ様」
「そんなに慌ててどうしましたか」

 部屋にやってきた先生ははっとして、「フユル君がいないんですっ」と言った。
 フユル君はクリムト族の子どもだ。

「まったく、あの子ったら……」

 院長先生は頭を抱える。

「もしかして森に行ったんじゃないでしょうか」
「どうして森に?」

 院長先生は小さく溜息をつく。

「実はあの子、子どもたちが大変な病気にかかってると騒いでいて。このままでは死んでしまうと……治すには特殊な薬を使わなきゃって。お医者様に診てもらっているからといくら説明しても駄目で」
「……それで森に薬草を採りに行ったと?」

 先生は頷く。

「森は狼や危険な動物も出没するからいけないといくら言っても聞かなくって。でも説明してくれた薬草も植物図鑑を見てみましたが、そんなものはどこにもなかったので、デタラメを言ってはいけないときつく注意したんですが」

 院長先生が溜息まじりに言った。

(あの子、デタラメを言うような子かしら)

 施設の子の中には大人から注目を浴びたい、歓心を買いたいという目的で、大袈裟なことを言って注意を惹こうとする子もいる。

「時間もありますし、探すのを手伝います」
「そんなことまでして頂かなくとも、いつものようにお腹でも空けば戻ってきますよ」
「でも本当に森に入ったらとしたら……」
 私の懸念に、院長先生たちも不安をかきたてられたようだった。
「ですが、ミレイユ様が森に入られて万が一のことがあったら」
「私のことより、子どもたちを一番に考えるべきです。私は大人ですし大丈夫ですからっ」

 私が強く迫ると、院長先生も折れてくれた。
 私は他の先生たちと一緒に探すことにする。

「フユル君! どこぉー!」

 私は叫びながら、森に入っていく。
 森は昼間でも薄暗いし、鳥や何かしらの動物の気配や声がどこからともなく聞こえてくるせいで、先生たちと一緒にいても恐怖を感じてしまう。
 その時、木々の間で小さな影が動くのが見えた。

「フユル君!」
「あ、ミレイユ様、お待ち下さい!」

 待ちたい気持ちはあったけど、ここで見失いたくなかった。
 私は草むらを跳び越え、人影が消えていった先に向かって駆け出す。
 そしてようやくその背中を見つけた。

「待って!」

 フユル君が振り返る。

「俺は嘘つきじゃない! あの病気はただの風邪じゃない! 薬草を飲ませないと死ぬんだ!」
「分かった、分かったから待って……っ!」

 少し距離をおいてようやくフユル君は立ち止まってくれた。
 私は肩で息をする。心臓がバクバクとやかましい。

「分かったから、一緒に帰りましょう。ちゃんと先生たちに事情を説明すればきっと聞いてくださるはずだから」
「駄目。薬草を取らないと。ねえ! 協力して! 僕じゃ、背が届かないんだっ!」
「分かった。じゃあ、それを取れたら一緒に戻ってくれるのね?」

 フユル君が頷いてくれる。
 私はフユル君とさらに森の奥へと向かう。

「あそこっ」

 崖の半ばあたりに、小さな花が咲いている。たしかにフユル君では届かない高い場所に咲いていた。
 私はゴツゴツした岩場に足をかけ、よじのぼり、どうにか花を取った。

「これでいい?」
「あ、ありがと」
「みんながただの風邪じゃないってどうして分かったの?」
「……肌に紫色のぶつぶつが出てたんだ。あれ、村の人たちが同じような病気になったのを見たことがあって……。その時に、ばあちゃんがこの花を煎じて飲ませてたんだ」
「院長先生たちにはちゃんとそのことは話した?」
「言った。けど……ユーラノスなんて花はないんだって、まるで俺が嘘ついてるみたいで。でもばあちゃんはこれがよく効くって……ばあちゃんが嘘つきじゃないっ」
「ユーラノス……それは花の名前じゃないわ。クリムト族の言葉で、『地の恵み』という意味の言葉。だからきっと図鑑には載ってなかったのよ」
「え、なんでそんなこと知ってるんだよ」
「勉強したから」

 私は他にもクリムト族の言葉を話すと、フユル君はびっくりしたみたいに目を大きく見開いた。

「……みんな、俺たちのこと、時代後れで変な奴らだって言ってるのに……」
「困ったものよね。人は理解できない風習や馴染みのないものを頭ごなしに否定して、自分たちのほうが優れてるって思いがちなのよ。とにかく戻りましょう」

 私は右手を差し出すと、フユル君は少し迷いながらも手を握ってくれた。

「……ばあちゃんの話、信じてくれて、ありがとう……お姉ちゃん」
「いいのよ」

 自分のことよりも、お祖母様のことを誰も信じてくれなかったことが苦しかったのね。
 私たちは来た道を戻ったつもり、だった。
 しかしいつまで経っても森の出口は見えてこないどころか、まっすぐ進んでいたつもりなのに、ユーラノスを採った崖に戻ってきてしまう。

「だ、大丈夫。きっと見つけてくれるはずよ」

 内心の不安を押さえつけながら、心配そうなフユル君に笑いかける。
 辺りを見回しても、どこもかしこも似た景色でどこから来たのかさえ判然としない。

「……ごめんなさい。僕のせいで」

 私はかがむと、フユル君と目線を合わせる。

「そんな言い方しないで。あなたはみんなのために薬草を探してくれてたんでしょ。それはとても立派なことよ。先生たちも探してくれているから、きっとそのうち誰かが見つけてくれるはず」

 しばらく待っていると、雨が降り出す。
 じっとしていれば濡れ鼠になってしまう。
 フユル君の手を引き、雨宿りができそうな場所を探すと、洞窟を見つけた。
 私たちはそこに避難する。
 雨脚はますますひどくなった。

「くしゅん!」

 フユル君がくしゃみをする。

「服を脱いで。そのままだと風邪を引いちゃうわ」
「う、うん」

 私も雨を吸って重たくなったドレスを脱いで下着姿になると、ハンカチでフユル君の体や髪をできるだけ拭う。
 少しでも温められればと、私はフユル君を抱きしめ、体を寄せ合う。
 不安と心細さで下唇を噛みしめ、降り止まない雨を見あげながら考えることは、陛下のこと。

(色んな人たちに心配をかけてしまっているわね)

 腕の中でフユル君はうつらうつらしている。

「眠って大丈夫よ」

 私は囁き、頭を撫でる。フユル君は私の胸に寄りかかるように寝息をたてはじめた。
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