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5 散策

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 数日後、私は友人を庭で出迎えた。

「王妃陛下。ご機嫌麗しく……」

 黄色を基調にしたドレス姿で、令嬢が頭を下げる。

「マルギッタってば、からかわないでよ」

 私が指摘すると、済まし顔が笑み崩れた。

「からかってなんかないわ。近い将来そうなるかもしれないんだし、今から練習をしておこうと思って」
「そういうのを、からかうって言うのよ」

 ぷりぷり怒る私を、ニヤニヤしながら見つめるのは、マルギッタ・フロレン。
 フロレン伯爵家の令嬢で、私の親友でもある。
 水色の長い髪を高く結い、負けん気の強そうなつり上がった目は赤紫色。
 ドレスよりも、乗馬服や剣術をする際の訓練着が似合うような凛とした雰囲気の女性だ。
 一度、仮装パーティーで男装してみたら、あの殿方はどこのどなた!?と社交界の令嬢たちの心を奪ったこともある。
 フロレン伯爵家は代々、武人を輩出している家柄でもある。
 その一族に名を連ねるだけあってマルギッタもまたゲルエニカ式剣術の使い手でもある。
 私たちがこうして会うのは、殿下の誕生日以来のこと。
 庭にはパラソル付きのテーブルセットが用意されている、
 今日は天気がいいからここでティータイムを過ごそうと思っていた。
 ただし、マルギッタに来てもらったのはのんびり世間話をするためではなく、社交界の様子を知るため。
 侍女たちに聞いてもいいのだけど、彼女たちからはオブラートに包んだ話しか聞けない。
 私が聞きたいのはゴシップまみれの本当のことだ。
 そんな内容を私に伝えてくれるのは、マルギッタくらいだから。

「それで、私たちのことだけど……」
「連日その話でもちきり。というか二人以上の貴族がいる場ではそれしか話題に上らないわね。ミレイユは国王と王太子、一体どちらを取るのか!とか」
「あぁ~……」

 頭を抱えてしまう。

「他にも、ミレイユは王太子だけでなく、陛下を籠絡する稀代の悪女、とかね」
「それはさすがに不敬すぎない!?」

 それでは陛下たちがまるでコロッと騙される単純な人たちみたいではないか。

「ゴシップだからね。みんな、言いたい放題、好きに言ってるわ。ま、前代未聞なことだからしょうがないとは思うんだけど」
「だ、だからっていくらなんでも限度があるじゃない。貴族とある人たちがそんなゴシップ紙みたいなことまで噂するなんて」
「貴族なんて、みんな頭の中は醜悪よ。他人の不幸は蜜の味。好奇心を満たすためなら、あることないこと吹聴するの。例外はあなたの父上くらいなもんじゃない?」
「マルギッタもそういうことを言うの?」
「言わないわよ。私は興味ないし」

 マルギッタは昔からこういう噂に関しては本当にサバサバして、我関せずという社交界では稀有な存在

「それで、どうするの?」
「……どうする?」
「陛下から公開プロポーズをされたんでしょ。受けるの、受けないの?」
「う、受けられる訳ないでしょ。私は殿下の許嫁なんだから」
「破棄されたじゃない」
「まだ正式に破棄されたわけじゃないわ。書類上はまだ……」
「書類上、ねえ。もしかして心は陛下に傾きつつあるってこと?」
「違う。殿下はもう婚約破棄が成立した前提で動かれているから……」
「で、陛下から公開プロポーズをされたわけだけど、受けるの?」
「う、受けられないわよ。私なんて、とても陛下とは釣り合いが取れないもの。陛下の威信を傷つけてしまうだけ」
「そういうのはどうでもいいの。あなたの気持ちが知りたいの。陛下のことが好きなの、嫌いなの?」
「そういう聞き方はずるいわよ。この国で陛下を嫌う人がいる?」
「じゃあ、好きなのね」
「揚げ足を取らないでよ」
「揚げ足なんてとってるつもりはないわ。ただ私は、こういう時に大切なのは心だと思ってるし。相手から求婚されて、あなたがそれを嫌がっていないんだったら。何も悩むことなんてないと思うけどねえ」
「普通の結婚とは訳が違うんだから。お互いに好きです、じゃあ結婚しましょうって訳にはいかないの。国のことなんだし」
「でも未来の王妃として教育もしっかり受けてて、教授陣たちからも太鼓判をおされてるんだから心配することないと思うけど、違うの?」
「うううう~~~~~それ、陛下にも同じことを言われた……」
「ほら、陛下だってそういうところもちゃんと頭に入れた上での告白なんでしょ。そりゃそうよ。あの陛下よ? この国をここまで大きくした大英雄! あぁ、陛下に告白されたら、私は二つ返事で受け入れちゃうのに!」

 マルギッタはウットリとした顔と声で言う。
 前に話してくれたけれど、武人の家系において、大国を相手に戦い、勝利をもぎ取った陛下は主君以上の存在、神に匹敵するらしい。
 マルギッタは私よりも半年早く十八歳になったにもかかわらず、まだ婚約者がいないのは陛下のような人と結婚したいと望みながら、この国に陛下に肩を並べるほどの人間がいないから、らしい。

「――それは嬉しいな」

 その時、私たちの耳に心地いい声が聞こえてくる。
 はっとして私たちは慌てて立ち上がった。

「陛下。こちら……」

 私はマルギッタを紹介しようとするが、やんわりと遮られる。

「マルギッタ・フロレン。クレモンの娘で、カズィの妹。去年の剣術大会の女子の部で優勝をしていたな」

 マルギッタは「あぁ!」と頬を染め、かすかに涙ぐむ。

「私のような者を知っていただけるなんて感謝感激でございます、陛下……!」

 すごい。こんな風にマルギッタが昂奮してるの、はじめて見るかもしれない。

「……ところで、陛下。こんなところで何を?」
「ミレイユが友人を招いたと小耳に挟んだから、顔を出しに来た。お前にとって大切な人は、俺にとってもそうだからな。ところでマルギッタ。俺に告白されたら二つ返事で受けてくれるらしいな。残念だが、俺の目にはミレイユしか入っていない。すまないな」
「陛下!?」

 とんでもない一言に、動揺のあまり声が上擦ってしまう。

「陛下、たわむれが過ぎます……!」

 私は耳元で囁かれたせいで、耳がどんどん熱を帯びた。

「戯れじゃない。本気だ」
「あの、私、このあたりでお暇いたします!」

 マルギッタが叫ぶように言った。

「ん? 話はもういいのか?」
「私はいつでも話せますので! 陛下はどうぞ、ミレイユとの楽しい一時をお過ごしください! 失礼いたします!」

 マルギッタはそそくさとこの場を後にしていく。

「え、ちょ……」
「ただ挨拶だけでもと思ったのだが、余計な気を遣わせてしまったみたいだな」

 陛下も苦笑する。

「せっかくだ。庭の散歩でもするか」
「陛下と、私が、ですよね?」
「プロポーズを受け入れるための参考材料として、俺のことをもっと知って欲しい」

 陛下は甘く微笑む。

「!」

 普段の質実剛健な姿とのギャップは、眩暈を覚えてしまうほどにすごい破壊力だ。
 陛下がその大きな右手を差し出してくる。

(陛下の手を取るとか)

「何をしているんだ」

 苦笑した陛下が私の手を優しく包み込むように握る。

「ひゃっ」
「強く握りすぎたか?」
「い、いえ……びっくりしただけです……」

 剣を握り続けた手には無数の傷やタコがあり、信じられないくらい硬い。
 それでも私をエスコートする所作は優雅で、紳士そのもの。

「へ、陛下と肩を並べて歩くなんて、ふ、不敬では……。今のは私は王太子殿下の許嫁でもなく、宙ぶらりんな立場でもありますし」
「お前と一緒に歩きたい」
「へ?」
「お前と肩を並べて歩きたい。俺はそう望んでいる。それを断るのは、不敬ではないか?」
「……お、おっしゃる通り、です」

 王命には従わないと。
 私は自分に言い聞かせるように、歩き出した。
 庭は広く、人工の川などが流れ、風が吹くと、涼しくて気持ちいい。
 晩春の頃で、そろそろ初夏がやってくる頃だからこそ、余計に。
 庭にはつい先日、陛下の執務室に届けたスズランだけでなく、ヒヤシンス、撫子などの花々が咲き誇る。
 今こうして散策しているのは春の宴と言われるエリアであり、この他、庭は夏の天蓋、秋の絨毯、冬の調べと季節ごとに別れていたりする。

(……一体なにを話したらいいの!?)

 これまでフェリックス王太子とこうして歩いたことなんてなかった私には(誘ったことはあるけど、断られ続けた)、男性と二人きりで何を話したらいいのか分からなかった。
 こういう時、男性とどんな話をしたらいいのか分からなかった。王太子妃教育にだってそんな項目はない。
 かと言って、黙ったままなのは申し訳ない。
 陛下がせっかく私と歩きたいと仰ってくださってるのに黙っているだけなんて。

「お前は表情豊かだな。ただ歩いているだけなのに、そんなにも表情をころころと変えるなんて」
「す、すみません……! き、緊張していて、あの……手汗もすごく……ふ、不快ですよね。手を離して下さってかまいませんから……!」
「ん? そんなことはない。気にしすぎだ」
「あ……そ、そうですか」
「楽にしていればいい。俺はお前との時間をただ過ごしたいだけだからな」
「……光栄です」

 チャポン、と池から魚が跳ねると、日射しを浴びてその鱗がキラキラと光った。
 ふと、陛下は人工の川にかかった橋の真ん中で足を止めると、欄干に軽く腰かけ、広い青空を仰ぐ。

「――はじめて、お前が俺の元へ花を届けてくれたのは、二年くらい前だったか。あれの婚約者として王太子妃教育を受けるために、ここへ来てすぐの頃だ」
「そうでしたね。はじめて王宮にあがった時に陛下にご挨拶をするため、執務室に殿下と一緒に参りまたよね」

 私はすごく緊張していた。
 大英雄というだけで近寄りがたい陛下のことを殿下は恐れていて、「絶対に余計なことはするな! お前のヘマで怒られるのは僕なんだからな!」と口を酸っぱくして注意されていたこともあって、ビクビクしていた。
 陛下は私を一瞥され、「しっかりやれ」とだけ言われた。それが陛下からはじめて賜った言葉だった。

「あの時、部屋に色がないなと思ったんです。もちろん遊ぶような場所でもありませんし、実務家である陛下らしさは感じました。でもあとから人に陛下は執務室で一日の大半を過ごされるとお聞きして、せっかく四季折々の見事なお庭があるのにもったいないなと思ったんです。ちょっとした休憩の合間、不意に窓辺に目をやった時などに、そこに色があれば……ちょっとした癒やしになるかもしれないって」

 あの時はたしか初夏で、青いラベンダーを摘んでいったのだ。
 陛下は特別何も仰られず、ちらっと見ただけだった。
 それから数日おきに、私は庭先で見つけた花を花瓶に生けて持っていくようになった。
 何も言われないということは迷惑ではないと思ったから。

「正直、最初は俺に気に入られるためだけにやっているのかと思った。お前は、計算高いあの男の娘だし、事前に言い含められているんだとな」
「確かにそう思われてもしょうがない状況でしたね。気付きませんでした……」
「お前の気質は母親譲りらしいな」
「それは、褒められてます?」

 もちろんだ、と陛下は頷く。

「小手先で俺の歓心を買おうとしているのかと正直、呆れていたな。でも一ヶ月が経っても、それからもずっと花を届けてくれた。だんだんと、この娘はただ俺のためだけに花を届けに来てくれているのかと思うようになった。花になど関心はなかったはずなのに、執務室に来るたびに部屋が、みずみずしい花の香りで満ちているのを楽しみにしている自分がいることに気付いた。お前がいなければ気付けなかったことだ。余裕をもって執務に当たれているのは、お前のお陰だ」

 気恥ずかしさに、頬が熱を持つ。

「お、大袈裟です。花を飾っているだけですから。誰でもできることですから」

 そう言いつつも、少しでも陛下の役に立てていたことが嬉しかった。

「そんなことをしてくれるのは、お前が初めてだったんだ。それが俺にとっては重要なことなんだよ」
「――陛下!」

 そこに声が響きわたると同時に、役人が駆けてくる。
 私たちの前で足を止めた役人はぜぇぜぇと息を切らしていた。

「陛下、こちらにいらっしゃったんですね。宰相閣下が突然、席を中座されたまま戻らぬと心配しておりました。執務室へお戻りください」
「もしかしてお仕事の途中、抜けてきたんですか?」
「仕方ないだろ。仕事が終わるのを待っていたら、お前の友人と話す機会がなくなってしまう」

 執務はてっきり終わったものだとばっかり思っていた。

「それから、あいつが心配? そんな殊勝なタマか。激怒の間違いだろう」
「陛下、急いでお仕事にお戻りください。私のせいでお仕事に後れが出ては申し訳ないですっ」
「仕方ないな。しかしいい息抜きができた。これでまた仕事に集中できる」
「でしたら、良かったです」

 陛下は「また話そう」と言うと、役人と一緒に颯爽と去って行った。

(陛下もお仕事をサボったりされるのね)

 何事も完璧にこなす超人のような人だとばっかり思っていたが、こんな一面もあるとは知らなかった。
 以前よりも陛下のことを身近に感じられるような気がした。



 執務室に戻った。
 ミレイユと一緒に話せたおかげか、身も心も完全にリフレッシュできていた。

「悪かったな」
「仕事をサボッていたかと思えば、上機嫌に戻ってくるなんて……一体どこで油を売っていたんだ?」

 我が親友のグスタフは人目がある時はしっかり宰相と皇帝という立場を守るのだが、二人きりになると一点、こうして国王に対するとは思えぬほどの口調になる。
 このあたりは昔から変わらない。

(本当にミレイユがこの男の性格を継いでいなくて良かった)

「ミレイユと庭を散策していたんだ」
「なっ!?」
「ミレイユは本当に表情豊かだな。愛嬌があるところはカサンドラによく似ている。話していると、自然とこちらの口元が緩んできてしょうがなかった。ああして話してみてよく分かったよ。俺はミレイユを愛している。女と話してあんなに穏やかで、浮ついた気持ちになるのは初めてだ――」
「そこまでだ!」
「何だ、いきなり」
「突然、娘とのイチャついた話をしないでくれ……まったく。だいたい、ミレイユと会うのなら最初からそう言え」
「言ったら、絶対妨害していただろ」
「当然だろう。俺はまだお前とミレイユとの間を認めた訳じゃないぞ。もちろん、ミレイユもお前が国王だから仕方なく付き合っているだけだろうが」

 グスタフの言葉に、思わず笑ってしまう。
 家庭などという言葉が俺以上に似合わないと思っていた親友が、こんなにも娘を溺愛する父親になるだなんて誰が想像しただろう。

「なるほどな。ミレイユと同時並行で、お前も納得させる必要があるのか。では、よろしくたのむ、お義父様」
「や、やめてくれ……」

 頭を抱えるグスタフを前に、俺はたまらず口の端を持ち上げた。
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