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第一章(2)
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景が所属しているのは警護課内の四係機動警護班。
他の班への応援などを主任務とし、まず新人はここでSPの業務を徹底的に学ぶ。
「おはようございます」
景は先輩達に頭を下げる。
「進藤」
「はい」係長に呼ばれ、そちらまで向かう。
係長の前島謙悟は四十代の警部補で、この部署をまとめている。
SPとしての経歴も長く、現場を離れた今でもはちきれんばかりの筋肉がスーツごしにも窺えた。歴代総理の護衛にもついていたという話を小耳に挟んだことがあるが、本人は軽口を叩くタイプではないので、その手の経験談を聞く機会は無かった。
「お前にお客さんだ」
「自分に、ですか?」
顎をしゃくられ、会議室へと向かう。
部屋に入ると、謙悟は敬礼をする。
室内にはスーツ姿の男性が立って、窓から景色を眺めていた。
眼鏡をかけた神経質そうな中年男性だ。
前島が言う。
「管理官。進藤景を連れて参りました」
(管理官……)
思わず背筋が伸びた。管理官は主に現場の指揮官であり、警視以上の人間が就くことになっている。ということは目の前の男はキャリアかもしれない。
ちなみに景は巡査部長であり、こんなずぶの新人からすれば警視などというのは雲の上の存在と言って良かったし、何より管理官という役職はSPの分野においてはほとんど関わり合いのないものである。
「ご苦労様です。前島さん、さがって下さい」
前島がちらっと心配そうに景を見るが、すぐに「失礼致しますっ」と姿勢を正して会議室を出て行った。
中年男性が椅子に座る。「進藤君。座りなさい」
「は、はいっ。失礼いたしますっ」
まるで警察の採用試験を受けた時以上の緊張感に包まれながら着席した。
男はファイルをめくる。
「まずは自己紹介をしましょう。私は、高槻と言います。警視庁の公安から来ました」
高槻は茶飲み話でもするようなおっとりとしたしゃべり方をした。
(公安……)
景は初めて公安と名乗る警官に出会った。
刑事には何度か会ったことがあるが、公安はそれこそ一般人と同様、ドラマの世界で知る程度の知識しかない。
高槻は微笑む。しかし目は笑っていない。
「そう緊張しないで下さい。何もあなたを取って食おうという訳ではありませんから。実はあなたに頼みたいことがありましてね」
「自分に、ですか」
「そうです。旭邦会という組織を聞いたことはありますか?」
「……は、はい。ニュースで、という程度ですか。広域指定暴力団だと……」
「そうです。全国の三分の一を占める巨大な組織です。ここ、十数年の間に、様々な組を吸収して組織を拡大して来ました」
「は、はい」
「そしてその組がいわゆるシノギとして扱っているのが、スーパーEという名の違法ドラックです。これが若年層の間で急速に拡大し、先日では中学生が使用し、補導されたというニュースが大々的に報道されました。それはご存じですか」
「は、はい。兄の友人から譲り受けたと」
高槻は出来の良い生徒を前にした教師のようにうなずいた。
「その通り。――とまあ、ここまでだけ取れば、公安ではなく、組対の領分なんですが、実は、そのスーパーEの収益が、国内の地下組織に流れているという情報をキャッチしました。これは由々しきことです。彼らは国家を転覆しようとしている……。殺人犯よりも警戒するべき連中だ」
「……はい」
高槻は眼鏡のブリッジを押し上げると、ファイルから写真を出した。
それは景とそれほど年齢が違わないように見える男だった。
短髪に、猛禽のように鋭い眼差し、がっしりとした顔立ちをした男の首から上が盗撮と思しきアングルで撮られている。
「この人物は、そのスーパーEを裁いている元締めと思しき人物です。旭邦会の総裁、国定毅(くにさだこわし)に、近年取り立てて以来、頭角を見せて、現在は若頭補佐を務めています。名前は富永俊也(とみながしゅんや)。組織には所属してはいますが、サカズキは交わしておらず、表向きには実業家として通っているようです」
そういう話は聞いたことがあった。暴対法の締め付けがきつくなったことで、今やヤクザの肩書きはただ邪魔でしかない。杯を交わさないことで、一般人として大手を振って商取引に関わったほうが得なのだ。これはマフィア化として警察の大きな懸念の一つだ。
「最近、旭邦会の幹部として取り立てられ、まだまだ情報は少ないのですが、年齢はおおよそ、二十代後半から三十代……」
続いて高槻は、その富永と別の人物が写っている写真を何枚か取り出す
富永の傍らには、親しげな笑顔を向けている美少年と言って通じる線が細く色白な男性達がいる。
強面な富永と、線の細い男達のツーショットに、脳裏を過去の想い出が蘇る。
(馬鹿。集中しろっ)
しかし耐えられず景は写真から目をそらした。それはまるで過去の、弱々しくただ縋り、逃げることしか出来なかった自分を思いださせる。膝に乗せた手をぎゅっと拳に握った。
そんな些細な表情の変化を、高槻は見抜く。
「どうかしたかな?」
景は唇を引き結び、写真から目をそらした。
「いえ、何でもありません。続けて下さい」
「我々の調査で唯一判明したパーソナルなデータは、彼が男性を好んでいる、ということです。写真を見れば分かる通り、彼の好みというのははっきりしています。色白で線が細い美形……と言うんですかね。私の頃とはだいぶ美形という概念は変わりましたが……。と、それはおいておくとして。進藤君。あなたには彼に接近し、スーパーEがどこで製造されているかを突き止めてもらいたいのです。潜入捜査という奴ですね」
「管理官。しかし私は、そのようなことは……」
「高校を卒業後、すぐに入庁。地域課から始まり、所属長賞を授与し、それから刑事部……そこでもまた賞を受けているのですね。優秀優秀。そしてこのままいけば刑事一課からでもお声掛かりがあってもおかしくはないが、あなたはSPの道を歩んだと。――その理由は、大切な人を守れるよう強い人間になりたいから……ですか? これはあなたがSPの採用試験の際の面接で言っていたことです」
そんなものまで持っているのか。景は寒気を覚えた。
「大切な人とは、矢ヶ崎涼介のことですか?」
手が汗でじっとりと濡れた。
高槻は爬虫類のように全く温度を感じさせない眼差しで景を見据え、口元を笑みにする。
「矢ヶ崎涼介の父、黒田義弘は、旭邦会の登場によって急速に影響力を失っていった指定暴力団の一次団体、黒田組の組長。名字は違うのは、母方の姓を名乗っているから……まあ、これはもうご存じの事かと思いますが。彼とあなたは学生時代、恋愛関係にあった。それでよろしいですか」
景は口を開けたが、言葉が出ず、俯いてしまう。
「彼は高校一年の夏前に行方を絶っている……。その経験があなたに、大切な人を守りたい、その為には己の命をも賭けるという心情にさせたのでしょうかねえ」
「そ、そんなことまで……調べたのですか」声の震えを抑えられなかった。
「あなたを不愉快にさせるつもりではなかったのですが、これも我々の仕事ですのでね。――話を元に戻しましょう。富永俊也の好みにあなたはぴったりだ。それでいて難関試験をクリアし、SPに採用される優秀さ……。私はあなたを買っている。是非、協力をお願いしたい」
「……ヤクザの情婦の真似事をしろ、と?」
「あなたは矢ヶ崎と恋愛関係にあった。それ以前にも中学校時代、あなたは同性の相手に告白をし、それが発覚して大事になった。ご両親は別れ、あなたは母親に引き取られ、遠方の学校に転校をした……。何も本当に愛せとは言っていません。演技で良いのですよ、演技で。そして彼の身辺を探り、スーパーEに関する情報を流して欲しい」
「……少し考えさせて下さい」
「駄目です。ここで承諾してもらいます」
「……断れば、私がゲイであると流すのですか」
「そんな下らないことはしません。ゲイであろうが、レズであろうが、警察の職務には関係ないですから。ただし問題が」
「何ですか」
「あなたが、ヤクザの息子に寛大であるという、これは……いささか問題ですよ。あなたが、犯罪者に必要以上に寛大なり得るという印象を上役は持つかも知れません」
「そんな! 手心をくわえたことなんて一度もありませんっ!」
「そういう可能性もある、ということです。――ねえ、進藤君。折角掴んだチャンスをフイにしたくはないでしょう。私だって将来有望な後輩の未来をつまらないことで閉ざしたくはないのですよ」
最初から選択の余地など無かったのだ。
「……分かりました」
「良かった。あなたならきっと受けてくれると思っていました。では今すぐ準備にとりかかります。あなたの設定は練ってきましたので熟読をお願いしますよ。相手に疑われないようにしっかり頭に入れて下さい」
そうして景の前にファイルが置かれた。
他の班への応援などを主任務とし、まず新人はここでSPの業務を徹底的に学ぶ。
「おはようございます」
景は先輩達に頭を下げる。
「進藤」
「はい」係長に呼ばれ、そちらまで向かう。
係長の前島謙悟は四十代の警部補で、この部署をまとめている。
SPとしての経歴も長く、現場を離れた今でもはちきれんばかりの筋肉がスーツごしにも窺えた。歴代総理の護衛にもついていたという話を小耳に挟んだことがあるが、本人は軽口を叩くタイプではないので、その手の経験談を聞く機会は無かった。
「お前にお客さんだ」
「自分に、ですか?」
顎をしゃくられ、会議室へと向かう。
部屋に入ると、謙悟は敬礼をする。
室内にはスーツ姿の男性が立って、窓から景色を眺めていた。
眼鏡をかけた神経質そうな中年男性だ。
前島が言う。
「管理官。進藤景を連れて参りました」
(管理官……)
思わず背筋が伸びた。管理官は主に現場の指揮官であり、警視以上の人間が就くことになっている。ということは目の前の男はキャリアかもしれない。
ちなみに景は巡査部長であり、こんなずぶの新人からすれば警視などというのは雲の上の存在と言って良かったし、何より管理官という役職はSPの分野においてはほとんど関わり合いのないものである。
「ご苦労様です。前島さん、さがって下さい」
前島がちらっと心配そうに景を見るが、すぐに「失礼致しますっ」と姿勢を正して会議室を出て行った。
中年男性が椅子に座る。「進藤君。座りなさい」
「は、はいっ。失礼いたしますっ」
まるで警察の採用試験を受けた時以上の緊張感に包まれながら着席した。
男はファイルをめくる。
「まずは自己紹介をしましょう。私は、高槻と言います。警視庁の公安から来ました」
高槻は茶飲み話でもするようなおっとりとしたしゃべり方をした。
(公安……)
景は初めて公安と名乗る警官に出会った。
刑事には何度か会ったことがあるが、公安はそれこそ一般人と同様、ドラマの世界で知る程度の知識しかない。
高槻は微笑む。しかし目は笑っていない。
「そう緊張しないで下さい。何もあなたを取って食おうという訳ではありませんから。実はあなたに頼みたいことがありましてね」
「自分に、ですか」
「そうです。旭邦会という組織を聞いたことはありますか?」
「……は、はい。ニュースで、という程度ですか。広域指定暴力団だと……」
「そうです。全国の三分の一を占める巨大な組織です。ここ、十数年の間に、様々な組を吸収して組織を拡大して来ました」
「は、はい」
「そしてその組がいわゆるシノギとして扱っているのが、スーパーEという名の違法ドラックです。これが若年層の間で急速に拡大し、先日では中学生が使用し、補導されたというニュースが大々的に報道されました。それはご存じですか」
「は、はい。兄の友人から譲り受けたと」
高槻は出来の良い生徒を前にした教師のようにうなずいた。
「その通り。――とまあ、ここまでだけ取れば、公安ではなく、組対の領分なんですが、実は、そのスーパーEの収益が、国内の地下組織に流れているという情報をキャッチしました。これは由々しきことです。彼らは国家を転覆しようとしている……。殺人犯よりも警戒するべき連中だ」
「……はい」
高槻は眼鏡のブリッジを押し上げると、ファイルから写真を出した。
それは景とそれほど年齢が違わないように見える男だった。
短髪に、猛禽のように鋭い眼差し、がっしりとした顔立ちをした男の首から上が盗撮と思しきアングルで撮られている。
「この人物は、そのスーパーEを裁いている元締めと思しき人物です。旭邦会の総裁、国定毅(くにさだこわし)に、近年取り立てて以来、頭角を見せて、現在は若頭補佐を務めています。名前は富永俊也(とみながしゅんや)。組織には所属してはいますが、サカズキは交わしておらず、表向きには実業家として通っているようです」
そういう話は聞いたことがあった。暴対法の締め付けがきつくなったことで、今やヤクザの肩書きはただ邪魔でしかない。杯を交わさないことで、一般人として大手を振って商取引に関わったほうが得なのだ。これはマフィア化として警察の大きな懸念の一つだ。
「最近、旭邦会の幹部として取り立てられ、まだまだ情報は少ないのですが、年齢はおおよそ、二十代後半から三十代……」
続いて高槻は、その富永と別の人物が写っている写真を何枚か取り出す
富永の傍らには、親しげな笑顔を向けている美少年と言って通じる線が細く色白な男性達がいる。
強面な富永と、線の細い男達のツーショットに、脳裏を過去の想い出が蘇る。
(馬鹿。集中しろっ)
しかし耐えられず景は写真から目をそらした。それはまるで過去の、弱々しくただ縋り、逃げることしか出来なかった自分を思いださせる。膝に乗せた手をぎゅっと拳に握った。
そんな些細な表情の変化を、高槻は見抜く。
「どうかしたかな?」
景は唇を引き結び、写真から目をそらした。
「いえ、何でもありません。続けて下さい」
「我々の調査で唯一判明したパーソナルなデータは、彼が男性を好んでいる、ということです。写真を見れば分かる通り、彼の好みというのははっきりしています。色白で線が細い美形……と言うんですかね。私の頃とはだいぶ美形という概念は変わりましたが……。と、それはおいておくとして。進藤君。あなたには彼に接近し、スーパーEがどこで製造されているかを突き止めてもらいたいのです。潜入捜査という奴ですね」
「管理官。しかし私は、そのようなことは……」
「高校を卒業後、すぐに入庁。地域課から始まり、所属長賞を授与し、それから刑事部……そこでもまた賞を受けているのですね。優秀優秀。そしてこのままいけば刑事一課からでもお声掛かりがあってもおかしくはないが、あなたはSPの道を歩んだと。――その理由は、大切な人を守れるよう強い人間になりたいから……ですか? これはあなたがSPの採用試験の際の面接で言っていたことです」
そんなものまで持っているのか。景は寒気を覚えた。
「大切な人とは、矢ヶ崎涼介のことですか?」
手が汗でじっとりと濡れた。
高槻は爬虫類のように全く温度を感じさせない眼差しで景を見据え、口元を笑みにする。
「矢ヶ崎涼介の父、黒田義弘は、旭邦会の登場によって急速に影響力を失っていった指定暴力団の一次団体、黒田組の組長。名字は違うのは、母方の姓を名乗っているから……まあ、これはもうご存じの事かと思いますが。彼とあなたは学生時代、恋愛関係にあった。それでよろしいですか」
景は口を開けたが、言葉が出ず、俯いてしまう。
「彼は高校一年の夏前に行方を絶っている……。その経験があなたに、大切な人を守りたい、その為には己の命をも賭けるという心情にさせたのでしょうかねえ」
「そ、そんなことまで……調べたのですか」声の震えを抑えられなかった。
「あなたを不愉快にさせるつもりではなかったのですが、これも我々の仕事ですのでね。――話を元に戻しましょう。富永俊也の好みにあなたはぴったりだ。それでいて難関試験をクリアし、SPに採用される優秀さ……。私はあなたを買っている。是非、協力をお願いしたい」
「……ヤクザの情婦の真似事をしろ、と?」
「あなたは矢ヶ崎と恋愛関係にあった。それ以前にも中学校時代、あなたは同性の相手に告白をし、それが発覚して大事になった。ご両親は別れ、あなたは母親に引き取られ、遠方の学校に転校をした……。何も本当に愛せとは言っていません。演技で良いのですよ、演技で。そして彼の身辺を探り、スーパーEに関する情報を流して欲しい」
「……少し考えさせて下さい」
「駄目です。ここで承諾してもらいます」
「……断れば、私がゲイであると流すのですか」
「そんな下らないことはしません。ゲイであろうが、レズであろうが、警察の職務には関係ないですから。ただし問題が」
「何ですか」
「あなたが、ヤクザの息子に寛大であるという、これは……いささか問題ですよ。あなたが、犯罪者に必要以上に寛大なり得るという印象を上役は持つかも知れません」
「そんな! 手心をくわえたことなんて一度もありませんっ!」
「そういう可能性もある、ということです。――ねえ、進藤君。折角掴んだチャンスをフイにしたくはないでしょう。私だって将来有望な後輩の未来をつまらないことで閉ざしたくはないのですよ」
最初から選択の余地など無かったのだ。
「……分かりました」
「良かった。あなたならきっと受けてくれると思っていました。では今すぐ準備にとりかかります。あなたの設定は練ってきましたので熟読をお願いしますよ。相手に疑われないようにしっかり頭に入れて下さい」
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