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 結婚は愛を誓い合うもの。

 そう言われているが、それは所詮、一般の人々のものであり、貴族にとっては家と家とを繋ぎ、利害関係の果ての契約の合意に過ぎない。

 家にとって女性は駒であり、道具だ。

 しかし教会の控え室で、ヴェラ伯爵家の長女、アリッサ・テュール・ヴェラは自分が家の駒であり、道具であることを感謝せずにはいられなかった。

 こんなにも美しく着飾ったのはいつぶりなのか、思い出せない。

 栗色の髪をハーフアップに結い上げ、青ざめた肌は化粧で健康的に仕立てられ、母親譲りの二重の円らな瞳の対比が鮮やかである。

 そしてなにより、純白のウェディングドレスの見事さ。

 ふわりとした広がったドレスのスカートには、王家の紋章に使われている大輪の薔薇がレース飾りとしてあしらわれ、真珠で飾られる。

 いつものほつれだらけの女中服ではない。

 十八歳を迎えたアリッサは、リンカルネ王国の王、ヨアヒム・グラントロ・リンカルネと結婚する。

 若干二十八歳にして両親の死によって王位を継いだヨアヒムは美しい金髪に、緑色の瞳を持つ美丈夫で、国民からは若き英邁な王の婚姻を祝福する声が、結婚式一ヶ月前から街中にこだましている。

 ヨアヒムとの結婚はアリッサが生まれた瞬間から、先王の強い薦めで決められた。

 アリッサの父は先王の側近で家族ぐるみの付き合いがあり、母のメアリーは王妃の侍女を務めていた。

 両親の結婚も、国王夫妻が後押しをしたものだった。

 母はアリッサが十二歳の時に病気で亡くなっている。

 母に婚礼の衣装を見せられなかったことだけが心残りである。

「首飾りはどれにしましょう」

 ずらりと並べられた宝石の数々が、支度係によって示される。
 何を身につけるかは決めてあった。

「これを……」

 義理の母と妹に奪われないよう隠し通したケースを開ける。

 ケースに入っているのは、双星石と呼ばれる今では採れなくなった幻の宝石を使ったネックレス。

 夜空の星々を注ぎ込んだと言われる黒い石に、赤や黄、白など様々な結晶が含まれている。陽の光を浴び、色とりどりの結晶がきらめきを放つ。

「とても美しい首飾りですね」
「……代々母の家系に受け継がれているものなの」

 その石に込めた願いは婚礼の日に相応しいとは言えなかったが、それでも他のものをつける選択肢はなかった。

 ――ルゥ君……。

 絶対にまた会おう。幼い頃の他愛のない約束。

 一年ほどしか共に過ごさなかったのに、彼のことを忘れたことは片時もなかった。

 いつか彼が迎えにきてくれる。

 アリッサはそれを心の支えにして、今日までやってこられた。それだけでもルゥには感謝でいっぱいだった。



 大聖堂の拝礼の間に足を踏み入れる。

 招待客には王国の名だたる貴族、枢機卿、そして見たくない人たちの姿もあった。

 アリッサの異母妹のルリア、そして継母のカミーラだ。

 母が亡くなって間もなく父が迎えた後妻。

 父は投機に手を出して失敗し、多額の借金を負っていた。

 結果、持参金目当てに、銀行家の娘であるカミーラと結婚したのだ。

 カミーラは未亡人であり、連れ子がいた。

 それがルリア。

 アリッサの部屋は奪われ、屋根裏部屋に追いたてられた。

 カミーラは実の娘のルリアを溺愛する一方で、アリッサに対して嫌悪の表情を隠さず、些細な失敗を指摘してはなじった。

 学校での成績をあげつらい、アリッサを鞭で打ち据え、十六歳で学校を卒業してからは女中同然に扱い、外に出ることも許さず、ほぼ軟禁状態に置かれた。

 使用人たちは当然それに抗議してくれたが、執事が首にされてからは誰もがカミーラを恐れ、口をつぐんだ。

 それどころかカミーラの機嫌を取るために、アリッサへのいじめに加担した。

 食事を家族で取ることも許されず、腐りかけの野菜屑をいれたスープとかびたパンを埃だらけの屋根裏部屋で食べることを強いられた。

 カミーラや使用人からのひどい仕打ちを父も知っていたはずだが、カミーラとの結婚のおかげで借金を帳消しにできたという弱みのせいか、見て見ぬふりをした。

 まるで娘はルリア一人だと言わんばかりにこれみよがしに可愛がった。

 ルリアにさえ邪険に扱われた。

『お姉様が着るには派手すぎわね。私が代わりに着てあげるわ!』

 母が遺してくれた宝石やドレスを奪われ、思い出を踏みにられた。

 口答えは許されず、妹でありながら「ルリア様」と呼ぶよう命じられた。

 逆らえばひどい虐待を受けるのは分かりきっており、泣き寝入りするしかなかった。

 何度、死を望んだか分からない。

 肉体以上に心が疲弊しながらも生き続けたのは、死の床にあった母からの言葉があったからだ。

『アリッサ。幸せになってね。あなたがどれだけ幸せな人生を送ってきたか、しわしわのおばあさんになってお母さんのところに来た時に、話して聞かせて』

 命を絶つわけにはいかない。

 母を悲しませたくなかったし、なにより自分が死んでカミーラやルリアを喜ばせたくなかった。

 それに希望があったから。

 それがヨアヒムとの結婚。

 たとえカミーラたちといえども、ヨアヒムとの結婚までは奪えなかった。

 先王が命じ、そして教会もその証人として同席したのだから。

 ――これからは泣いて過ごす人生は終わり。笑顔の絶えない人生を自分の手で築いていくの。陛下と一緒に……。

 司祭の目の前には、白い婚礼衣装に身を包んだヨアヒムの姿があった。

 七色にきらめくステンドグラスの光を浴び、端正な面持ちがより映えて見える。

 ヨアヒムの隣に並ぶ。

「ではこれより儀式をはじましょう。新郎ヨアヒム・グラントロ・リンカルネ。あなたはいついかなる困難や災いがふりかかろうとも新婦と助け合い、喜びを得た時は分かち、生涯を通して真心を尽くすと誓いますか?」
「誓います」
「新婦、アリッサ・テュール・ヴェラ。あなたは……」

 同じ言葉が繰り返され、アリッサはそれに対し、誓う、と口を開きかけたその時。

 ドクン!

「あっ……く……!」

 ――なに!?

 アリッサは自分の胸に痛みを感じ、後ずさってしまう。

 いきなり胸を押さえて苦しみ出すアリッサの姿に参列客がどよめく。

 胸元に覚えた激痛はさらに激しくなり、立てなくなってしまう。

「アリッサ! どうしたんだ!」

 ヨアヒムは新婦の異変を前に、その場に立ち尽くしたまま、おろおろする。

 胸が焼けるように痛い。

 ――一体、なんなの!?

 やがて痛みが遠ざかり、胸を押さえていた手を恐る恐る外す。

 まだジンジンとかすかに疼く胸元には、奇妙な紋様が刻まれていた。

「なに、これ……」

 手の平ほどのサイズの紋様は、円の中に見たことのない文字と複雑な図案が組み合わさっている。

 不意にルリアが立ち上がり、指さしてくる。

「司祭様! それは悪魔の証ではなくて!?」

 ヨアヒムをはじめ参列客の視線が司祭に集まる。

 司祭はアリッサの胸元を一瞥するなり、おぞましいものを目の当たりにしたと言わんばかりに顔を背けた。

「……そうです。悪魔の印です! あなたは悪魔とつがったのですね……それはその証……。何と怖ろしいことを……!」

 司祭は眩暈を起こしたようにその場に蹲った。

 神聖なる場内は、たちまち悲鳴や恐慌に包まれる。

 アリッサは救いを求めるように、婚約者を仰ぐ。

「違います、陛下! 私は悪魔とつがってなどおりません!」

 胸の痛みをこらえながらアリッサが近づこうとした瞬間、

「来るな、淫婦め!」

 ヨアヒムが鬼の形相で、罵倒の言葉を口にした。

「え……」
「私には分かっていた! さっきからお前からいかがわしい臭気を感じていたのだ! いつ、それを打ち明けようかと思っていたが……この神聖なる王国の君主たる、私の鼻はごまかせないぞ!」
「陛下、何を仰っているのですか。私は……」

 アリッサはヨアヒムの手を取ろうとするが、

「穢らわしい! 近づくな!」

 顔を思いっきり足蹴にされ、キーンと耳鳴りがする。

「へ、陛下……」

 自分が何をされたのかすぐには理解できなかった。
 蹴られた右頬がジンジンと痛む。

「ええええい、おぞましい!」

 ヨアヒムは蹴ったほうの靴を脱ぐと、それをアリッサに向けて投げつけ、軽蔑の眼差しを注ぎながら後退った。

 騎士たちがアリッサを囲う。

「その淫婦を牢へ閉じ込めよ!」
「ち、違います……私は……あぁぁ……誰でもいいんです。どうか、話を聞いてください……!」

 しかしどれだけアリッサが声をあげようとも、その場の誰一人として耳を貸す者などいなかった。

 それどころか、列席者たちは口々に罵倒する。

 アリッサは騎士によって腕を掴まれ、その場から引きずり出された。
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