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11 真夜中の対話と決意

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 私は人の気配を感じて、目を覚ます。

「アリシアさん? ジャスミンさん……?」
「……俺だ」

 闇になれた目に、その大柄なシルエットの持ち主の姿がはっきりした。
 シャツとパンツというラフな私服姿のヨハネが、ベッドのかたわらで椅子に座り、私の右手を優しく握っていた。

「ヨハネ……?」
「女性の寝室に入るのはマナー違反だが、うなされていると聞いて心配だったんだ」

 ヨハネが、柔らかな笑みを投げかけてくる。
 トクン、と小さく鼓動が跳ねた。
 ヨハネって、こんな風に笑うのね。
 子どもの頃はヨハネの不機嫌な顔しか見てこなかったから、不思議な気分。

(でも口調は乱暴だったけど、勉強を教えてくれてたりしたんだよね)

 素直になれなかっただけだったのかもしれない。
 教会でもあの年頃の子たちはみんなどこかひねてくれていたり、天の邪鬼だったり。
 わざと嫌がられるようなことをしたりしていたっけ。
 ヨハネくらいしっかりしていても、子どもは子どもだったのだろう。

「……心配かけちゃったんだね。ごめん」
「心配ならどんどんかけてくれて構わない。俺のことは気にしないでくれ」
「あはは、あ、ありがとう……?」
「そばにいるから安心して眠れ。人がそばにいると思えば、うなされなくなるだろう」
「……それが、びっくりしたせいで、なんだか目が冴えちゃった」

 私が枕元の水差しに手を伸ばそうとすると、ヨハネが代わりに掴んでグラスに水を注いで渡してくれる。

「あ、ありがとう」
「なら、眠気がくるまで話でもしよう。色々と聞きたいことがあるんじゃないか?」
「あ、うん……、そうだね。ありすぎるっていうか……」

 水で喉を潤しながら、頭を整理する。

「ヨハネってたしか、シュローデル伯爵って呼ばれたよね。どうして……?」
「家を出たんだ。魔物を倒して功績を挙げ、シュローデルという家を興した」
「どうしてそんなことを? 公爵家の跡継ぎなんだからそんなことをする必要はないでしょ?」
「……あんな家、継ぐ価値もない」

 ヨハネの声が低くなり、ぞくりとするような怖い声を出した。

「父……あの男は、お前を売り飛ばそうとしたんだ」
「売り飛ばす……?」
「聖女として使えないと判断したあの男は、資産家の小貴族にお前を嫁がせようとしてたんだよ」
「え……」

 初耳だった。

「純粋だった俺はお前が家に役に立つ存在だと証明できれば、嫁がなくても良くなると思っていたけど、甘かった」
「そのためにいきなり勉強を教えてくれるようになったんだ。公爵様は今は……?」
「さあな。魔物を怖れて、領地に避難したという話は聞いたが、今ごろどうしているかは知らない。死んでいるのか生きているのか。どっちでもいいけどな。……おい、どうしてそんな顔をするんだよ」
「え? 私、変な顔してる……?」」
「責任を感じているような、申し訳なさそうな顔だ」
「だって、私さえ聖女としてちゃんとした力を求めていたら、あなたと公爵様は――」
「そんな考え方はよせ。あいつとはどのみち対立していた。聖女を己の栄達に利用することしか頭になかった奴だからな」

 ヨハネが頬に手を触れてくる。その指先がまるで慈しむように撫でてくる。
 私はその手に、自分の手を重ねると、びくっとヨハネの体が小さく反応する。

「手が傷だらけだわ。魔物と戦った傷?」
「ああ。だが、見た目はひどいが、もう痛くもなんともない。それに俺には戦うことくらいしかやれることもなかったからな」
「……回復魔法が使えたら、この傷跡を綺麗にしてあげられたのに」
「そんな必要はない。忘れたか? 王宮で開かれたパーティーでのことを」
「浄化の力は……代わりがきかないって、励ましてくれたこと? あ、励ましたんじゃなかったんだよね」

 私の言葉に、ヨハネは気まずそうに顔をしかめた。

「あの時の俺はガキで素直になれなかったんだ。あれは、俺なりに励まそうとしたんだ」
「ヨハネ……」

 と、私はずっと手を握っていたことに気付く。

「あ、触れられるの、嫌だったよね」

 私は、訓練場での一件を思い出して手を離そうとするが、ヨハネは握って離してくれない。

「そんなことない。お前に触られるのなら、いくらでも……」

 ただ握るだけじゃない。
 まるで逃がさないと言わかのように、指先を絡めとられた。

「ユリアは、あの赤い裂け目から俺を守ってくれたから、こうして俺は生きていられる」

 まっすぐ目を見られながら感謝を伝えられると、照れくさい。

「私のほうが年上だったんだから、守るのは当然だから」
「言うことは誰にでもできる。でも実際にそれをやれる人間はほとんどいない」

 熱い視線を注がれると落ち着かなくなり、私は目を伏せた。

「あ……えっと、私、眠くなっちゃったから。ヨハネもそろそろ眠ったほうがいいわ。疲れてるでしょ?」
「そうだな」

 それでもなかなか手を離してくれない。

「――そうだ。お前に渡そうと思って保ってきたものがあるんだ」

 ヨハネは髪留めを差し出してくれる。

「それ!」
「お前が裂け目に飲み込まれた後、近くの野原で見つけたんだ。大切なものなんだろ?」

 私は髪留めを受け取り、胸に抱く。

「ありがとう! とてもかけがえのないものなの! これ、ずっと取っておいてくれていたのね……」

 十五年もの間、ずっと。
 保存状態もすごくいい。
 どれだけヨハネが大切に保管してくれていたのかが分かる。

「これ、教会のみんなが誕生日プレゼントで作ってくれたものなの」
「取っておいて良かった。じゃあ、行く。また明日」
「おやすみなさい。また明日ね?」
「おやすみ」

 私は髪飾りを胸に抱いたまま、ベッドにもぐりこんだ。
 足音が部屋を出ていくのを、背中で聞いた。



(ユリア……!)

 部屋を出た俺は、彼女のすべらかな手の温もりや、手の感触を噛みしめる。
 夢じゃない。今俺はたしかにユリアと話した。ユリアと触れあった。
 彼女はたしかに生きて、俺の目の前にいる。
 これまでの苦しみは今日という幸福のために存在していたかのような気さえ、した。
 ユリアが裂け目に飲み込まれた数日後、俺を助けた聖女ユリアの葬式は王都で行われた。
 ユリアを売り飛ばそうと執事と企んでいた父は、どれほど自分がユリアを愛していたか、ユリアの将来を考えていたのかを切々と訴え、周囲の涙を誘った。
 何もかもが嘘っぱちだ。
 外れ籤を引かされたことを悔しがり、少しでもユリアで利益を得ようと結婚という名目で売り飛ばそうとしていたことなど、おくびにもださない父に深い失望を覚えた。
 あの日、家を飛び指す前に俺は父に縋り付き、ユリアが優秀であることを切々と訴えた。 まだ初歩だけど、経営の勉強もしはじめた。
 このままいけば優秀な領地の管理人になれる。
 だから変な男と結婚させないで欲しい、と。
 懇願する俺に、父は冷淡な眼差しを向けた。

『あんな孤児の小娘なぞ、どうなろうがどうでもいいだろ。お前は私の言う通りにしていればいい!』
『……だったら俺はこの家を出る。俺がいなくなれば、ユリアが唯一の跡継ぎになれる。変な男に嫁がせるわけにはいかないだろ!』
『ふざけたことを言うな!』

 父に殴られ、俺は家を飛び出した。
 ユリアを売ろうとした父をどうしても許せなかった。
 父を見るのも、一緒の空気を吸うのも不快だった。
 俺はクライスに、別家を立てられないかと相談した。

『功績を挙げれば、お前の望みを叶えてやれる』

 死に物狂いで己を鍛え、魔物討伐で功績を挙げた。
 誰からも文句をつけられぬ功績をあげた俺にシュローデルという新しい家名、そして男爵という地位をクライスから与えられた。
 侯爵家の跡継ぎが家を見限り、新しい家を建てるなど正気の沙汰ではない。
 俺が魔物を狩りすぎて狂気に堕ちたという噂が流れたが、どうでも良かった。
 父が何度も連れ出そうとしたが、そのたびに俺は実力行使で排除した。
 俺は俺と共に戦う命知らずどもをまとめあげ、新しい騎士団を創設し、彼らを率い、立て続けに功績を挙げ、伯爵まで昇った。
 今の地位は血統ではなく、実力で掴み取ったものだ。
 それでもユリアを失った空白は埋まらなかった。
 広い屋敷で眠れぬ夜を過ごす時、いつも彼女の顔を思い出した。
 図書館で疲れて眠っていた無防備な表情や、アリシアやジャスミンと一緒にお茶を楽しんでいる時の笑顔を。
 大切だったと、好きだったのだと、ようやく俺は自分の気持ちに気づけた。
 どうしてもっと素直になれなかったのだろう。
 自分の気持ちの揺れに驚き、混乱し、彼女に怒りをぶつけるような、きつい口調で接することしかできなかったのかと悔やんだ。
 好きだと、大切だと、夢の中で俺は彼女に告げたところで、夢の中の彼女は微笑むばかりで、何も返してはくれなかった。
 最後には決まってユリアは赤い裂け目に飲み込まれ、俺は汗まみれで飛び起きる。
 ユリアと再会した時、俺は生まれてはじめて神に感謝した。
 他人の空似かもしれないとは思わなかった。
 彼女は夢に見たあの時のままの姿や服装でそこにいたのだから。
 あの時、俺は非力で生意気で、どうしようもないガキだった。
 でもあの時の俺はもういない。

(この命にかけても、ユリアを守ってみせる)
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