夫に離婚を切り出したら、物語の主人公の継母になりました

魚谷

文字の大きさ
上 下
4 / 30

4 ユーリ

しおりを挟む
「ユーリ様、ここを開けてくださいませ!」
「そこは冷えます。風邪を引いてしまいますよ!」

 メイドたちが物置を前に、必死に呼びかけている。

「あ、旦那様、奥様」

 メイドたちがうやうやしく頭を下げる。

「みんな、下がってちょうだい」
「しかし」
「こんなに大勢がいたんじゃ怖くて出られないでしょ。ここは、彼にとって右も左も分からない場所なのよ。大勢の人間に囲まれたら怖いはずよ」
「皆、下がりなさい」

 ルードが命じ、この場にはフリーデたち三人が残る。
 フリーデはできるかぎり、刺激しないよう柔らかな声で告げる。

「ユーリ。聞こえる? メイドたちは下がらせたわ。怖がらせてごめんなさい。ただあなたを風呂に入れたいだけなの。ここを開けてちょうだい」
「……お、お風呂は、い、いいです。大丈夫です……」

 部屋の中からぼそぼそっと消え入るような小さな声が聞こえる。

「そういうわけにはいかないわ。汚れをそのままにしておくと病気になるかもしれないもの」
「僕なら平気ですから……」

 声が上擦り、震えている。心なし、涙声にもなっている。

 ――お風呂が嫌い? それにしてはちょっと嫌がりすぎというか……。

「ユーリ。俺だ、ギュスターブだ。何も怖いことはない」
「は、伯爵様……お風呂は……僕は……本当に……」

 ここまで恐れるのは普通ではない。何か事情がありそうだ。

「ギュスターブ様、ルード、二人も下がってください。ユーリと二人きりで話してみます」
「ルードはともかく、俺は……」
「お願いします。何か分かったらあとで伝えますので」
「……分かった」

 ギュスターブはちらちらとフリーデのことを気にしながらも、立ち去っていく。

 ――ギュスターブってあんな素直な人だった? まあどうでもいいけど。

 彼のことは頭の外に追い出し、再び声をかける。

「ユーリ。ここにはもう私しかいない。もし事情があるんだったら話して欲しいの。ギュスターブ様……夫には言わなくてはいけないけど、他の人には絶対に話さない。だから何がそんなに怖いのか教えて」
「……さ、寒いのは嫌なんです。お風呂のせいで、何度か熱を出したことがあって……」

 ――湯冷め? でも物語の中でユーリはすごく健康だったし、病気がちって設定はなかったはず。

「湯冷めを心配しているの? 安心して。私がそうしないよう気を付けるから。それに、今日は特に冷えるでしょ。温かいお湯に浸かって汚れを落としたら、きっと気持ちいいわ」
「……お、お湯? 水じゃ、ないんですか?」
「何を言ってるの? お風呂よ。行水じゃないんだから…………もしかして、今まで住んでいたところで、お風呂は水だったの!?」
「は、はい。井戸水を頭からかけられて……」

 ――虐待されてたの? でもそんな描写は原作には……。

 しかしこの世界には作中以外の人物は山といる。それこそ作中でルードは出てきたが、他の使用人たちの描写はほとんどなかった。しかしフリーデはこの十年間、何人ものメイドと言葉を交わして、親しく話す子もいる。彼女たち全員にそれぞれの暮らしがある。

 描写がなかったから存在しないのではない。この世界は物語の中かもしれないが、でもここにいる人たちは全員、現実の暮らしを送っているのだ。

「安心して。お湯だから。ここにそんなひどいことをする人間はいないわ。約束する」

 物置の扉が開くと、ユーリが姿を見せた。
 初対面の時はそれどころではなかったから気付かなかったが、ユーリはひどく痩せ、体も小さい。とても十歳には見えない。

「出て来てくれて良かったわ。それじゃ、部屋に戻りましょう」
「……フリーデ様、さっき倒れられましたが、大丈夫でしょうか」
「! あはは、え、ええ……大丈夫よ。ありがとう」
「すみません、僕のせいで」

 ユーリはしゅんと肩を落とす。

「違うの。あなたのせいじゃない。あれは……ちょっと体調が悪くて、貧血気味でね。ただそれだけ。あなたのせいじゃないわ。――さあ、お風呂に行きましょ!」

 少しでも力を入れたら壊れてしまいそうな小さな手を包み込むように握った。
 握り返してくる力はとても弱く、気付いたら消えてしまいそうな儚さを感じさせる。

 ――とても、将来、英雄と讃えられる人には見えないわね。

 ユーリにあてがわれた部屋に入り、風呂場に入る。
 バスタブには湯がためられ、湯気をたたえている。

「ね、ちゃんとお湯でしょ。じゃあ、服を脱ごっか。万歳して」
「ひ、一人で出来ますから……」

 ユーリは頬を赤らめた。

「ごめんなさい。私ったらつい。じゃあ、外で待ってるわね」

 そう言って風呂場を出ようとしたその時、服を脱いだユーリの上半身が見える。

「! 待って、ユーリ」
「? 何ですか?」

 ユーリの体は傷だらけだった。切り傷や打撲傷と思われるもの。青痣や紫色の内出血、かさぶたなど、ひどい有り様だった。

「その傷……」
「僕が悪いんです。うまく家の仕事ができないし、約束を破ったりしたから」
「……お母さんにされたの?」
「お母さんは昔に死んじゃったので。お母さんのお兄さんに引き取られてそこで……」
「そう」
「でも見た目ほど痛くないんです。だから心配しないでくださいっ」

 心配させまいと、ユーリは気丈に笑う。その健気な姿に胸が締め付けられ、抱きしめてしまう。

「フリーデ様!?」

 ユーリは顔を真っ赤にして慌てる。
 いくら物語の主役だからと言って、こんな過酷な幼少期を過ごさせる必要があったのだろうか。
 きっと他にも原作に描写されていない苦しい出来事が、ユーリの身に降りかかっていただろう。

「お風呂から出たらしっかり薬を塗りましょう。そのほうが治りも早くなるわ」
「ありがとうございます」

 風呂から上がったユーリにメイドに持ってこさせた薬を塗る。

「傷に染みない?」
「大丈夫です」

 それから新しい寝巻に着替えさせ、ユーリをベッドまで案内する。

「ここに寝てもいいんですか?」
「もちろん。あなたのための部屋なんだから」
「僕のための」

 ユーリはベッドの感触や、ふわふわの布団を手で何度も何度も触りながら、口元をほころばせ、もぐりこむ。

「……温かい。ありがとうございます。僕なんかのためにこんなすごい部屋を用意してくださって」

 すごいと言っても、この部屋は城の中では比較的小さな方だ。

「何か用事があったらその紐を引いて。専属のメイドが来てくれるから」
「……フリーデ様とお話ししたい時は……」

 フリーデは自分の部屋の場所を教えると、ユーリはそれを忘れないように口の中でぶつぶつと繰り返す。

「それじゃ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい!」

 ――すごくいい子ね。

 フリーデは手を振りながら、部屋を出る。
しおりを挟む
感想 28

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。

藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。 何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。 同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。 もうやめる。 カイン様との婚約は解消する。 でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。 愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません! 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。

ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。 ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。 対面した婚約者は、 「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」 ……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。 「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」 今の私はあなたを愛していません。 気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。 ☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。 ☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)

【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます

鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
 一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────  私、この子と生きていきますっ!!  シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。  幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。  時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。  やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。  それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。  けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────  生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。 ※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...