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第一章 はじまりは夕闇とともに
巫女の役割
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「ハーシェル様、お急ぎください。お役目の前に、まずは結婚の儀を滞りなく迎えましょう。貴女は護国の神、ネラ様に身を捧げる方なのですから、遅刻は褒められたものではありませんよ」
穏やかな声に厳しい現実を突き付けられ、リディアの身体はびくりと震えた。
祈りの巫女である彼女に求められる役目は、ピートと結婚することだけではない。
むしろそれは、スタート地点でしかなかったのだ。
彼女に課せられた使命は大きく分けて三つ。
最初の使命は、ネラ教会が決めた許婚との間に子どもを産むこと。
二番目の使命は、自身の魔力を受け継がせた女児の『祈りの巫女』もしくは男児の『神の使い』を育てること。
そして、最後の使命は、子が八歳になった日に果たすこととなる。
最果ての地へと向かい、ネラ神にその身を捧げるのだ。
それが、かつて世界を恐怖で包んだ暗黒竜を、封印させ続ける唯一の手段である、と言い伝えられていた。
その伝承ゆえ、リディアの母親も、祖父も、平和の存続のために役目を果たし、そして死んでいった。
つまりハーシェルの長子は、生贄になるためだけに生まれてきた存在といえよう。
着替えを済ませたリディアは抵抗もせず、諦めにも似た表情を浮かべた。
ハーシェル家に生まれたからには、世界を背負い、死ぬために生きなければならないのだ。
それを理解していたリディアは、あの日の母と同じようにまっすぐに玄関へと向かう。
手を伸ばして司祭が待つ外へ出ようとしたが、ドアノブに触れる直前、ふと動きを止めた。
不意に、昨日出会った黒髪の男の声が、頭の中で響き出したのだ。
『世界で一番の自由』という言葉は、無意識のうちに彼女の心を強く揺さぶっていたのだろう。
リディアは、その声を散らすために慌てて首を横に振った。
恋を諦めろ。友を諦めろ。普通の生活を、命を諦めろ――
彼女は何度も自分自身に言い聞かせる。
たった一人の人生。それで数年間、億単位もの人の命が保証されるのだ。
一人の命と人類の命、どちらを優先すべきかなど考えなくてもわかる、と彼女は強く目をつむり、こぶしを握る。
自分の使命の重さはわかっている。全てわかってはいるけれど――
開かれたリディアの目には涙が浮かび、顔はぐしゃりと歪んだ。
「嫌だ、あんな人に嫁ぐなんて、死ぬなんて、怖いよ……」
自分自身の説得に失敗したリディアは、震える足を玄関から返していく。
一直線に裏口へと向かい、家を飛び出した彼女は、長い髪をひるがえし、森の奥へと駆け出したのだった。
――・――・――・――・――・――
時を同じくして、町から少し離れた森の奥では、鳥が鳴くような指笛の音が響いていた。
それに呼応するように、鷲に似た鳴き声がどこからともなく聞こえ、すぐに空からグリフォンが姿を現した。
「今日も停泊だ。夜には帰ってこいよ」
黒髪のファルシードにほほのあたりを優しく掻くように撫でられると、ノクスは嬉しそうに目を細めていく。
「さて、俺らは宝探しか」
ファルシードはノクスを撫でるのをやめて立ちあがり、今度はバドのほうへと身体を向けた。
「そっすね。だけど、探せって言われても、その宝のありかを忘れちまったとか、団長も困ったこと言いますよねー。しかも、俺らにとっちゃお宝でもなんでもねぇしよぉ。あーあ、やる気出ねぇよ」
バドは両手を頭の後ろで組んで、口をとがらせる。
それを見たファルシードは、呆れたようにため息をついた。
「前にも言っただろう。ジィサンの戯れ言なんざ本気したら、馬鹿をみるだけだ」
バドは恐らく『宝探しは面倒だ』という返答を得たかったのだろう。
呆れられたことが面白くなかったのか、彼はつまらなそうに小石を蹴って、苔むした岩にぶつけた。
「あ、そういやキャプテン。昨日はうやむやになって聞けなかったけど、結局あれ、何だったんスか?」
ふと思い出したようにバドがそう問うと、ファルシードは怪訝な顔で視線を送る。
「何のことだ」
「勢いで女の子の胸を揉んだでしょうが」
バドは、何かを揉むかのように手をわきわきと動かす。
それをファルシードは不愉快そうに見おろした。
「揉んでねェ。見ただけだ」
「おーい聞いたか。“見ただけだ”だってさ。ノクス、お前のご主人は、酒飲むと色情魔になるみたいだぞ」
口真似をしながらそう話すバドに、ノクスは目をくりくりとさせて首をかしげていく。
「んで、どうだったんスか、大きかったっスか? それとも可愛らしい感じ?」
バドにとってはよほど興味のあることなのだろう。
きらきらと瞳を輝かせながらファルシードに詰め寄る。
そんな彼に、ファルシードは小さくため息をついて呟くようにこう言った。
「羽と風の模様……」
「へ?」
「あいつ、風の証を持っている。……祈りの巫女だ」
穏やかな声に厳しい現実を突き付けられ、リディアの身体はびくりと震えた。
祈りの巫女である彼女に求められる役目は、ピートと結婚することだけではない。
むしろそれは、スタート地点でしかなかったのだ。
彼女に課せられた使命は大きく分けて三つ。
最初の使命は、ネラ教会が決めた許婚との間に子どもを産むこと。
二番目の使命は、自身の魔力を受け継がせた女児の『祈りの巫女』もしくは男児の『神の使い』を育てること。
そして、最後の使命は、子が八歳になった日に果たすこととなる。
最果ての地へと向かい、ネラ神にその身を捧げるのだ。
それが、かつて世界を恐怖で包んだ暗黒竜を、封印させ続ける唯一の手段である、と言い伝えられていた。
その伝承ゆえ、リディアの母親も、祖父も、平和の存続のために役目を果たし、そして死んでいった。
つまりハーシェルの長子は、生贄になるためだけに生まれてきた存在といえよう。
着替えを済ませたリディアは抵抗もせず、諦めにも似た表情を浮かべた。
ハーシェル家に生まれたからには、世界を背負い、死ぬために生きなければならないのだ。
それを理解していたリディアは、あの日の母と同じようにまっすぐに玄関へと向かう。
手を伸ばして司祭が待つ外へ出ようとしたが、ドアノブに触れる直前、ふと動きを止めた。
不意に、昨日出会った黒髪の男の声が、頭の中で響き出したのだ。
『世界で一番の自由』という言葉は、無意識のうちに彼女の心を強く揺さぶっていたのだろう。
リディアは、その声を散らすために慌てて首を横に振った。
恋を諦めろ。友を諦めろ。普通の生活を、命を諦めろ――
彼女は何度も自分自身に言い聞かせる。
たった一人の人生。それで数年間、億単位もの人の命が保証されるのだ。
一人の命と人類の命、どちらを優先すべきかなど考えなくてもわかる、と彼女は強く目をつむり、こぶしを握る。
自分の使命の重さはわかっている。全てわかってはいるけれど――
開かれたリディアの目には涙が浮かび、顔はぐしゃりと歪んだ。
「嫌だ、あんな人に嫁ぐなんて、死ぬなんて、怖いよ……」
自分自身の説得に失敗したリディアは、震える足を玄関から返していく。
一直線に裏口へと向かい、家を飛び出した彼女は、長い髪をひるがえし、森の奥へと駆け出したのだった。
――・――・――・――・――・――
時を同じくして、町から少し離れた森の奥では、鳥が鳴くような指笛の音が響いていた。
それに呼応するように、鷲に似た鳴き声がどこからともなく聞こえ、すぐに空からグリフォンが姿を現した。
「今日も停泊だ。夜には帰ってこいよ」
黒髪のファルシードにほほのあたりを優しく掻くように撫でられると、ノクスは嬉しそうに目を細めていく。
「さて、俺らは宝探しか」
ファルシードはノクスを撫でるのをやめて立ちあがり、今度はバドのほうへと身体を向けた。
「そっすね。だけど、探せって言われても、その宝のありかを忘れちまったとか、団長も困ったこと言いますよねー。しかも、俺らにとっちゃお宝でもなんでもねぇしよぉ。あーあ、やる気出ねぇよ」
バドは両手を頭の後ろで組んで、口をとがらせる。
それを見たファルシードは、呆れたようにため息をついた。
「前にも言っただろう。ジィサンの戯れ言なんざ本気したら、馬鹿をみるだけだ」
バドは恐らく『宝探しは面倒だ』という返答を得たかったのだろう。
呆れられたことが面白くなかったのか、彼はつまらなそうに小石を蹴って、苔むした岩にぶつけた。
「あ、そういやキャプテン。昨日はうやむやになって聞けなかったけど、結局あれ、何だったんスか?」
ふと思い出したようにバドがそう問うと、ファルシードは怪訝な顔で視線を送る。
「何のことだ」
「勢いで女の子の胸を揉んだでしょうが」
バドは、何かを揉むかのように手をわきわきと動かす。
それをファルシードは不愉快そうに見おろした。
「揉んでねェ。見ただけだ」
「おーい聞いたか。“見ただけだ”だってさ。ノクス、お前のご主人は、酒飲むと色情魔になるみたいだぞ」
口真似をしながらそう話すバドに、ノクスは目をくりくりとさせて首をかしげていく。
「んで、どうだったんスか、大きかったっスか? それとも可愛らしい感じ?」
バドにとってはよほど興味のあることなのだろう。
きらきらと瞳を輝かせながらファルシードに詰め寄る。
そんな彼に、ファルシードは小さくため息をついて呟くようにこう言った。
「羽と風の模様……」
「へ?」
「あいつ、風の証を持っている。……祈りの巫女だ」
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