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偏屈令嬢は知る
08.貧寒伯爵の真実
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部屋へ一歩踏み入れた瞬間、マリアリーゼは自身の好奇心を後悔した。
光の中に、暗い人影が見えたから。
(もし、泥棒や強盗だったらどうしましょう。何か武器を持っていたら……)
急に、よくない事ばかりを考える。
今更できることもないからこそ、漠然とした不安が急速にマリアリーゼを包む。
けれど、マリアリーゼが抱いた不安や心配は、きちんと裏切られた。
壁一面、建て付けの本棚が並び、中央の応接机にも山のようになった本がたくさん積まれている。
中には、地図や見たことのない言葉が刻まれた大きな羊皮紙などが巻物として乱雑に置かれていたり、封を切った手紙がいくつも挟まれている本もあって、まるで情報の洪水だ。
部屋の一番奥にある大きな机には――ランプの光に照らされたアレクセイが机に伏してうたた寝していた。
無意識にすくめていた肩をゆっくりと下ろし、胸に手を当てて呼吸を整える。
彼は小さく呼吸しながら眠っていて、ペン先にはインク溜まりができている。途中まで書かれた報告書は短い毛のような線だらけで、もう一度書き直すことになりそうだ。
(おひとりで全部管理されていらっしゃるのかしら)
机に広げられた一際大きな地図には、赤いインクでいくつかの土地に丸がついていて、人の名前と金額が書かれているようだった。
よく見れば、机の上には他にも、何やら重要そうな契約書や抵当権などに関する書類が、何枚も重ねて置かれている。
そしてその金額はどう考えても、"貧寒"とは言えない金額ばかり。
「旅行のつもりです」と彼に言い切った自分が見てはいけないような気がして、マリアリーゼはそっと書類を裏返した。
考えてみれば、管財人や執事のような人は、この屋敷へ来てから見ていない。
すれ違ったのは数人の使用人とユーリアとアンナの一家、そしてキッチンに立っていた面々くらいだ。
(もし本当に、貧寒伯爵ではないとしたら?)
彼のいきすぎた質素倹約に、疑問が深まる。
起こして聞いてみたい気持ちをグッと堪えて、マリアリーゼは彼の方を見つめた。
んん……と小さな声を上げるところは、彼が年上だということを忘れさせる。
ここへ来た日、彼に可愛いと思ってしまったことが案外間違いではないような、くすぐったい気持ちだ。
眠っている彼の体がゆっくりと上下する様を少し見つめていると、時間はあっという間に過ぎた。それでも彼が目覚める様子はない。
「……どうかゆっくり休んでくださいませ」
目覚めている時にはなかなか口に出せない労いの言葉がすらすらと出てくるのは、きっと彼の目線を感じないから。
軽く握られていたペンを指先から抜いて、机の隅へと片付ける。
倒れてしまいそうなインクボトルは蓋をして、彼の手の届かないところへ移動した。
自分よりも遥かに大きいとわかっている男性を運ぶことは難しい。
せめて風邪をひかないようにと、羽織ってきたショールを彼の肩にかけて、おやすみなさいと声をかけた。
「レディ! これは……!」
アレクセイがマリアリーゼの寝室の方へ走ってきたのは、それから数刻後のことだった。
明け方にざっと降った雨で庭は瑞々しく光り、一層青々としている。
マリアリーゼは昨晩なかなか寝付けなかったせいで、布団の中で目を閉じながら早くメイドが朝を告げに来ないかと待ち構えていた。
「マリアリーゼ様、アレクセイ様がこちらへいらしているのですが……」
困惑した声のメイドがドアを開けると、ドアの向こうからアレクセイの焦った顔が垣間見えた。左手には昨日のショールを持っていて、彼がその理由を聞きに走ってきたのだと分かった。
「着替えたら下でお会いしますとお伝えして」
寝間着のままで2度も会うなんて、未婚の令嬢としてはあるまじき行為だ。布団をぐっと引いて頭ままで隠して、ぐるりと寝返りを打つ。
そうお伝えしますというメイドの声と共にドアが閉まり、少しして彼がトボトボと歩いて行ったような足音が聞こえた。
「昨日、何があったのですか」
メイドは少し苛立っているようだった。自分が寝かしつけた後に、マリアリーゼがこの部屋を出て行ったことが、彼女には気付かれている。
「なんだか眠れなくて……その、散歩を少し」
間違ったことは言っていない。
「マリアリーゼ様のお散歩とは、殿方との逢瀬なのですか? あのおじさま伯爵様と?」
信じられない、という口ぶりだった。
反論する前に、「私はまだ認めてはおりませんのに」と、丁寧な言い足しの言葉が入る。
「ち……っ違いますわ! お仕事されたままお休みになられていたから、その……ショールを掛けてさしあげただけよ。他意はないわ!」
言い切って胸を張っても、彼女の「信じられない」という顔は変わらない。
両手を差し出したメイドはマリアリーゼを冷静にベッドから引き摺り出して、用意していたドレスへと着替えさせた。
「大体あのかたは、働きすぎなのです」
メイドはマリアリーゼのドレスの形を整えながら、独り言のように小さな声でぶつぶつと不満を漏らし始めた。
光の中に、暗い人影が見えたから。
(もし、泥棒や強盗だったらどうしましょう。何か武器を持っていたら……)
急に、よくない事ばかりを考える。
今更できることもないからこそ、漠然とした不安が急速にマリアリーゼを包む。
けれど、マリアリーゼが抱いた不安や心配は、きちんと裏切られた。
壁一面、建て付けの本棚が並び、中央の応接机にも山のようになった本がたくさん積まれている。
中には、地図や見たことのない言葉が刻まれた大きな羊皮紙などが巻物として乱雑に置かれていたり、封を切った手紙がいくつも挟まれている本もあって、まるで情報の洪水だ。
部屋の一番奥にある大きな机には――ランプの光に照らされたアレクセイが机に伏してうたた寝していた。
無意識にすくめていた肩をゆっくりと下ろし、胸に手を当てて呼吸を整える。
彼は小さく呼吸しながら眠っていて、ペン先にはインク溜まりができている。途中まで書かれた報告書は短い毛のような線だらけで、もう一度書き直すことになりそうだ。
(おひとりで全部管理されていらっしゃるのかしら)
机に広げられた一際大きな地図には、赤いインクでいくつかの土地に丸がついていて、人の名前と金額が書かれているようだった。
よく見れば、机の上には他にも、何やら重要そうな契約書や抵当権などに関する書類が、何枚も重ねて置かれている。
そしてその金額はどう考えても、"貧寒"とは言えない金額ばかり。
「旅行のつもりです」と彼に言い切った自分が見てはいけないような気がして、マリアリーゼはそっと書類を裏返した。
考えてみれば、管財人や執事のような人は、この屋敷へ来てから見ていない。
すれ違ったのは数人の使用人とユーリアとアンナの一家、そしてキッチンに立っていた面々くらいだ。
(もし本当に、貧寒伯爵ではないとしたら?)
彼のいきすぎた質素倹約に、疑問が深まる。
起こして聞いてみたい気持ちをグッと堪えて、マリアリーゼは彼の方を見つめた。
んん……と小さな声を上げるところは、彼が年上だということを忘れさせる。
ここへ来た日、彼に可愛いと思ってしまったことが案外間違いではないような、くすぐったい気持ちだ。
眠っている彼の体がゆっくりと上下する様を少し見つめていると、時間はあっという間に過ぎた。それでも彼が目覚める様子はない。
「……どうかゆっくり休んでくださいませ」
目覚めている時にはなかなか口に出せない労いの言葉がすらすらと出てくるのは、きっと彼の目線を感じないから。
軽く握られていたペンを指先から抜いて、机の隅へと片付ける。
倒れてしまいそうなインクボトルは蓋をして、彼の手の届かないところへ移動した。
自分よりも遥かに大きいとわかっている男性を運ぶことは難しい。
せめて風邪をひかないようにと、羽織ってきたショールを彼の肩にかけて、おやすみなさいと声をかけた。
「レディ! これは……!」
アレクセイがマリアリーゼの寝室の方へ走ってきたのは、それから数刻後のことだった。
明け方にざっと降った雨で庭は瑞々しく光り、一層青々としている。
マリアリーゼは昨晩なかなか寝付けなかったせいで、布団の中で目を閉じながら早くメイドが朝を告げに来ないかと待ち構えていた。
「マリアリーゼ様、アレクセイ様がこちらへいらしているのですが……」
困惑した声のメイドがドアを開けると、ドアの向こうからアレクセイの焦った顔が垣間見えた。左手には昨日のショールを持っていて、彼がその理由を聞きに走ってきたのだと分かった。
「着替えたら下でお会いしますとお伝えして」
寝間着のままで2度も会うなんて、未婚の令嬢としてはあるまじき行為だ。布団をぐっと引いて頭ままで隠して、ぐるりと寝返りを打つ。
そうお伝えしますというメイドの声と共にドアが閉まり、少しして彼がトボトボと歩いて行ったような足音が聞こえた。
「昨日、何があったのですか」
メイドは少し苛立っているようだった。自分が寝かしつけた後に、マリアリーゼがこの部屋を出て行ったことが、彼女には気付かれている。
「なんだか眠れなくて……その、散歩を少し」
間違ったことは言っていない。
「マリアリーゼ様のお散歩とは、殿方との逢瀬なのですか? あのおじさま伯爵様と?」
信じられない、という口ぶりだった。
反論する前に、「私はまだ認めてはおりませんのに」と、丁寧な言い足しの言葉が入る。
「ち……っ違いますわ! お仕事されたままお休みになられていたから、その……ショールを掛けてさしあげただけよ。他意はないわ!」
言い切って胸を張っても、彼女の「信じられない」という顔は変わらない。
両手を差し出したメイドはマリアリーゼを冷静にベッドから引き摺り出して、用意していたドレスへと着替えさせた。
「大体あのかたは、働きすぎなのです」
メイドはマリアリーゼのドレスの形を整えながら、独り言のように小さな声でぶつぶつと不満を漏らし始めた。
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