貧寒伯爵と偏屈令嬢 〜放っておいてくださいませと伝えたのに、なぜか心穏やかなおじさま伯爵に溺愛されています〜

汐瀬うに

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偏屈令嬢は知る

06.アンナとユーリア

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 塀の向こうから明るい笑い声が聞こえる。

 アレクセイに声をかけた男たちは、三台の荷車を家族総出で押してやってきた。わずかな農具が載っているから、きっとそのまま畑へ行くのだろう。

 マリアリーゼはポーチから庭へ出て、彼らの目的地であるだろう納屋へと近付いた。入口の方では早速農民とアレクセイがいくつもの麻袋を運んでいて、時折聞き取れない方言のような言葉が行き交っては、笑い声が溢れた。
 
「ママ! みて! おひめさまがいる!」

 橋の荷車には5歳くらいの短い髪の少女が座っていて、マリアリーゼを見つけると立ち上がり、すっくと指差した。何気なく手を振ると、あちらも笑顔で手を振り返す。嬉しくなって近づけば、少女は飴のように眩しく輝く瞳で、マリアリーゼのふわりとゆれるスカートを珍しそうに眺めていた。

「ごきげんよう」
「あ、わ……ごきげん、よう……」

 声をかけられて急に恥ずかしくなったのか、少女は側に立つ母親の服の袖をギュッと握り、そのまま母の腕に絡まるように隠れる。むっちりとした子供らしい手が、たまらなく可愛らしい。

「申し訳ありません、せっかく声をかけてくださったのに」

 物語のお姫様に憧れていて、素敵なドレスに憧れているんですと母親が笑う。彼女はまだ若い。けれど、背中にも赤子を抱えていて、今日は子どもたちの面倒をひとりで見ているようだった。

 少女は好奇心と恥ずかしさの合間にいるようで、時折その可愛らしい目を母親の腕の隙間から覗かせていた。

「いいんですのよ。知らない人間を恐れることは、とても大切なことですもの」

 今日はだめでも、きっと次の機会がある。何度も顔を合わせていれば、存在くらいは覚えてもらえるだろう。胸元を押さえながらスカートを軽く掴み、貴族ならではの挨拶をすると、「わぁ」という少女の声がする。

「私の名前はマリアリーゼと申します。あなたのお名前を教えてくださいますか?」
「……アンナ」
「アンナ。可愛らしいお名前ですわね。どうぞよろしく、アンナ」

 微笑みを返すと、アンナはぶんと音が出そうなほど大きく、頭を縦に振った。手を差し出せば、ひとまわりもふたまわりも小さな手が、マリアリーゼの手のひらに触れる。手が潰れないように、指先で優しく握って握手を交わせば、アンナは目も口も大きく見開いた顔でワクワクとした感覚を表現してくれた。

「ねえ、マリアリーゼさまは、おひめさまなの?」
「そうね……高貴な気持ちがあるという点では、私もアンナもお姫様かもしれませんわ」

 目線を合わせようと腰を屈めて話をすると、アンナはさらに目線を下げる。不思議に思いアンナの目線の先を確認すると、アンナはマリアリーゼの胸元に結ばれている刺繍付きのリボンに夢中になっているようだった。

「かわいいでしょう、このリボン。私が縫ったのですよ」
「うん、かわいい! アリスみたい!」

 アリス、というワードを聞いて、マリアリーゼは懐かしい物語を思い出した。
 
 それは、アンナよりももう少し大きい年齢の少女が、木のウロからおかしな国に迷い込み、お茶会をしたり、ウサギを追いかけたりするお話。
 
(リボンは確かに青いものだし、似ていると言われれば似ているかもしれない)

 ほんのりと薄い水色のサテンリボンに、白い花と花びらを交互に刺繍したリボン。まだ刺繍に慣れていない頃に練習として作ったものの、案外気に入っていて、今でもよくよくリボンタイのように使っているものだ。

 マリアリーゼはふと良い考えが思いつき、リボンを胸元から外してアンナの首へするりと通した。

「はずしちゃうの?」
「せっかくお友達になりましたので、プレゼントいたしますわ」
「あ、あの、お嬢様。それは……」
「私が作ったものですから、お気になさらないで」

 心配そうに止めた母親に断りを入れてマリアリーゼはリボンを髪の上でキュッと結んだ。頭の上についた大きなリボンは、流行りの画家が表紙絵として描いて人気になった、あの本の主人公にそっくりだ。

「ん、かわいい。どうかしら、アンナ」
「えへへ……ママ、アンナ、かわいい?」

 心なしか、アンナは先ほどよりも少しすましたような顔で母に顔を向けた。
 両手でスカートを広げ、お尻を後ろへ突き出して、母にめいっぱいのアピールをする姿がたまらなく可愛らしい。

「うん、かわいい! パパに見せておいで」

 腰のあたりを両手で掴んで、母はアンナを荷車から下ろした。ゼンマイ仕掛けのおもちゃのように、アンナはピュンと飛び出して、父親らしき男性の足元へと走っていった。

「申し訳ありません……子供につき合わせてしまって」

 母は背中の子をあやすように細かく跳ねながら、マリアリーゼへしきりに謝る。あまりに眉を下げて謝るものだから、これ以上謝らないでほしいと心が痛む。

「良いのです。私の勝手でしたことですもの、どうか謝らないで」
「申し訳……あ、ありがとうございます」

 謝らないでという言葉を受け取り、途中で言い換えた母親は、マリアリーゼと顔を見合わせて笑った。

 納屋の方から「そろそろ帰るぞ」という声がする。男性がアンナを肩に乗せて歩いてきて、どうもと小さく会釈した。

 荷車にはいつの間にか、5つほどの麻袋と農具が並んでいる。日は少し傾き、空はほんのりとオレンジ色に染まり始めている。

「こんにちは、ユーリアさん」
「あっ領主様、こんにちは」

 マリアリーゼの後ろからやってきたアレクセイからは、ギー独特の甘い香りが漂っている。チラリと目線を彼に向けると、アレクセイは全身にギーの皮や埃をくっつけた農作業用の服を着ていて、完全に農民たちに紛れている格好だった。

「今回の種がうまく発芽すると良いのですが」
「主人も色々試行錯誤してますから、夫婦で頑張ってみます」
「ええ、期待しています。私の方でも引き続き調べて、良い方法があればすぐ連絡します」

 では、と声をかけた男性が荷車の取手を持ち上げて、腰の高さくらいのところから引き始める。こちらへきた時ほど軽いはずもなく、車輪はゆっくり加速して城門を抜けていった。

 時々こちらを振り向いて手を振るアンナとユーリアは、マリアリーゼが見えなくなるまで、何度も何度も手を振った。
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