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<後編> らぶ?!ストーリーは突然に
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ペットサロンHugは福岡・赤坂の高級住宅街のど真ん中にある小さなサロン。シャンプーやトリミング、爪切りに歯磨きなど、ペット達とそのペットを飼う人のサポートをするのがお仕事。連絡があればホテルとしてお預かりすることもある。
以前の勤務先は残念ながら劣悪な環境と無理な経営が続いて倒産し、その当時通ってくれていた子達を中心に、今はお世話をしている。
当日の予約カレンダーを見ると、それは間違いなくあの世界へ行った時に思い出した4匹の予約から始まっていて、『お前はこっちに来た日に戻る。何も無かったことになる』と言っていた彼の言葉を思い出した。
もしかして私、すごく長い夢を見てた? グランディスもリディアもノワールも……みんな、夢の存在?
「猫好きが高じてお仕事になったのに、猫に化かされる夢まで見るなんて……末期ね」
27にもなって美猫にキスされてときめいて目が覚めるなんて、夢見がちにも程がある。思い出しただけで顔から火が出そう。いい加減現実を見なきゃと思いながら自転車に乗って出勤し、サロンの鍵を開けた。
「え……?」
確かにそこは私のサロンで、前の晩クタクタで片付けられなかった書類も確かに机の上に載っている。日付だって間違っていない。それなのに。
「何でこんなに埃っぽいの……?」
朝日を浴びた店内はいつもすっきり爽快なのに、砂漠のように黄色い粉塵が待っている。足を踏み入れた瞬間に、砂埃を踏んだようなジャリッとした音がした。書類にもトリミング台にも、細かい埃が被っていて、ほんの少し触れただけで指先が白くなる。まるで何年もそのまま放置されていたような埃の溜まり方。これじゃあ1時間後の営業は難しい。
「はぁ……なんの悪戯よ全く……」
ひとまずスマホを取り出して、ご予約をくださっていた会員全員へ謝罪をし、別日へと予約を移動してもらう。中には掃除を手伝おうかと言ってくださる方もいて、優しさに胸が熱くなる。
どうやって運んだのだと問い詰めたくなるほど細かい埃が舞う。窓を開けてひとまず全ての道具の埃をはたき落とす。マスクをしていても苦しくなるような粉じんで、くしゃみに耐えながら掃除機をかけ、道具を洗い流し、なんとか一日がかりで掃除をし終えた。
今朝の不思議な気分のままの営業だと引きずってしまいそうだったけれど、この大掃除のおかげでなんとか気分も晴れたし、なんだかんだ明日からは心地よくリスタートできそうだ。改めて整ったカウンターを見ると、明日からのやる気も湧いてきた。
「あの……予約してなきゃダメですか?」
そろそろ片付けて出ようかと思っていた矢先、初老の女性がぽっちゃりとした茶トラの猫を抱き抱えてやってきた。首輪をつけていないところを見ると、野良か迷い猫を拾ったのかもしれない。
「あ、いえ、どうぞ! どうされました?」
「この子が最近うちに入り浸ってて飼い犬の餌を食べちゃうので、せっかくなら猫の餌を買ってやろうかと思って……どの餌を選んだらいいか、教えてもらえませんか?」
「あっもちろん! 体格から見て成猫っていういわゆる大人の猫ちゃんですけど、好みがはっきりしてる子もいるので、最初はアソートになってるタイプがいいかもしれません」
説明をしている間、先ほど女性に抱かれていた猫は静かに周りを見まわし、カウンターで香箱座りをして待っている。大人しいというか、静かというか、どことなく観察されているような目線を感じる。女性が会計を終えて連れ帰ろうとしても、茶トラは清香を見つめて離れようとしない。
「あれ、君、昔どこかで会ったことある……?」
じっと観察すると、左目の上に縫ったような特徴的な傷がある。一生懸命に過去に関わった猫を思い出して、ようやくその猫の記憶を思い出した。
そういえば前の勤め先付近の公園でお弁当を食べていた時、小学生たちに追い回されていた猫をバッグの中に匿ったことがある。あの時の猫も、左目の上に塗った傷があったような。もしかしてそうなの?と声をかけると、茶トラは小さくミャオと鳴いた。
「そっかぁ、あの時の子か~! 元気そうじゃないの!」
よしよし、と撫でると喉をゴロゴロと鳴らして喜んでいるのがわかる。あの時の公園とは距離もそう遠くないし、地域猫的に長くかわいがられているのかもしれない。
「でも君、おデブになりつつあるから食べ過ぎ注意よ? わかった?」
顔をこちらへ向けてちゃんとしてねと伝えると、茶トラはすごく不服そうな顔でまた小さくミャオと鳴いた。
「猫って、人の言葉……わかるんですかね」
「わかると思います。猫ちゃんって、結構敏感ですから」
第六感的なものもあるらしいですよ、という話に花が咲く。しばしの歓談後、またおいでねと声をかけると、茶トラは顔をこちらに向けて目を細めた。よほど久しぶりの再会だと気付いて欲しかったのか、先ほどとは違いすんなりと女性に抱かれて、大人しく帰っていった。
清香もレジの清算と片付けを済ませて、家へ帰る。今日ばかりは献立を考えるのも面倒で、帰り道にある精肉店でコロッケを2つ買って、晩ご飯にした。
浴槽に浸かって体を流していると、リディアに洗ってもらっていた頃の感覚を思い出す。今朝はお仕事モードの頭だったから、無理やり夢だと言い聞かせて1日をやり過ごしたけれど、やっぱり夢には思えない。
今朝来ていたパジャマを洗濯カゴから取り出して、何か1つでもあの世界に繋がるものがないかを探す。ポケットはないから、何かを持ってきていたりはしない。当然ながら、あの小瓶も無い。
それでも何かを見つけたくて、頭をぐるぐると回転させながら、パジャマに顔を近付けたり、匂いを嗅いだりして、清香はついにひとつだけ、決定的な痕跡を見つけた。
まっすぐと長い銀色の毛がついている。
しかも、普通の猫では考えられない長さの毛。これは絶対に、グランディスの毛に間違いない。
「あいつ……その気になった私を騙したのね」
自分のために生きる猫生も悪くないなって、生意気でツンデレだけど優しいところもあるグランディスを素敵だなって、思い始めてたのに。彼を良く思っていた自分を思い出すと、ますます悔しい。
いつかもう一度で会えたら絶対に許さないと心に誓って、清香はその細い銀糸を小さな巾着へしまって鞄へぶら下げた。
***
一方その頃、ニャロームの議会は王の勝手な行動により返された清香について、革新派も保守派も揃って王を責め立て、大揉めしていた。
「どうしてキヨカさまを人間の世界に返したんですか!」
「次期王妃に相応しい人間はキヨカさましかおりません…!」
「王様!どうかキヨカ様をまたこちらへお戻しください!」
「……呼ばない」
「何故ですか!」
「では世継ぎはどうするつもりで?!」
「妾なら貰うし、何とでもする」
グランディスは自分自身が頑固すぎることくらいは理解していた。気まぐれで行動するくせに、一度決めたらなかなか覆したくない気持ちになる。天邪鬼というやつだ。
清香のことも、その面倒な性格が災いしてこんな事になっているのだけれど、今更どうしようもない。
ことの発端はリディアからの報告書だった。
先代王の恩返しとして、心の落ち着く場所を提供したはずなのに、キヨカは「社会からの隔離感が辛い」「自分自身が頑張る目的を持って生きたい」という。
猫の社会に、働かなければならない理由などない。
やりたい事をやって、休みたい様に休む。けれど彼女が求めるものがないならば、そんな世界に縛ることの方が可哀想に思えた。
だから手放した。それだけのことなのだ。
「それなら何故、そんなにも寂しそうなのですか?」
リディアはグランディスの背中を優しく揉みながら、理由を尋ねた。リディアの肉球はもちもちとしていて柔らかく、キヨカのつるつるした肌を思い出させた。
「気に入ってたんだ……自分で思ってたよりも」
「今からでも遅くはないのでは?」
「僕が気に入ってるだけじゃ意味ないだろ。キヨカは帰りたがってた」
「本当に、そうお思いですか? キヨカさま、王様はどんな服が好きかとか、どんな香りが好きかとか、一生懸命聞いて回ってましたよ」
「ふーん」
「春なのに選んでもらえなかったらどうしようって悩んでるキヨカさま、可愛かったなぁ」
「……そんな話まで?」
まだ恋を自覚したことのないグランディスに、春の恋の話は刺激が強い。戸惑っている様子のグランディスをリディアはさらに追い込んでくる。
「そりゃあ女の子同士ですもの。恋のお話だってひとつやふたつは……ねぇ」
「ふたつ?! 僕のことだけじゃなく?」
「あーあ。キヨカさま、かわいそう。自分は年齢が上だから選択肢には入っていないかもってすごく悩んでたなぁ」
「……っそんな訳ないだろ!」
立派な毛の生えた耳をしっかりと横へ倒したグランディスは、リディアに向かって牙を見せた。リディアには悩みも感情もこんなに簡単に打ち明けられる。
それなのに、何故かキヨカの顔を見ると格好をつけてしまったり偉ぶってしまったり。こちらの感情を見透かされないように、余裕そうな態度ばかりとってしまうのだ。
「今更私に言われても、キヨカさまには伝わりませ~ん」
「じゃあ、どうすればよかったんだ……」
しゅんと肩を落としても彼女が帰ってこないことくらいはわかっているのに、体の力が抜ける。自慢のヒゲも今日ばかりはしょんぼりと地面についている。
「王様が変な気を利かせて、おかしな嘘を吐いたせいで拗れたんですから……そこは王様が解決してくださいっ」
「いやちょっと待て、リディア! もう少し具体的な解決策をっ」
「いえ私はこの後、夫とお散歩ですので。失礼しますね」
好きな人を急に失ったのはリディアも同じこと。これからも一緒にいられると思っていた大切な女友達が急にいなくなってしまったのだから、寂しいのは同じかもしれない。
グランディスは、自分へ八つ当たりをして少しでも彼女の気分が良くなっているのなら、今はそれでいいのだと必死に言い聞かせた。
ところが、5日経とうと10日経とうと、議会の反発は収まらない。最初は王の意向に従えと議会を抑えていた枢機卿ですら、やはり迎えに行くべきだと言い出す始末。
「お前はキヨカを快く思っていなかっただろう」
「それは……王様が予定よりも早くお迎えになられたことで議会が騒ぎましたので」
「お前個人はどちらでも良かったと?」
「王様のお心が穏やかなら、わたくしはそれが何より大切かと」
あとは王様次第ですと言い残したノワールは、部屋へやって来たとき同様に足音ひとつ立てずに部屋を後にした。
***
自分の部屋で朝を迎えるたび、清香はまず自分の周りを確かめて、落胆する自分にうんざりした。
いつもやりがいに溢れていて、仕事は楽しい。
食事だって自分次第で好きなものを食べられるし、自転車に乗ったり映画を見たり、自分で思いつくだけの娯楽を目一杯楽しむ日を作ることもできる。
それでも、なんだか心にぽっかりと穴が空いたようで、庭を眺めたり、空を見つめたり、猫たちを思い出してはぼーっとする時間が増えた。
「会いにも来ないくせに何が王様よ。『ずっと、僕と一緒にいることになる』なんて嘘ばっかり」
目が覚めたら離れの部屋で、「現実世界に戻るという夢をお見せしたまでです」なんて、ノワールがむかつく顔で言ってきてくれればいい。そしたら全部ノワールのせいにして、リディアとグランディスとノワールの悪口を言うのに。
現実に帰ってきて1週間が過ぎても、お迎えが来る気配はない。朝イチのメールチェックを済ませて店を開ける。ここから数日は珍しく予約もないから、窓を開けて換気しながら雑務をこなすことにした。
お昼を過ぎた頃、カラカラと入り口のベルが鳴る。人の気配はない。イタズラかとおもってドアを閉めに行くと、足元にあの茶トラの姿があった。
「あ! こないだの茶トラくん~いらっしゃい」
逃げようともしないので、脇に抱えるように腕をまわし、前足の後ろ側から手を入れて持ち上げる。太陽の光を十分に浴びて、ポカポカとした柔らかな体。日向ぼっこの帰りかもしれない。
「でもやっぱり……君、ちょっとぽっちゃりね」
とはいえこのぽっちゃり感もたまらなくて愛おしい。次はダイエット食を進めようと思いながら全身を抱きしめ、よくきたね~と顔を頭にすり寄せた。
「本当に猫好きなのだな、お前は」
腕の中からおじいさん風のしゃがれた声がする。猫が喋る現象は、こっちの現実ではまだ遭遇してない。
「……喋った? いやいやまさかね、あははは」
「喋ったぞ」
「うっ! うわあぁ! 喋った!」
「んんん! 耳元でうるさいぞ、小娘」
「あっあっあっごめんなさい」
彼が離れようともがいても、私の腕はしっかりホールドしてしまっている。こういう時ばかりは知識のある猫好きで申し訳ない。茶トラはイカ耳のまま心底迷惑そうなジト目で、五月蝿いと言わんばかりに口を歪めてこちらを見ていた。
「ところで、お前は何故戻った?」
「へ?」
「イケメンだったじゃろ? わしのむ・す・こ」
「ひぇっ。じゃあ……グランディスが言ってた金色の猫って、やっぱり君なんだ……確かに目つき悪いしおデブ……」
「こら」
「あっごめんなさい。今のは悪口でした」
「ん、まぁ良い、半分は事実だ。して何故戻った? そんなに人間の世界の方が住み良いか?」
茶トラは膝の上で私の方を向いておすわりをしながら、尻尾をゆっくりと左右に振り回す。時折膝に当たる尻尾の感覚は、グランディスとは全然違う硬さがある。
向こうにいてもいいと思ったこと、けれど彼に渡された薬を飲んだら、言われたことと違う状況になったことを話した。茶トラに話しているうちに気持ちの整理もつくかと思ったけれど、全然そんなことはない。むしろ愛しさと怒りの両方が込み上げてきた。
「なんか私ばっかり好きみたいで悔しい。腹立つ!」
「グランディスの本来の成人と召喚の儀式は今夜。今からならまだ間に合うが、どうする? 乗り込むか?」
楽しくなってきたとばかりに、茶トラはは尻尾を立てて私の太ももをふみふみしている。手の先だけ真っ白なクリームパン状の足は最高にキュートだ。
「乗り込めるものなの? それ」
「まぁお前さんがその気なら……わしが何とかしてやろう」
「何か代償とかあったり……」
「ん、無いことはない」
「まぁそうよね。自然の摂理から離れた事しようとしてるんだもの。……いいわ、早く行きましょ」
「代償、聞かなくていいのか?」
「聞くと怖くなるし、もう決めてたから平気」
店の扉を閉める様に言われたので素直に戸締りをして、CLOSEの札をかける。レジも締めたしシャッターも下ろした。最後の別れになるかもと思うと少し寂しくて、小さなサロンの風景を見渡した。
「ああ、そうじゃ。このジャーキー、貰ってってもいいか?」
「ダメよ、売り物だもの」
「でも、もう帰ってはこんじゃろ?」
「まぁそうかもしれないけど……」
「どうせならご馳走片手に行こうじゃあないか」
捕まって、と言われた通り茶トラの前足を両手で握る。エプロンには入るだけ目一杯詰め込んだジャーキー。足元から強い風が吹いて、私達の周りを砂嵐が取り囲んだ。……私の店が埃っぽかった理由は、これか。
「もしかして君、今までもうちの店を拠点にして、こういうことしてた?」
「…………ま、たまにな」
長期休暇で店を閉めてた時にも店がやけに埃っぽかった理由はこれだったのかと、変に納得してしまう。もしかすると、さっき話していた"代償"のひとつなのかもしれない。
砂嵐が治った頃、ゆっくりと周りを見渡すと、そこはあの懐かしい教会の入り口だった。眉間に皺を寄せ、驚いた顔の猫たちが通路を挟む様に左右に並んでいて……既視感がすごい。
まだノワールとグランディスの姿は見えないけれど、服装も場所も、明らかにあの召喚された日と同じ儀式を行っている雰囲気がある。茶トラも今夜がその儀式の日だと言っていた。
さっきまであのやわやわのお手手をしっかりと握っていたはずなのに、あの茶トラの姿が見えない。どうしよう。
結局どちらを優先して探すべきか悩んで、まずはグランディスのところへ行かねばと、目の前の階段を駆け上がった。
「おい! キヨカさまじゃないか……?!」
「あぁ! キヨカ様がいらっしゃった……!」
階段下の猫たちよりも位が高いのか、階段を上がった先の祭壇前には清香を知る者たちが集まっていて、奇跡だの、神の御技だのとざわついている。
騒ぐ猫たちを無視して祭壇の前で手を組み、集中したように言葉を紡ぐグランディスの元へ走り、肩を押した。
「ねぇちょっといい……?!」
見慣れない青いコートを身に纏い、焦った様な困った様な、でも少し嬉しそうな顔をしたグランディス。金糸・銀糸を使った刺繍たっぷりのコートに、ふわふわとしたブラウスを合わせ、確かに王様らしい服装をしていた。
「キ……キヨカ?!」
額に大粒の汗をかき、顔を赤くしている彼には、普通の美青年というよりも、修行僧のような必死さがある。どうやら長時間その場で祈りを捧げていたようだ。
「どうして……? 俺、呼べなかったのに」
唇をぷるぷると振るわせた青年は尻尾をピンと立て、次第にオッドアイの瞳を滲ませた。イカ耳に眉山は下がり、頬はぷくぷくと膨らむ。感情が爆発しそうな顔で、正直とてもかわいい……けれど、ここはガツンと言ってからだ。
「貴方に一言物申したくて、あなたのパパと来ました!」
でん!と効果音のつきそうなポーズも、今だけは許されるでしょう。だって、それだけ真剣に悩んで来たんだもの。
「パパ……? 先代王ってこと?」
「そうよ。あそこまで、ふたりでこうやって手を握って、ここまで飛んできたんだから」
わざわざジェスチャーしながら移動してきた話をすると、グランディスは涙を拭いながら笑う。
「何がおかしいのよ! 私、あなたに嘘吐かれて家に帰されたの……ショックだったんだから!」
そのことを伝えるために遥々来たのだ。真剣に聞いてくれなきゃ悔しさも収まらない。
「ねえ、キヨカ。それって、俺にわざわざもう一度会いに来た、ってこと?」
「……そうよ」
数歩先に立っているグランディスが、一歩ずつこちらへ近づいてくる。この手を取ったら、もう逃げられないとわかっているのに、私の足は動かない。
「キヨカ以外の相手を選んでほしくないから、急いできたってこと?」
「……そうよ」
もう前へ進めない距離まで来たグランディスは、私の両手を掬い上げる様に持ち上げ、指先を握る。
「キヨカはずっと、俺と一緒にいてくれるってこと?」
「…………そうよ」
その場で片膝をついたグランディスは私の指先にゆっくりとキスを落として、こちらを見上げた。
「順番が変わっちゃったけど、俺の王妃になってくれる?」
ガラス玉の様な瞳と長いまつ毛が、不安げに細かく揺れる。指先からは彼の緊張がドクドクと伝わってくる。
「お引き受け、します」
頭を軽くぺこりと下げると、周りから大きな歓声がどっと上がった。騒ぐ猫たちをよくよく見ると、端の方でノワールもガッツポーズをしながら雄叫びの様な声をあげていた。
「キヨカさまっ! おかえりなさいませ!」
「リディア! ただいまっ!」
階段の下側から四つ足で走ってきたリディアが最後の数段を飛ばしてこちらへジャンプした。王妃に無礼だぞというグランディスの声も聞かずに、リディアと私は熱い抱擁――胸毛へのダイブをした。
***
彼の求婚を受け入れたからか、立場が違うからか、以前の離れとは別の部屋へ通された。寝台や部屋の広さから察するに、どうやら夫婦のための寝室らしい。
私の手を引いてベッドへ座らせたグランディスは横並びに座って手を撫でながら、話を聞いてくれる。
「ところで、どうやってここへ?」
「え、だからさっきも言いましたけど、お父様と手を繋いで……」
「それ。どういうこと?」
「先代王様とはそんなに仲が良くないとか?」
「いやそういう訳ではないんだけど……父はもう亡くなってる」
「えっ、じゃあ……私を連れてきてくれた猫は……?」
「幻? 夢でも見たのかな。まぁきっと、父が気を利かせてくれたんだろうな」
自分から会いに来てくれてよかったと言われると、くすぐったい気持ちにさせられる。本当なら私ばかりが好きで悔しいと、文句を言いに来たのに。
グランディスはゆっくりと瞬きをしながらこちらを見て、私をぎゅうっと抱きしめた。皮膚と皮膚が直接触れると、彼の心拍数が上がっているのがわかる。人よりも早いそのリズムは、心配になる程にドキドキしている。
「もう。そんなにドキドキすることないじゃない」
「なんで?」
「だって、これから……何度もするでしょ?」
こちらから抱きつくと、首まで真っ赤になったグランディスは顔を一度横へ背けた。必死で落ち着こうと尻尾をぽむぽむと動かしながら、お耳でこちらの情報収集をしようとする健気さにが溜まらなくて、いたずら心に火が着く。
「ねぇねぇ、もしかして照れてるの?」
「……ニンゲンはみんなこんなに積極的なのか?」
「この歳にもなればそんなもんじゃないのかなぁ」
とぼけたように答えると、私の声色を感じ取ったグランディスはニコニコしながらこちらを向いた。これから先、私は彼に一切嘘をつけないようだ。
「本当は?」
「グランディスがかわいくて、つい」
「つい? じゃあ俺も本気出さなきゃね」
「本気って……?」
「キヨカには見せたことないけど、俺だって男だから」
小さな声で、興味くらいはあるよと囁く声がする。急に近づいた顔がペロリと清香の耳を舐め、甘噛みした。
「~……っ!?」
「キヨカ、俺のこと舐めてるでしょ」
にこりと笑ったグランディスは、肩を掴んで私をベッドへ倒した。先日よりさらに男らしく見えるのは、今日の彼が正装だからなのだろうか。
「舐めるのはニンゲンじゃなくて、猫の特権だよ?」
グランディスは舌をペロリと出して、イタズラな笑顔を見せている。真っ白な耳とその顔のコントラストがあまりに良すぎて、まだ何もされていないのに胸がざわつく。
「……ちょっと誰が上手いこと言えって言ったのよ」
「にゃあ?」
「にゃあじゃなくて……あぁもう!」
とぼけたフリをされるとちょっぴり腹が立つ。清香は"ポジション的に優位に立っている"と思っている顔のグランディスの首元を掴んで手繰り寄せ、こちらから仕掛けるようにキスをした。
「いいわ。こうなったからには、責任――取りなさいよね」
「もちろん……この先は俺だけに全うさせて」
グランディスの真っ白な牙が薄暗い室内できらりと光る。しっかりと獲物認定された清香はヘタレ猫王……改め溺愛猫王によって朝まで愛し尽くされた。
***
彼と初めて迎える朝の目覚めは最高だった。今までのどんな高級布団だって叶わない、最高の毛布。とろとろふわっふわの長毛に包まれて、全身がほかほか。こんなの、もう一生手放せない。
「キヨカ、おはよう」
「おはようグランディス」
「お目覚めのところ悪いんだけど、キヨカの寝相で俺のお腹が毛玉になりかけてる」
「ふふふっ。しっかりブラッシングさせていただきます」
その日から、毎朝のブラッシングは清香の日課になり、ふたりの愛を育む時間になった。
教会の壁に飾られた先代王の肖像画には、いつからか大量のジャーキーが描き足されていたとか。
以前の勤務先は残念ながら劣悪な環境と無理な経営が続いて倒産し、その当時通ってくれていた子達を中心に、今はお世話をしている。
当日の予約カレンダーを見ると、それは間違いなくあの世界へ行った時に思い出した4匹の予約から始まっていて、『お前はこっちに来た日に戻る。何も無かったことになる』と言っていた彼の言葉を思い出した。
もしかして私、すごく長い夢を見てた? グランディスもリディアもノワールも……みんな、夢の存在?
「猫好きが高じてお仕事になったのに、猫に化かされる夢まで見るなんて……末期ね」
27にもなって美猫にキスされてときめいて目が覚めるなんて、夢見がちにも程がある。思い出しただけで顔から火が出そう。いい加減現実を見なきゃと思いながら自転車に乗って出勤し、サロンの鍵を開けた。
「え……?」
確かにそこは私のサロンで、前の晩クタクタで片付けられなかった書類も確かに机の上に載っている。日付だって間違っていない。それなのに。
「何でこんなに埃っぽいの……?」
朝日を浴びた店内はいつもすっきり爽快なのに、砂漠のように黄色い粉塵が待っている。足を踏み入れた瞬間に、砂埃を踏んだようなジャリッとした音がした。書類にもトリミング台にも、細かい埃が被っていて、ほんの少し触れただけで指先が白くなる。まるで何年もそのまま放置されていたような埃の溜まり方。これじゃあ1時間後の営業は難しい。
「はぁ……なんの悪戯よ全く……」
ひとまずスマホを取り出して、ご予約をくださっていた会員全員へ謝罪をし、別日へと予約を移動してもらう。中には掃除を手伝おうかと言ってくださる方もいて、優しさに胸が熱くなる。
どうやって運んだのだと問い詰めたくなるほど細かい埃が舞う。窓を開けてひとまず全ての道具の埃をはたき落とす。マスクをしていても苦しくなるような粉じんで、くしゃみに耐えながら掃除機をかけ、道具を洗い流し、なんとか一日がかりで掃除をし終えた。
今朝の不思議な気分のままの営業だと引きずってしまいそうだったけれど、この大掃除のおかげでなんとか気分も晴れたし、なんだかんだ明日からは心地よくリスタートできそうだ。改めて整ったカウンターを見ると、明日からのやる気も湧いてきた。
「あの……予約してなきゃダメですか?」
そろそろ片付けて出ようかと思っていた矢先、初老の女性がぽっちゃりとした茶トラの猫を抱き抱えてやってきた。首輪をつけていないところを見ると、野良か迷い猫を拾ったのかもしれない。
「あ、いえ、どうぞ! どうされました?」
「この子が最近うちに入り浸ってて飼い犬の餌を食べちゃうので、せっかくなら猫の餌を買ってやろうかと思って……どの餌を選んだらいいか、教えてもらえませんか?」
「あっもちろん! 体格から見て成猫っていういわゆる大人の猫ちゃんですけど、好みがはっきりしてる子もいるので、最初はアソートになってるタイプがいいかもしれません」
説明をしている間、先ほど女性に抱かれていた猫は静かに周りを見まわし、カウンターで香箱座りをして待っている。大人しいというか、静かというか、どことなく観察されているような目線を感じる。女性が会計を終えて連れ帰ろうとしても、茶トラは清香を見つめて離れようとしない。
「あれ、君、昔どこかで会ったことある……?」
じっと観察すると、左目の上に縫ったような特徴的な傷がある。一生懸命に過去に関わった猫を思い出して、ようやくその猫の記憶を思い出した。
そういえば前の勤め先付近の公園でお弁当を食べていた時、小学生たちに追い回されていた猫をバッグの中に匿ったことがある。あの時の猫も、左目の上に塗った傷があったような。もしかしてそうなの?と声をかけると、茶トラは小さくミャオと鳴いた。
「そっかぁ、あの時の子か~! 元気そうじゃないの!」
よしよし、と撫でると喉をゴロゴロと鳴らして喜んでいるのがわかる。あの時の公園とは距離もそう遠くないし、地域猫的に長くかわいがられているのかもしれない。
「でも君、おデブになりつつあるから食べ過ぎ注意よ? わかった?」
顔をこちらへ向けてちゃんとしてねと伝えると、茶トラはすごく不服そうな顔でまた小さくミャオと鳴いた。
「猫って、人の言葉……わかるんですかね」
「わかると思います。猫ちゃんって、結構敏感ですから」
第六感的なものもあるらしいですよ、という話に花が咲く。しばしの歓談後、またおいでねと声をかけると、茶トラは顔をこちらに向けて目を細めた。よほど久しぶりの再会だと気付いて欲しかったのか、先ほどとは違いすんなりと女性に抱かれて、大人しく帰っていった。
清香もレジの清算と片付けを済ませて、家へ帰る。今日ばかりは献立を考えるのも面倒で、帰り道にある精肉店でコロッケを2つ買って、晩ご飯にした。
浴槽に浸かって体を流していると、リディアに洗ってもらっていた頃の感覚を思い出す。今朝はお仕事モードの頭だったから、無理やり夢だと言い聞かせて1日をやり過ごしたけれど、やっぱり夢には思えない。
今朝来ていたパジャマを洗濯カゴから取り出して、何か1つでもあの世界に繋がるものがないかを探す。ポケットはないから、何かを持ってきていたりはしない。当然ながら、あの小瓶も無い。
それでも何かを見つけたくて、頭をぐるぐると回転させながら、パジャマに顔を近付けたり、匂いを嗅いだりして、清香はついにひとつだけ、決定的な痕跡を見つけた。
まっすぐと長い銀色の毛がついている。
しかも、普通の猫では考えられない長さの毛。これは絶対に、グランディスの毛に間違いない。
「あいつ……その気になった私を騙したのね」
自分のために生きる猫生も悪くないなって、生意気でツンデレだけど優しいところもあるグランディスを素敵だなって、思い始めてたのに。彼を良く思っていた自分を思い出すと、ますます悔しい。
いつかもう一度で会えたら絶対に許さないと心に誓って、清香はその細い銀糸を小さな巾着へしまって鞄へぶら下げた。
***
一方その頃、ニャロームの議会は王の勝手な行動により返された清香について、革新派も保守派も揃って王を責め立て、大揉めしていた。
「どうしてキヨカさまを人間の世界に返したんですか!」
「次期王妃に相応しい人間はキヨカさましかおりません…!」
「王様!どうかキヨカ様をまたこちらへお戻しください!」
「……呼ばない」
「何故ですか!」
「では世継ぎはどうするつもりで?!」
「妾なら貰うし、何とでもする」
グランディスは自分自身が頑固すぎることくらいは理解していた。気まぐれで行動するくせに、一度決めたらなかなか覆したくない気持ちになる。天邪鬼というやつだ。
清香のことも、その面倒な性格が災いしてこんな事になっているのだけれど、今更どうしようもない。
ことの発端はリディアからの報告書だった。
先代王の恩返しとして、心の落ち着く場所を提供したはずなのに、キヨカは「社会からの隔離感が辛い」「自分自身が頑張る目的を持って生きたい」という。
猫の社会に、働かなければならない理由などない。
やりたい事をやって、休みたい様に休む。けれど彼女が求めるものがないならば、そんな世界に縛ることの方が可哀想に思えた。
だから手放した。それだけのことなのだ。
「それなら何故、そんなにも寂しそうなのですか?」
リディアはグランディスの背中を優しく揉みながら、理由を尋ねた。リディアの肉球はもちもちとしていて柔らかく、キヨカのつるつるした肌を思い出させた。
「気に入ってたんだ……自分で思ってたよりも」
「今からでも遅くはないのでは?」
「僕が気に入ってるだけじゃ意味ないだろ。キヨカは帰りたがってた」
「本当に、そうお思いですか? キヨカさま、王様はどんな服が好きかとか、どんな香りが好きかとか、一生懸命聞いて回ってましたよ」
「ふーん」
「春なのに選んでもらえなかったらどうしようって悩んでるキヨカさま、可愛かったなぁ」
「……そんな話まで?」
まだ恋を自覚したことのないグランディスに、春の恋の話は刺激が強い。戸惑っている様子のグランディスをリディアはさらに追い込んでくる。
「そりゃあ女の子同士ですもの。恋のお話だってひとつやふたつは……ねぇ」
「ふたつ?! 僕のことだけじゃなく?」
「あーあ。キヨカさま、かわいそう。自分は年齢が上だから選択肢には入っていないかもってすごく悩んでたなぁ」
「……っそんな訳ないだろ!」
立派な毛の生えた耳をしっかりと横へ倒したグランディスは、リディアに向かって牙を見せた。リディアには悩みも感情もこんなに簡単に打ち明けられる。
それなのに、何故かキヨカの顔を見ると格好をつけてしまったり偉ぶってしまったり。こちらの感情を見透かされないように、余裕そうな態度ばかりとってしまうのだ。
「今更私に言われても、キヨカさまには伝わりませ~ん」
「じゃあ、どうすればよかったんだ……」
しゅんと肩を落としても彼女が帰ってこないことくらいはわかっているのに、体の力が抜ける。自慢のヒゲも今日ばかりはしょんぼりと地面についている。
「王様が変な気を利かせて、おかしな嘘を吐いたせいで拗れたんですから……そこは王様が解決してくださいっ」
「いやちょっと待て、リディア! もう少し具体的な解決策をっ」
「いえ私はこの後、夫とお散歩ですので。失礼しますね」
好きな人を急に失ったのはリディアも同じこと。これからも一緒にいられると思っていた大切な女友達が急にいなくなってしまったのだから、寂しいのは同じかもしれない。
グランディスは、自分へ八つ当たりをして少しでも彼女の気分が良くなっているのなら、今はそれでいいのだと必死に言い聞かせた。
ところが、5日経とうと10日経とうと、議会の反発は収まらない。最初は王の意向に従えと議会を抑えていた枢機卿ですら、やはり迎えに行くべきだと言い出す始末。
「お前はキヨカを快く思っていなかっただろう」
「それは……王様が予定よりも早くお迎えになられたことで議会が騒ぎましたので」
「お前個人はどちらでも良かったと?」
「王様のお心が穏やかなら、わたくしはそれが何より大切かと」
あとは王様次第ですと言い残したノワールは、部屋へやって来たとき同様に足音ひとつ立てずに部屋を後にした。
***
自分の部屋で朝を迎えるたび、清香はまず自分の周りを確かめて、落胆する自分にうんざりした。
いつもやりがいに溢れていて、仕事は楽しい。
食事だって自分次第で好きなものを食べられるし、自転車に乗ったり映画を見たり、自分で思いつくだけの娯楽を目一杯楽しむ日を作ることもできる。
それでも、なんだか心にぽっかりと穴が空いたようで、庭を眺めたり、空を見つめたり、猫たちを思い出してはぼーっとする時間が増えた。
「会いにも来ないくせに何が王様よ。『ずっと、僕と一緒にいることになる』なんて嘘ばっかり」
目が覚めたら離れの部屋で、「現実世界に戻るという夢をお見せしたまでです」なんて、ノワールがむかつく顔で言ってきてくれればいい。そしたら全部ノワールのせいにして、リディアとグランディスとノワールの悪口を言うのに。
現実に帰ってきて1週間が過ぎても、お迎えが来る気配はない。朝イチのメールチェックを済ませて店を開ける。ここから数日は珍しく予約もないから、窓を開けて換気しながら雑務をこなすことにした。
お昼を過ぎた頃、カラカラと入り口のベルが鳴る。人の気配はない。イタズラかとおもってドアを閉めに行くと、足元にあの茶トラの姿があった。
「あ! こないだの茶トラくん~いらっしゃい」
逃げようともしないので、脇に抱えるように腕をまわし、前足の後ろ側から手を入れて持ち上げる。太陽の光を十分に浴びて、ポカポカとした柔らかな体。日向ぼっこの帰りかもしれない。
「でもやっぱり……君、ちょっとぽっちゃりね」
とはいえこのぽっちゃり感もたまらなくて愛おしい。次はダイエット食を進めようと思いながら全身を抱きしめ、よくきたね~と顔を頭にすり寄せた。
「本当に猫好きなのだな、お前は」
腕の中からおじいさん風のしゃがれた声がする。猫が喋る現象は、こっちの現実ではまだ遭遇してない。
「……喋った? いやいやまさかね、あははは」
「喋ったぞ」
「うっ! うわあぁ! 喋った!」
「んんん! 耳元でうるさいぞ、小娘」
「あっあっあっごめんなさい」
彼が離れようともがいても、私の腕はしっかりホールドしてしまっている。こういう時ばかりは知識のある猫好きで申し訳ない。茶トラはイカ耳のまま心底迷惑そうなジト目で、五月蝿いと言わんばかりに口を歪めてこちらを見ていた。
「ところで、お前は何故戻った?」
「へ?」
「イケメンだったじゃろ? わしのむ・す・こ」
「ひぇっ。じゃあ……グランディスが言ってた金色の猫って、やっぱり君なんだ……確かに目つき悪いしおデブ……」
「こら」
「あっごめんなさい。今のは悪口でした」
「ん、まぁ良い、半分は事実だ。して何故戻った? そんなに人間の世界の方が住み良いか?」
茶トラは膝の上で私の方を向いておすわりをしながら、尻尾をゆっくりと左右に振り回す。時折膝に当たる尻尾の感覚は、グランディスとは全然違う硬さがある。
向こうにいてもいいと思ったこと、けれど彼に渡された薬を飲んだら、言われたことと違う状況になったことを話した。茶トラに話しているうちに気持ちの整理もつくかと思ったけれど、全然そんなことはない。むしろ愛しさと怒りの両方が込み上げてきた。
「なんか私ばっかり好きみたいで悔しい。腹立つ!」
「グランディスの本来の成人と召喚の儀式は今夜。今からならまだ間に合うが、どうする? 乗り込むか?」
楽しくなってきたとばかりに、茶トラはは尻尾を立てて私の太ももをふみふみしている。手の先だけ真っ白なクリームパン状の足は最高にキュートだ。
「乗り込めるものなの? それ」
「まぁお前さんがその気なら……わしが何とかしてやろう」
「何か代償とかあったり……」
「ん、無いことはない」
「まぁそうよね。自然の摂理から離れた事しようとしてるんだもの。……いいわ、早く行きましょ」
「代償、聞かなくていいのか?」
「聞くと怖くなるし、もう決めてたから平気」
店の扉を閉める様に言われたので素直に戸締りをして、CLOSEの札をかける。レジも締めたしシャッターも下ろした。最後の別れになるかもと思うと少し寂しくて、小さなサロンの風景を見渡した。
「ああ、そうじゃ。このジャーキー、貰ってってもいいか?」
「ダメよ、売り物だもの」
「でも、もう帰ってはこんじゃろ?」
「まぁそうかもしれないけど……」
「どうせならご馳走片手に行こうじゃあないか」
捕まって、と言われた通り茶トラの前足を両手で握る。エプロンには入るだけ目一杯詰め込んだジャーキー。足元から強い風が吹いて、私達の周りを砂嵐が取り囲んだ。……私の店が埃っぽかった理由は、これか。
「もしかして君、今までもうちの店を拠点にして、こういうことしてた?」
「…………ま、たまにな」
長期休暇で店を閉めてた時にも店がやけに埃っぽかった理由はこれだったのかと、変に納得してしまう。もしかすると、さっき話していた"代償"のひとつなのかもしれない。
砂嵐が治った頃、ゆっくりと周りを見渡すと、そこはあの懐かしい教会の入り口だった。眉間に皺を寄せ、驚いた顔の猫たちが通路を挟む様に左右に並んでいて……既視感がすごい。
まだノワールとグランディスの姿は見えないけれど、服装も場所も、明らかにあの召喚された日と同じ儀式を行っている雰囲気がある。茶トラも今夜がその儀式の日だと言っていた。
さっきまであのやわやわのお手手をしっかりと握っていたはずなのに、あの茶トラの姿が見えない。どうしよう。
結局どちらを優先して探すべきか悩んで、まずはグランディスのところへ行かねばと、目の前の階段を駆け上がった。
「おい! キヨカさまじゃないか……?!」
「あぁ! キヨカ様がいらっしゃった……!」
階段下の猫たちよりも位が高いのか、階段を上がった先の祭壇前には清香を知る者たちが集まっていて、奇跡だの、神の御技だのとざわついている。
騒ぐ猫たちを無視して祭壇の前で手を組み、集中したように言葉を紡ぐグランディスの元へ走り、肩を押した。
「ねぇちょっといい……?!」
見慣れない青いコートを身に纏い、焦った様な困った様な、でも少し嬉しそうな顔をしたグランディス。金糸・銀糸を使った刺繍たっぷりのコートに、ふわふわとしたブラウスを合わせ、確かに王様らしい服装をしていた。
「キ……キヨカ?!」
額に大粒の汗をかき、顔を赤くしている彼には、普通の美青年というよりも、修行僧のような必死さがある。どうやら長時間その場で祈りを捧げていたようだ。
「どうして……? 俺、呼べなかったのに」
唇をぷるぷると振るわせた青年は尻尾をピンと立て、次第にオッドアイの瞳を滲ませた。イカ耳に眉山は下がり、頬はぷくぷくと膨らむ。感情が爆発しそうな顔で、正直とてもかわいい……けれど、ここはガツンと言ってからだ。
「貴方に一言物申したくて、あなたのパパと来ました!」
でん!と効果音のつきそうなポーズも、今だけは許されるでしょう。だって、それだけ真剣に悩んで来たんだもの。
「パパ……? 先代王ってこと?」
「そうよ。あそこまで、ふたりでこうやって手を握って、ここまで飛んできたんだから」
わざわざジェスチャーしながら移動してきた話をすると、グランディスは涙を拭いながら笑う。
「何がおかしいのよ! 私、あなたに嘘吐かれて家に帰されたの……ショックだったんだから!」
そのことを伝えるために遥々来たのだ。真剣に聞いてくれなきゃ悔しさも収まらない。
「ねえ、キヨカ。それって、俺にわざわざもう一度会いに来た、ってこと?」
「……そうよ」
数歩先に立っているグランディスが、一歩ずつこちらへ近づいてくる。この手を取ったら、もう逃げられないとわかっているのに、私の足は動かない。
「キヨカ以外の相手を選んでほしくないから、急いできたってこと?」
「……そうよ」
もう前へ進めない距離まで来たグランディスは、私の両手を掬い上げる様に持ち上げ、指先を握る。
「キヨカはずっと、俺と一緒にいてくれるってこと?」
「…………そうよ」
その場で片膝をついたグランディスは私の指先にゆっくりとキスを落として、こちらを見上げた。
「順番が変わっちゃったけど、俺の王妃になってくれる?」
ガラス玉の様な瞳と長いまつ毛が、不安げに細かく揺れる。指先からは彼の緊張がドクドクと伝わってくる。
「お引き受け、します」
頭を軽くぺこりと下げると、周りから大きな歓声がどっと上がった。騒ぐ猫たちをよくよく見ると、端の方でノワールもガッツポーズをしながら雄叫びの様な声をあげていた。
「キヨカさまっ! おかえりなさいませ!」
「リディア! ただいまっ!」
階段の下側から四つ足で走ってきたリディアが最後の数段を飛ばしてこちらへジャンプした。王妃に無礼だぞというグランディスの声も聞かずに、リディアと私は熱い抱擁――胸毛へのダイブをした。
***
彼の求婚を受け入れたからか、立場が違うからか、以前の離れとは別の部屋へ通された。寝台や部屋の広さから察するに、どうやら夫婦のための寝室らしい。
私の手を引いてベッドへ座らせたグランディスは横並びに座って手を撫でながら、話を聞いてくれる。
「ところで、どうやってここへ?」
「え、だからさっきも言いましたけど、お父様と手を繋いで……」
「それ。どういうこと?」
「先代王様とはそんなに仲が良くないとか?」
「いやそういう訳ではないんだけど……父はもう亡くなってる」
「えっ、じゃあ……私を連れてきてくれた猫は……?」
「幻? 夢でも見たのかな。まぁきっと、父が気を利かせてくれたんだろうな」
自分から会いに来てくれてよかったと言われると、くすぐったい気持ちにさせられる。本当なら私ばかりが好きで悔しいと、文句を言いに来たのに。
グランディスはゆっくりと瞬きをしながらこちらを見て、私をぎゅうっと抱きしめた。皮膚と皮膚が直接触れると、彼の心拍数が上がっているのがわかる。人よりも早いそのリズムは、心配になる程にドキドキしている。
「もう。そんなにドキドキすることないじゃない」
「なんで?」
「だって、これから……何度もするでしょ?」
こちらから抱きつくと、首まで真っ赤になったグランディスは顔を一度横へ背けた。必死で落ち着こうと尻尾をぽむぽむと動かしながら、お耳でこちらの情報収集をしようとする健気さにが溜まらなくて、いたずら心に火が着く。
「ねぇねぇ、もしかして照れてるの?」
「……ニンゲンはみんなこんなに積極的なのか?」
「この歳にもなればそんなもんじゃないのかなぁ」
とぼけたように答えると、私の声色を感じ取ったグランディスはニコニコしながらこちらを向いた。これから先、私は彼に一切嘘をつけないようだ。
「本当は?」
「グランディスがかわいくて、つい」
「つい? じゃあ俺も本気出さなきゃね」
「本気って……?」
「キヨカには見せたことないけど、俺だって男だから」
小さな声で、興味くらいはあるよと囁く声がする。急に近づいた顔がペロリと清香の耳を舐め、甘噛みした。
「~……っ!?」
「キヨカ、俺のこと舐めてるでしょ」
にこりと笑ったグランディスは、肩を掴んで私をベッドへ倒した。先日よりさらに男らしく見えるのは、今日の彼が正装だからなのだろうか。
「舐めるのはニンゲンじゃなくて、猫の特権だよ?」
グランディスは舌をペロリと出して、イタズラな笑顔を見せている。真っ白な耳とその顔のコントラストがあまりに良すぎて、まだ何もされていないのに胸がざわつく。
「……ちょっと誰が上手いこと言えって言ったのよ」
「にゃあ?」
「にゃあじゃなくて……あぁもう!」
とぼけたフリをされるとちょっぴり腹が立つ。清香は"ポジション的に優位に立っている"と思っている顔のグランディスの首元を掴んで手繰り寄せ、こちらから仕掛けるようにキスをした。
「いいわ。こうなったからには、責任――取りなさいよね」
「もちろん……この先は俺だけに全うさせて」
グランディスの真っ白な牙が薄暗い室内できらりと光る。しっかりと獲物認定された清香はヘタレ猫王……改め溺愛猫王によって朝まで愛し尽くされた。
***
彼と初めて迎える朝の目覚めは最高だった。今までのどんな高級布団だって叶わない、最高の毛布。とろとろふわっふわの長毛に包まれて、全身がほかほか。こんなの、もう一生手放せない。
「キヨカ、おはよう」
「おはようグランディス」
「お目覚めのところ悪いんだけど、キヨカの寝相で俺のお腹が毛玉になりかけてる」
「ふふふっ。しっかりブラッシングさせていただきます」
その日から、毎朝のブラッシングは清香の日課になり、ふたりの愛を育む時間になった。
教会の壁に飾られた先代王の肖像画には、いつからか大量のジャーキーが描き足されていたとか。
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