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15:Essential
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ライブには服装の指定があるらしい。
昨夜のうちにカナから『できればジーンズとスニーカーを履くように。髪は下の方でまとめて。財布よりも小銭と多少の紙幣をコインパースにまとめておいて。入場時にはコインロッカーを使うけれど荷物は少なくしておいて』と的確なアドバイスを受けた。
朝から仕事だと言っていた隆介は、三日前のデート終わりに雫の首元へ真っ赤な所有印をつけていて、雫はなんとか隠そうと低めのサイドテールにして会場へ向かった。
集合場所は会場の最寄駅。帰宅時間に近いこともあって王子駅は混雑してきているけれど、帰る人たちとは方向が違いすんなりと座れた。最寄駅で乗った時には見えなかったけれど、主要都市を越えるたびに揃いのライブTシャツや同じ柄のバッグを持った人の数が増えている。小声で、でも楽しさを抑えきれない様子の彼らの話題はもっぱらEssentialsだ。
改札を出てすぐのところで、カナはイヤホンをしながらスマホを眺めていた。出退勤の時によく目にする黒いTシャツに、ダメージ加工のあるストレートデニム。足元は雫に指定した張本人らしく、クタクタのスニーカーだ。
「遅くなりました……!初めてきたら出口迷いかけちゃって」
「大丈夫大丈夫!整理番号300番台だし、今から行けばちょうどいいんじゃないかな。むしろ付き合ってくれてありがとね!」
普段もテンション高めのカナだけど、今日はいつにも増して口角が上がっていて、ほんのりと高い声色とよく喋る姿は、店で声出し前に緊張しているときの彼女に重なる。
「今日の会場ってZIPPの中では大きいってくらいで、むしろEssentialsの会場としては異例のサイズなんだよね。日本全国のアリーナツアーするくらいの規模でもおかしくないのに2700人しか入れないなんて。何回考えても奇跡だし神チケットすぎる……」
会場へ向かうカナの足取りは軽い。身長はさほど変わらないのに、雫は追いつくのに必死だ。
「しらちゃん、荷物どうする?預ける?私物販でTシャツ買って着替えたら荷物預ける予定だけど」
「あ、じゃあ私も記念にTシャツ買って、一緒に預けたいです」
「おっけー!開場まで時間はあるけど並んでたら一瞬だし、いこいこ!」
物販エリアには、これから物販エリアに進む人、既にTシャツを購入して入場を待つ人とで人がごった返していた。男女比率はほとんど変わらないか、若干女性が多いかな?という程度で、年齢層も比較的若い人から父親世代まで様々。幅広い層に支持されている事が伺えた。
「すっごい人ですね……こんなにたくさんの人が同じ音楽を聞いてるって、不思議」
「しらちゃんは知らないかもしれないけど、今日は業界人相当来るって噂もあるくらいよ」
「業界人、ですか?」
「そ!バンド仲間とか、作曲家とか、そういう音楽業界の人もファンが多いらしくて」
「へぇー……カナ先輩、詳しいんですね」
「実は、デビュー頃から結構追ってんだよね。会社では隠してたんだけど、しらちゃんならいっかと思って誘っちゃった」
まぁなんてったって私、しらちゃんの恋のキューピッドだし?と得意げに笑うカナ。最近はどうなのと聞かれたので、3日前に会ったし平和に過ごしてますと返した。カナが「そりゃそうだろうね」と知ったふうに話すのを不思議に思うと、隠しているつもりだった首元を指差した。雫が焦って髪型を直したくらいでは、カナのにやけは収まらない。
恋バナをしていると列の進みなんて一瞬で、すぐに自分の番がやってきた。Tシャツにタオル、リストバンドなど色々なグッズが出ていて感心してしまう。今日来てきた服の上からきても問題ないというので、離れたところで袋を破りTシャツを着た。
ユニセックスな作りで大きめのそれは、黒地に黒のプリントという洒落たもの。光が当たって反射した時にだけプリントがわかるというデザインは、隆介が好きそうだ。持ち帰ったら彼のパジャマにされるかも……などと妄想を膨らませる。
「いつにも増して真っ黒」
「いつも黒いんですか?」
「そ、大体黒Tシャツに白文字でちょっと背面プリントが入ってるパターンなんだけど……これじゃ会場内も真っ暗に見えちゃうよね」
結局どんなんでも買うんだけど、2階席から見たら下ほぼ真っ黒だよきっと、とカナが笑って入場者列を指差した。確かに今見えている後ろ姿だけでも真っ黒。場の空気に思わず息を呑む。未知の雰囲気に、圧倒されそうだ。手渡されたチケットの印字が汗で滲んでしまいそうで、UFOキャッチャーのようにチケットをそっと掴んで、表記された整理番号が呼ばれるのを待った。
◇◇◇
入場に際してのアナウンスが流れると、雫の周りの観客たちは一斉に色めきだつ。キョロキョロと見回す雫に、カナは「あそこから出てくるよ」とステージ袖を指差した。画面には心拍音のような波形が一定に流れている。ステージまでの距離は10mほどだろうか。柵に囲まれたいくつかのエリアで、雫とカナは中央に近い位置を取ることができた。
照明のない焚かれていない薄暗いステージへ、端から3人の男性が歩いてくる。それぞれセットされたドラム、ギター、ベースの位置に移動して楽器を用意した。彼らの演奏する生の音と映像の心拍音がリンクし、少しずつ早まる。真横の手すりや地面からも細かな振動を感じる。周りの観客たちも同じスピードで手拍子を始めた。まるで互いの心音を合わせるような一体感。
ダンッという大きなドラムの音で、照明と映像、ビートがぴたりと止んだ。
耳には自分の早い心音だけがドクドクとこだましていて、静かなのに煩い。目が暗闇に少し慣れたところで、ステージ中央へもう一人が歩いてくる人のシルエットが見えた。
~~♪
We found the love shine like diamonds
in the brightest night
二人で見た月明かりが 今僕の未来を照らし出す
君と共に歩む道は 光に満ち溢れている
ソロのアカペラから始まるその曲は、雫が一生懸命に覚えた配信曲の中でもかなりの再生数を誇っていた曲だった。舞台上の画面に菜の花畑が映り、Essentialsのライブが幕を開けた。開場まで明るかったそのステージは画面からの逆光状態で、メンバーの表情を窺い知ることはできない。髪を結んだ長髪の男性が、体を丸くして囁くように歌い出した。
しっとりとしたスタートから一転、疾走感のあるギターと明るいリズムが観客の心を鷲掴みにする。腕を大きく広げた男性から放たれる、少し加工の入ったようなエッジの効いた声が掠れ声がセクシーだ。生の音が雫の体を振動させ、音がヒリヒリと肌を刺激する。音圧という言葉の意味を全身で理解させられるような、目眩く未知の時間。
「どう、大丈夫そう?」耳元に顔を近づけてカナが話しかけてくる。思っていたよりも大きな音に驚きはしたものの、なんとかついていけそうだと顔を縦に振ると、カナは満遍の笑みでピースをした。
画面の向こうにいた人間同士が繋がる空間。手を伸ばしても届かない距離だけれど、声の主が確かに同じ世界に存在しているのを感じる。シルエットだけを見ているからか、雫は自分自身の知っている長髪の男性とボーカリストを重ねて見ていた。
Essentialsのライブはノンストップで20曲を駆け抜けた。時折、メンバー同士の絆を確かめるようにボーカリストがギタリストの方へ駆け寄って肩を組んだり、ギタリストとベーシストが背中合わせでバトルのように弾きあったり、仲の良さが伺えるパフォーマンスが入る。ロックテイストの曲では観客に手拍子を要求したり、まだ盛り上がれるだろ!と煽ったり、全くライブを知らない雫でさえ、彼らが観客をいとも容易く操る姿に惚れ惚れした。
全員でラララと大合唱する大サビを抜けて、メンバーが舞台袖へはけていく。あっという間の1時間半。隣で騒いでいたカナの存在も忘れ、雫はただ彼らの音に熱狂していた。額からは大粒の汗がこぼれ、興奮を抑えきれない。
私の推しはすごいでしょとばかりに、どう?と聞いてきたカナに、雫は遠慮がちに魅力的だったと語った。ペットボトルの水を喉を鳴らすように飲むと、周りの観客がアンコールのコールを始めた。勇気を出して1分ほど叫び続けた頃だろうか。
一度明るくなっていた会場が再び暗転し、場内からは歓声が上がった。
昨夜のうちにカナから『できればジーンズとスニーカーを履くように。髪は下の方でまとめて。財布よりも小銭と多少の紙幣をコインパースにまとめておいて。入場時にはコインロッカーを使うけれど荷物は少なくしておいて』と的確なアドバイスを受けた。
朝から仕事だと言っていた隆介は、三日前のデート終わりに雫の首元へ真っ赤な所有印をつけていて、雫はなんとか隠そうと低めのサイドテールにして会場へ向かった。
集合場所は会場の最寄駅。帰宅時間に近いこともあって王子駅は混雑してきているけれど、帰る人たちとは方向が違いすんなりと座れた。最寄駅で乗った時には見えなかったけれど、主要都市を越えるたびに揃いのライブTシャツや同じ柄のバッグを持った人の数が増えている。小声で、でも楽しさを抑えきれない様子の彼らの話題はもっぱらEssentialsだ。
改札を出てすぐのところで、カナはイヤホンをしながらスマホを眺めていた。出退勤の時によく目にする黒いTシャツに、ダメージ加工のあるストレートデニム。足元は雫に指定した張本人らしく、クタクタのスニーカーだ。
「遅くなりました……!初めてきたら出口迷いかけちゃって」
「大丈夫大丈夫!整理番号300番台だし、今から行けばちょうどいいんじゃないかな。むしろ付き合ってくれてありがとね!」
普段もテンション高めのカナだけど、今日はいつにも増して口角が上がっていて、ほんのりと高い声色とよく喋る姿は、店で声出し前に緊張しているときの彼女に重なる。
「今日の会場ってZIPPの中では大きいってくらいで、むしろEssentialsの会場としては異例のサイズなんだよね。日本全国のアリーナツアーするくらいの規模でもおかしくないのに2700人しか入れないなんて。何回考えても奇跡だし神チケットすぎる……」
会場へ向かうカナの足取りは軽い。身長はさほど変わらないのに、雫は追いつくのに必死だ。
「しらちゃん、荷物どうする?預ける?私物販でTシャツ買って着替えたら荷物預ける予定だけど」
「あ、じゃあ私も記念にTシャツ買って、一緒に預けたいです」
「おっけー!開場まで時間はあるけど並んでたら一瞬だし、いこいこ!」
物販エリアには、これから物販エリアに進む人、既にTシャツを購入して入場を待つ人とで人がごった返していた。男女比率はほとんど変わらないか、若干女性が多いかな?という程度で、年齢層も比較的若い人から父親世代まで様々。幅広い層に支持されている事が伺えた。
「すっごい人ですね……こんなにたくさんの人が同じ音楽を聞いてるって、不思議」
「しらちゃんは知らないかもしれないけど、今日は業界人相当来るって噂もあるくらいよ」
「業界人、ですか?」
「そ!バンド仲間とか、作曲家とか、そういう音楽業界の人もファンが多いらしくて」
「へぇー……カナ先輩、詳しいんですね」
「実は、デビュー頃から結構追ってんだよね。会社では隠してたんだけど、しらちゃんならいっかと思って誘っちゃった」
まぁなんてったって私、しらちゃんの恋のキューピッドだし?と得意げに笑うカナ。最近はどうなのと聞かれたので、3日前に会ったし平和に過ごしてますと返した。カナが「そりゃそうだろうね」と知ったふうに話すのを不思議に思うと、隠しているつもりだった首元を指差した。雫が焦って髪型を直したくらいでは、カナのにやけは収まらない。
恋バナをしていると列の進みなんて一瞬で、すぐに自分の番がやってきた。Tシャツにタオル、リストバンドなど色々なグッズが出ていて感心してしまう。今日来てきた服の上からきても問題ないというので、離れたところで袋を破りTシャツを着た。
ユニセックスな作りで大きめのそれは、黒地に黒のプリントという洒落たもの。光が当たって反射した時にだけプリントがわかるというデザインは、隆介が好きそうだ。持ち帰ったら彼のパジャマにされるかも……などと妄想を膨らませる。
「いつにも増して真っ黒」
「いつも黒いんですか?」
「そ、大体黒Tシャツに白文字でちょっと背面プリントが入ってるパターンなんだけど……これじゃ会場内も真っ暗に見えちゃうよね」
結局どんなんでも買うんだけど、2階席から見たら下ほぼ真っ黒だよきっと、とカナが笑って入場者列を指差した。確かに今見えている後ろ姿だけでも真っ黒。場の空気に思わず息を呑む。未知の雰囲気に、圧倒されそうだ。手渡されたチケットの印字が汗で滲んでしまいそうで、UFOキャッチャーのようにチケットをそっと掴んで、表記された整理番号が呼ばれるのを待った。
◇◇◇
入場に際してのアナウンスが流れると、雫の周りの観客たちは一斉に色めきだつ。キョロキョロと見回す雫に、カナは「あそこから出てくるよ」とステージ袖を指差した。画面には心拍音のような波形が一定に流れている。ステージまでの距離は10mほどだろうか。柵に囲まれたいくつかのエリアで、雫とカナは中央に近い位置を取ることができた。
照明のない焚かれていない薄暗いステージへ、端から3人の男性が歩いてくる。それぞれセットされたドラム、ギター、ベースの位置に移動して楽器を用意した。彼らの演奏する生の音と映像の心拍音がリンクし、少しずつ早まる。真横の手すりや地面からも細かな振動を感じる。周りの観客たちも同じスピードで手拍子を始めた。まるで互いの心音を合わせるような一体感。
ダンッという大きなドラムの音で、照明と映像、ビートがぴたりと止んだ。
耳には自分の早い心音だけがドクドクとこだましていて、静かなのに煩い。目が暗闇に少し慣れたところで、ステージ中央へもう一人が歩いてくる人のシルエットが見えた。
~~♪
We found the love shine like diamonds
in the brightest night
二人で見た月明かりが 今僕の未来を照らし出す
君と共に歩む道は 光に満ち溢れている
ソロのアカペラから始まるその曲は、雫が一生懸命に覚えた配信曲の中でもかなりの再生数を誇っていた曲だった。舞台上の画面に菜の花畑が映り、Essentialsのライブが幕を開けた。開場まで明るかったそのステージは画面からの逆光状態で、メンバーの表情を窺い知ることはできない。髪を結んだ長髪の男性が、体を丸くして囁くように歌い出した。
しっとりとしたスタートから一転、疾走感のあるギターと明るいリズムが観客の心を鷲掴みにする。腕を大きく広げた男性から放たれる、少し加工の入ったようなエッジの効いた声が掠れ声がセクシーだ。生の音が雫の体を振動させ、音がヒリヒリと肌を刺激する。音圧という言葉の意味を全身で理解させられるような、目眩く未知の時間。
「どう、大丈夫そう?」耳元に顔を近づけてカナが話しかけてくる。思っていたよりも大きな音に驚きはしたものの、なんとかついていけそうだと顔を縦に振ると、カナは満遍の笑みでピースをした。
画面の向こうにいた人間同士が繋がる空間。手を伸ばしても届かない距離だけれど、声の主が確かに同じ世界に存在しているのを感じる。シルエットだけを見ているからか、雫は自分自身の知っている長髪の男性とボーカリストを重ねて見ていた。
Essentialsのライブはノンストップで20曲を駆け抜けた。時折、メンバー同士の絆を確かめるようにボーカリストがギタリストの方へ駆け寄って肩を組んだり、ギタリストとベーシストが背中合わせでバトルのように弾きあったり、仲の良さが伺えるパフォーマンスが入る。ロックテイストの曲では観客に手拍子を要求したり、まだ盛り上がれるだろ!と煽ったり、全くライブを知らない雫でさえ、彼らが観客をいとも容易く操る姿に惚れ惚れした。
全員でラララと大合唱する大サビを抜けて、メンバーが舞台袖へはけていく。あっという間の1時間半。隣で騒いでいたカナの存在も忘れ、雫はただ彼らの音に熱狂していた。額からは大粒の汗がこぼれ、興奮を抑えきれない。
私の推しはすごいでしょとばかりに、どう?と聞いてきたカナに、雫は遠慮がちに魅力的だったと語った。ペットボトルの水を喉を鳴らすように飲むと、周りの観客がアンコールのコールを始めた。勇気を出して1分ほど叫び続けた頃だろうか。
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