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壮途に就く

110.挙動不審と甘えん坊

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 普段、ふたりは情事が終わってからも抱き合いながら話をしたり、改めてシャワーを浴びては浴槽でくっついたりと、とにかく甘い時間を過ごすことが多い。

 互いの足らないところを補うように生きているふたりは、互いの存在が自身の原動力であることを知っているからこそ、相手のケアを怠らない。

 ハイデルは彼女が求めるならば、激しくすることも優しくすることも抵抗なく、マリも彼が求めるならばどんな行為でも受け入れてしまう…互いに猥らで一途に、健気な愛がそこにはあった。


 だからこそマリは、彼が普段よりも1段ほどギアを上げて、ほんの少し早くキスして部屋に案内し、そそくさと部屋を去った彼の態度の怪しさを、直ぐに感じ取った。寝室を見回し、運ばれていたドレスとアクセサリーを目にすると、その違和感はすぐに確信へと変わった。


「ねぇ、カタリナ。今日の行事はどんな行事なのですか?」
「今日の行事、ですか…そうですね…。」

 カタリナは一生懸命に頭をフル回転させ、マリに嘘をつくことなく、なんとか無事ドレスを着せなければと言い訳を考える。

「えぇと…以前行われたお披露目と同じく…皆様に…ご挨拶をですね…」

 しどろもどろになりながら真剣に話すカタリナの顔には、脂汗がタラリと流れる。突然マリはくくくと笑いだし、段々とお腹を抱えて大笑いしだした。

「っくく…あー…おっかしい…。ねぇ、カタリナ。
 本当は今日が、私とハイド様の…挙式なのではありませんか?」

 ふふふふ…と笑いながら話すマリにはもう答えがわかっているようで、ここからは誤魔化せないことなど、誰の目から見ても明らかだった。どうしようかと焦っている自分の顔を見てさらに笑いの止まらない様子のマリを見ていると、笑っている場合じゃないのよ!という焦りが生まれてくる。

 マリとハイデルが浴室へ行った隙に、カタリナは執事の手を借りて荷物を運びこんでいた。

 幸い、レオン様以降この国で大々的な結婚式は行われていないし、結婚式に参加したことのないマリなら、これがウェディングドレスとして誂えられたものだとは知らないはず…と期待していたのが大間違いだった。

 マリが帰ってきた寝室の壁には、トレーンが何重にも折りたたまれたクリーム色のドレスが飾られ、大きなブーケとアクセサリー、そして真っ白なリボンミュールが横に並べられている。ウェディングドレスのことを全く知らない18の娘ならば、気付かないかもしれないけれど、婚期に焦りを感じながら銀座の大通りを通勤していた自分にはそれが何を意味しているものなのかくらい、誰かに言われなくたってすぐにわかる。

 有名な海外セレブ御用達のインポートドレスのショップの前を通っては、中で衣装合わせをしているカップルを見て、ただ漠然と羨み、ひねくれた気持ちすらあったあの頃。

 今、ハイド様を愛している気持ちに比べたら、当時の恋なんて恋ですらなかったんじゃないかと思えるほど、薄っぺらい関係を続けていたことに気付く。だからきっと、あの彼にはもっと素敵な相手が現れてしまったのかもしれない。大事な時間を互いに奪い合っていたのかな、申し訳なかったなと、ほんの少ししょんぼりしたけれど、この世界で第二の人生を送ることで気付けたのだから、よかったと思うことにした。

「結構頑張って隠していたのに……。やはり気付かれてしまいましたか……。」

 カタリナは露骨にがっかりとした様子で肩を落とし、はぁ…とため息をつく。そんな姿のカタリナに、そもそもウェディングドレスくらい知ってますよ!なんて、とても言えない。

「だって……ノイブラへ来てからのハイド様、なんだかずっと挙動不審なんですもの。」

 カタリナのせいじゃないのよ、という意味を込めて、気付いたのは彼のせいだという事にした。みんなの主人なんだもの、これくらいは許してほしい。

「きっとハイド様もカタリナも、一生懸命、私に気付かれないように、内緒で用意してくださったんですよね。
 ……折角なので、そのまま知らないふりで通そうかと思います。
 だから、カタリナも私が気付いていることは知らないというフリで、協力してもらえませんか。」
「…それで…いいんですか?」
「ハイド様が折角考えてくださったんですから、それを真剣に楽しみたいんです。」


 ニッと笑うと、カタリナは一気にやる気を取り戻したようにパンッと一度手を叩き、長袖のメイド服の袖をまくり上げる。

「わかりました!こうなったら私、一層張り切りますよ!
 この世界で一番美しい花嫁になって、ハイデル様を驚かせてやりましょう…!」
「っふふふ、はい、お願いします…っ。」

 カタリナはいつでも、誰よりマリを理解し、励まし、楽しませ、応援してくれる。このカタリナの存在が、自分をここまで連れてきてくれたといってもいいと、マリは思っていた。カタリナの名前を自分のミドルネームに貰い受けたかったのは、その為だ。

 チュールたっぷりのクリーム色のオフショルダードレスを身にまとい、ハーフアップにした頭にはカスミソウの花冠を乗せ、長いチュール製のベールを着ける位置を決めた。チュールは挙式の為だけにつけるものだからと、いったん目印のピンをとめ、介添えのバッグへと仕舞われた。

「あぁ…なんてお可愛い……花祭りの主役は、もう間違いなくマリ様です。どうぞ、ハイデル様を骨抜きにしてやってください。」

 我ながらばっちりだわ…と呟きながら、正面から花冠の位置を微調整するカタリナと目が合う。えへへ…と笑うと、その顔は私じゃなくてハイデル様にしてやってくださいな、と鼻の先をツンッと指ではじかれた。

「ねぇカタリナ?カタリナは私のお姉ちゃんですから、ハイド様のところに行く前に、ぎゅーって、してください…。」

 本当はいつかの風呂のように自分から抱き着きたかったけれど、ドレッサーの前に座って大きなドレスに身を包んでいては、自由に動くことが困難だった。


「もう。なんだかんだいって、マリ様も甘えん坊ですね…。」

 グダグダ言いながら、ぎゅっとハグをしてくれるカタリナは優しい。

「ふふ…っ。ありがとうカタリナ。…大好き。」
「私も、大好きです。これからも、ハイデル様の事、どうぞよろしくお願いしますね。」
「こちらこそ、ハイド様と私ともども、どうぞよろしくお願いします。」

 ハグしながら挨拶してしまったことがおかしくて、身体を離した後はふたりで顔を見合わせながら笑ってしまう。

「…さあさあ。
 そろそろいいお時間ですから、玄関へ参りましょう。マリ様のお馬と、ハイド様のお馬が、今日の馬車を引くために、表で待っておりますよ。」
「え…!表に、シーヴがいるんですか!
 っあぁもう…!ドレスじゃなかったらすぐに駆けて行くのに!カタリナ、早く行きましょう!」

 マリはドレスの足元に埋まっていたリボンミュールをサッと履いて、すっくと立ちあがり、パニエともども一気にドレスの裾をフワッと持ちあげる。カタリナも手袋、ハンカチを手元のバッグに詰め込んで、後ろからドレスの裾を手に取った。

 二人の心臓は、共にドキドキと跳ねる。

 一歩踏み出す前に振り返ったマリは口角を引き上げ、ここから先は何も知らないふりで行きますから、カタリナもそのつもりでいてくださいね!と声をかけ、一度深呼吸をして背筋を伸ばすと、部屋の外へと歩みを進めた。
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