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壮途に就く
106.秘密の企み
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昨晩、エカードから戻り、彼女が眠りについた頃、ハイデルは公室でカタリナの置いていった数枚の報告書を読んでいた。
城内で働くメイドに対する彼女の調べでは、「シュベルトの民衆のほとんどは、彼女の存在を覚えていないようです。」という一文で締め括られていた。
現在マリのことを思い出している者のリストを見ると、ほぼ全てが職務の中でハイデルと関わりのある者だったため、おそらく彼女を思い出しているのは、ハイデル自身が存在を認知している者に限定されているのだろうと踏んだ。
彼女と婚約式をあげていない以上は、巫女でもなければ婚約者でもない。それでいて、国民が覚えてい無い前提で話をすすめるとするならば、しばらくは変に存在を隠すことも、大々的に公表することも不自然で、ただ理由のない来賓という立場に彼女を置かなければならない。
しかし、そうなると彼女は、書類等の扱い上、隣国の貴族の娘というとても危うい人物になる。エカードもシュベルトも好戦的な国ではないけれど、それでも他国から見れば、捕虜という見方をすることも、できなくはないからだ。
さらに、ハイデル自身にも少し問題があった。
彼の兄であるレオンが依然として嫡子を儲けておらず、さらにハイデル自身がまだ未婚であるが故に、帝位継承権第二位の立場にいるということ。
そして、その立場にいるものが正式に他国からの姫君を貰い受ける場合には、まず相手国で婚約式を行った後、40日間の婚約公示期間を経て、シュベルトで正式な結婚式を行うという慣例を通さなくてはならない。だが、ハイデルはマリをもう、エカードへ連れて行きたくはなかった。
結局、彼が悩み抜いた末に出した答えは、継承権を放棄してマリと一般貴族として結婚し、宰相と神殿の守護者の職を続けるという道だった。
そうと決まれば、仕事は早いに越したことはない。
兄へ権利放棄の意向を伝える手紙を書き、神殿や関係各所へ挙式を行うという通達を朝一番に送る用意をする。挙式の日付は約1月後の4月8日、ノイブラで毎年恒例の花祭りが行われる日にしようと決め、早速花まつりの会場からすぐ近くの教会へも相談の手紙を書いた。
マリへはあえて細かいことは知らせず、来月ノイブラへ行くとだけ伝えることにし、様々な手配を終えるとすでに1刻以上の時間が経っていた。
そっとペンを置いて軽く伸びをし、隣室で静かに眠るマリの隣へ戻ると、すでに暖かくなった布団とマリが隣にいるという安心感で、一瞬にして深い眠りの中へと落ちていった。
・・・
シュベルトの国民は皆華やかで楽しげで、人々とともに歌い祈り、祝うことの好きな人々が多い。貴族や皇室のものの祝い事には積極的に参加するものが多く、そういった行事の日には仕事や学校を休んでも良いという感覚すらある。
「カタリナ、ドレスの進捗を確認してもらえるか。
それからマリの好きな花のブーケを作れるよう、花のリストを作っておいたから、当日満開の状態で会場に運べるよう連絡を頼みたい。」
「もちろんそちらはお手伝いしますけれど、マリ様にあまりに隠しすぎなのでは…?先日もお戻りが遅いと寂しがっておられましたよ。」
ハイデルは仕事の片手間で挙式の準備をするのかと思いきや、もはや職権濫用に近いほど、花祭りの進行と同時に自身の挙式の準備を進めていた。自身だけで終えられるものならばすぐに進めるのに、他者が絡むと途端に時間がかかるのはどこにおいても同じだ。なかな連絡の来ないものを待っていたり、終わらせられるものを先に進めようとするとどうしても部屋に戻る時間が遅くなってしまう。
「彼女には僕が一人で生きていては絶対に手に入れられないものをたくさん与えてもらったんだ。その礼のためには、私だってできることをできるうちにしておきたいんだよ。
私の演出やドレスの好みが心配なら、私を止めるよりも君からもそっと聞いてくれた方が幾分か助かるんだがな。」
「ハイデル様は私のことを探偵か何かだとお思いですか…。挙式の手筈は通例ならば奥方様が全て取り仕切られるものですから、それは心配にもなりますよ、小言くらい言わせてくださいませ。
……小物や演出の好みについては、私からそれとなく聞いておきます。」
昔に比べて小言と独り言の多くなったカタリナは、さっと軽く会釈をしてから、あぁもう手の焼けるぼっちゃまだわ…と呟きながら部屋を出た。
そもそもカタリナは忘れられがちだけれどいわゆるハウスメイドだ。幼い頃から支えていることもあって、執事や新人のフットマンたちからは恐れられているけれど、そんなに偉い立場ではない。もちろん主人からこんなにも細かな仕事を求められることは、普通のメイドにやれることではない。
だいぶ信用してくれているのはわかるけれど、ここまで仕事を細かく命じるのなら、いっそもう少し階級を上げたり、賃金をあげたりしてしてくださってもいいのに、なんて思いながら、カタリナは自分の持ち場へと戻った。
・・・
ノイブラの花祭りはこんこんと湧き続ける水源と、その水源がもたらす豊かな自然に感謝する伝統行事だ。
夜明けとともに人々は水路にそれぞれの好きな花を流し、水の精霊ニンフへ感謝の祈りを捧げる。その後は街の至るところで楽器隊の演奏が流れ、街角のありとあらゆるところに花を刺して作ったボールが飾られる。
未婚の女性は頭に花の冠を、未婚の男性は胸に小さなブートニアをつける風習と、それをつけた二人がボールの下を潜ると永遠に結ばれるというジンクスがあるため、それにあやかりたいものたちで街は溢れかえり、市場にも人がごった返す。
こんな好機をハイデルは見逃すはずがなかった。マリと一緒に行った思い出のあるノイブラで、彼女を一番喜ばせたい。心からそう思い、食事も忘れて準備に勤しんだ。
(一般的なものではないにせよ)、婚約式の身近な経験者である兄と相談しながら、挙式への招待状はあえて出さずに一般市民たちが間近でみられるよう、挙式は街の教会で行うことにした。ヴァージンロードは教会から50歩程手前まで長く設定し、そこまでは馬車で向かう。
おそらく彼女は恥ずかしいというだろうけれど、これは、今この世界に家族のいないマリがヴァージンロードを一人で歩くことになるよりも、二人で手を取り合って歩き、自身の守ってきた国民たちと共にこの喜びを感じたいと考えた結果だ。
ドレスは前回と同じパターンを使うことでなんとかギリギリで新調することができるようだった。前回はお披露目のためのカラードレスでハイデルの髪色に合わせたグレーだったが、今回はウェディングドレスだ。マリの髪色と肌写りを考慮して明るいクリーム色を選んだ。
マリが当日どんなに美しくなるのか、想像しただけでも気分は高まり鼓動が早まるのを感じる。ドレスに合わせるジュエリーは、代々使われ続けているティアラとネックレス、イヤリングのセットを使うと聞き、ハイデルの胸の中には、案外財力を見せつけるポイントはないのだな、と若干残念な気持ちすらあった。
血のつながりのある家族というのは、伴侶を除いては誰一人として自分で選ぶことができない他人だ。その唯一無二の存在を自分で良いといってくれたことが嬉しく、言葉にはせずとも、彼女が指輪をつけている手を見るたびに、ハイデルは静かに喜びを噛み締めていた。
城内で働くメイドに対する彼女の調べでは、「シュベルトの民衆のほとんどは、彼女の存在を覚えていないようです。」という一文で締め括られていた。
現在マリのことを思い出している者のリストを見ると、ほぼ全てが職務の中でハイデルと関わりのある者だったため、おそらく彼女を思い出しているのは、ハイデル自身が存在を認知している者に限定されているのだろうと踏んだ。
彼女と婚約式をあげていない以上は、巫女でもなければ婚約者でもない。それでいて、国民が覚えてい無い前提で話をすすめるとするならば、しばらくは変に存在を隠すことも、大々的に公表することも不自然で、ただ理由のない来賓という立場に彼女を置かなければならない。
しかし、そうなると彼女は、書類等の扱い上、隣国の貴族の娘というとても危うい人物になる。エカードもシュベルトも好戦的な国ではないけれど、それでも他国から見れば、捕虜という見方をすることも、できなくはないからだ。
さらに、ハイデル自身にも少し問題があった。
彼の兄であるレオンが依然として嫡子を儲けておらず、さらにハイデル自身がまだ未婚であるが故に、帝位継承権第二位の立場にいるということ。
そして、その立場にいるものが正式に他国からの姫君を貰い受ける場合には、まず相手国で婚約式を行った後、40日間の婚約公示期間を経て、シュベルトで正式な結婚式を行うという慣例を通さなくてはならない。だが、ハイデルはマリをもう、エカードへ連れて行きたくはなかった。
結局、彼が悩み抜いた末に出した答えは、継承権を放棄してマリと一般貴族として結婚し、宰相と神殿の守護者の職を続けるという道だった。
そうと決まれば、仕事は早いに越したことはない。
兄へ権利放棄の意向を伝える手紙を書き、神殿や関係各所へ挙式を行うという通達を朝一番に送る用意をする。挙式の日付は約1月後の4月8日、ノイブラで毎年恒例の花祭りが行われる日にしようと決め、早速花まつりの会場からすぐ近くの教会へも相談の手紙を書いた。
マリへはあえて細かいことは知らせず、来月ノイブラへ行くとだけ伝えることにし、様々な手配を終えるとすでに1刻以上の時間が経っていた。
そっとペンを置いて軽く伸びをし、隣室で静かに眠るマリの隣へ戻ると、すでに暖かくなった布団とマリが隣にいるという安心感で、一瞬にして深い眠りの中へと落ちていった。
・・・
シュベルトの国民は皆華やかで楽しげで、人々とともに歌い祈り、祝うことの好きな人々が多い。貴族や皇室のものの祝い事には積極的に参加するものが多く、そういった行事の日には仕事や学校を休んでも良いという感覚すらある。
「カタリナ、ドレスの進捗を確認してもらえるか。
それからマリの好きな花のブーケを作れるよう、花のリストを作っておいたから、当日満開の状態で会場に運べるよう連絡を頼みたい。」
「もちろんそちらはお手伝いしますけれど、マリ様にあまりに隠しすぎなのでは…?先日もお戻りが遅いと寂しがっておられましたよ。」
ハイデルは仕事の片手間で挙式の準備をするのかと思いきや、もはや職権濫用に近いほど、花祭りの進行と同時に自身の挙式の準備を進めていた。自身だけで終えられるものならばすぐに進めるのに、他者が絡むと途端に時間がかかるのはどこにおいても同じだ。なかな連絡の来ないものを待っていたり、終わらせられるものを先に進めようとするとどうしても部屋に戻る時間が遅くなってしまう。
「彼女には僕が一人で生きていては絶対に手に入れられないものをたくさん与えてもらったんだ。その礼のためには、私だってできることをできるうちにしておきたいんだよ。
私の演出やドレスの好みが心配なら、私を止めるよりも君からもそっと聞いてくれた方が幾分か助かるんだがな。」
「ハイデル様は私のことを探偵か何かだとお思いですか…。挙式の手筈は通例ならば奥方様が全て取り仕切られるものですから、それは心配にもなりますよ、小言くらい言わせてくださいませ。
……小物や演出の好みについては、私からそれとなく聞いておきます。」
昔に比べて小言と独り言の多くなったカタリナは、さっと軽く会釈をしてから、あぁもう手の焼けるぼっちゃまだわ…と呟きながら部屋を出た。
そもそもカタリナは忘れられがちだけれどいわゆるハウスメイドだ。幼い頃から支えていることもあって、執事や新人のフットマンたちからは恐れられているけれど、そんなに偉い立場ではない。もちろん主人からこんなにも細かな仕事を求められることは、普通のメイドにやれることではない。
だいぶ信用してくれているのはわかるけれど、ここまで仕事を細かく命じるのなら、いっそもう少し階級を上げたり、賃金をあげたりしてしてくださってもいいのに、なんて思いながら、カタリナは自分の持ち場へと戻った。
・・・
ノイブラの花祭りはこんこんと湧き続ける水源と、その水源がもたらす豊かな自然に感謝する伝統行事だ。
夜明けとともに人々は水路にそれぞれの好きな花を流し、水の精霊ニンフへ感謝の祈りを捧げる。その後は街の至るところで楽器隊の演奏が流れ、街角のありとあらゆるところに花を刺して作ったボールが飾られる。
未婚の女性は頭に花の冠を、未婚の男性は胸に小さなブートニアをつける風習と、それをつけた二人がボールの下を潜ると永遠に結ばれるというジンクスがあるため、それにあやかりたいものたちで街は溢れかえり、市場にも人がごった返す。
こんな好機をハイデルは見逃すはずがなかった。マリと一緒に行った思い出のあるノイブラで、彼女を一番喜ばせたい。心からそう思い、食事も忘れて準備に勤しんだ。
(一般的なものではないにせよ)、婚約式の身近な経験者である兄と相談しながら、挙式への招待状はあえて出さずに一般市民たちが間近でみられるよう、挙式は街の教会で行うことにした。ヴァージンロードは教会から50歩程手前まで長く設定し、そこまでは馬車で向かう。
おそらく彼女は恥ずかしいというだろうけれど、これは、今この世界に家族のいないマリがヴァージンロードを一人で歩くことになるよりも、二人で手を取り合って歩き、自身の守ってきた国民たちと共にこの喜びを感じたいと考えた結果だ。
ドレスは前回と同じパターンを使うことでなんとかギリギリで新調することができるようだった。前回はお披露目のためのカラードレスでハイデルの髪色に合わせたグレーだったが、今回はウェディングドレスだ。マリの髪色と肌写りを考慮して明るいクリーム色を選んだ。
マリが当日どんなに美しくなるのか、想像しただけでも気分は高まり鼓動が早まるのを感じる。ドレスに合わせるジュエリーは、代々使われ続けているティアラとネックレス、イヤリングのセットを使うと聞き、ハイデルの胸の中には、案外財力を見せつけるポイントはないのだな、と若干残念な気持ちすらあった。
血のつながりのある家族というのは、伴侶を除いては誰一人として自分で選ぶことができない他人だ。その唯一無二の存在を自分で良いといってくれたことが嬉しく、言葉にはせずとも、彼女が指輪をつけている手を見るたびに、ハイデルは静かに喜びを噛み締めていた。
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