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東京 銀座

01.波瀾万丈クリスマス

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 12月25日まであと5時間。

 25歳、斎藤 茉莉、職業はいわゆるOL。

 茉莉の働くオフィスがある銀座のまちは、ハイブランドのブティックと百貨店がイルミネーションで飾られ、平日だというのに、カップルや家族連ればかりが出歩いていて、幸せムード一色に染まっていた。


 いつも何かと嫌味ったらしいお局様から、明らかに急ぎでもない仕事を押し付けられた私は、形ばかりの書類を早々に切り上げ、彼とよく行くなじみのイタリアンへ軽い小走りで向かう。名前も好みも知りつつそんなに深追いしてこない接客と、バルのように小皿でいろいろな種類を食べられるのが、食事好きな私には、いつもとても丁度いい。

 付き合って6年になる彼氏とは、同じ大学内のサークルからの付き合いで、共通の友人が何人もいる。

 お揃いの服を着て出かけたり、お休みのたびに出かけて写真を残したり、そんな可愛い関係からはとっくに卒業していて。休みの日は一緒に出掛けるわけでもなく、家でサブスクの映画を見たりする程度。もうキスやセックスなんてどのくらい前だっけ…?なんて、だいぶ冷めた関係になりつつある。よく言えば家族のような存在で、いないのは寂しいけれどくっつきたいとかそういうのはなくて…友人からすると「プロポーズすっ飛ばして老後生活」らしいけど、あながち外れてない気もしている。

 それでも、クリスマス・イブというこの日に。

 彼から「話したいことがある」と呼ばれて、喜ばない女ではない。何人かの後輩には先を越され、会社の新人女子からは「第二のお局候補」と言われているのも知っている。こんな日に話したいことがあると言われれば、同然期待してしまうのは、誰だって同じ、のはず。

 枯れ葉がひゅーっと足元をすり抜けて、背筋を駆ける寒さに肩をすくめながら、仰々しい麒麟を見つめて歩けば、川沿いに道を曲がった先にある赤レンガ造りの小さな一軒家。ドアのサイドにはツタが絡まっていて、深緑色であっただろうポストもだいぶ銅色が露出し、錆びているところからも、昔から愛されているお店なんだということがわかる、この佇まいも好みだ。

 カランカラン、とベルの音を鳴らしながら、ドアを開けると、右手前の席にいつもの彼の姿が見える。


「あーこんばんは!メリークリスマス!お連れ様、いらしてますよ」

 いつも出迎えてくれる店員さんの笑顔は、息を白くして歩いてきた私の心を、一瞬で暖かくしてくれる。

「翔太~!ごめんね、遅くなっちゃって」

 最近は合流するたびにつぶやく、最早合言葉のように口をつく謝罪の言葉。

「おー。そろそろかなーって思って、軽めの白と前菜だけ頼んどいたよ。」

 メニューを見ながら私に話しかけているのは、オールバックで決めつつも今日はベージュのジャケットにストライプのシャツを着た金融系サラリーマンの彼氏、翔太。でもネクタイをしていないし…なんだかカジュアルで、仕事終わりじゃないみたい。

 マフラーとコートを預けながら、奥の店長さんに軽く会釈をし、そっと席に着いた。周りはどの席もすでに埋まっていて、楽しそうな声が各方向からしている。

「ありがと~!助かる!おなかペコペコだしお局様に急ぎでもない仕事言い渡されて、やんなっちゃってたの!」

「そっかそっか、お疲れ様。ごめんな、こんな日に急に呼び出したりして。」

「んーん、連絡くれなかったらどうせ仕事してたから、大丈夫。ありがとね」

 なんだか翔太がそっけない気もするけど…きっと私が待たせてしまったせいだと思い、気にせずに白ワインに軽く口付け、ふぅっと浅く呼吸をした。軽やかな舌触りとさっぱりとした後味に「あーこれは…たくさん飲めちゃうなぁ…」なんて思ったところで、翔太がおもむろに口を開いた。

「茉莉、俺……今日どうしても言いたいことがあって。」

 えっ、待って待って。ちょっと早くない?なんて出てしまいそうになる、心の声をぐっと押し殺して。

「ずっと言おうか悩んでて、でも勇気がなくて…言えなくて。でもこのままだと変わらない…変われないって思ったんだ」

 この後出てくる言葉は、確実に嬉しいはずの言葉なのに、なぜだろう。翔太の表情は明るくない。


「…うん」と、遅れて合図地を打つ。

 心臓は急にどくどくと早くなり、私の耳は彼の声だけに集中するように、店内のにぎやかな声とBGMがすーっと聞こえなくなる。



「俺、………来月結婚することにした。」



 言葉を言い切った瞬間、さっきまでうつむいていた翔太はまっすぐと私を見つめていた。見つめあってから何秒くらいだったのだろう、にこりともしない翔太の顔と、焦って一口飲んだワインに、気づかされた。

 彼が選んだのは、私、ではないということに。

 いつも見つめていた彼の左手には、見たことのない高級腕時計と、つやつやに磨かれた銀色の指輪が光っていて、私の左手にある初任給で買ったお揃いの安物時計は、今の私の気持ちのように酷く鈍く、傷だらけでくすんでいた。

 切れたベルトを直しても、また雰囲気が変わって素敵だよね!と、笑いあっていた日々が、走馬灯のように流れる。彼の言葉に、私も返答しなくては。

 焦って口をついた言葉は、「そっか」の一言だった。悲しみはおろか、怒りすらも湧かなかった。

「本当は二人で君に会おうと思っていたんだけど、彼女がかわいそうだっていうからさ。年下で守りたくて……式は……で……ホテルが………」

 衝撃波と音は遅れてやってくるという言葉が、急に頭によぎる。言いたいことを口にしてホッとしたのか、彼は堰を切ったように結婚するという相手の事をつらつらと語り始めるが、「結婚する。」という言葉の衝撃で、彼の声を理解するのが追い付かず、だんだんと声が遠くなっていった。

 あぁ、だからシャンパンじゃなかったんだ。とか、あの腕時計は相手の趣味なのかな。とか、これからもしかして相手と会うのかな。とか…思い返せば気になるところはたくさんあったのだけど、彼の衝撃の告白の瞬間から、あまり記憶が定かではない。



 ただ、とぼとぼと歩いていると、急に強い風が吹き、マフラーのタグが茉莉の顔をツンツンと刺激してきたとき、ようやく自分の足が「どこかへ向かって歩いていたのだ」と気付いた。

 そしてその風は、自分の足がもつれて深い川底へ落ちて行っているからなのだということも、この水底は見たこともない景色のはずなのに、どこか懐かしいような、嬉しいような気持ちになっているということも。


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