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迷宮都市ヘカテクライオ、秘めたる記憶と誘う手編
1.王都シミラルへ
しおりを挟む常春の穏やかな日差しが、青々と茂った葉に鈍く反射している。
その若々しい緑の群れの下には、朝露に濡れて艶やかに光っている暗赤紫色の丸い果実がたわわに実っていた。
この果実は、主の加護を受けていつまでも実り枯れる事は無い。
もぎ取ればすぐに次の若々しい実が生まれてくるのだ。
それもこれも、この小さな果樹園に満ちている“大地の気”のおかげだろう。
自分もその恩恵にあずかっているのだ。そう思うと、果樹園を見回る青年は穏やかな暮らしに感謝する気持ちで胸がいっぱいになった。
例え自分の本来の宿命が“そうではない”のだとしても、今だけは愛しい己の主人の思うがままに働きたい。そう深く考えながら、今朝もまた完熟した実を摘み取る。
今日も果実で籠いっぱいになるであろうことを想像しながら、田舎に不釣り合いな毛先を跳ねさせた髪型の青年は微笑む。
服装もおおよそ農夫とは思えない格好だが、それでも青年はこの村に来た時から変わらずに主人の命を守っていた。
己が半身と共に、主人に尽くすことが今の彼の喜びなのだ。
そう思いながら、愛しげな指の動きで主人の求める果実を摘み取っていると――――不意に、坂道の下から走ってくる音が聞こえてきて、手を止めた。
美しく舗装された淡い色の煉瓦道を視線で下れば、穏やかな湖と長閑な村の風景が広がっている。
だが、この駆けてくる音は、こののんびりとした時間が流れる村に似合わない。
どうしたのだろうかと果樹園のすぐ横まで続く道を眺めていると――――
「おーい! 大変だ大変だ、アンタにすげえべっぴんな客が来てるんだよぉ!」
そう言いながら走ってくるのは、確か……この村に長く住んでいる中年の男だ。
残念ながら、ヒトの男はオスだろうがメスだろうがほぼ名前を覚えられない。そんな自分の性質に呆れつつ、青年は首を傾げた。
「べっぴんな客……?」
訝しげに呟いた青年は、男が近付いてきたことによりハッと何かに気付く。
だがそれを口には出さず青年は緊張の唾を飲み込んだ。
(……この残滓は……。だが、あのお方だとしても、俺に何の用なんだ……?)
考えるが、何も思い浮かばない。
にわかに緊張する青年だったが、何も知らない男はゼエゼエと息を切らせて果樹園にようやく到達すると、膝に手を突き体を折った。
どうやら一生懸命走ってきたらしい。
その息が整うまでじっと待っていてやると、男は顎裏の汗を手の甲で拭い、陽光に眩しい頭を照らしながら青年を見上げた。
「お、お前さん、どこであんな別嬪さんと出会ったんだよ。すげえぞ……色気が!」
まるで王都の高級娼姫のようだ、と誉めそやす相手に、青年は浮かべていた笑みを微妙に歪めてしまった。
やはり、嫌な予感が当たってしまったか。
いや、その予感は男にまとわりついていた“移り香”で解っていたのだが……そうは思っても、その残滓の持ち主を思えば身が竦む思いだった。
「どうした、妙な顔して。……ははーん、さては前の街かなんかで引っ掛けた美女が追いかけて来たってことかぁ? ったくおめぇはホント色男だよなぁ!」
このこのと肘で突いてくる男に、青年は苦笑を浮かべながら頭を掻く。
何が何だかよくわからないが、もうこうなったら会うしかない。
(はぁ……。出来れば会わないままで居たかったんだがなぁ……)
頭を掻きながら、青年は自分の主人を思って顔を上げる。
見上げた空は、不穏さとは無縁の白い雲が浮かぶ青空だった。
王都【シミラル】は、ライクネス王国の首都。
この国で一番大きい都市であり、もっとも栄えている場所だ。
俺は今まで何度かその都市に出向いた事があり、貴族の屋敷やお城に招かれた事があるんだけど……正直な話、王都自体には足を踏み入れた事が無かった。
……それというのも、攫われたり馬車で連れてこられたりしたからだ。
ある時は嫁になれと攫われ、ある時は時間がないと馬車で連れてこられ、またある時は「王都では黒髪は目立ちすぎるから」と馬車で移動させられた。
なので、俺はシミラルの全貌を今の今まで知らなかったのだ。
……色んな用事で何度も来ているはずなのに、今までその街を全く知らなかったってんだから変な感じだよな。
まあでも……車で通り過ぎるだけで、それ以外のコトを知らない街……なんて俺の世界でもままあるし、意外とおかしい事でもないのかもしれないな。
しかし、あまり嬉しくない用事でばっかり訪れているので、正直な話【シミラル】には良い思い出が無い。というか、大体があの意地悪王に呼ばれてるので、苦手意識が勝手に湧いて来てしまうのだ。
この苦手意識を覆すためにも、シミラルでしっかり用事を済ませて……街は良い所だって認識を自分に擦り込んでおかないとな。
あの王様の記憶だけで埋め尽くされるのは、きっともったいないはずだ。
ラスターだって、よく知れば良いヤツだって分かったしな。
……うん……良いヤツ……たぶん、良いヤツのはず……。
「そろそろシミラルだね。ツカサ君、ちょっと止まって支度を整えようか」
「えっ? なんで?」
「このままだと色々呼びとめられて面倒臭い事になるからね」
そう言いながら、ブラックはディオメデの藍鉄の手綱を上手く動かし、街道の脇に歩を進める。草原に入ってサクサクと音を立てながら道を離れ、あまり人の目が向かないだろう小高い丘の影に停まった。
どうしたのかと思ったら、相手は先に藍鉄から降りて俺を降ろそうと腰を掴む。
「わっ!? ま、待って待って自分で降りれるから!」
「良いから良いから」
ぐうう、なにが「良いから」なんだよお前は。
こんな所を人に見られでもしたら、俺がお子様みたいに思われるじゃねーか。
でもヤメロと抵抗しようとしても、ガッチリ腰を掴んだ手を引きはがす事なんて俺には出来るはずもない。相手は体力お化けで握力も凄まじいのだ。
だからこそ、標準体重男子のはずの俺ですら子供みたいにヒョイと持ち上げられちゃうわけでな、このオッサンは……。
……非常に遺憾だが、抵抗できない以上なすがままになるしかない。
本当に人に見られない場所で良かった、と心底思いながら、俺は着地した。
「ったくもう……人を子ども扱いすんなってのに……」
「えー? 違うよぉ。これは~」
そう言いながら、ブラックは体を寄せてくる。
何をするのかと思ったら、そのまま俺に抱き着いて来て、耳にぴたりと口を寄せてわざと息を吹きかけてきた。
「可愛い恋人を馬から降ろしてあげる、オスとして当然の行為だよ……?」
「っ……!」
耳に、唇の動きが伝わってくる。
あからさまに俺にだけ聞かせるような低い声に思わずビクリと反応してしまったが、相手はそんな俺に機嫌良さそうな笑い声を漏らすと、顔を一度離す。
そうして、笑った顔で俺を見つめながら続けた。
「これからデートするんだから、出だしもちゃんとすべきでしょ?」
「あ、アンタな……デートじゃなくて協力要請しに行くんだってば……」
「でも終わったらデートするんだから、今から恋人らしくしたっていいじゃない」
ねっ、と、俺に同意を求めるブラック。
俺に同意を求められても困るんだが。デートの作法なんて知らんのだが!?
っていうか、ナチュラルにメス扱いされるのは困る……。
いくら認めたって言っても、その……お、俺やっぱ男だし……アンタにエスコートをされても見合わないって言うか、そう思ったら居た堪れないっていうか……っ。
ああもうとにかく、恋人らしくしなくたって良いんだってば!
別にそんなのしなくたってもう証ならいくらでもあるだろうがっ!
「今更こっ、恋人もナニもないだろ! 普通で良いんだってば……!」
「んもー、ツカサ君たらまーた照れ屋になっちゃうんだから~」
「もう良いからっ、ここに停まった理由はなんなんだよ!」
遅くなるから早く話せと腕の中で暴れると、ブラックは渋々ながら俺を手放した。
はあっ、はぁ、ほ、本当このオッサンは腕力が強いったら……。
「仕方ないなぁ……。じゃあ、シミラルに入る前の準備しようか」
「え? 準備?」
聞き返すと、ブラックは頷く。
「そう。シミラルって結構厳しいし危ない所だからね。……まず、騎獣以外の【守護獣】は、許可を貰うまで召喚禁止だから、ペコリア達は戻してロクショウ君はバッグの中に入れておかなきゃいけないんだ」
「えぇ!?」
そんなの初耳だ。
でも、四つの都市で守りを固めている王都なワケだし……さらに厳重にするためには仕方がないのか。【守護獣】って言っても、悪い人が使えば悪い子にされちゃうんだもんな。まあ仕方ないか……。
一緒に歩けないのは悲しいが、ロクショウにはバッグの中で眠って貰おう。
すぐにバッグの中にロクショウ用の隙間を作り、中に入って貰った。
「んじゃ、次に……ツカサ君には帽子を被って貰います」
「帽子……?」
「前も言ったと思うけど、王都ではツカサ君みたいな黒髪の子は凄く珍しいんだよ。人攫いとかちょっかいかけてくるバカを減らすためにも、被っておいてほしいんだ」
そう言えば……確かに前にそんな事を言われたような気がする。
というか、そもそもライクネスでは黒髪の人間自体が珍しいんだっけか。
「でも……【モンペルク】では別に帽子が無くても良くなかった?」
「あのねえツカサ君、数里違えば街の様子もガラッと変わるんだよ。【モンペルク】は交通の要所だけど、王都がすぐそばにあるから、人の出入りが多いんだ。それに、あそこには貴族とかも住んでないしね。だから、黒髪でも僕が隣に居ればそれなりに牽制になったんだよ」
けど、王都ではそうもいかないのか。
ブラックの弁を聞くとそういう意味に取れるが、しかし【モンペルク】で嫌な目に遭う事が無かったので、今一実感がわかない。
一応、俺の第二の故郷でもある【ラクシズ】ではそんな事も言われたし、フードで頭を覆い隠すように言われたけど……そんなに違いがある物なのだろうか。
でも、旅慣れたブラックが言うのなら間違いはないんだろうな。
「うーん……そう注目されるとは思えないけど……わかった。帽子なら前に用意して貰ったでっかいヤツがあるからな」
確か、オーデル皇国に行く時にロサードから用意して貰ったデカい帽子をしまっていたはずだ。探偵漫画の助手キャラがよく被ってるような、茶色のキャスケット帽なんだよな。……サイズは異様に大きくて、頭がすっぽり覆われてしまうが。
でも、いつもの服装だと流石に頭が異様過ぎるな。
あの時はコートとかで膨れてたから、なんとか釣り合いが取れてたんだけど……。
「なんか、今の服じゃ似合わなさそうだなぁ……」
そう言うと……何故かブラックはニヤリと笑い、俺の前に歩み出た。
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「な、なにこれ」
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紙袋を受け取ると、ブラックは嬉しそうに顔を輝かせる。
――――が、何故か一瞬だけ、変な笑みを見せた。
「あはっ、つ、ツカサ君早くぅっ、早く着てみてっ!」
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「ほらほら早く! 帰るのが遅くなっちゃうよ~!」
…………本当に大丈夫なんだろうか。
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