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七鳴鐘楼モンペルク、月蝕は混沌の影を呼び編
26.おはなしのはじまり1
しおりを挟むヌエさんを部屋に招き入れ、とりあえず肉を焼いて差し出すと、相手はすぐにパクパクと食べ始めた。どうやら今日もお腹が空いていたらしい。
……そういえば、ヌエさんは昼間どうしてるんだろう?
ブラックが居ることにも別に驚いてはいなかったから、たぶん他人が怖いとかいう感じでもないみたいだし、物怖じしないから人族が苦手ってワケでもなさそうだ。
となると、最初に出会った日の夜中にボロボロだったのは何があったのか。
うーん……見てる限り、口元付近の傷跡っぽいカサブタのような色の二つの三角傷と、左の口の端に届く縫合したような痕が凄く気になるんだが……もしや、どこかで壮絶な戦いでもしてたんだろうか。
色々気にはなるが、今は食事が終わるのを見ているしかない。
にしても、たくさん貰った高級な肉も半分くらいに減ってしまったな。まあ、まだクロウも帰って来てないし、食べきれないだろうから良いんだけども。
そんなとりとめのないことを思いながら、ヌエさんの食事が終わるのを待っていると、相手は十皿を越えた所でようやく「けぷっ」と息を吐いてフォークを置いた。
「んまかった」
「わー……口のまわりメチャクチャじゃないか。ヌエさんちょっとこっち向いて」
「ンマ?」
肉の脂でとんでもない事になっている顔を、ハンカチ代わりの布で拭う。
自分の事に関してはかなり無頓着なようなので、俺が世話するしかないのだ。
まったく……大人の世話とかブラックとクロウで充分だってのになあ……。
「はい綺麗! 口の周りが汚くなったら、今度は自分で拭くんですよ」
「わっかた」
そう言いながら、ヌエさんは俺が渡した新たな布で顔をぐいぐい拭う。
……睫毛バシバシの眼光鋭いイケメンなのに、どうしてこうなる。
いやまあ、変な人なんてこの世界にはごまんといるから良いんだけどさ。
「ツカサ君たらまたオスに要らない世話を焼いて……」
ほらもう変人の第一人者が背後で変なオーラ出してる……。
いやこれは要らない世話とかじゃないでしょ。言い方はアレだけど、赤ちゃんのお世話みたいなもんじゃん。何で目くじら立てるのよ。相手だってマジで何とも思ってないってのに。
「お前なぁ……俺に対して何とも思ってないヤツにまで嫉妬してどーするよ」
「ツカサ君がお口拭き拭きしてくれる権を僕以外の他人が使っただけでも腹立たしいんだよ!」
「気持ち悪い言い方するなよ!? そんな権利誰にも渡してねーんですけど!?」
「フキフキ?」
ああもうまたヌエさんが変な言葉を覚えてしまう。
この話題は早急に打ち切るべきだと思い、俺はとにかくブラックがマトモな思考に切り替わってくれるであろう話を切り出した。
「と、ところでヌエさん」
「ン?」
「ヌエさんって、人族なんですか? それとも妖精族?」
「?」
言っている意味がよくわからないのか、首を傾げる相手。
えーと……説明が難しいな。
どうすれば良いんだろうかと思っていると、ブラックが俺の横に近付いてきた。
「他人と自分の違いを把握してないから、そこから攻めても無駄だと思うよ。だから、先に『お前の周辺のモノはいつも寝ているのか?』とか聞いた方が良いと思う」
「あ~。そうか、なるほど……あ、ありがと」
やっぱり急に真面目になりやがった。
でもそんな、至近距離でマトモな口調を浴びせかけられると心臓がギュッてなってしまうので、ちょっと遠慮してほしい。いや俺が悪いんだけどさ。
と、ともかく、ブラックの問いかけ方のが単刀直入って感じでイイな。
俺も見習って同じように聞いてみよう。
「えーと、ヌエさん」
「ン?」
「ヌエさん、俺達の他に会えた人いる?」
「アエタ?」
あっ。そういえば、会うとかそういう単語は教えてなかったんだった。
意外と相手が理解しやすいような説明が難しくて、昨日の夜も四苦八苦してほんの少しくらいの単語しか覚えて貰えなかったんだっけ……。
「会う」っていう概念って、どう教えたらいいんだろう。
思わず頭を抱えてしまうと、ブラックが話を繋げた。
「目、開いてる。人達、僕とツカサ君、違う人。見た?」
一つの単語ごとに指で示して確認させ、ジェスチャーで人の形を作って見せる。
なるほど概念が分からないのなら、最初に教わって理解している単語から関連する言葉を繋げればいいのか。
これはヌエさんがすぐに理解してくれるから可能なんだろうけど、でもブラックのやりかたは効果的だったようで。ヌエさんは不思議そうに目をパチパチさせていたが、やがて「うーん」と唸りながら考え始めた。
「ンー……。ナイ……? ツかサ、ンン。目ある。違うヒトの目、ない」
「いっぱい?」
「いッパぃ」
難解なセリフだけど、たぶん「他の人は目をつぶってる」ってことだよな。
じゃあ、ヌエさんの周りの人は常に寝てたのか。やっぱり特殊能力ってこと?
まじまじと相手の顔を見ていると、ヌエさんは俺に歯を見せ笑った。
「ツカさ、目ある! ヌエ、つカサ、いっしょ。違うヒト、いっしょない!」
「もしかして……俺が初めて会った『目が覚めてる人』ってことなのかな……」
「かも知れないね。こいつの『ヒト』の定義が僕達と同じものなら、だけど」
「あー……それは……」
どうなんだろう。
言われてみれば、確かにそこも迷う所だ。
ヌエさんは、言語も歯の形も俺達とは全く違う。獣に近いけど耳は人間の物だし、獣人とも違うような感じだ。そういえば瞳の色もルビーみたいに真っ赤だし……。
もしかしたら、ヌエさんが知る「ヒト」という存在は、俺達が知っている「ヒト」とは違うものなのかも……。
……なんかややこしくなってきたな……。
「ンン、次のいっしょ。ヌエといっしょ。ヒトちがう」
「あ……そっか、ヌエさんはブラックの名前知らなかったんだっけ」
だから「んん」って言って指さしてたのか。
そうだな、ブラックも二番目に出会った「目が覚めてるヒト」だもんな。
「コイツはブラック。俺がツカサ、ヌエさん、そしてブラック」
「ヴらっぐ。ヴ、ぅぶ? ぶー、ら、ぐ」
「そうそう、ブラック」
俺が肯定すると、ヌエさんは満足げな顔をする。
単語を理解したと言うのがどうやら嬉しいらしい。しかし、そんなヌエさんの言動が心底不思議なのか、嫉妬もせずにブラックはまじまじと彼を観察していた。
「初めて聞く単語は撥音も濁音も怪しいのか。……ねえツカサ君、コイツ本当に僕達と同じ『ヒト族』なの? 獣人だってこうはいかないと思うんだけど」
「いや、でも、言語は理解できてるじゃん。だからさ、どっかの山奥で独自の言語を使って生活してる部族だと思ったんだけど……」
「独自の言語を持ってるなら、自分の言語で言い換えて返してくるもんじゃない? どの言葉を使ってたって、似たような意味の単語は存在するはずだしさ」
「う、うーん……そう言われると……」
確かに、水や人という単語はどんな部族でも存在するだろうし、その単語が示す物がどういう物かってのは大人の人に教わっているはず。だから、ここまで懇切丁寧に噛み砕いて教えると言うのも……なんだか妙な気はするな……。
今までヌエさんは、俺の教えた事を復唱するばかりで、独自の言葉で言い換えようとする素振りは全くなかった。
……ということは……ヌエさんって、そもそも言葉を知らない……のか……?
…………い、いやまさか……。
でも、そうだと仮定すると、やっぱりヌエさんは何者なんだって話になるぞ。
まさか本当に妖精とかそういう類の存在なのか……?
「ン? ぶーらっク、ツカさ、ヌエ?」
「そ、そうそう」
「ソーソー!」
きゃっきゃと喜ぶヌエさんは、正直ブラックよりちょっとデカいくらいの身長だ。多分、二メートルはあるんじゃないだろうか。肩幅が普通の大人くらいしかないから、座ると全然分からないけど……やっぱり、この身長も特殊なのかな?
この世界の人達って普通に高身長な人ばっかりだから、最近はブラックやクロウの背の高さにも「そういうもんだ」と思って納得してしまってたけど……。
それでも、ヌエさんは流石に人並み外れてる、んだよな。
…………ブラックの反応からしても、ギザ歯で大柄の人族なんて普通は見かける事なんてないって感じだし……。
ホントに妖精みたいな存在だとしたらどうしよう?
とにかく、無意識に他人を眠らせる能力だけはやめて貰わないと危険なんだが……あと二日程度でそこまで行けるんだろうか俺達は。
「ねえツカサ君……もうコイツに無理に教えないで、普通に会話をしてた方がいいんじゃないの? 理解力が無いってワケでもないみたいだし、一対一で教えるよりも、僕達が普通に会話した方が色々読み取って自分で判断するんじゃないかな」
「そういうもんなの?」
「コイツが子供並みのアタマだってんなら出来るんじゃない? 子供ってのは、誰かに話しかけられたり、その会話を見る事で自然と言葉を習得していくもんだしね」
「なるほど……」
確かに、そう言われてみるとそんな場面がいくつか思い浮かぶな。
俺だって詳しく言葉を教えられた覚えはないのに、いつのまにか普通に言葉を話してたワケだし……ヌエさんが何も知らない、それこそ本当に子供みたいな感じなら、俺達が色々な会話をすることで自然と理解してくれるのかも。
昨晩だって、俺の方が先にギブアップしちゃったけど、教えた単語は言い間違いをしながらもしっかり覚えてくれていたワケだしな。
でも……ブラックの言葉遣いって時々難しい言い回しが有ったりするし、ちゃんとヌエさんが理解できるように話してくれるかなぁ。
会話をするにしても、もう少し……お互い、言葉が自然と簡単なものになるような何かが無いだろうか……。と、考えて、俺は妙案を思いついた。
「そうだっ、普通に会話するってのも良いけどさ……絵本とかお話しとかはどう?」
「おはなし?」
「そうそう。俺、色んな昔話とかお伽話知ってるからさ、ヌエさんに話して聞かせるんだよ。そうすれば、言葉も早く理解してくれるかも」
「まあ、子供用の童話なんかがあるにはあるけど……ツカサ君、大丈夫……?」
おっと信用出来ないようだな。
いやまあ、ブラックは芝居がヘタクソな俺しか知らないからだろうけど、こういう事は任せておけと自信を持って言えるぞ。
なんせ俺は、かの皇帝陛下に水戸黄門を語った実績があるんだからな!
「俺の、皇帝のお墨付きな語り手スキルに任せとけって!」
大丈夫、とドンと胸を叩いて見せるが、ブラックは半信半疑の顔だ。
ったくもーこんちくしょうめ、とことん俺の力を見下してんだからコイツは。
俺だって読み聞かせくらい出来るっての、失礼なヤツだなもう。
しかし、そうと決まったら怒っているヒマはない。俺は椅子を移動させておはなし会の様相を整えると、観客席の前に置かれた椅子に座った。
これはさながら、幼稚園や図書館の読み聞かせスタイルだな。
……観客が水でコーティングされた美形のオッサンと青年の二人だけなので、俺が想像する「おはなし会」とは全く様子が違うのだが、まあ今回は仕方がない。
ヌエさんを子供だと思って頑張ってみよう。
しかし……どういう童話を話そうかな?
あんまり難しい話はヌエさんにも理解して貰えないよな。
出来れば台詞が多くて、動物や人があまり出ないような話……って言うと……。
そうだ、アグネスさんにちなんで『金の斧、銀の斧』の話が良い!
「よし……じゃあ、良い子のみんなー! おはなしの時間だよー!」
「なにそれ……」
「あ、いや、つい……ともかく、始まり始まり!」
ノリが悪いオッサンに出鼻をくじかれてしまったが、まあブラックは俺の世界での定番なんて知らないし仕方がない。ドンビキも禁じ得ないのは仕方なかろう。
コホンと咳を一つして雰囲気を整えると、俺は早速「おはなし」を始めた。
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