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七鳴鐘楼モンペルク、月蝕は混沌の影を呼び編
22.最古の賢王、森の中の愚者
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「そうか。お前も【ギオンバッハ】の件や【聖女の光球】の件で大変だと言うのに、苦労を掛けたな。本来ならば、このようなことは神族のシアンがやるべきなのだが……」
「いえ……ツカサ君達が今関わっている厄介事は、我が国にも関わる事件ですので。それに、シアンの身内が【ギオンバッハ】の件に噛んでいる可能性がある以上、彼女を無暗に引き入れるのは得策ではないかと」
広く、緊迫した冷たい空気が漂う部屋。
通常の謁見室ではなく、まるで近しい身内を招く部屋のようにソファと机が置かれている部屋の中、アコール卿国の国主・ローレンスは伸ばした背筋を崩さず、目の前に雄々しく座る国王を見つめていた。
白銀の髪に金色眼という、稀有な組み合わせを持つ常春の国の王。
最も若く、最も力を持つ最も古き国家の君主。
――――ライクネス王国今代国王、
ルガール・プリヴィ=エレジエ。
まだ少年の面影を残す凛々しく整った容貌は怜悧な笑みを浮かべており、恐らくは歳も近しいだろうツカサと比べると、彼とルガールの間にはかなりの年齢差があるかのような印象を覚える。
それが君主としての性質がゆえなのか、それともルガールという賢王が持つ天性の才覚が成熟した大人を慄かせるほどのものなのか。
……どちらにせよ、頭を垂れずにいていい相手ではない。
眼前で悠々と足を組む年若い王に、ローレンスは再び頭を下げた。
(いつお話をさせて頂いても、畏怖の念が湧き上がってくるな)
床すら磨きあげられていて、頭を下げた自分の顔が映るほどの美しい部屋。
普段の謁見室も相当なものなのだが、この部屋も見る者を威圧するほどの絢爛さを見せつけていた。
地平の黄昏にも似た色の黄金を紋様にして飾り立てられた壁に、雪の白さをも凌ぐ白い石柱が埋め込まれた壁。壁紙から調度品に至るまで精緻な印を刻まれた部屋は、この国の国王――――いや、この大陸における“最も敬意を払われるべき王”に相応しい部屋であると言えるだろう。
なにせ、この密室のような部屋に通されたものは、恐らく誰一人として居丈高ではいられないだろうから。
「頭を上げよ、ローレンス。まったく……お前も人が良い。シアンの問題は、身内の問題だ。彼女自身が解決せねばならんことで、この“世界”の安寧を守ることに関して何の関係もないだろう。……仲間思いも結構だが、そのように人の世話ばかり焼いていては、王妃や息子達にも愛想を尽かされるぞ」
「は……」
耳に痛い言葉だ。
確かに、他人の事にかまけていては、政など立ち行かない。
しかし今回の事は、贋金事件に関して手をこまねいていた自分自身に責任があるのだ。もっと早く解決できていれば、ツカサ達が【アルスノートリア】の一派に出会う事も無く、またシアンの息子だと言う“セレスト”という男も滅多な事などしなかったかも知れないのだ。
……終わってしまった今後悔しても遅いが、そこで謝罪を考えるのなら自分にしか出来ないことを行うべきだと思ったのである。
結果的に、それは再び彼らを厄介なことに突き落としてしまったのだが。
「ローレンス。自分を責めるなと言っただろう」
「はっ……も、申し訳ありません陛下」
顔を上げて謝罪するローレンスに、ルガールは息を吐いて肩を軽く動かした。
「まあ、気持ちは分かるがな。あれらは珍しく手助けをしてやりたくなる。ひとつ前の【グリモア】達も善良ではあったが……今の“災厄”どもほどは、力が無かった」
「…………」
「それに、今回の【グリモア】達は過去類を見ないほど安定している。……強い力を持つ【グリモア】というのは、須らく嵐のような感情を持つ異端者だ。それを、ああまで穏やかに制御して破滅から遠ざけるなんてな。流石は【黒曜の使者】だ」
「とはいえ……彼のような少年に全てを委ねるには、【グリモア】達の格が高すぎるのではと心配になりますが……」
ツカサは、人としての生き汚さもそれなりに持っている少年ではあるが、それでも彼の心は【グリモア】を従えるには優しく甘すぎる。
かつての【黒髪の乙女】も、きっと彼のように隣人愛が深かったのだろう。
恐らくは、その優しさが異世界人の特性なのかもしれない。
(あの【紫月】をあそこまで骨抜きにしているのだから、心配は無用なのだろうが……それでも、彼が【黒曜の使者】である限り【グリモア】の欲望からは逃れる事は出来ないだろうからな……)
――――ローレンスが知る“七人の黒曜の使者”の話の断片は、どれも悲劇的な結末を迎えていた。
馴染み深い【黒髪の乙女】こと木属性の使者・カオリは、突如悪魔となって業火をまき散らしたアマイアと共に命を失った。
エショーラ領に伝わる過去の記憶でも、彼女の仲間達は【グリモア】に発見されたばかりに、無残な最期を遂げてしまったのだ。
それを考えると、いつ【グリモア】が暴走してもおかしくはない。
ローレンスは人としてツカサを心配すると同時に、一国の君主としてツカサの力が【グリモア】にいつか押さえつけられるのではないかと危惧していた。
なにせ、ツカサは今や「災厄の蓋」だ。
彼が何かのきっかけで死にでもすれば……考えただけで、恐ろしい。
……誰も瓶のフタなど恐れはしない。最も重要視するのはいつだって中身だ。
しかし、蓋こそが最も大事な要なのだと、人はいつか気付くことになる。
ツカサと言う存在は、今や「災厄」ではなく……もっと厄介な「災厄を引き起こす切っ掛け」に変化してしまっていた。
「格が違う、か。……まあ確かにそうだな。現在のグリモア達は、記録に残っている歴代のグリモアと比べても一際能力が高い。それに加えて、シアン以外の者達は過去に“なにか”があった者達だ。……そこに、また前例のない熊の獣人が加わった。何もかも“特異”としか言いようがない。……しかも、今存在する六人のグリモアは、全員がツカサを好いている」
「……はい」
「確かにこれは頭の痛い問題だな。当初は殺すつもりだった【黒曜の使者】が、今や災厄を抑え込むための要石だ。……とはいえ……それも仕方のないことだろう」
「と、言いますと」
問いかけるローレンスに、ルガールは小さく溜息を吐く。
そうして紅茶に口を付けてから続けた。
「お前達【世界協定】にも報告はしてあるだろうが……奴らはツカサがいなければ、恐らく近い内に厄介な事をやらかしていただろう。具体的に言えば、オーデル皇国の薬師・アドニスが妖精王を殺しかけた一件や……ブラック・ブックスが“先代”の頃に起こした事故によって再び暴走するか……だな」
「左様でございますな。……やはり、ツカサは最早今代のグリモア達になくてはならない存在となっております。……だからこそ、出来ればその関係を崩すような伝承を伝えたくは無かったのですが……」
しかし、そうせざるを得なかった。
仮に【アルスノートリア】が【聖女の光球】を奪ったとするなら、彼らは既に“黒髪の乙女とズーゼン”の話の真実を知っているはずだ。
もしかしたら、かつてのグリモアが使者を殺した話も知っているかもしれない。
だからこそ、話さざるを得なかった。
悲劇的な結末を繰り返さないためにも。
「お前も甘い男だな、ローレンスよ」
「は……いや、これは申し訳ない……」
「まあいい。それで……ああ、そうそう。この世において『人心を完全に操る術』が存在するのか……という話だったな?」
そう。ローレンスはその問いの答えをツカサ達に持って帰るべく、こうしてこの場にやって来たのだ。
最古の王国の君主にして、何もかもを見通したような目を持つ王。
そんな彼の持つ情報の中に、最悪の事実が眠っていないかと。
――――にわかに緊張するローレンスだったが、ルガールは態度を大きく変える事もなく、何かを考えるように顎をさすりながら口を開いた。
「結論から言うと……似たような力を持つ術は存在する」
「っ……!」
「だが、それは【黒曜の使者】が与えない限り存在しないはずだ。なにせその唯一の『人心操術』の使い手は……初代【勇者】であるサウザー・オレオールだからな」
初耳だ。
だが、その答えに絶望すればいいのか安堵すればいいのか分からない。
ローレンスは考えあぐねて、眉根を寄せた。
「それは……」
「お前でもピンと来んか。……まあ、英雄が使う術だ。その前提があれば、悪い術ではなかろうと誰もが思ってしまうだろうからな。……法術としてサウザーに発現した【浄波術】は、確かに決して悪事などには使われなかった。サウザーは清廉潔白を絵に描いたような男だったからな。だが、結局は同じことだろう」
「…………」
「人の心を強制的に浄化するのは、心を操る術と何が違う?」
「あ……」
改めてルガールに説明され、ローレンスは呆気にとられたような声を漏らす。
盲点、としか言いようがなかった。
アコール卿国の君主に選ばれてから、親ともいえる国であるライクネス王国の深淵をなぞるような話を、幾度もルガールから聞かされたが……それでも、ローレンスは彼の言うとおり「善いことにだけ使われた」という話しか聞いた事が無かったから、さほどサウザーの能力に疑問を抱かず流してしまっていたのである。
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「サウザーの【浄波術】は、悪しき敵の心を浄化し改心させる。だが本来相手の感情や思想と言うものは、術で操れるものではない。感情とは、魂が発する揺らぎだからだ。……しかし、かの術はその魂に強制的に働きかける力を持っていた」
「…………確かに……それは、人の心を操ることと、同意義……」
同意するローレンスに、ルガールは目を細めた。
何を考えているのかを決して悟らせない、冷静な表情のままで。
「……まあ、本来であれば失われた過去の異物だ。ラスターも同様に【日の曜術師】であり、これまでにないほど優秀な男では有るが……【浄波術】は、珍しい法術の中でも特殊な発現の仕方をした術だ。本来であれば、二度と出てこぬはずの術よ」
「しかし、存在は……在った」
人の心を操る術が、実在した。
それだけで最早、現在の状況は思わしくないと思うべきだった。
だが、ルガールは慌てる事も無くローレンスの顔をじっと見つめる。
そうして――――金色の瞳を、笑みに歪ませた。
「まあ、その事実をどう取るかは……お前達次第だ。しかしなローレンスよ、人が術を使わずとも、常に人の心は月と太陽に支配されておるものなのだ」
「……と、仰いますと……」
どういう意味なのか分からない。
問い返すローレンスに、ルガールは口角を上げて答えた。
「日は人の心を外から変え、月は人の心を内から変える。
――――自分が利巧と思うのなら、この言葉の意味をツカサ達と共に考えてみると良い。何かの助けになるかも知れんぞ?」
まるで、謎かけのような言葉。
何もかもを見通したような青年王の言葉は、彼の言葉を正確に汲むことの出来るローレンスですらすぐに答える事は出来なかった。
「陛下……」
「ふっ。ツカサ達には、要らぬ言葉かもしれんがな」
彼には、何が見えているのだろうか。
問いかけたい衝動が生まれたが、ローレンスはそれを堪えて頭を下げた。
……自分のような凡人には、ルガールが何を考えているのかを完全に理解する事など出来ようはずもない。
しかし、彼が何かを伝える時、そこには必ず意味があるはずなのだ。
(私は、それを伝えるだけだ。……例え、その意味が理解できなくとも)
人族の大陸最古の王にして、失われた過去を知る唯一の君主。
例え自分よりも年若い存在だとしても、彼を軽んじる事など出来ようはずもない。
今はただ、自分が頭を下げる唯一の君主の言葉を噛み締めるしかなかった。
◆
【モンペルク】を囲む草原から、更に数十分ほど歩いた先。
ようやく現れた森の中に昼から潜んで、俺達は「街で集めた材料」を広げていた。
「意外とすぐ集まるもんだな……」
そう呟いて見下ろすのは、例の薬を作るのに必要な材料の一部。
街の隅に転がっていた煤の塊に、子供が捨てたおもちゃの灰だ。
前者は朝から街の防壁周りを歩いていたら簡単に見つかり、おもちゃは俺が作った木製のお人形を差し出したらすぐに交換してくれた。
……ボロボロの人形だったが、それでもやっぱり軽く捨てられた可哀相なおもちゃを灰にしてしまうのはちょっと心が痛んだな……。
可哀相だけど、でもこの犠牲を無駄にはしないからな……!
絶対に失敗しないよう薬を作らなくちゃ、と思いつつ人形の残骸を見つめていると、俺の先程の言葉に繋げるようにブラックが付け加えて来た。
「まあ二つともゴミだからね」
「ご……ゴミって言うなよ!」
「えっ、じゃあなんて言えばいいの!? ……カス?」
「なお悪いわおバカ!」
人形の犠牲を何とも思っとらんのかお前は。
無神経なオッサンの額にチョップして制裁を加えつつ、俺は煤と灰が散らばらないように再度包んで保管すると、改めて森を見渡した。
「さて……綺麗な水や植物は俺が曜術で出すから良いとして……森で採取するのは、一番弱いモンスターのしっぽ……だっけ。でも、一番弱いってなんだろう」
ずいぶんボンヤリした材料だけど、もしや複数存在するんだろうか。
でも一番ってことは、一種類しかいないはずだよなあ。
なんて思っていると、ブラックが呆れたように俺の顔を覗き込んできた。
「あのねえツカサ君……ずっと一緒に居るのになんですっかり忘れちゃうの」
「え?」
「一番弱いモンスターって言ったらダハに決まってるじゃないか」
「…………あっ」
そう言えば、ロクは元々可愛くてか弱いヘビちゃんだったんだっけ。
いや、ダハも集団になれば他のモンスターを襲える程度には強くなれるんだけど、それでも一個体の強さは全然ないんだよな。なので、けしからん話だがザコとか最弱とか呼ばれていたのだ。
うーん、俺のロクショウは強くて可愛いから今まで忘れてたよ。
だって今はもうダハじゃなくてザッハークだからなあ……。
「キュ?」
「クゥー?」
「へへ、昔のロクの事を話してたんだよ~」
首を傾げる可愛い三匹をヨシヨシしていると、ブラックが不機嫌そうに唸る。
「もー、薬を作りに来たんでしょー? ロクショウ君達に構ってたら、どんどん時間が無くなっちゃうよ? 鐘が鳴る前に帰らなきゃ行けないんでしょ」
「おっと、そうだったそうだった……へへへ……。じゃあ、とりあえずダハを探せばいいんだな? でも、この森にいるのかな」
ブラックの顔を見上げると、相手はすぐに機嫌を直して頷く。
「ダハやペコリアくらいなら、街の近くの森にも居ると思うよ。まあ、集団を保てるほどには強くないから、どこかに隠れているだろうけど」
「キュー!」
「おっ、ロクが見つけてくれるのか? ありがとうな~!」
まかせなさい、と自信満々に小さいお手手で自分の首らへんをポンと叩いて見せるロクに、思わず可愛さのあまり顔がゆるんでしまう。
でも元は同じ仲間だろうに、そんなことさせちゃっていいんだろうか。
「モンスターは、群れの仲間でもなけりゃ同族意識なんてないからねえ。こういう所は素直に畜生なんだなって感心するよね」
「い、いやな言い方するなよ……」
ロクは意味が分かって無いのか首を傾げるばかりだが、理解してたら怒られるヤツだからなその言い方は。
ま、まあでも、猫だって敵対する同族には威嚇するもんだからな……。
「ともかく、探してみよう。さっさとやらないと日が暮れちゃうからね」
「お、おう……じゃあ、よろしく頼むよロク!」
「キュキュー!」
「クゥーッ」
「クウクゥー」
やる気満々のロクショウに続いて、ペコリア達も何故かやる気満々だ。
ふわふわの可愛い前足をあげて「えいえいおー!」とやっているのを見て、またも顔が幸せで溶けそうになってしまったが、俺は気合いを入れて立て直すと、先導してくれるロクショウの後に続いて歩き出した。
これでダハの尻尾を手に入れられたら、あとの材料はブラックから貰うだけだ。
……にしても、すね毛を抜いた時の涙と体液って、なんちゅう材料だよ。
つーかブラックって、すね毛を抜く程度で涙なんて出るもんなのかな。
いや、出はするか。だっていきなり引き抜かれたら誰だって痛いもんな、体毛は。
俺は残念ながら生えていないので分からないが、鼻毛を抜いた時と同じだろう。
痛いんだよな、鼻毛……。
「ツカサ君、また変なこと考えてるでしょ……」
「えっ!? 違いますけど!?」
いや、今回は別に変な事は考えてないけど!?
なんでそこでイヤそうな顔をするんだよお前は。本当気難しい奴だなあもう。
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