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七鳴鐘楼モンペルク、月蝕は混沌の影を呼び編
4.その「好き」を知ってしまったから
しおりを挟む「そ……そっ、か。つ……つーちゃん、えっ……え……ぇっち、な、もの……とか、本当に、いっぱい……知ってるんだね……」
俺の背後で、ヒロが呟くように言う。
知ってるって……そりゃエロザルって言われてるくらいだからな。俺が総スカンを受けることになった発端だって、俺・クーちゃん・尾井川・シベで集めた珠玉のエロ画像(もちろんイラストオンリー)を詰め込んだUSBを女子に見られたからだし。
そら、俺だって男ですからエッチな物には興味がありますよ。
……まあ最近はアッチの世界でオッサンに色々ヤられすぎて、刺激的なエロ画像ですらシコれなくなってしまったんだけど……。
でっ、でも!
俺は今でも普通に女の子でも興奮するからっ!!
ああいうのはブラック達だけで、マジで性癖が歪んだワケじゃないからな!?
だって、別にこっちでオッサンを見ても何とも思わないし、ダチだって普通にダチである事に変わりはないし、相変わらずえっちな女の子にはドキドキするし……。
そんな感じだから、俺の嗜好が変わったワケじゃない……はず……。
ともかく、俺は俺のままだからな。
などと思っていると、俺を抱きすくめたままのヒロがすうっと息を吸った。
「じゃあ、つーちゃんは……現実の女の子も……好き……? 好きな、女の子とか、い……いる、の……?」
「え……好きな女の子……?」
女の子か……うん……なんかそういうコイバナとか久しぶりだなぁ……。
でも、今となってはそれも遠い昔の話だ。
以前のように「こんなタイプの女の子が好き」と言ったって、その「好き」は俺の全てを賭けた「好き」じゃないと解ってしまった。
今までは好ましいというだけで簡単に口にしてしまっていた言葉だけど……今は、その言葉がもう軽いものじゃないことを知ってしまったんだ。
好きな人に向かって伝えるたびに、心臓が破裂しそうになるほどの「好き」なんて、今まで知らなかった。どれだけそう想っていても、口にするのが難しいほどの「好き」が存在するなんて……ブラックと出会うまで、知らなかったんだ。
……そんな風に違いがあるなんて、思いもしなかった。
だから、自分の中の“好き”に違いがあるなんて、全然考えもしてなくて。
この明確な違いを教えてくれたのも、ブラックだった。
だから……どんな女の子がタイプかなんてワイワイ騒いでた頃の「好き」には、もう戻れそうに無い。どれほど俺が女の子を好きでいても、一番の気持ちを伝えるのはたった一人にしか伝えられなくなってしまった。
もう、妄想の女の子に対してですらあんな気持ちにはなれない。
俺は――涙が出るほど相手を想って叫ぶ「好き」を、知ってしまったから。
そんな状態で女の子を好きというのも……なんか、失礼だよな。
ヒロが言ってるのは「タイプの女の子は誰か」って事だろうし。
まあ……元々どんな子でも好きなので、昔はその時の気分によってツインテールとかポニテとか言ってたんだけど、今じゃそれも出来ないかも。
恥ずかしいが、もうアイツしか思い浮かばなくなっちゃったし……。
だから、こんな子が好き……とは言えないよな。
本当のコトは言えないけど、ヒロには嘘をつきたくないから正直に言おう。
「……いるの……?」
ヒロの声が、何故か少し低くなる。
不安になっているのだろうか。少し心配しながら俺は素直に答えた。
「いいや。好きな女の子はいないよ」
「今まで付き合った女の子は?」
「それもいないかなぁ。……あれ、考えてみれば俺、マジでモテなさすぎの人生なのでは……?」
いや、初恋のお姉さんとかはいたぞ。いたはず。
でも……なんというか、好きな子が居てもドキドキしたり、どうにか仲良くなろうって思うだけで、告白すら出来てなかった気がする。
生来の意地っ張りが災いしたのか、仲良しまでは行けても「好きだ!」と告白する事も出来なくて……結局ブラック以外と付き合った事もなかったんだよな俺……。
あは……なんか悲しくなってきた……。
自分で言って自分で打ちひしがれてしまったが、しかしヒロは俺の情けない回答に安心したようで、どこかほっとしたように息を漏らした。
「そ……そっか……つーちゃん、好きな女の子いないんだ……」
ぼそぼそと呟く声。
だけど、リラックスしているのか吃音は出ていないようだ。
なるほど、お前さては俺が未だに童貞か気になって、まだ自分と同じ童貞仲間かと確かめて安心しようとしたな?
ヒロこのやろう、その何気ない素朴な疑問が俺を傷付けるんだぞ。
でもお前がそれで安心できるんなら……まあ、仕方ない。
「はいはい俺は未だに童貞ですよっと……ほーら、もう良いだろ。コーラ注ぐんだからちょっと離して」
「どっ、ど、どどど童貞っ」
「ビート刻むのはいいから!」
童貞と言うワードにまで恥ずかしがるのかヒロよ。
お前のメンタルは思春期の女子か。流石に少し心配になってきた。
動揺中なら簡単に引き剥がせる幼馴染の今後を憂いつつ、俺は再びコーラを注ぐ作業に戻った。……ヒロが何を言いたいのか結局よく解らなかったが、まあお色気シーンでトイレに直行したし二次元女子への目覚めは確かな物だよな。
前途多難な気がしてきたけど、そういう初心な所も尾井川達と接していけば自然と染まって動揺しなくなるかも知れない。
そしたら吃音癖もマシになって、彼女も出来るのかもな。
なんたって、ヒロは顔をシャキっとさせて黙っていればかなりのイケメンなんだし。
……いや、これは俺の欲目じゃないぞ。
前髪がかかる目は三白眼気味だけどキリッとしてるし、太い眉も男らしい。鼻だって高くて輪郭もがっしりした男らしい輪郭だ。
いつもは気弱に下がり眉になってて人前で笑う事もあまりないけど、朗らかに笑う顔を他の人にも見せられるようになったら……うーん……悔しいが、モテそうだ。
シベが正統派で少女漫画に出て来そうなイケメンなら、ヒロは少年漫画にでも出て来そうな個性派イケメンって感じかなあ。
男を褒めるシュミはないけど、ヒロは別だ。幼馴染だし、田舎での思い出は色々とあったから、ヒロには素直に幸せになって欲しいと言う気持ちがある。
それに……俺は昔、ヒロを巻き込んで怪我までさせてしまった事があるし。
だから、そういうのもあって……ヒロには、尽してやらなきゃって気持ちが芽生えてしまうのかも知れない。子供の頃の事を清算するみたいに。
…………そういう考え方をしている自分は、ちょっとイヤなんだけどな。
「ね、ねえ、つーちゃん」
コーラを注ぎながら考えていた俺に、またヒロが近付いてくる。
もう抱き着いては来ないが、相変わらず背後の至近距離だ。
「んー? どしたぁ?」
三個目のグラスにコーラのペットボトルを傾けると、背後から遠慮がちに甘えるような声が聞こえて来た。
「あの……その……も、もう……危なくない、って……言う話、だし……だ、だから……今度、ふ、ふ、二人、で、遊びに……い……いかない……?」
二人で。
そういえば、ヒロがこちらに転校してきてから、二人きりで遊びに出た事は無かったような気がする。まあ最初の数か月は尾井川達に慣れて貰うために、みんなで遊ぶ事にしてたし、二年になったらなったで早々俺が事件起こしたからな……。
考えてみれば、ヒロと二人ってのは無かったかも。
ふむ……ヒロも昔みたいに遊びたいのかな。
引っ込み思案なヒロの事だから、多人数に疲れちゃったのかも知れないしな。
ならば、引き込んだ俺としても責任がある。
……ってのもあるけど、まあ俺も普通にヒロと遊びたかったから、いいか。
「おう良いぜ! 俺なんも用事ないし、ヒロの都合のいい日に合わせるよ」
そう言うと、背後から物凄く嬉しそうな声が漏れてきた。
ほらほらすぐコレだ。まったくもう、ヒロってば本当に変わって無いんだよなぁ。
だから俺としても心配なんだ。
「ほんと……ホントだよ? 約束だからね、つーちゃん」
吃音の出ていない声で、俺に念を押す。
その言葉は何故か少しいつもと違うような気がしたが、俺は背後にまで気を配る余裕が無かった。
◆
母さんが買って来たケーキを食べながら、だらだらとゲームをしたり漫画を読んだりして時間を過ごした俺達は、夕方もとっぷり暮れた辺りで解散した。
ヒロもシベもこんな風に人の家でゆっくり過ごしたのは初めてだったのか、なんだかぽやぽやした感じで帰って行ったが……帰り道は大丈夫なのだろうか。
いや、いつもの運転手さんが車で迎えに来てくれてたから、シベもヒロも無事家には帰ってるんだろうけど、二人とも今日はいつもと少し違ったからなぁ。
いいとこのお坊ちゃんである二人は、メシ前にプリンやケーキを喰って「夕食が入らないですって!?」と怒られてやしないだろうか。
俺はバリバリに喰えるけど、二人の食欲は俺には未知数だから気になるぞ。
久しぶりに家に誰か来たのが嬉しくて、つい色々食べさせ過ぎちまったなぁ。
……なんてことを思いつつ、俺も今日は久しぶりにゆったり風呂に入ったり、テレビを見て笑ったりして時間を過ごし――――人が寝静まる夜を待った。
――――なんでかって、それは勿論……家から抜け出すためだ。
もう二度目になってしまったので、最初のような緊張感は無いけど、それでも親にバレたら大目玉どころの話ではない。なので、今回もしっかり時間をかけて玄関の扉を閉めて鍵をかけ、俺んちのマンションのザルな監視カメラに映らないようにし、この前の茂みから脱出ルートを使って神社へと向かう。
夜であれば、一時間以上こちらで時間が経過してもまずバレはしない。
しかもこの時間帯は道に人気も無くて安全だし、寝不足はアッチの世界で寝れば解消されるから、デメリットはゼロ。見つかりさえしなければ凄く都合がいい。
数日前まではヤカラな先輩軍団の報復が怖くて出られなかったけど、シベが何とかしてくれたというし、もう憂いは無かろう。
ってなわけで、俺は【禍津神神社】からいつも通りに白い空間へやって来た。
今回は手土産も無いけど、土産話ならあるのだ。
お着替えをしつつ、キュウマに「お前の両親探しを友人のシベに頼んだ」と言ったら、何故か物凄くギョッとされてしまった。
どうやらシベ……奉祈師部って名前は、キュウマの時代でも有名だったらしい。
手広く色々な事を扱う財閥レベルの大企業という面もあるが、やっぱり俺達からするとゲームソフトを作ってる会社ってのが大きい印象のようだ。
……というか、キュウマがそもそも物知りなだけかもしれないんだけど。
「そうか……お前があんなデカい会社の息子と友達とはな……わからんもんだ」
「なにそれ馬鹿にしてる?」
「褒めてんだよ。【カミシバコーポレーション】くらいの大企業なら、俺の住んでた所もすぐに分かるだろう。そういう調査をする部署くらいは持ってるだろうし」
うーん、未だにシベの苗字と何の関係性もなさそうな会社名が覚えられない。
でもキュウマが言うんだから、きっとシベも辿り着いてくれるよな。
ベルトを締めて、いつものウエストバッグを装着した俺は、すっかりいつもの異世界服に着替えるとキュウマの方を向いた。
「それにしても……お前自身の記憶の方はどうなんだ? また新しく何かを思い出すような事かって、まだないの?」
――――キュウマは、元々ナトラから「神」の称号を譲渡されて【第五の神】になっていたはずなのだが、何らかの事情でその役目を途中放棄してしまった。
それから逃げて逃げて、長い間この世界を彷徨った挙句に魂だけの存在になってしまい、消える寸前まで消耗してしまってたんだよな。
結果的に復活してくれたけど、その長い放浪のせいなのか、それとも余程怖い事に遭遇したのか、キュウマの記憶は依然として抜け落ちている。
自分がどういう知識を持っていて、元の世界で家族とどう過ごしたかってのは何となく覚えているらしいんだが、自分がどこに住んでいたかは忘れているらしい。
異世界での生活が長かったせいもあるんだろうけど、専ら鮮明に覚えているコトと言えば、こちらの世界での七人の嫁との生活などだった。
チクショウ、ハーレム主人公めがよ。
「残念だが……ピンとくる記憶は無いな……知識として覚えていることはあるが、俺自身の思い出や記憶は取り戻せているかどうかも怪しい……」
「そっか……早くお前の故郷が見つかると良いんだけどな。その情報が、記憶を取り戻す切っ掛けになるかもしれないし……」
「……そうだな……」
深刻そうな顔をするキュウマ。
だが、希望が無いわけではないと俺は思う。
何故なら、俺達と和解する時にキュウマは「元の世界に戻りたい」と泣いていた。
それは自分が十七年間生きた世界に対しての思いが、まだ残っているからだ。
だったら、そう言わせた思い出は、キュウマの中に残っているはず。
キュウマの為にも、早く見つかって欲しいものだが……。
「……まあ、こればっかりはシベに任せるしかないから、今は置いておこう。……で、ブラック達は今どこにいるんだ?」
「ああ、そのことなんだが……まだちょっと廃神社の痕跡で時間調整が狂っていてな……二日ほど経過しちまった状態で、今はライクネスに入ってる」
「ええっ!?」
ギョッとしてキュウマの顔を凝視するが、相手は俺から気まずそうに目を逸らして、異世界へ通じる穴を出現させた。
そこには、パカラパカラと藍鉄を走らせるブラックの姿が見える。
確かに、いつもよりヒゲが濃い。
俺と居ないと素顔を隠すための無精髭すら整えなくなるから、すぐわかるな……。またヒゲ特盛の大男になっちまうじゃねーかとブラックのずぼらさに眉根を寄せると、キュウマはハァと溜息をつきながら頭をがしがしと掻いた。
「一応監視はしていたが……このオッサン、本当に一人だとマジで何も喋んねえな。お前の従魔――いや、【守護獣】達に話しかけられれば返すが、基本的に自分一人で何かを考え込んでやがる。宿の受付にまで最低限のハイとイイエしか言わねえんだぞ。……このオヤジ、本当に社会性ゼロ過ぎんだろ」
「いやいや、普段はそうじゃないぞ!? 今は、多分……あの過去の【グリモア】の事で考え込んでるだけだろうし……」
……って、そう言えば俺も一人で移動中のブラックの様子はあまり知らないな。
すぐにブラックの所に飛び込んでたから、キュウマに説明して貰うヒマも無かったんだけど……本当に毎回キュウマの言うような感じなんだろうか。
でも流石に今回のはかなり特別だと思うんだけどな……。
ブラックも考え込んだら結構深くまでハマッちゃうタチだし、そういう時は話しかけても聞いてくれなかったりするから、その状態がずっと続いてるだけなんだよ。
だから、いつもはこんなヒゲを生やし放題にはしてない……と、思うんだが。
そう思ってキュウマを振り返るものの、相手は肩を竦めて「やれやれ」の顔だ。
「二日もそれが継続するのは相当だと思うがね。……ともかく、早く行ってやれ。もう次の宿に到着したみたいだぞ。ほれ、部屋の中に送ってやるから」
「う、うん……」
そうだな。ブラックが一人でいてずっとあの話を反芻しているなら、頭を休ませる為にも早く行ってやらなくちゃいけない。
考えすぎたら、精神疲労でいつか倒れちまうよ。
ローレンスさんが何を伝えたくて「ここまで会いに来い」と言ったのかは分からないけど、それでも自分の容姿を気にしないレベルで考え込むのは体に毒だ。
こういう時のブラックは、一人にしちゃおけない。
何とかして、気を紛らわさせないと……。
でなきゃ、あの捕えどころのない飄々としたローレンスさんとは戦えないぞ。
「よしっ、部屋に入ったな。行け、据え膳!」
「ばっ、バカ変なこと言うなよ!! もうっ……い、行くからな!」
とんでもない呼び方をされてつい怒ってしまったが、しかし……正直な話、こうしてブラックの所に戻れるんだと思うと、やっぱりドキドキしてしまう。
期待とか、そういうんじゃないんだけど。
でも、何と言うか……嬉しくて、早くブラックの傍に行きたくて、そういうのでドキドキするんだ。……なんか、俺じゃ絵面がキモいだけかもしれないんだけどさ。
けれど実際そうなっちゃうんだから、仕方ない。
……恥ずかしいけど、俺は、それくらいブラックの事が……好き、なんだろう。
そう思うと、また顔に熱が上がって恥ずかしさが増す。
心の中で「好き」だと思うだけで、どうしてこんなに動揺してしまうのかな。
本当に、初めての事で。今でも、自分で自分が理解しきれない。
それでも……この気持ちを手放す事なんて、もう出来ないんだ。
俺は「好きな人」を、もう選んでしまったから。
――――……マジで、あのヒゲモジャ中年でもドキドキしちまうんだから、俺ってば本当に戻れないところまで来ちゃったんだよなあ……。
そう思うと重苦しい気持ちが湧いてこないでもないが、それでも嫌な気持ちは微塵も押し寄せてこない。そんな自分に苦笑しながら、俺は穴に飛び込んだのだった。
早く、ブラックの心を紛らわせてやりたかったから。
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