異世界日帰り漫遊記!

御結頂戴

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断章 かつて廃王子と呼ばれた獣

  本性の獣2

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 ――――かつてこの世には、良きものと悪しきものがあった。

 広く青き大地にったものは、そのどちらかに分かれたのだ。

 良きものは大地を愛し、命を愛した。
 悪しきものは大地を蹂躙じゅうりんし、命を奪った。

 その二つは決して相容あいいれぬものであり、戦う定めであったという。

 ゆえに、悪しきものは良きものを食らい尽くそうとあぎとを開けた。
 闇夜よりも暗くおぞましいくちで、次々に戦うすべすら知らぬ良きものを食らい、その命に感謝をべる事も無く、ればるだけを食い尽くそうとしていたのだ。

 その暴食は、あまりにも残酷すぎた。

 だが、悪しきものの暴食を止めるものがついに現れる。

 そのは、広く青き大地を染める血になげき悲しみ、涙を流した。

 こんなことがってはならない。
 良きものを救うべきだ、と。

 るべき命が不当に食い荒らされたことにいきどおり、命の尊さを知ることなど無い悪しきものに絶望感を覚えていた“一人の良きもの”は、悪しきものを見てこう思った。

 ――――良きもの達は弱い。悪しきものに立ち向かうちからが無い。

 ならば、その悪しきちからを「良きもの」としてせればいい。

 “一人の良きもの”は考え、そうして――――ひとつの命を、創り出した。


 いわく、その体は地平の山脈。

 いわく、その頭は大峡谷だいきょうこくあぎと

 いわく、その尾は大河をさえぎるもの。


 山を凌駕りょうがし大海をおののかせる、異形の聖獣。


 良きものとも悪しきものとも異なるその姿をもって、彼を生んだ“一人の良きもの”は「神」と名を変え、大地をもおおうその愛し子に名を付けた。

 の目は、良きものの意志を継ぐ瞳。

 くちは、悪しきものを退しりぞける雷鳴。

 の体は、良きものの心を持ち、悪しきものを越える獣の体。

 の全ての武力は良きものを、愛しきものを守るためのほこちから

 これを宣言し名付けるは、聖獣に相応ふさわしきいにしえの獣の名。


 ――――ベーマス。


 これから全ての獣の守護者となり、始祖となり、命をつなぐもの。
 その意味を持つ名こそが「ベーマス」である。

 ベーマスは、悪しきもの……と呼ばれる者達の強力な体を持ちながらも、聖獣たる武力と特殊な姿を持っていた。

 そんな聖獣ベーマスに良きもの達は手を伸ばし、次々におのれを守るベーマスに対して礼と感謝の言葉をべた。
 生まれて間もない、それでも山のように大きな赤子の獣を愛し、いつくしみ、そしてその守る力に深く感謝をする。そんな良きものたちの心を学び、獣の姿をしたベーマスは、良きものの心を学び「人」となっていった。

 けがれなき獣の体に、ほこたかくあって他者をいつくしむ人の心。

 聖獣ベーマスは、おのれがモンスターよりも崇高な存在であり、人々を守るほこりあるものとしてらねばならないという強い意志を持った。
 そうして、次々に悪しきモンスターを討伐していったのだ。

 だが、それでも悪しきものたるモンスターの数は減る事が無かった。

 いくら強く巨大なベーマスであっても、やはり一人で守るには限界が来る。
 そう悟った賢い聖獣ベーマスは、おのれの親たる神に「眷属けんぞく」を生むちからを望んだ。

 良きものたる神はすぐにその願いを聞き届け、ベーマスに眷属けんぞくを生む力を与えた。
 すると、すぐにその中から三人の子が産まれたのである。

 それぞれ、水牛、獅子、狼。
 今も神獣として生きたたえられる「もっとも古き群れの三王」は、ベーマスの名に恥じぬ戦いを見せ大いに悪しきもの達を牽制けんせいする助けとなった。

 それからは、次々に眷属けんぞくたる……獣人族の始祖が生まれた。

 猫、犬、馬、むじなくま山羊やぎ

 その中でも特別に強かったのは――――くまである【アーカディア】だった。

 彼は数多存在する獣人の中で、特別な「最も古き群れの三王」の次に初めて神獣だと認められた。そうして、いただいた名が【アーカディア】だった。

 【アーカディア】は三王と共に、親たる聖獣ベーマスを守りモンスターと戦った。

 その活躍は百の敵を一度にはらい、千の敵をどこまでも追いかけ素早く確実に殺すほど。特殊な武力を持たずとも、その持って生まれたつめきばと足で勇猛果敢に敵の群れへと飛び込み、十二分じゅうにぶんな働きをしめしたという。

 ゆえに、神と聖獣ベーマスの加護により名を戴いた【アーカディア】は、特別な獣人であることをしめす「神獣」の称号も名と同時にさずかかったのである。

 強く、優しく、どんな獣もかなわぬほど愛を求めるその心に、神は【特殊技能デイェル】として、大地を操るちからを授けた。

 一吠ひとほえすれば、大地が割れて土のとげが無数に立ち上がる。
 誰かを守ろうと思えば、その場の土が壁のようにせり上がった。

 ……それは、本来であれば人には過ぎたちからだ。
 人を愛さぬものが使えば味方すら傷つけてしまう怖ろしい武力だったが、親である聖獣ベーマスと仲間を愛する【アーカディア】には、良きものを傷付けるような悪心など欠片かけらも無かった。

 誇り高く、そして仲間を愛する良き獣人であれば、どのような力であろうとも素晴らしい存在に変わりはない。
 神はそうお思いになり、これにより獣人達には、モンスターよりも優れた【特殊技能デイェル】が常にさずけられることになったという。

 その武力によって、良きものを守る聖獣の群れはモンスターを圧倒した。

 だが、それでも、海から寄り来る桁違けたちがいに強力なモンスター達には辛勝しんしょうするばかりで、次第にベーマスの子である獣人にも被害がおよび始めた。
 海の底深くから陸地に現れるは、海のけがれを食らい予想以上のちからを振るい始めたのだ。

 生み出した子である獣人達の死に、聖獣ベーマスはなげき悲しんだ。

 そして今まで子に頼り切り戦ってきたおのれを恥じたという。

 ――聖獣ベーマスは、原始たったの一人で戦い抜いてきた。

 それを忘れ多くの子を従えるだけになっていた己を、深い怒りでにくんだという。
 だが慈悲深いベーマスの行動は、それだけでは終わらなかった。

 もはや愛する子どもにまかせてはおけぬと決心した聖獣ベーマスは、涙を流しながらその体をさらに大きくふくらませ、決して海でおぼれることの無い体にった。
 並みのモンスターでは最早もはやかなわぬ雄大さだったが、それでも海より来るモンスター達をたばねる南海の悪しきものは巨大で、勝てるかどうかの見込みもない。

 しかし勇ましい聖獣ベーマスは退く事も無く、良きものと我が子を守るために大海を足で進み、ついには暑き南海の果てに潜む巨大な悪しきものと組み合った。

 その戦いは大波を起こし、空を咆哮でつんざき、月と太陽が片手の指を越えるほどに昇って来ようと終わることの無い激しい戦いだった。
 背に乗る全ての獣人達が昼夜応援してもまだ足りぬその死闘に、神獣と神を残し獣人達はついに眠りに落ちる。

 その戦いのすえ満身創痍まんしんそういでようやく悪しきものをたおした聖獣ベーマスは、全ての者の耳に届くほどの咆哮を上げ――――その場に倒れた。

 なげき悲しむ神獣に、聖獣ベーマスは言った。

『悲しむことはない、愛しき子らよ。悪しきもの倒れたいま、我々の使命はされた。何かを守る必要はない。であれば、眠りにつく我が体は愛しきお前達を永久とわに育む大地となろう。この背は山に、この血は川に、肉はお前達のかてとなろう。我が愛しき子らよ、決して良きものの誇り忘れることなく、良きものと同じように食い、栄え、子を成し大いに生きよ。我が望みはなんじらの自由、なんじらの幸福である』

 ――――そう言い残し、倒れた聖獣ベーマスの体は広大な大地となった。

 しかし聖獣ベーマスが戦った悪しきものの“けがれ”はその大地をむしばみ、ベーマスが望んだ緑豊かな大地たる生命を奪ったという。

 ゆえに、今も聖獣の大地は荒野と砂漠に支配されている。

 だがそれをなげくことはあってはならない。
 この荒涼としたむくろは、始祖である聖獣ベーマスが誇り高く戦った証である。




「そんな神話があったんだ……」

 驚きを隠しもせずに、興味深そうな顔をして目を丸くするツカサ。
 そんな可愛らしい仕草をしげもなく見せる無垢な相手に、クロウクルワッハは胸が締め付けられるようだったが、これもぐっとこらえてうなずいた。

「種族により語られていることは少し違うが……それでも、神話として現在伝えられている話では、聖獣ベーマスと神獣のこと、そして『何故この大地はれているのか』を納得させるようなものになっていたらしい」

 神話、とは言ったが、どちらかといえば子供を納得させるための言い訳に近いものなのかもしれない。

 ――何故自分達がむ大地はてているのか。

 その疑問を晴らすために作られたのが、ベーマスの神話なのだろう。
 子供の頃は純粋にベーマス達の活躍を信じていたクロウクルワッハだったが、大人になるにつれてその思いの方が強くなった。

 ……人族と交流し、外の大陸の事を知るにつれて、自分達のむ大陸が「聖なる物」であるというわりには荒廃している事に疑問を抱くようになった。

 多くの獣人はあまり気にしていないようだったが、クロウクルワッハにとって、自分達を愛おしんでいるはずの聖獣ベーマスが、このような厳しい環境を生むというのは理不尽だと感じていたのである。

 だから、そんな偏屈へんくつな子供を納得させるための“言い聞かせ”が、この長くて壮大な神話なのだろう。幼い頃から教え込み、納得させるのだ。
 緑が無かろうと、今も聖獣ベーマスはけがれにあらがっている。
 このほこり高い姿にならい、お前達も不平を言わずほこり高い獣人であれ……と。

(まあ、大抵の獣人は食事と酒に関心が行くから、大地がれていることをなげくような変わり者は滅多にいないんだが……)

 少なくとも、クロウクルワッハが生きてきた時間で、この理不尽さをくちにした存在は居なかった。それは間違いではない。何せ自分は、人と接する機会きかいが少なかったぶん、余計な事を考える時間がある。
 そんなはぐれ者だからこそ、こんなどうしようもないことを疑問に思い続け、今でも寝物語の神話を忘れることが出来なかったのだろう。

 今でも卑屈ひくつな自分に苦笑が湧いたが、ツカサはクロウクルワッハの後ろ暗い所になど気付く事も無く、感心したようにうなずいていた。

「なるほどなあ……。あっ、それにさ、クロウの祖先も出て来たよな!」
「熊の【アーカディア】だな。……まあ、熊の【アーカディア】が特に強かったというのは、さすがに母上の欲目というか……オレのために、英雄を作ってくれただけだと思うが……。ともかく、その祖先が存在していたのは間違いないらしい」

 そんな与太話を目を輝かせて聞いていた幼い頃。
 思い出すと幼い自分の行動に恥ずかしくなるが、ツカサは首を振って嬉しそうに顔に笑みを浮かべて見せた。

「俺はホントの事だと思うけどなぁ。だってさ、アーカディアの行動なんて、クロウそのままじゃん」
「え……」
「仲間を大事に思ってて、家族のことも大好きで、そんな人達を守るために命懸けで敵と戦う熊さんだったんだろ? ご先祖様だけどさ、クロウが“先祖返り”したからなのか、それともクロウがそういう性格だからスーリアさんが話してくれたのか……どっちかは俺には分からないけど……でも、今のクロウは神話の熊さんそっくりじゃん」

 …………そう、なのだろうか。

 恥ずかしい事ばかりをしてきた。情けない失敗ばかりを繰り返してきた。
 後悔する記憶の方が多く、今でも自分自身を許せていない自分がどこかにいる。

 そのくせ、愛されたがって目の前の優しい少年にすがりついた。

 ……なんとも情けない、どうしようもない男。
 それでも、ツカサは神話の中の英雄と言ってくれるのか。

 無意識に耳を伏せていたことに気が付いたが、それでもツカサはそんなクロウクルワッハの姿を愛おしそうに見つめて目を細めると、元気づけるように情けない男の頭を撫でてくれた。

「俺にとっては、アンタは可愛くて格好いいままだよ。どんな時でも」

 ――――飾り気のない、少年らしい素直な言葉。

 だが、そんな一言で充分だった。
 彼が自分に向ける温かい感情が伝わってくる。

 どこまでも自分を受け入れてくれる、どんなことがあっても好きでいてくれる。
 例え自分が、今以上に情けなく弱い存在になったとしても。

 そう、純粋に思える事が、嬉しい。

 おのれが勝ち得た愛情は、失われることが無い。
 今度こそ、何もかもを受け入れてくれる。もう何も失わずに済む。

 そう思うと目の奥から熱いものがこみ上げて来て、クロウクルワッハは目のふちからあふれてこようとする何かをいとって目をしばたたかせた。
 ツカサはそんなクロウに優しい苦笑をこぼし、また目のふちを柔らかく心地の良い指でぬぐってくれる。情けないとも思わず、愛おしげな苦笑で、何度も、何度も。

 ただそれだけ。それだけのことなのに、嬉しい。
 涙が次々にあふれて来て、止まらなくなる。

「ツカサ……」
「そんなに泣いたら目が溶けちまうぞ?」

 子供をたしなめるような言葉だが、その言葉ですら甘く優しい。
 まるで、本当に……ツカサに世話をされる歳の子供に戻ったかのようだ。

 寝物語に聞いた神話を、こうして話したからだろうか。
 とはいえ、愛おしいメスにこんな姿を見せるのは、恥ずべきことだった。
 本来ならメスに嫌われても仕方がない姿を、自分はツカサに見せてしまっている。

 しかし彼は、そんな自分でもいとわないでいてくれた。
 それどころか……こんなにも愛おしそうに、世話を焼いてくれて……。

(…………涙が、止まらない……)

 だが、今はその醜態を不思議と恥ずかしいとは思わなかった。
 それどころか、愛おしい者の指に、涙は次々とめどなく流れ出て。

「話してくれて、ありがとな。クロウ」

 もはや、おのれの本当の名前よりも馴染んでしまった呼び名。
 だが、優しい声で呼ばれると、もうどんな呼び名よりも「いい」と思ってしまう。

 ツカサにその名で呼ばれ続けたい。
 情けなく甘えていいはずがないのに、それでも、ツカサに優しくして貰うと甘える心が涙を際限なくあふれさせてしまう。

 こんな自分を愛してくれているのだと、実感してしまって。

「っ……ぅ……つかさ……」
「うん。……泣いていいよ。クロウが楽になるまで、ずっとここに居るから」

 静かに泣き続ける情けない男の両目を、ツカサは優しく微笑みながらずっとぬぐってくれていた。











 
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