異世界日帰り漫遊記!

御結頂戴

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断章 かつて廃王子と呼ばれた獣

20.堕ちた獣の決心

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 何が起こっているのか、最初は理解が追い付かなかった。

 だが、ヒトという者は、生き抜くためにいつか必ず冷静になる生き物だ。
 自分の体の制御が聞かず、落雷が落ちたかのような衝撃を受けさせられながらも、クロウクルワッハ達は粗末な馬車の中で自分達に起こった事を把握はあくした。

 ――――おそらくは……自分達も【奴隷】という身分に堕ちたのだ。

 あのクラレットという男は、悪辣あくらつな猿どものように自分達をだまして油断させ、そのすきにまんまとクロウクルワッハ達を隷属させてしまったのだ。

 この時は、自分達も【隷属の首輪】という不可解な道具を知らず、ただただ理不尽に落とされる“罰”という名の激痛に恐怖していたが、後にこれらが首輪のせいだと理解してからは、恐怖よりもあきらめの気持ちが強くなった。

 きっと、猿どもに奴隷にされた弱い獣人達もそのような心持ちだったのだろう。

 この【隷属の首輪】は、められたが最後、絶対に外すことが出来ない。
 かなりの強制力があり、ある程度ていどの距離までなら離れていても気軽に「罰」を執行することが出来る。しかも、この首輪はどうやらモンスターを調教するために使うものらしい。【守護獣】と呼ばれる、人族が使役するためのモンスターに反抗心がある物がいれば、この首輪を使うのだそうだ。

 それゆえ、【隷属の首輪】は主人が死ぬ前に解除しなければ、一生外れない。
 新たな主人が解放を命じるまで、縛られたままなのだそうだ。

 ……それを聞いた部下達は、絶望に打ちひしがれていた。

 だまされて奴隷に落ちた事に気を落としただけではない。
 自分の不甲斐ふがいなさや、武力が通用しなかったことへのくやしさ、それになにより……モンスターよりも高等なはずの自分達が、モンスターと同じ扱いをされているという最大の屈辱を今後も与えられ続けるという事実。

 これらが綯交ないまぜになって、彼らを不幸のどん底に叩き落としたのである。

 それは、命令として強制的に動かされるよりもつらい事実だった。

 ……無論むろん、クロウクルワッハとてにくしみや絶望を覚えた。
 しかしそれは、クロウクルワッハにとってはあまり意味を成さなかった。

 何故かは自分でも理解できない。
 だが恐らくは、馴れてしまったのだと思う。

 自分の無能で部下が死ぬことよりつらいことは無い。身内に冷ややかな目をされ、助けて貰えないことほど寂しく苦しいことは無い。
 獣のようにとは言われたが……数年前までまさにモンスターのような下劣な暮らしをしていたクロウクルワッハにとって、その事実は完全な失望に満たなかった。

 だが、部下達が苦しんでいることはつらい。
 自分が奴隷に落ちるのは良いが、今でもずっとこんな不出来な隊長をしたってくれている彼らが苦しむのは、どうしても見過ごせなかった。

 だから、クロウクルワッハは諸悪の根源……クラレットに抵抗し続けた。

 鉱山労働という、獣人世界ではあまり触れた事のない仕事をさせられ、落盤の危険にさらされる部下達を守りながら、何とか彼らだけでも逃がす方法を考える。
 仲間が人族に不当にしいたげられることがあれば、すぐに飛んで行って部下達の代わりに責苦せめくを受けるようにした。

 ……とはいえ、完璧に防げたわけでもなかったが……。
 それでも、クロウクルワッハはその自虐的な行動を取り続けた。

 何年も、何年も何年もずっと。

 助けなど来ない、自発的に逃げられない脱出不可能な場所で、ずっと、そうやって部下を守る事と奴隷のように働くことを強制され続ける。
 食事は最低限のもので、労働環境は劣悪。
 次々に坑道での事故や「罰」という名の人族達の憂さ晴らしで、部下や……自分達とは異なる理由で人族の大陸に渡り、そこで捕えられた他の獣人達が、消えていく。

 「治療する」という名目で連れて行かれはするが、彼らが帰って来ることはまれだ。
 実際は手の付けようがないと放置され、み続ける傷に苦しんでいるらしい。そんな事を、まだ体力が残っていたがゆえ帰ってこられた部下が教えてくれた。

 ――――獣人は丈夫で人族より身体能力が高いが、その体力を維持したり、傷をすぐ治すためには充分な食事が必要だ。
 だが、劣悪な環境と悪辣あくらつな主人のせいで、その食事すら満足に与えられない。

 怪我をしたのなら充分な食事をと進言しても、帰って来るのは「罰の衝撃」と、嘲笑だけだった。「そうなるだろう」というスクリープの言うとおりだった。
 支配者たちは、人族であろうと獣人であろうと、こうも傲慢ごうまんになるのだ。

 スクリープの悔恨かいこんを込めた言葉を噛み締め、もう何度目かもわからない口の中の血の味に顔を歪めながら、クロウクルワッハは思った。

(本来の【奴隷】とは、こういうものなのか……。こうも不自由で、物のようにあつかわれ、命すら使い捨てにして当然な存在として見られることになるとは……)

 父親の逸話を聞くたび、奴隷たちの断片的な話を聞くたびに、酷い行為だとは思っていた。だが、実際に受けるとこれほどまでに心を擦り減らされることだと、そこまで思い至らなかったのだ。

 そんな自分に腹が立ったが、しかしそれが理解できてもどうしようもない。

 今のクロウクルワッハには部下達を助けられる圧倒的な力もなく、せいぜいかばって怒りの矛先ほこさきを自分に向けることしかできない。
 すきをついて逃走経路を確保しようとしたり、兵士達への逆襲を狙ったりしたが、首輪の主人が遠隔で自分を罰することが出来るせいで、それも上手く行かなかった。

 最初は、どうにかしようと頑張っていたのに。
 なのに年を経るごとに、どんどん意識が重くなっていく。気持ちが沈んでいく。

 部下達ですらもう逃げることは出来ないのではとあきらめるほどの絶望が、みなの上に降り積もって行った。

 ――――だが、クロウクルワッハだけは不幸にも絶望しきれなかった。

 元より、人にしいたげられることに慣れていたせいかもしれない。
 絶望を味わい心が壊れてしまっているからなのかもしれない。

 だが、そのせい……もしくは、そのおかげで、正気を失わずに済んだ。

 それもまた、不幸な事なのかもしれないが……おのれたもてたおかげで、部下達を守るという行動を忘れずにいられたのかも知れない。
 シーバも、タオウーも、理知的なスクリープですらも絶望しかけていたが、それでも、クロウクルワッハは部下達を逃がそうとする心を捨てなかった。

 自分は、どうでもいい。元から捨てられたような存在だ。
 だが、こんな最低な自分をしたってくれた部下や無辜むこたみである獣人達は、どうにか解放してやりたい。それは最早もはや、意地のようになっていたのかも知れない。

 その意地が、クロウクルワッハを奮い立たせていたのは事実だ。
 だが、それが結果的に心の中で人族への憎しみを増長させることになった。

 部下を守る力を蓄えるためには、憎しみを抱くしかなかったのかも知れない。
 自分達を不当におとしめたクラレットという男や、下卑げびた笑いを浮かべる兵士達。それだけでなく、自分達を受け入れなかった人族達にも憎しみはおよんだ。

 そうしなければ、人族を敵だと思わなければ、崩れそうだったのかも知れない。

 極限状態の中でクロウクルワッハが気力をたもつには、そうするしかなかった。
 人族を憎み、それを原動力にする以外、どうしようもなかったのだ。

 ――――そうして、幾度いくども脱走を繰り返し、部下をかばい、時には兵士に歯向かって檻に入れられたり罰を受けること数百回。

 最早自傷行為のようになっていたクロウクルワッハだったが……そこまでしてようやく、おのれめられている【隷属の首輪】の欠陥に気が付いた。

 この首輪は確かに獣人を従わせられる道具だが、どうも自分に対してだけは効力が弱いようで、一度乱闘騒ぎを起こした際、スクリープ達よりも長い時間自分は動く事が出来ていたように思う。
 それに、一度彼らと脱出経路を探った時、クロウクルワッハだけが命令された事に対して多少の抵抗をていた。

 自分だけ、効力が弱いのか。
 最初はそう思っていたが、クロウクルワッハはある仮説を立てた。

(もしかしたら……この首輪は、主人との能力差が開けば開くほど、命令の強制力が効かなくなるのではないか)

 ビオール・クラレットという男は、人族の作る不可解な群れ……【財団】という集団に所属しており、裕福そうな人族だった。
 だが、その男は見た目も能力からしても、おおよそ自分達にかなう所は無い。

 この力量差が首輪の効力を狂わせているとすれば――――

 なんとか、自分だけは外に出る方法があるかもしれない。

 ……だがそれは、自分一人で逃げるのではなく「あること」を確かめるためだ。

(どれくらい、オレは逃げる事が出来るのか。どこまで行けば……部下達を助ける手掛てがかりが見つかるのか……)

 そう。「あること」とは、助けを求められるかと言うことだった。

 ……くやしいことだが、首輪をめられた自分では最早もはやどうすることも出来ない。
 ゆえに、とにかく今はどこまで逃げられるのかを確かめて、それからどうすべきかを考える必要があった。

 助けるためなら、憎い人族に対して降頭する覚悟も出来ている。
 だがそれも、見極めてからだ。
 どうせさげすまれることには慣れきっている。だからこそ、今はその失望しきれない無様ぶざまな自分を使うべきだと思ったのだ。

 ――――人族の大陸に来てから、過去の自分を捨てた。
 その時に「わたし」という丁寧ていねいな言葉遣いを捨て、王子としての振る舞いを捨てた。代わりに獲得したのが、粗野な自分にしっくりとくる「おれ」という言葉だ。

 そう。
 もう自分は変わり果てている。

 清廉潔白な王子を目指そうとした若い獣は死んで、今は意地汚く生きる底辺の獣として、この場所に存在しているのだ。

 ならば、みにくくあがいたとてもう今更いまさら何かが変わるはずもない。

(オレは一生、無様ぶざまな獣で良い。だから、せめて。……こんなオレでもしたってくれる、スクリープ達だけは……)

 祈るようにそう思いつつ、初めて目の前の檻に手をかける。
 今までは「壊したところでどうにもならない」と思っていた檻を、簡単に壊せた。

 だが、それでも、首輪の効力があるうちは完全に逃げる事など出来ない。
 そんな言い表せぬ歯痒はがゆさを感じながら、クロウクルワッハは獣であるおのれの熊の手をじっと見つめたのだった。












 
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