826 / 952
断章 かつて廃王子と呼ばれた獣
20.堕ちた獣の決心
しおりを挟む何が起こっているのか、最初は理解が追い付かなかった。
だが、ヒトという者は、生き抜くためにいつか必ず冷静になる生き物だ。
自分の体の制御が聞かず、落雷が落ちたかのような衝撃を受けさせられながらも、クロウクルワッハ達は粗末な馬車の中で自分達に起こった事を把握した。
――――おそらくは……自分達も【奴隷】という身分に堕ちたのだ。
あのクラレットという男は、悪辣な猿どものように自分達を騙して油断させ、その隙にまんまとクロウクルワッハ達を隷属させてしまったのだ。
この時は、自分達も【隷属の首輪】という不可解な道具を知らず、ただただ理不尽に落とされる“罰”という名の激痛に恐怖していたが、後にこれらが首輪のせいだと理解してからは、恐怖よりも諦めの気持ちが強くなった。
きっと、猿どもに奴隷にされた弱い獣人達もそのような心持ちだったのだろう。
この【隷属の首輪】は、嵌められたが最後、絶対に外すことが出来ない。
かなりの強制力があり、ある程度の距離までなら離れていても気軽に「罰」を執行することが出来る。しかも、この首輪はどうやらモンスターを調教するために使うものらしい。【守護獣】と呼ばれる、人族が使役するためのモンスターに反抗心がある物がいれば、この首輪を使うのだそうだ。
それゆえ、【隷属の首輪】は主人が死ぬ前に解除しなければ、一生外れない。
新たな主人が解放を命じるまで、縛られたままなのだそうだ。
……それを聞いた部下達は、絶望に打ちひしがれていた。
騙されて奴隷に落ちた事に気を落としただけではない。
自分の不甲斐なさや、武力が通用しなかったことへの悔しさ、それになにより……モンスターよりも高等なはずの自分達が、モンスターと同じ扱いをされているという最大の屈辱を今後も与えられ続けるという事実。
これらが綯交ぜになって、彼らを不幸のどん底に叩き落としたのである。
それは、命令として強制的に動かされるよりもつらい事実だった。
……無論、クロウクルワッハとて憎しみや絶望を覚えた。
しかしそれは、クロウクルワッハにとってはあまり意味を成さなかった。
何故かは自分でも理解できない。
だが恐らくは、馴れてしまったのだと思う。
自分の無能で部下が死ぬことよりつらいことは無い。身内に冷ややかな目をされ、助けて貰えないことほど寂しく苦しいことは無い。
獣のようにとは言われたが……数年前までまさにモンスターのような下劣な暮らしをしていたクロウクルワッハにとって、その事実は完全な失望に満たなかった。
だが、部下達が苦しんでいることはつらい。
自分が奴隷に落ちるのは良いが、今でもずっとこんな不出来な隊長を慕ってくれている彼らが苦しむのは、どうしても見過ごせなかった。
だから、クロウクルワッハは諸悪の根源……クラレットに抵抗し続けた。
鉱山労働という、獣人世界ではあまり触れた事のない仕事をさせられ、落盤の危険に曝される部下達を守りながら、何とか彼らだけでも逃がす方法を考える。
仲間が人族に不当に虐げられることがあれば、すぐに飛んで行って部下達の代わりに責苦を受けるようにした。
……とはいえ、完璧に防げたわけでもなかったが……。
それでも、クロウクルワッハはその自虐的な行動を取り続けた。
何年も、何年も何年もずっと。
助けなど来ない、自発的に逃げられない脱出不可能な場所で、ずっと、そうやって部下を守る事と奴隷のように働くことを強制され続ける。
食事は最低限のもので、労働環境は劣悪。
次々に坑道での事故や「罰」という名の人族達の憂さ晴らしで、部下や……自分達とは異なる理由で人族の大陸に渡り、そこで捕えられた他の獣人達が、消えていく。
「治療する」という名目で連れて行かれはするが、彼らが帰って来ることは稀だ。
実際は手の付けようがないと放置され、膿み続ける傷に苦しんでいるらしい。そんな事を、まだ体力が残っていたがゆえ帰ってこられた部下が教えてくれた。
――――獣人は丈夫で人族より身体能力が高いが、その体力を維持したり、傷をすぐ治すためには充分な食事が必要だ。
だが、劣悪な環境と悪辣な主人のせいで、その食事すら満足に与えられない。
怪我をしたのなら充分な食事をと進言しても、帰って来るのは「罰の衝撃」と、嘲笑だけだった。「そうなるだろう」というスクリープの言うとおりだった。
支配者たちは、人族であろうと獣人であろうと、こうも傲慢になるのだ。
スクリープの悔恨を込めた言葉を噛み締め、もう何度目かも判らない口の中の血の味に顔を歪めながら、クロウクルワッハは思った。
(本来の【奴隷】とは、こういうものなのか……。こうも不自由で、物のように扱われ、命すら使い捨てにして当然な存在として見られることになるとは……)
父親の逸話を聞くたび、奴隷たちの断片的な話を聞くたびに、酷い行為だとは思っていた。だが、実際に受けるとこれほどまでに心を擦り減らされることだと、そこまで思い至らなかったのだ。
そんな自分に腹が立ったが、しかしそれが理解できてもどうしようもない。
今のクロウクルワッハには部下達を助けられる圧倒的な力もなく、せいぜい庇って怒りの矛先を自分に向けることしかできない。
隙をついて逃走経路を確保しようとしたり、兵士達への逆襲を狙ったりしたが、首輪の主人が遠隔で自分を罰することが出来るせいで、それも上手く行かなかった。
最初は、どうにかしようと頑張っていたのに。
なのに年を経るごとに、どんどん意識が重くなっていく。気持ちが沈んでいく。
部下達ですらもう逃げることは出来ないのではと諦めるほどの絶望が、皆の上に降り積もって行った。
――――だが、クロウクルワッハだけは不幸にも絶望しきれなかった。
元より、人に虐げられることに慣れていたせいかもしれない。
絶望を味わい心が壊れてしまっているからなのかもしれない。
だが、そのせい……もしくは、そのおかげで、正気を失わずに済んだ。
それもまた、不幸な事なのかもしれないが……己を保てたおかげで、部下達を守るという行動を忘れずにいられたのかも知れない。
シーバも、タオウーも、理知的なスクリープですらも絶望しかけていたが、それでも、クロウクルワッハは部下達を逃がそうとする心を捨てなかった。
自分は、どうでもいい。元から捨てられたような存在だ。
だが、こんな最低な自分を慕ってくれた部下や無辜の民である獣人達は、どうにか解放してやりたい。それは最早、意地のようになっていたのかも知れない。
その意地が、クロウクルワッハを奮い立たせていたのは事実だ。
だが、それが結果的に心の中で人族への憎しみを増長させることになった。
部下を守る力を蓄えるためには、憎しみを抱くしかなかったのかも知れない。
自分達を不当に貶めたクラレットという男や、下卑た笑いを浮かべる兵士達。それだけでなく、自分達を受け入れなかった人族達にも憎しみは及んだ。
そうしなければ、人族を敵だと思わなければ、崩れそうだったのかも知れない。
極限状態の中でクロウクルワッハが気力を保つには、そうするしかなかった。
人族を憎み、それを原動力にする以外、どうしようもなかったのだ。
――――そうして、幾度も脱走を繰り返し、部下を庇い、時には兵士に歯向かって檻に入れられたり罰を受けること数百回。
最早自傷行為のようになっていたクロウクルワッハだったが……そこまでしてようやく、己に嵌められている【隷属の首輪】の欠陥に気が付いた。
この首輪は確かに獣人を従わせられる道具だが、どうも自分に対してだけは効力が弱いようで、一度乱闘騒ぎを起こした際、スクリープ達よりも長い時間自分は動く事が出来ていたように思う。
それに、一度彼らと脱出経路を探った時、クロウクルワッハだけが命令された事に対して多少の抵抗を成し得ていた。
自分だけ、効力が弱いのか。
最初はそう思っていたが、クロウクルワッハはある仮説を立てた。
(もしかしたら……この首輪は、主人との能力差が開けば開くほど、命令の強制力が効かなくなるのではないか)
ビオール・クラレットという男は、人族の作る不可解な群れ……【財団】という集団に所属しており、裕福そうな人族だった。
だが、その男は見た目も能力からしても、おおよそ自分達に敵う所は無い。
この力量差が首輪の効力を狂わせているとすれば――――
なんとか、自分だけは外に出る方法があるかもしれない。
……だがそれは、自分一人で逃げるのではなく「あること」を確かめるためだ。
(どれくらい、オレは逃げる事が出来るのか。どこまで行けば……部下達を助ける手掛かりが見つかるのか……)
そう。「あること」とは、助けを求められるかと言うことだった。
……悔しいことだが、首輪を嵌められた自分では最早どうすることも出来ない。
ゆえに、とにかく今はどこまで逃げられるのかを確かめて、それからどうすべきかを考える必要があった。
助けるためなら、憎い人族に対して降頭する覚悟も出来ている。
だがそれも、見極めてからだ。
どうせ蔑まれることには慣れきっている。だからこそ、今はその失望しきれない無様な自分を使うべきだと思ったのだ。
――――人族の大陸に来てから、過去の自分を捨てた。
その時に「わたし」という丁寧な言葉遣いを捨て、王子としての振る舞いを捨てた。代わりに獲得したのが、粗野な自分にしっくりとくる「おれ」という言葉だ。
そう。
もう自分は変わり果てている。
清廉潔白な王子を目指そうとした若い獣は死んで、今は意地汚く生きる底辺の獣として、この場所に存在しているのだ。
ならば、醜くあがいたとてもう今更何かが変わるはずもない。
(オレは一生、無様な獣で良い。だから、せめて。……こんなオレでも慕ってくれる、スクリープ達だけは……)
祈るようにそう思いつつ、初めて目の前の檻に手をかける。
今までは「壊したところでどうにもならない」と思っていた檻を、簡単に壊せた。
だが、それでも、首輪の効力があるうちは完全に逃げる事など出来ない。
そんな言い表せぬ歯痒さを感じながら、クロウクルワッハは獣である己の熊の手をじっと見つめたのだった。
→
40
お気に入りに追加
1,010
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


飼われる側って案外良いらしい。
なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。
なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。
「まあ何も変わらない、はず…」
ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。
ほんとに。ほんとうに。
紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22)
ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。
変化を嫌い、現状維持を好む。
タルア=ミース(347)
職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。
最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

異世界転生して病んじゃったコの話
るて
BL
突然ですが、僕、異世界転生しちゃったみたいです。
これからどうしよう…
あれ、僕嫌われてる…?
あ、れ…?
もう、わかんないや。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
異世界転生して、病んじゃったコの話
嫌われ→総愛され
性癖バンバン入れるので、ごちゃごちゃするかも…

ある日、人気俳優の弟になりました。
雪 いつき
BL
母の再婚を期に、立花優斗は人気若手俳優、橘直柾の弟になった。顔良し性格良し真面目で穏やかで王子様のような人。そんな評判だったはずが……。
「俺の命は、君のものだよ」
初顔合わせの日、兄になる人はそう言って綺麗に笑った。とんでもない人が兄になってしまった……と思ったら、何故か大学の先輩も優斗を可愛いと言い出して……?
平凡に生きたい19歳大学生と、24歳人気若手俳優、21歳文武両道大学生の三角関係のお話。

○○に求婚されたおっさん、逃げる・・
相沢京
BL
小さな町でギルドに所属していた30過ぎのおっさんのオレに王都のギルマスから招集命令が下される。
といっても、何か罪を犯したからとかではなくてオレに会いたい人がいるらしい。そいつは事情があって王都から出れないとか、特に何の用事もなかったオレは承諾して王都へと向かうのだった。
しかし、そこに待ち受けていたのは―――・・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる