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断章 かつて廃王子と呼ばれた獣
審判の日2
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末弟ルードルドーナとの決闘。
今にして思えば、アレはなるべくしてなった事のように思える。
相手は若く闘気に溢れたオス。それに対してこちらは未だに精神が不安定で、訓練すらままならぬほどに疲弊した中年のオスだ。
訓練を欠かさなかった普段の自分であれば負けは無かったかもしれないが、それも誤りかも知れない。どちらにせよ、精神的な部分で負けていたように感じる。
――――あの時のクロウクルワッハは、闘志すら無かった。
表面上は全力を出していたが、それでも心の入らない拳は弱く脆いものだ。
本来であれば文官たるルードルドーナに負けるはずのないクロウクルワッハの拳も、覇気がなければ十分に耐えうる拳だった。
……元から、精鋭に成るべく生まれたような種族の体だ。
同じ強者の熊族であれば、最終的に精神が強い者の方が勝つこともある。
流されやすいとはいえ、慕う者の言葉を強く信じやすいルードルドーナの闘気は、確かに強者の精神が垣間見えた。
「何をしても絶対に勝ってやる」という気持ちが強く表れた若い意志が、何もかもを諦め処刑の日を望むような弱い意志に負けるはずもない。
あの結果は、結局のところクロウクルワッハ自身が招いたものだった。
……例え、ルードルドーナの部下が、クロウクルワッハの体勢を崩そうと死角から小さな石の礫などをつぶけてこようとも、何とかしてこちらの攻撃を妨害しようとして密かに動き回っていても、結果は変わらなかった。
クロウクルワッハが強固な意志で戦ってさえいれば、負けなかった戦いだ。
決闘を観戦していたスクリープ達は必死に「無効な決闘だ」と擁護してくれていたが、もうクロウクルワッハには――――そんなことなど、どうでも良かった。
戦って、負けた。
ついに負けることが出来た。
これで、ようやく誰かが自分を罰してくれる。
自分に相応しい罰を与えて、この長く苦しい人生を終わらせてくれる。
もう何もかもに、疲れた。
自分の事を責めるのも、こんな自分を嫌いでいる事も、誰かに恨まれることも。
全部、疲れてしまった。
だから、ルードルドーナの傍若無人な振る舞いは……
クロウクルワッハにとっては、救いでもあったのだ。
「勝負はつきましたね。やはり貴方は、この程度の獣だった」
「…………」
何も言えず、ただ地面に膝をつく。
そんなクロウクルワッハをせせら笑うルードルドーナの背後に、彼を守るかのような意識を持った白い軍靴の者達が集まった。
……皆、ルードルドーナの部下達だ。
最早決闘を続ける意思もないと思われて、部下が這い出てきたのだろう。
「文官の私にも負けるような者が今まで【護国武令軍】にいたなんて、本当にとんでもない話ですよ。こんな惰弱で愚かな獣がいるから、部下を死なせるなどと言う失態を犯すんだ。まったく……こんなに弱くて役立たずの部隊を作った父上も甘すぎる」
この敗北は「救い」でもあった。
疲弊しきったクロウクルワッハが、そう望んだからだ。
だが、その言葉だけは……どうにも、納得がいかなかった。
(違う……っ。私の部下が死んだのは、あの【常闇の砦】で悪辣な魔族と命を懸けて戦ったからだ。アレは失態などではない、断じて……!!)
自分の事は、何を言われても良かった。
だが、部下達の死だけは違う。確かにクロウクルワッハ自身、自分が至らぬ指揮をしたせいでと思っていたが、しかし彼らの死自体は軽んじられる事ではないはずだ。
部下達は、人の命を守るために死力を尽して戦った。
決して弱かったわけではない。絶対に違う。
(私が負けることで、部下達が軽んじられるなんて……そんな、そんなことは絶対に、あってはならない……!!)
自分だけが罰を受けるだけなら、甘んじて受けるつもりだった。
だが、そのせいでスクリープ達まで軽んじられるとは思わなかったのだ。いや、様々な苦難に疲弊していたせいで、今まで気が付かなかったのかも知れない。
独りよがりに罰を求めていたせいで、また自分は間違ってしまったのか。
だが、これだけは。
その認識だけは違うのだと言わねばならない。
もう、部下達を苦境に立たせたくなかった。
こんな自分に付いて来てくれた、最後まで信頼してくれていた仲間達を侮辱される事だけは、絶対に許せない。そのことが、異様に悔しさを湧き立てた。
「爪も拳も、大したことが無い。貴方のような存在がいるから、弱い第二大隊がいるから、そのせいで第三大隊の私達も軽んじられるんですよ」
ただじっと内なる己への激怒と失望に堪えるが、それもまた恥の上塗りだ。
耐えると言う行為自体が、己の「納得いかない」という浅ましい激情を嫌と言うほど訴えて来る。この状況になっても、自分は負けを認められていないのだ。
(この状況で? ……自分で自分が恥ずかしい)
みっともない感情に自嘲したくなるが、笑みの浮かべ方など忘れている。
自分は、その程度の気概も己の制御すらも出来ないのだ。
――――どうしようもなく、みじめだった。
「この闘争で敗北すれば、軍職を辞す。そういう約束でしたね。……では、どこへなりとも向かわれたらよろしい。もっとも……家畜の負け犬にも劣る今の貴方には、このベーマスの地は厳しいかも知れませんが」
今更ながらに、己が本気で戦わなかった事への怒りが湧いてくる。
だが、もう遅い。
勝負は決してしまった。
自分にはもう、どうすることもできないのだ。
例え今から「自分は強い。ゆえに、部下達も強いのだ」と主張したとしても、最早、敗北した獣の戯言など誰も聞き届けてくれはしない。
この決闘によって、全ては決まってしまった。
自分に何かを言う権利は無い。全ては剥奪された。
応援してくれた部下達に報いることさえ、出来なかった。
どれだけ己を強者だと主張したとて、敗北者と言う烙印は、もう消えることなどない。
この決闘の話は千里を駆け、どこへ行こうがもう誰もクロウクルワッハを相手にしてくれなくなるだろう。誇りを重んじる獣人の社会において、決闘での敗北……しかも、一方的に負ける事は、弱い獣としか言いようがない負け方だったのだから。
……年月を積み重ねても、崩れ去るのは一瞬だ。
そんな事も気が付かずに己はただ自分の為だけに罰を願ってしまっていた。
気が付いても、もう遅い。
いつのまにか、自分は“なけなしの誇り”すら失ってしまっていたのだ。
(……ああ、確かに……今の私は、どうしようもない敗北者だな……)
何も守れず、誰も救えず、独りよがりな選択をしてしまった。
愚かで呪わしい敗北者。
部下達もきっと、幻滅しただろう。もう、誰にも会わせる顔が無い。
――――消えてなくなってしまいたかった。
だが、その願いすら誰かにとっては独りよがりで迷惑な願いなのだろう。
ならばもうどうすれば良いのか分からない。
どこへ逃れても誰かに迷惑をかけるような気がする。
誰かを悲しませて、誰かを苦しめて、永遠に恨まれてしまう。
部下達すら、最後の最後で裏切ってしまった自分だ。
もう、どうしようもない。
「さようなら、兄上」
冷たい別れの言葉が、吐きかけられる。
クロウクルワッハが「王子」として聞いた、最後の言葉だった。
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