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断章 かつて廃王子と呼ばれた獣
5.“それ”が始まる前
しおりを挟む「そんな……そんなの、クロウが悪いわけでも、ましてやスーリアさんが悪いワケでもないのに……!」
俺の故郷の日本でだって、昔は子供が生まれた後のお母さんは体の維持が大変で、ふとすれば赤ちゃんを産んで死んでしまう事もあったんだって聞いた。
栄養失調や心の病気もそうだけど、感染病や、体力が落ちた事で発症する持病や新たな病に蝕まれて、病床で過ごす人も少なくなかったって。
それに、婆ちゃんが家でしょっちゅう流してた時代劇でも「産後の肥立ち」って言葉が常に出てくるような有様だったし、昔はそれくらい出産も命がけだったんだ。
……まあ、婆ちゃんと時代劇の受け売りだけど……でも、それで俺も子供ながらに「昔は赤ちゃんを産むのも大事だったんだな」ってしみじみ思ったんだよ。
満足な医療が無い……というか、恐らく医療と言う概念がないこの獣人大陸では、恐らくそういう場合は何のケアも出来なかったんだろう。
そもそもが頑丈な獣人族だ。出産してもある程度動ける獣の性質を持つ彼らには“人族のように弱々しい獣”が生きるための対処法を生み出せなかった。
強いがゆえに、弱さに無知なのだ。
……仕方のない事だとは思う。だけど……実際にその「無知」で近しい人の身内が無くなったのだと思うと、どうしても胸が苦しくなる。
だから思わず声を荒げて俺を抱えているクロウの顔を振り返ってしまったが、相手は怒るでも悲しむでもなく、ただ穏やかな無表情で俺を見つめていた。
「オレは……本心を言えば、間違っていないと今でも思っている。……オレは、母上と父上に、幸せになることを望まれていた。だが、生まれたオレが持っていたのは、母上が最も望まなかった“土の曜術しか扱えない”特殊技能だった。……他に、色々な能力を持てればよかったのだが……そうはならなかった」
「クロウ……」
淡々と話しているように見えるけど、その無表情の奥でどれだけ悲しんでいるのか、今の俺には理解できる。自分がそれを「不当だ」と言ってしまえば、更に自分の両親を苦しませることになると思っているから、クロウは今でも「違う」と言えないんだ。
認めてしまえば、感情を押し込めてしまえば、もうそれ以上誰も苦しまない。
みんなが「責める対象」を見失わずに済み、安心できる。
なら、自分が恨まれることも仕方ない。
だって、両親の期待を裏切ったのだから。
……クロウは、そうやって……小さい頃から、自分の心を閉じ込めていたんだな。
でも。でもさ、そんなの悲しすぎるよ。
スーリアさんだって、ドービエル爺ちゃんだって、そんなの願ってなかったはずだ。
クロウは何も悪くないのに、間違ってないなんて言うのは悲しすぎるよ。
「……ツカサ。お前は、そうやっていつもオレの心に寄り添ってくれるな。オレのために、悲しんで涙を流してくれる。だからオレは、こうして心穏やかでいられるんだ」
「っ……クロウ……」
そう言ってくれるけど、だったら何で俺を抱きしめてくるんだろう。
膝に座っているだけで満足できなくて、こんな時に俺を抱え込もうとするのは、心がしんどいからじゃないのか。だとしたら、俺は悔しいよ。
だって、アンタのこと、こうやってしか、少ししか和らげられてないじゃないか。
クロウは俺に感謝してくれてるけど、その過去が俺ごときで全部癒せるほど簡単な物じゃないことは、俺が一番分かってるよ。
ブラックだって、未だに俺に話そうとして、でも話せなくて苦しんでるんだ。
長い間、自分の中に押し込んでいたものが、こんな簡単に消えるはずがない。
だから悔しいんだ。
クロウは優しい。だけど、優しすぎる。
なのに俺は気の利いた言葉一つ思いつかなくて、こうして抱き締められていることしかできない。……仲間なのに、一緒に居たい過去を知りたいって言ったのは俺の方なのに……傷一つ癒せない自分が、情けなくて仕方なかった。
「悲しい顔をするな。……だが……そうしてオレを想ってくれるのが、嬉しい。オレのために泣いて、それだけじゃなく悔しがってくれる。……ただ、純粋に。……ツカサの好きな所のほんの一つだ」
「ぅ……」
「そう思ってくれるだけで、オレは救われる。……ツカサも聞くのが苦しい話だと思うが、もう少しだけ聞いてほしい」
クロウの大きな手が、俺の頬に触れる。
カサついてて、皮が分厚くて、常に誰かと戦ってきた男の手だ。
俺のへなちょこな手とは全然違う。節くれ立っていて、骨だって太くて、ちょっとやそっと拳を打ち付けたって平気なほど鍛えられている。
それだけ努力して、今まで耐えてきたのだって立派なのに……。
「……うん。最後まで、ちゃんと聞くよ。俺が、アンタの身の上話を全部聞いた最初の男だって、ちゃんと胸張って言えるように」
クロウの心の傷を、どうにかして軽くしてやりたい。
だけど、今ここで俺が憤ったって傷は少しも軽くはならないだろう。
だから俺は言葉を飲み込んで、クロウの願いに頷いた。
「ありがとう、ツカサ……」
俺を抱きしめて、クロウが再び語り口を開く。
……とても愛されていたのに、それと同じくらいに憎まれていた。
そんな小さな子供の記憶は、どんなものだったのか。
聞くのが怖い気もしたけど……でも、聞かないなんて選択肢は無い。俺はクロウの言葉を一言一句全て逃さないように耳を欹てた。
メイガナーダ領。
大瀑布の傍に存在する領都が印象的なその地は、灼熱の地獄とも呼ばれる南部の大砂漠地帯と面する国境の守護全てを受け持つ領地だった。
距離だけで言えば国最大の領地だが、その領域は柄杓のように大部分が細く、国境にへばりつくようにかろうじて存在しているような土地だ。
しかもその土地は、獣人大陸ベーマスの中でも屈指と言われるほどの不毛の土地であり、領主の血族と従者以外の獣人は居つく事すら難しかった。
ゆえに、僅かばかりの“都市を作れるほどの平地”に、両手で足りるほどの居住地を作るだけのメイガナーダ領は、武力についての評価は高いが弱小の領地として、他の領主達には一段下に見られている。
守るための民すら存在せず、ただ国境を守り続けるだけの一族は、守護者であるという誇りを唯一の慰めにして……その血を、ほとんど自分達の血族だけで繋ぎ、時に優秀なメスであれば母や娘とも契り血族を絶やさぬよう努めてきた。
それは、メイガナーダの一族を存続させるための唯一の方法だったのだ。
しかしその常態化した生殖行為が“先祖返り”の血を徐々に強め、結果として才媛でありながら無能力者のスーリアと、その血を受け継いだクロウクルワッハという子が産まれてしまった。
――――クロウが生まれた当時の風潮は、そのようなものだったと覚えている。
第二王妃のスーリアがメイガナーダ領に戻った後、共についてきたクロウは、時折現れる使者の報告を盗み聞いたり、定期的に連れて行かれる王宮で、絶えずその不快な話を聞いていた。
幼いクロウにとっては意味が分からず、ただ「なにか、自分についての嫌なことを、みんながコソコソと話している」という認識だったが、今となってはハッキリと判る。
アレは、自分達への憐憫と「彼女の息子に陛下の能力が受け継がれていれば」という、悪意のない“本当に残念がっている”言葉。
悪意をもって噂する者はむしろ少なく、だがその「憐憫」と「無意識の見下し」が、何も知らなかった幼いクロウの頭にこびりついたのだ。
悪意があろうがなかろうが、諦めにも似た目を常に向けられる子供が感じるのは
『誰も自分には期待していない。誰も、期待してくれはしない』
――――そんな、残酷な真実だけだった。
だが何も教えられていない幼少期のクロウは、そんな周囲の目も分からず、王宮とは離れた領地で、母親との束の間の幸せを満喫していた。
スーリアは病弱ではあったが、それでも体調が良い日は薬草を育て、クロウに物語を語り、いつも笑顔で抱き締めた。限られた従者と自分しかいないこの寂しい館で、一人息子を何一つ不自由なく、最大限の愛情を注いで育てたのだ。
そして、七日に一度訪ねに来てくれる父もクロウを心底可愛がった。
例え重要な戦が在ろうとも、その体を返り血で濡らそうとも、戦場からそのまま走りスーリアとクロウのもとへと帰る。それほどの溺愛ぶりだった。
子煩悩なドービエルは、クロウの置かれた状況を鑑みて、より一層の溺愛を見せることで他の王族達の評価を和らげようとしたのだ。
そんな中で、他種族を用いて奴隷制を強いる猿族の軍隊と、それを許さない熊族を主体とした連合軍の戦いは熾烈を極めて行った。
奴隷を肉壁にする卑怯な戦法のうえ、強制的に従わせた“根無し草”の鼠人族達を使う暗殺術で多くの獣人達が不名誉な死を遂げ、その亡骸を弔う為に味方が味方の肉を食らい遠吠えで彼らの安寧を祈る。
血で血を洗う戦場において、情けをかけて味方を食らう心痛は、連合軍の獣人達の精神にとって大打撃を食らわせた。
皆が殺気立ち、穏やかな熊族すらも凶暴な獣の一面をのぞかせる。
戦の終焉に進むにつれて、獣達は既に、他者を思いやり慈しむ心すら保つことが難しくなってしまっていた。
そんな戦の終焉に近い、ある時。
やがて、国境を守るメイガナーダの一族も次々に招集命令が出され、平穏だった館にも戦乱の不穏な空気が漂い始めた頃。
――――クロウが“無能”という烙印を押される、決定的な出来事が起きた。
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