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古代要塞アルカドビア、古からの慟哭編
真実の願い2
しおりを挟む「――――っ……!」
唐突に、目の前がぶれて真っ暗になる。
何が起こったのか分からなくて、目を動かすけど……周囲には何もない。
まさか、アクティーの記憶から追い出されたのだろうか。
焦ってきょろきょろと暗闇を見ていると――また周囲に色が戻り始めた。
ぼんやり滲んだ色が、徐々に輪郭を得てはっきりしてくる。その光景は、俺とクラウディアちゃんが最初に見た赤い砂漠の光景だった。
『おにいちゃん……』
「クラウディアちゃん! よかった……何ともない?」
また服を引っ張る感覚がして、すぐに下を向くと、ふわふわした金の髪を靡かせる大きな狐耳の少女――クラウディアちゃんが心配そうに俺を見ていた。
最初、何も感覚が無かったので分からなかったけど、ずっと傍にいてくれたらしい。でも……ただ、傍にいたわけじゃないよな。
きっとクラウディアちゃんも、今までのアクティーの記憶を見ていたはずだ。
……だから、気分が悪くなったりしていないか心配だったのだが、彼女は気丈に「大丈夫だよ」と言ってほほ笑んでくれた。
本当は違うだろう。
だって、手がかすかに震えている。透明感が強いから分かりづらいかもしれないが、顔だって少し青ざめているような感じがした。
どれだけ決心していても、自分の死を受け入れていても、辛い記憶を思い出すのは心に負担をかける事なのだ。でも、彼女は必死に堪えている。
強い子だ。……だけど今は、少しでも何か世話を焼かせてほしかった。
「……クラウディアちゃん、俺……手を繋いでも、いいかな」
『え……』
「だめ?」
悲しかったから、とか、怖かったから、という言葉は……なんだか使いたくなかった。そのせいで、自分が子供になったみたいな甘えたことを言ってしまう。
……だって、アクティーの記憶に対して使うべき言葉じゃないと思ったんだ。
俺がいくら悲しかったり怖かったりしても、アクティーやクラウディアちゃんと同じだけの恐怖や悲しみを体感したとは言えない。
あまりにも惨すぎる過去を見て「同情しました」なんて、それこそ失礼な気がした。
言葉にして俺が怖がると、陳腐になってしまう気がして……その方が、怖い。
彼女達の悲しみや怒り、怖さを同じように感じることが出来ないのが悔しくて、彼女達の思いをどう受け止めたら一番の慰めになるのかすら分からないのが、つらい。
力になりたい。泣かないでほしい。苦しまないでほしいのに。
なのに、俺には出来る事が無い。
「してやれる」なんて言葉にすら傲慢だと感じる無駄な嫌悪が湧いて来てしまって、俺は自分の足りなさと無能さに臍を噛むしかなかった。
だけど、それでも、理解したい。
怖がっているのなら、言葉で慰める事が難しいのなら、あとはもう態度しかない。
俺にはこの程度の幼稚な事しかできないけど。
でも、もしかしたらクラウディアちゃんの震えを少し和らげる事が出来るのなら……手を繋いで、俺がいるから寄りかかって良いんだと思ってほしかった。
そんな俺に、クラウディアちゃんは大きな目を丸くして、瞬きを何度か繰り返したが――――少し悲しそうな顔で笑って、俺の手をぎゅっと握ってくれた。
『おにいちゃん、ごめんね……ありがとう……』
魂だけの透けた体なのに、その手は小さくてやわらかくて暖かい。
……クラウディアちゃんはこんな小さな体で、ずっと彷徨っていたんだろうか。
そう考えると悲しさと共に、何とも言えない気持ちが湧いて手を握り返す。
少しでも彼女の心の支えになれるように。
「俺の方こそ、ありがとう……」
それだけしか言えなくて、ただ幻影の中の赤い砂漠に立っていると――――
俺達の目の前に、薄らと丸い光が現れ始めた。
――橙色の、暖かな丸い光。
これは……もしかして、アクティーの魂なのだろうか。
無意識にそう思っていると、光は徐々に形を変え俺より大きなヒトの形になった。
……光の輪郭だけでも、誰だか判る。
ピンと立った立て耳に短く切られた髪。体は筋肉質で起伏が強く、ふとすると男性に見えるが……それでも、胸当てさえなかったら女性だとわかるほどに、中性的な顔立ち。
無意識に感じていた「彼女を擁護したくなる気持ち」は、やっぱり間違ってなかったんだなと思う。いや……今となっては、女性だからというだけじゃなくて、なんとなく俺はアクティーに「似た人」を重ねていたのかもしれない。
彼女みたいに無表情で、本当の事を言えなくて、だけど人に気を使う。
変な所で真面目で絶対にそこだけは曲げない、頑固な“アイツ”に。
『…………アクティー……』
俺の手をぎゅっと握り、クラウディアちゃんが呼びかける。
すると橙色の光は立て耳の先から四方へ散っていき、アクティーの本当の姿が中から現れた。まるで、光の殻を破り出て来たかのように。
「……クゥ……やっと会えたね。……ごめん……今まで、無視をしたり、話をちゃんと聞けなくて……本当に、ごめんね……」
掠れたハスキーな声に、少女だった時の名残が少しだけ残っている。
正気に戻った彼女の表情は――やっぱり、誰かを思わせた。
『アクティー……!』
クラウディアちゃんが俺の手を離し、アクティーへ駆け寄る。
彼女は躊躇うことなく大きな体で小さな少女を抱きしめて、強く目を瞑った。
いつまでも、いつまでも抱きしめているような気がする。
時間の感覚がないこの空間では、どれくらい二人が抱きしめあっていたのか分からなかったけど……でも、それが「ほんの少しの間」じゃなくて良かったと思った。
二人が想いあう以上に大事なことなんて、今は必要ないと思ったから。
「……ツカサ。君達には本当に申し訳ない事をした……。特に、君の仲間……二角神熊族の人々、それに色んな人にも……」
ふっと顔を上げ、赤みが強い橙色の瞳がこちらを見やる。
土の曜気の象徴である夕日を染めこんだようなその瞳に息を呑むと、彼女は俺を見て軽く微笑んだ。
「あ……」
綺麗な微笑みだ。
……現実の世界では見られなかった、女性的な柔らかい笑顔。自然な表情をする彼女に、俺は無意識に「これが本当のアクティーなんだ」と思った。
そんな俺の思いを知っているかのように彼女は小さく頷くと、アクティーを自分の片腕に乗せてゆっくり立ち上がった。
「もう知ってくれているだろうが……私は、かつてクゥ……この愛しいクラウディアの姉として、護衛兵として生きていた黒犬の娘だ。……だが、このような自己紹介も、君達がクラウディアを信じ、最後まで付き合ってくれなければ……永遠に叶うことは無かっただろう。……私も二度とクラウディアに会えなかったに違いない」
『…………』
不安げにアクティーを見つめて肩を掴むクラウディアちゃんに、彼女は「心配するな」と軽く笑ってみせる。彼女は女性だが、仕草は何だか紳士的で格好良い。
本来のアクティーは、きっとこういう感じだったのだろう。
少しドキドキしてしまうが、格好いい女性なんて見たらそりゃそうなるよな。
そんな俺に、アクティーは微苦笑しながら続けた。
「君は本当に素直で、優しいな。君のようなオスが居てくれれば、私も安心してクゥを任せられたかもしれない。……いや、既に任せていたようなものだな。改めてお礼を言わせてくれ。本当にありがとう」
「あ、い、いや……。俺はただ、クラウディアちゃんが迷子になるのが嫌だったから、彼女が探してる人を探したかっただけで……」
「それでも、普通は消えかけた“幽霊”など視えもしないし、根気よく付き合うなんて事も行わないだろう。……クラウディアや、王妃様のように【魂呼び】の才がなければ、尚更のことだ。それに……敵となった私に、会わせてくれようとするはずもない」
アクティーのアヌビス耳が少しへたれる。
ぐぬっ……可愛……じゃなくて。
確かに、敵である彼女を【アクティー】だと知ってなお会おうとするなんて、普通なら「やめとけ」と言われる行為だろう。俺だって止めるかもしれない。
でも、こんなに必死に助けようとする女の子を放っておけないじゃないか。
俺は「日本男児斯くあれかし」と時代劇を見て学んできたのだ。
古臭かろうがなんだろうが、手助けできるなら女性に手を貸さぬ理由は無い。
他の人にそうしろとは言わないけど、俺はそういう男でありたいのだ。
そしてあわよくば女性にモテたい。というヨコシマな気持ちがあるのも否定しないが、それはともかく。この世界の俺ならチート能力があるワケだし、出来るだけ力になりたかったのだ。……そもそも、彼女は幽霊で……もう、頼る人もいないんだし。
でもこれは自己満足なのだ。お礼を言われるようなことではない。
……ていうか、ブラック達にはたくさん迷惑かけてるから、むしろアイツらにはゴメンと頭を下げるべきなのかもしれんが……。
「ふふっ……君は本当に不思議な子だな。そんなに可愛らしいメスなのに、君の方がよほどオスらしい気がするよ」
「えっ、なんでそんな言い方……。ハッ! ……も、もしや心を読んで……?」
「あ……すまない。ここは、私の魂の空間でもあるから……」
自然と君やクゥ(クラウディアちゃんの愛称だろう)の気持ちが判るんだ。
……とかなんとか言われて、体がつい恥ずかしさでカッとなってしまう。う、ううう、顔なんて絶対赤くなってる。これはユデダコになってる……っ。
『もうっ、アクティー! おにいちゃんを困らせちゃダメ!』
「ごめんごめん。……いや、本当に……そんな場合ではなかったね。今は一刻を争う事態だ。この空間では時は限りなく遅く進むが、戻れば……きっと私は、今のように本心で話すことは出来ないだろう。その前に、色々と話しておきたい」
「……やっぱり……操られているん、ですか……?」
そうだろうと思ってはいたが、しかし確信が持てなかった疑問。
今その全ての答えが聞けるのだろうかと彼女の表情を窺うと、相手はすべて承知していると言わんばかりにゆっくりと頷いてくれた。
「私が知っている限りのことを、君に話そう。……とはいえ、私が知っていることなどほんの少しだけだが……」
「じゃあ……」
「だが、その前に……君には、見て欲しいものがある」
先程とは打って変わって真剣な表情になったアクティーは、ピンと立つ黒い立て耳を少し外側に動かして、ある方向を見やる。
――――赤い砂漠に変化を生む、砂丘の向こう側。
何もないはずの方向を見て目を細める彼女に、俺は嫌な予感を覚えた。
その予感を肯定するように、クラウディアちゃんが悲しそうな顔をしてアクティーの首に腕を回しぎゅっとしがみ付く。
何を思ってそんな風に怯えるのかなんて、もう、分かり切っていた。
「……二人も一緒に……見なきゃいけないんですか」
俺が知るだけなら、それで済む話だ。
でも、二人が再び「あんな悲劇」を見る必要はないじゃないか。
また傷ついてしまうと心が苦しくなった俺に、アクティーとクラウディアちゃんは同じような寂しげな微笑みを見せると、俺の思いに感謝を伝えてきた。
『ありがとう、おにいちゃん。……でも、大丈夫だよ』
「……私達も、向き合わなければならないんだ。そして……クゥが目覚めて間もない時……私が“目覚めさせられた時”の事も、君には知っていてほしい」
それは……死後、魂となった後に蘇った時の事か。
息を呑んだ俺に、アクティーは表情を引き締め力強い夕陽色の瞳を向けてきた。
――――つらく苦しい過去。だけど、その最後を見届けてほしい。
彼女の強い思いが、視線だけでなく表情からも伝わってくる。
……どうしてそんな風に思えるのか。何故、忌まわしい記憶に耐えてまで、部外者である俺に全てを知って欲しいのか。
彼女の望みを叶えれば、分かるのだろうか。
「……分かった。だけど、絶対に無理はしないでくれよ。約束だからな」
二人が望むなら、俺が拒否する理由は無い。
頷きを返した俺に、アクティーは安心したように表情を緩めると息を吐いた。
「ありがとう、ツカサ……。どうか、私達の終わりを見て……そして、どうかこのことを記憶に刻み、伝えてほしい。…………太陽国アルカドビアの、真実の一端を」
再び砂丘の向こうを見つめるアクティーが、意味深な言葉をつぶやく。
促されるように同じ方向を見た俺は、徐々に近づいてきた姿を見て、息を呑んだ。
「っ……」
こっちに駆けてくる、二つの小さな姿。
しっかりと繋ぎあった手を離すまいと互いに伸ばし、足を取られる赤い砂地で必死に走るその姿は――――かつて、幸せだったはずの姉妹。
だが彼女達の背後には、もう既に脅威が迫っていた。
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