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古代要塞アルカドビア、古からの慟哭編
42.真実の願い1
しおりを挟む「っ……」
まばゆい光を当てられて目が眩んだ矢先に暗闇を見て、もしかして失明したんじゃなかろうかと少し怖くなったが、そんな俺の感情をよそに服を引く感触があった。
視線を動かすと、視界が徐々に回復していく。
俺の服を引いていたのは、心配そうな顔で見上げるクラウディアちゃんだった。
『おにいちゃん、大丈夫……?』
「クラウディアちゃん……。う、うん。大丈夫。でも今のは一体……――――」
どうなってるんだ。と、言いながら周囲を確かめようとして、言葉が閊える。
クラウディアちゃんの不安を拭うためにも平然を装おうとしたのだが、今自分達が居る場所が“どんな場所か”を知ると、そんな虚勢すら出てこなかった。
何故なら、今、俺達が立っている場所は……アジトでは無かったからだ。
「ここ、は……赤い、砂漠……?」
口に出して、ようやく自分の中で現実感が増してくる。
そう。驚きこそすれ怖さが無かったのは、何度も見た景色だったからだ。
ここは赤い砂漠。
【古都・アルカドビア】がポツンと建つ不毛の砂漠であり、かつては【太陽国・アルカドビア】が存在した王都を守る天然の要塞だった場所だ。
だけど、何故俺達だけここに飛ばされたのか分からない。
【教導】達も見当たらないし、本当に突然投げ出されたみたいだ。
クラウディアちゃんに危害が及ばなくてよかったと思ったけど、こんな所に小さな子を日陰なしで居させるわけにはいかない。
早く移動しなければと思い、俺は熱いだろう息を吸った。が……。
「あれ……熱く、ない……。っていうか、日差しも熱気も感じないな……」
聞き間違いならぬ感じ間違いかと思い、自分の感覚が鈍っているか確かめるために屈んで砂に手を当てるが、まったく熱くない。
それどころか、足元から来るはずの熱気もなく、太陽の日差しにガンガン当たっているというのにまったく焼ける感じがしないのだ。
これは……どういうことだ。
困惑していると、クラウディアちゃんが「あっ……」と声を上げ、再び俺の服をクイッと何度も引っ張って、とある方を指さした。
『おにいちゃん、あれ。あっち』
「うん……?」
導かれるまま、クラウディアちゃんの望む方向へ歩いて行く。
……なんだか現実感がない。歩いているけど足に砂を踏む感覚が無く、どちらかと言うと、ふわふわ自分が浮いて移動しているみたいだった。
これ……もしかして、夢の中か何かなんだろうか。
だけど、クラウディアちゃんも一緒にいるしな。……いや、彼女はそもそも俺の体の中に入れる幽霊なんだから、俺の夢の中に居ても変じゃないのかな。
しかしどう考えても夢を見ている場合じゃないよな。目の前に【教導】がいるし、そもそもフレッシュゾンビ軍団が俺達を囲んでいるんだし……絶対ブラック達に迷惑かけてるよな。なんとかして、目を覚まさないと。
そんな風に考えていると、クラウディアちゃんが立ち止まった。
どうしたんだろうと顔を窺う俺に、彼女はある方向を指さす。促されるまま首を動かすと――――そこには、小さな黒い点が揺らいでいた。
……いや、あれは……豆粒のように小さい、人の影だ。
遠いのでよく解らなかったが、熱気による蜃気楼でもなんでもなく、そこには小さな体をふらふらと揺らすもの――いや、子供がいた。
「あれは……!」
ゆっくりと、だが確実に近付いてくる相手の姿をハッキリと視認して俺は目を剥く。
だって、クラウディアちゃんが震える指で示した相手は……
見る人の息を止めてしまうほど痩せてボロボロになった、小さな黒い犬の少女。
……黒い、垂れた耳。服も体もボロボロだが間違いない。彼女は。
「アクティー……」
そう呟いた俺に、クラウディアちゃんは詰まった息をやっと吐き出すように呟く。
『……あのね……アクティー……この頃は、アクティーじゃなかったの』
「え……」
『盗賊とか、魔族に、みんなで守ってた神殿を襲われたんだって。聖獣ベーマス様の“ごしんたい”っていうのを盗られて……アクティーいがい、死んじゃったって……』
悲しそうな声。
……そっか。クラウディアちゃんは、大まかな事は知ってるんだよな。
きっと、生前のアクティーから過去の事を断片的に聞いていたのだろう。確か、彼女は【魂守族】と言う犬族だとクラウディアちゃんの夢で話していた。
名前の響きからすると、魂を守る……ということで、どこかの神殿を守ることが使命だった一族なのだろう。クラウディアちゃんのお父さんである、最後の国王ネイロウドは、どうやらアクティーの一族を知っていたみたいだけど……。
「アクティーは、こんな風に砂漠を彷徨ってたんだ……」
『うん……。でもね、私…………あっ、おにいちゃん、私だよ』
「え?」
再びクラウディアちゃんが別の方を向く。
つられて俺も顔を向けると、アクティーの歩みより何倍も速い砂煙が、こっちの方へと近付いて来ていた。あれは……大きなカピバラ。つまり、この大陸で乗り物を引く馬となっている【ピロピロ】ちゃんだ。
私――つまり、お姫様であるクラウディアちゃんを乗せているためか、あのピロピロは頭に豪華な刺繍が施された日差し避けや、飾りつけをされた綱などがつけられている。その綱の向こう側には、小屋付きの大きなソリが取り付けられていた。
まるで陸の屋形船だ。豪華な装飾が眩しいが、彼らはアクティーに気が付いたのか、進路を微妙に変更してこちらへ駆けてくる。
アクティーもそれに気が付いたが、向こうの勢いに気圧されたのか、それとも最早体力が無かったのか、その場に倒れこんでしまった。
そんな彼女に、小屋から飛び降りてきた小さな影が駆け寄ってくる。
いや、影ではない。
白くて美しいワンピースを着た、日差しに金の髪がきらきら輝く少女。
お姫様だと言うのに構うことなく裸足で大きく足を開きながら、必死に黒い犬の少女へと駆け寄って行った可愛らしい姿は、紛れもなくクラウディアちゃんだった。
「そうか……クラウディアちゃんが、アクティーを助けたんだったね」
クラウディアちゃんに慌てて追いついてくる従者達を見ながら言うと、半透明の姿になった「今の彼女」は小さく頷いて、目の前の光景に眩しそうに目を細めた。
『……私ね、あの時は砂遊びしてて……そしたら、急に誰かに呼ばれた気がしたの。助けて、誰か助けてって。だから、おとうさまに頼んで……鼠車を走らせてもらったの。そしたら、アクティーが倒れてて……』
そう言いながら、クラウディアちゃんは俺の手をぎゅっと握って続けた。
『私、まだなんの“特殊技能”もなくて……だから、間違いかもってちょっと思ってた。でも本当に本当のことで……私……ほんとに、あの時“合ってて良かった”って思ったの。だから、あの時はアクティーのことを見つけたってだけでいっぱいだったの』
無理もない。この頃のクラウディアちゃんは、今よりずっと子供だ。
見つけたことで頭がいっぱいになって、それ以外の事を深く考える余裕がなかったんだろう。そんな彼女に変わって、遅れてやって来た父親……国王のネイロウドが、アクティーを城へと連れて行くように頼んだのだ。
きっと、この頃のクラウディアちゃんは、アクティーに対して善意も悪意もなく、単純に何も考えてなかったんだろう。子供なら、それは無理からぬことだ。
でもクラウディアちゃんは、そのことに対して凄く申し訳なさそうな顔をしていた。
「どうしてそんな顔をするの?」
聞くと、彼女は目を伏せて小さく唇を噛む。
『……私……今になって、なんでアクティーが“こんなこと”をしてるのか……少しだけ、分かった気がするの。……アクティーは、一度家族を失って、二度目も失って……その最後に、目の前で私が死んだんだもん。そんなの……そんな、悲しい思い、ずっとアクティーにさせてたんだって思って……』
…………そうか。そういう事か。
クラウディアちゃんは、大事な姉を守りたい一心で彼女を庇って殺された。
もちろん、その時は必死で何かを考える暇もなかったけど……今になって思えば、その行為はアクティーを二度どころか三度も苦しめる事になってしまったのだ。
一度失うだけでも心に深い傷を負うというのに、それを三度も。
しかも、守ろうとした存在に守られるという……獣人としては、自分の大事な群れの仲間すら守れなかったという最大の屈辱を味わわせて。
……確かに、それは失態だと思っても仕方がないだろう。
あの後アクティーも殺されてしまったことを思えば、クラウディアちゃんがこんな風に自分を責めて、己自身に怒りが湧いてしまうのも無理はない。
でも、そんな風に自分自身を責めてほしくなかった。
「クラウディアちゃん、それでも……アクティーは、君が苦しむのを望んでないんじゃないかな。アクティーだって、同じことをしようとしてたんだろう? 君を守るために、自分が飛び出そうとしてた。誰だって、大事な人を守ろうとしたら体が動くんだよ」
『おにいちゃん……』
「……もし、アクティーがクラウディアちゃんと同じようになって、クラウディアちゃんを傷つけたって思って苦しんでたら……悲しいっておもうよね」
砂に膝をついて、同じ目線になってじっと相手の瞳を見つめる。
すると、潤んだ瞳は俺の言葉に小さく頷いた。
聞き分けが良い。だけどそれは……子供としては、悲しい事でもある。
彼女達は、子供のままの姿だけど、本当はもう子供じゃない。
ずっと……途轍もないくらい長い時間悔やんでいて、それをやっと他人に訴える事が出来るようになっただけなんだ。
数百年以上も後悔するなんて、そんなの……もし俺がアクティーだったら、耐えられない。守りたいはずの相手の心を傷つけてしまうことは、絶対にしたくなかった。
だから、アクティーだって同じことを思っているはずだ。
今は何だか様子がおかしいけど、でもクラウディアちゃんの事を思ってるのは確かだと思う。そうじゃないと【黒い犬のクラウディア】なんて名前はつけない。
彼女にも、秘めた思いがある。
だから、あんな魂だけの姿になっても必死に動いていたんだろう。
…………そう。
そう、だよな。
……そう言えば、アクティーの本当の“望み”って……何なんなのかな。
ここまでしても叶えたい願いって、何だったんだろう。
「国を滅ぼしたい」という彼女の言葉には強い気持ちを感じられなかった。
だとすると、彼女には本当の願いが存在しているはずなんだ。そうでなければ、今も魂としてこの世に留まっている説明がつかない。
クラウディアちゃんだって「アクティーと話したい」という強い願いによって、今もここに存在しているんだ。そんな願いを、彼女だってまだ持っているはず。
でも、今までそれが判然としなかった。
アクティーの様子はずっとおかしくて、俺達どころかクラウディアちゃんとの対話すらも上手くいかなかったんだ。
もし、彼女が「操られている」状態だとしたら……本当の望みを聞くことは難しい。
アクティーのそばには【教導】がいるし、ヨグトさんという強敵も常に潜んでいる。仮に彼女が姿を取り戻したとしても、話せるような状況じゃないだろう。
なら……。
「……ねえ、クラウディアちゃん。きっとここは、アクティーの記憶の中だと思うんだ」
『記憶……私が、おにいちゃんに見せたみたいな……?』
「うん。だから、もしかしたら……アクティーの記憶を辿っていけば、アクティーの本当の願いも、どうして【教導】に操られているのかも分かるかも知れない。だから……今は、アクティーの記憶を辿ってみよう」
クラウディアちゃんも苦しいとは思う。
最期の場面を再び体験をさせてしまう事で、彼女がつらい思いをするのは分かっていたが……それでも、アクティーを救える可能性があるなら、クラウディアちゃんには付いて来てほしかった。
アクティーを唯一説得できるだろう、妹であるこの子に。
――――そんな俺の思いを読み取ったのか、クラウディアちゃんは半透明の腕で自分の顔をぐしぐしと拭うと、俺に顔を見せて力強く頷いた。
『うん……! おにいちゃん、私大丈夫だよ。アクティーのためならがんばる。どうしてアクティーがあんなに苦しんでるのか、一緒に見に行く……!』
小さな女の子に無理をさせている事に心が痛むが、これはやらなければならない事なのだ。クラウディアちゃんだって、それを理解している。
俺が弱気になるのは、そんな彼女に失礼だ。
そう思い直し心の中で強く気合いを入れると、俺はクラウディアちゃんの手を引いてアクティーを抱えるネイロウドの方へ歩み出そうとした。
途端――――急に、視界がぐらりと揺らいで、全てが溶けだしたように下へと滑り落ち始めたではないか。
「なっ!?」
『きゃあっ! お、おにいちゃん!』
怖がるクラウディアちゃんを慌てて抱えると、彼女は俺の首に抱き着く。
そんな小さな子をしっかり抱え込み、何が起きても大丈夫なように視界の先を睨むと……溶けだした世界が滲み、その滲みから俺達を守るように、透明で巨大な膜が俺達二人を包み込んだ。
まるで、スノードームの内側のようだ。
俺達が驚いていると、滲んだ世界が再びはっきりしてきた。
いつのまにか周囲は真っ暗になっていたが、前方だけはハッキリと見える。
暗い中に切り取られた視界……まるで、映画館のようだ。
呆然とそのスクリーンを見ていると、ようやくどこにいるかが明確になった。
『――――ここは……どこ……?』
「っ!?」
クラウディアちゃんとは違う、掠れたような落ち着いた少女の声が周囲に響き、俺達は驚いて目を動かす。だが、周囲は暗闇で他には誰もいない。
ただ、俺達の前には巨大なスクリーンがあるだけで……いや、これってもしかして、アクティーの心の中……なのか……?
驚いていると、視界がゆっくりと左右に動いた。
どこかの天井を映している。たぶん、アクティーは寝ているのだろう。
そう気付くと、なんだか自分の体の感覚がなくなって、アクティーの視界が自分の目で見ているもののように思えてくる。
これは、彼女の思考と同調しているのだろうか。
だとしたら、ようやく知ることが出来るのかもしれない。
アクティーが「本当に望んでいたこと」が。
『おにいちゃん……』
「大丈夫。クラウディアちゃん、俺がしっかり抱えてるから」
アクティーの体が自分の体のように思える感覚とは別に、俺の手にはクラウディアちゃんの感覚がある。
俺はその感覚を忘れないようにしながら、息を吸う。
――――アクティーが“本当に望んだこと”は、何だったのか。
それを知らなければ、帰れない。
…………ブラックとクロウ、それにナルラトさんには迷惑をかける事になるが、いまこの瞬間も俺達を守ってくれていると信じている。
だから、俺達がアクティーの真実を持ち帰るまで、耐えていてほしい。
強くそう願いながら、俺はアクティーの視界で一つゆっくりと瞬きをしたのだった。
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