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古代要塞アルカドビア、古からの慟哭編
痩せ鼠の刃、混迷
しおりを挟む――――背後で、彼を愛する人に名を呼ばれ続ける彼。
だが最早その安否を気遣う暇はなく、そして今目の前には怒りに染まる赤い視界に捕えた恩人の姿があった。
「師匠!! なんでっ、なんでこがんことばすっとや!!」
どうしてこんな事をする、と、そんな短い言葉すら冷静に叫ぶことが出来ない。
天井が開いた部屋から軽々と飛び上がり逃げようとする相手を追い、ナルラトも懐から短剣を取り出し必死にその姿を追っていた。
そんな緊迫した中で、どうしようもなく我慢できずに呼びかけてしまう。
憎からず想っていた兄の恩人が襲われた怒りと、その襲撃を引き起こした張本人である己の師匠への困惑。ないまぜになったその思いが混乱を呼び、ナルラトは己が何に感情を揺さぶられているのか判別できなかった。
だが、それでも時は待ってくれない。
屋根伝いに外へ逃げようとする師匠の背中を追尾し、短剣を強く握る。
分かっている。
これはすでに「相手を抹殺すべき」状況だ。
自分が与する“群れ”を襲った相手は、容赦なく潰さねばならない。そうすることが後の禍根を産まない一番の良策。昔から、いやというほど聞かされていた。
だからこそ、ナルラトは反射的に短剣を握った。
人間以上とはいえ規格外の獣人には劣る腕力では、一発で敵を仕留めることなど出来ない。……こうやって、己の爪や牙でなく武器を使うことも、他の獣人に卑怯者と呼ばれる所以だった。
しかし、今はそんなことなど関係ない。
何をしようが、ナルラトにとっての大切なものを傷つけた相手は敵だ。
「なにもない」自分達が持つ、数少ない大事なもの。
それを奪う存在は、決して許してはいけない。復讐しなければならない。
(そいば教えたとはアンタやったろうが、師匠……!!)
ぎり、と、噛みしめた歯が軋む音がする。
奥に隠した牙も揺らぐような怒りに、短剣を持つ手が震えた。
(けど……逃しはしない……っ)
肌を焼かんとするように照りつける日差し。
日が落ち始めて色を持ちかけてもなお獣をいたぶる陽光の中で前方を凝視して、ナルラトは距離を詰めるため足に力を籠め一気に跳んだ。
「師匠ぉおぉぁああ゛あ゛!!」
ヒトとしての声が獣の咆哮のように濁る。
空気を震わせるほどの叫びと共に、眼下に捉えた己の師匠に短剣を振り下ろそうとした――――が、寸でのところで身を躱され鋭い金属音が響く。
相手も短剣を持っていたのだ。
弾き返されたナルラトは空中で体をねじり、距離を置いて屋根に着地する。
高所ゆえの強風も、根無し草として生きてきた二人には何の意味もない。お互いに己を隠す黒衣をはためかせながら、屋根の上で睨みあっていた。
その姿は、既に絆ある関係性にはとても見えないほどだ。
敵対している……という他ない。
そんな状況でも、ヨグトは立ち止まって静かにナルラトを見つめていた。
「…………私に追いつくとは、鍛練を怠らなかったようだな。ナルラト」
「やぜか……っ! 今更もう師匠面すんな、お前はっ……お前は……おいの大事んしとるもんば傷つけた……!! なんでこがんことばしたとや!!」
己の「数少ない大事なもの」の一つを傷つけられた。
それだけでも許し難いというのに、そもそも何故こんなことをしたのか。
睨みつける弟子に、ヨグトは言い淀むように視線を落としたが――やがて、弟子の目を見返すように視線を戻した。
「……私は、今クラウディア様にお仕えしている」
「っ……!?」
「あの、お方は……いや、あのお方こそが……我々根無し草の鼠人族が、現在まで連綿と語り継いできた“傷跡”なのだ。……私は“群れ”の最後の長として……その傷跡に、今度こそ報いねばならない。……分かってくれ、ナルラト」
「きず……あと……?」
何を言っているのか、理解できない。
眉を疑問に歪める弟子に、ヨグトは悲しそうに目を細め短剣を持つ手を下げた。
「きっとあの方は、私が……いや、私達の一族が犯してきた罪と過ちを、怨嗟と恨みを以って断罪しに蘇ってこられた。だからこそ、私は報いねばならんのだ」
「師匠……」
「……お前は、我々の群れの記憶だけ……余人に分からぬように“真似た”その言葉だけを、引き継いでいってくれ。もう、禍根など残さぬように……。それが、私の最期の願いだ。……必ず、報いは受ける。だからもう少しだけ、好きにさせてくれ」
傷跡。
怨嗟と恨みを以って、我らの一族を断罪しに来た。
(あの……珍しい立て長耳の黒い犬が……?)
師匠たるヨグトのその言葉の意味は、今のナルラトには理解できない。
だが、そのただならぬ雰囲気を侮ることも出来ず、短剣を握りしめながら睨み合う事しかできなかった。
(ツカサ君っ……早く、この状況を何とかして他の場所に連れて行かないと……)
隣の部屋のベッドに寝かせた方がいいのは分かっているが、熊公が氾濫した土石流を抑え込んでいる今は、土の根元に近い場所に置いておくわけにはいかない。
どうすべきか迷い、視線だけで周囲を見渡す。
と、未だに腰を抜かしている使えない黒髭熊がいた。
「おいお前!!」
「はっ、ぁっ、な、なんですか……っ」
「早く手当てできるヤツを呼んで来い!! あとは……アレだ、メイガナーダ領主か、腕っぷしの強いヤツもだ!!」
怒声で無理矢理に発破をかけると、相手はぎこちなく頷いてよろよろと立ち上がり、脱兎のごとくブラックが開けた穴から駄出していった。
本当に助けを呼んでくるかは分からなかったが、追い出すに越したことはない。
何故なら、ツカサの状態や今後の展開がどうなるか、分からなかったからだ。
「キュゥッ、キューッキュ!」
「ん……それは、僕の剣? ……とってきてくれたんだ、ありがとう」
「キュー……」
根無し草のヨグトが放置していった粗末な剣とは違う、一流の鍛冶師が作り上げた特殊な宝剣。万が一に備えて傍に置いておく方が安全だ。
ブラックはツカサを抱いていて手が塞がっていたので、ロクショウに腰に巻いて貰うと、そのままゆっくりとツカサを抱え立ち上がった。
「……ツカサ君……」
ぐったりとしたツカサの胸の下には、厚みのある剣が貫通した痛々しい痕がある。
そこから、今もぽたぽたと大量の血が流れ出していた。
(クソッ……曜気が極端に少ない獣人大陸じゃ、治る速度が遅すぎる……!)
不死身、それに加え性行することで曜気を許容量以上に蓄えてしまうようになったおかげで、ツカサは本人の意志とは関係なく自己治癒が早くなり、滅多なことでは命を落とす事にならないだろうという安心があった。
少なくとも今までは、そう思っていたのだ。
……己が作り上げた【指輪】の効力も、確かなものだと思っていたから。
だが、それもこんな状況では信じる価値すらない。
何より……自分が【指輪】の力を過信していたことが、腹立たしかった。
(けど、自分自身に怒ってる場合じゃない。ツカサ君を安全な場所に連れて行っても、このわけのわからない土の塊が何をするかわからない……)
あのヨグトという男が何の目的でツカサを襲ったのか分からないが……もしこの土が【アルスノートリア】の攻撃だとすれば、ヨグトも仲間だということになる。
ならば、ツカサを刺したことには何か意味があるはずだ。
この場を離れるべきかもしれない。
だが、相手が何を企んでツカサをこの場で刺したかの理由が分からない限り、その“理由”が在りそうなここから離れることは得策ではないような気がした。
(一緒にいたいけど、ここを離れるのは何かを見逃すような気がする……。ツカサ君のことは、ロクショウ君に頼んで……――)
この場から離そう。
そう、考えを打ち切ろうとした。その時。
「キューッ!! キュッ、キュゥウ!」
甲高いヘビの鳴き声に気が付き、咄嗟にその声が飛んだ方を向く。
そこは、ツカサが植えていたのだろう植物が芽を生やしていた区域。そこでツカサが襲撃されたせいで、植物や土には血が飛び散っているはず。だったのだが。
「っ……!?」
血が飛び散ったはずの、場所。
そこには――――
青々と生い茂った数多の草木が育ち、別の場所すら浸食しようとしていた。
「なん、だ……これ……」
一瞬、呆気にとられ、いやと思い直す。
そうだ。ツカサの血液には“対象を回復させる力”と“呪いを浄化する力”がある。彼は無尽蔵の曜気を生み出す【黒曜の使者】であると同時に、血肉そのものが他者に膨大な力を与える可能性があるシロモノなのだ。
だから、植物が繁茂することは想定内だ。
ツカサの血液の量が多くて、密林のように茂ったに違いない。
そこまで考え、ブラックはハッと息をのんだ。
「まさか……ツカサ君の血でこの土をさらに強化しようと……?」
もし、そうなら。
【礪國の書】を取り込んだ土の曜術師が敵側に居るのなら、そいつは【黒曜の使者】であるツカサの力を逆手にとって利用しようとしたという事になる。
だとしたら、この土は……――――。
「キュウッ!」
「ッ!?」
考えている途中に、地鳴りとロクショウの声が耳に飛び込んでくる。
何事かと視界を巡らすと。
「なっ……ぁ……?」
そこには、思ってもみない光景が広がっていた。
「キュ……」
「これは……土の、曜気……?」
気が付けば、周囲の土から落ちかける太陽の色にも似た光が湧きあがっている。何度か見たことのある、落ち始めた太陽が染まる色。
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(これはどういうことだ……土の曜気なんて、属性持ちでもなけりゃ、巨大な術を使う時でないと見えないはずなのに……)
それなのに、この畑の土も、外に流れ出た膨大な土も、光に包まれている。
これはどういうことなのか。
まったく予想がつかず、無意識にツカサを抱く手を強め体を密着させる。どういう事か分からずとも、ツカサを離さない方が良いのは確かだ。いつでも逃げ出せるようにしておかなければ。そう、思っていると。
また、耳を強烈な爆発音のような音が劈いた。
「――――……!!」
ツカサの耳を塞ぎ、音の方向を目で追う。
何が起こったのか確認しようとした刹那。
目の前で――通路を塞がんばかりに流れ出ていた土が、暴発した。
「キューッ!!」
「くっ……!」
大量の土が周囲に飛び散る。その衝撃を受けないようブラックはツカサの体を覆うようにして庇った。大量の土が、強かに体を打つ。
(なんだ、何が起こってるんだこれは……っ!!)
今動くと確実に危険だ。
破裂し飛び散った土がツカサに当たる可能性がある。ただでさえ今のツカサは体を上手く治癒できずに気絶したままだというのに、これ以上体を傷つけられない。
なにより、これもまた【礪國】の仕業だとしたら無暗に動けなかった。
しかし……急に、体を打つ衝撃が止み、また何か大きなものを引きずるような奇妙な音だけが響き始めて、ブラックは「おや?」と眉根を寄せた。
破裂が止んだのだろうか。
だが、それにしては奇妙な音が響いているのが不気味だ。
このまま顔を上げて大丈夫だろうか。だが、それが罠でツカサを再び傷付けられるような事があれば、今度こそ自分は我慢が出来なくなる。
例えツカサが死なない体だとしても、この唯一無二の恋人を害されるのはどれだけ時を経ても許容できそうになかった。
そんなブラックの逡巡を見取ったのか、それとも偶然か。
引きずるような音が小さくなり始めるとともに、何かの足音が近づいてきた。
「ツカサ、ブラック! 大丈夫か!」
この声は、熊公だ。
周囲を牽制しながら進んでいるような緊張感はない。ということは、ひとまず脅威は去ったと見ていいのだろう。そう思い、ようやくブラックは上体を起こした。
「っ……! これは……」
改めて見やった、土が敷き詰められた部屋。
土が外へ流れ込む異様な光景を見せつけていたはずだったのだが……いつの間にか、土石流が消えている。壁に飛び散った土は残っているが、しかし不思議な事にこの部屋も外も土が氾濫する前の光景にほぼ戻ってしまっていた。
「キュ……キュキュ……?」
これには、ロクショウも小さなヘビの首を傾げて不思議そうにしている。
そんな姿を見ていると、部屋に熊公が入ってきた。
「ム……よかった、三人とも無事だな……さっきナーランディカ卿が『人を呼んでくる』と慌てて走り去っていったから、心配していたが……ツカサは平気か」
そのあからさまにホッとしたような言葉に、ブラックは怒りが湧く。
なにが平気なものか。あのような粗末な剣を思い切り突き立てられて貫通していたというのに、この状態のどこが平気だというのか。
しかも、ツカサは血を大量に流してぐったりしていたというのに。
さすがにその物言いには我慢できず、ブラックはツカサを抱え上げて駄熊に文句を言おうと立ち上がった。すると、腕の中のツカサがもぞりと動く。
「つ、ツカサ君……?!」
やっと治り始めたのだろうか。
呼びかけるブラックに、ツカサは青白い顔ながらも微かに動く。その微かな様子に気が付いたのか、駄熊とロクショウが寄ってきた。
「ぅ……」
ゆっくりと、緩慢な動きでツカサが身じろぐ。
体は未だに少し冷たかったが、その動きは確かに生ある者の動きだった。
(よかった……ツカサ君……)
こんな枯れた土地でも、ツカサは何とか自己治癒能力を保てたらしい。
そのことに心底ホッとして、ブラックは内心胸を撫で下ろした。
「ツカサ……」
今までツカサがどんな状態だったかは知らずとも、何か良くないことが起こっていたのは理解したらしい。駄熊は心配そうな雰囲気を強めると、ツカサの名を呼ぶ。
すると、ツカサはゆっくりと駄熊の方を向いた。そうして。
目を開いたの、だが。
「え……」
「ぁ……ツカ、サ……その、瞳……は……」
言葉を失ったブラックの代わりのように、熊公が目を見開いて問う。
声を途切れさせ、その土の曜気を用いるに相応しい色をした瞳を震わせて。
……だが、それは無理からぬことだっただろう。
何故なら、ツカサの瞳の色は――――
夕陽を流し込んだような色に、染まっていたのだから。
「…………ツカサ君……?」
ブラックが恐る恐る呼びかけるが、ツカサは緩く目を開いたまま動かない。
まるで、その瞳の色をすべき“主”がそこに居る事を知っているように、ただ、目の前の熊公を放心したように見つめ続けていた。
「ツカサ……」
「ツカサ君!」
「ッ……!」
強く、呼びかける。
するとようやくツカサの体がビクンと大きく跳ねて、彼が深く息を吸った。
――――戻った。
誰ともつかない、だがその場にいる誰もが思った言葉が浮かぶ。
その通り、ツカサは今やっと気が付いたように目を瞬かせると、痛みを堪えるようなぎこちない動きで体を動かし、今度はブラックの方を見上げてきた。
(ああ……)
先ほどの強く明るい色ではない、濃密な琥珀にも似た深い色の瞳。
初めて見た時と変わらない瞳の色で幼さが色濃く残る大きな目を向けてくる相手。目を覚ました時特有の、彼の大人になり切れていないあどけない部分が強調されたそのまなざしにようやく胸が正常に締め付けられ、ブラックは息を吸った。
「ぶら……っ、く……」
「ツカサ君……よかった……っ」
何が起こったのか、何が目的だったのか。
終わったばかりの今では、何も分からない。
だが、そんなことを考えるよりも、今はツカサが“ツカサ”として自分を見てくれる事に、素直に喜びたい。何事もなくまた戻ってきてくれたことを、体で示したい。
そう思い強く抱きしめて顔を摺り寄せたブラックに、ツカサは未だ状況が把握しきれていないながらも、それを受け入れてブラックの頭を抱えるように腕を絡めてくる。
柔らかい腕が、頭を囲ってくれているのが分かった。
ツカサは、自分の事を心配してくれているのだ。
(僕の……僕の、ツカサ君だ……)
こんなに弱っていてもまだ自分を慰めてくれる愛しい存在を確かに感じ、ブラックは今度こそ安堵のため息を吐いたのだった。
→
※ツイッ…エックスで申してた通り遅くなりました(;´Д`)
今回ちょっと文章が難産でした
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