異世界日帰り漫遊記!

御結頂戴

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邂逅都市メイガナーダ、月華御寮の遺しもの編

  熊、奮い立つ

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 過去の自分が恵まれていなかったとは言わない。

 人から比べれば、きっと自分の過去は「それでも良いほうだ」と言われるものだったのだろう。客観的に見れば、選ばれた血筋が何を言うと憤られるかもしれない。
 けれどそれでも……――――

「あっ……アレだ……!」

 となりで小さな体を緊張させていた少年が、強張った声で呟く。
 今までいくつも戦いを切り抜けて来ても、やはり人として生きているものと戦うのは、彼にとっては不得手な事らしい。

 あんな“突飛な作戦”を考えた張本人だというのに、それでも彼は人を傷つける事を極端に嫌っている。本人は「自分が嫌な気持ちになるから」とあくまでも自己中心的な事を言うが……きっと、優し過ぎて相手の痛みを想像してしまうからだろうな、と、クロウは考えていた。

 だが、そんないとけない心のままの彼が誰よりも愛おしい。

 今は浮き立つ感情に浸っている場合ではないと思いつつも、いつもとはちがう戦の雰囲気と、まるで盤上の駒を遊戯として動かす時の異様な冷静さが相まって、思考を逃避させる。こんなに静かな戦は初めてだった。

(戦いならば伏兵として立ち回った事などいくらでもある。薄汚い行為と呼ばれようが、それが我らの成すべき“悔いなき勝利”のためなら、喜んで泥を被った。……そうする事が……父上と、オレなどに優しくしてくれたマハ様やエスレーン様が悲しまない戦になると思ったから。だが、この位置は……)

 故郷【アクサベルデ】の都で唯一地平を見渡せる見張り台。
 館の上にある小さな見張り場に立つこの状況は、今まで体験したことも無かった。

 まるで、王の座。
 戦場全てを見渡すための場所に立つ自分は“追放された落伍者”でしかないというのに、それでも伯父や兄を前線に出してこの高台に立つなんて、クロウには何だか悪い夢のように思えたのだ。

 そして、そんな事を思う自分にも自惚れが有ると自嘲が湧く。
 獣として、王族として人を率いるという意識が自分の中に残っていた事が滑稽だ。今更こんな風に妙な興奮が湧くのも、どうしようもなく自己嫌悪を煽った。

 こんな時に何を考えているのか、と。

 だが、その気持ちもまた、この隣にいるツカサが用意してくれた役割ゆえだと思えば、意地汚い自己顕示欲よりも暖かく誇らしい気持ちが湧いた。

(ツカサは、オレを信じて大役を任せてくれた。伯父上と兄上に一生懸命に説明し、そして自分自身も惜しみなく力を貸すと言ってくれたのだ。……なにもかも、元々はオレを奮わせ引き立ててくれるために)

 クロウとて、ツカサの澄んだ分かりやすい気持ちを察せないほど鈍感ではない。
 彼は、今もなおクロウが胸を張って王族達の前に立てるよう、過去の傷を少しでも癒せるように最大限の優しさで自分を援護してくれているのだ。

 そんなツカサの暖かな尽力を思えば、胸を張らずにはいられなかった。
 己ならば、この大役を成し遂げられる……と。

(……思えば、この大陸に帰って来てから……ずっと、そうだったな)

 ツカサは、ずっとクロウのことを見ていてくれた。
 どれだけ怯えようが、苦しみ無様に寝込む姿を見せようが、ツカサはそんなクロウに呆れる事も嫌悪する事もなかった。ただ、誇りを取り戻せるように……幾度もその機会をくれようと尽力してくれていたのだ。

 だが、それだけではない。兄達に会った時も、伯父に会った時も無意識に強張っていた体を見て、いつも言葉や態度でクロウの心を解きほぐしてくれた。
 「クロウは強くて立派な獣人だ」と疑わず、何度も根気強く説得してくれた。

 武人としては恥極まりない弱さを何十回見せようとも、ツカサは愛想を尽かさずに寄り添ってくれていたのである。
 純粋に、クロウのことを信じて。

(そう……オレの力を信じ、オレ自身が決意するのを見ていてくれたのだ。……絶対に立ち直れると信じて、ずっと……)

 ずっと、焦らずに、クロウが自分自身の力で立ち直るのを待ってくれていた。

 ……だから、この場所に立つ事が出来たのだろう。クロウはそう思った。

 どんな姿を見せようが、どれほど情けなく恥ずかしい心の内を曝そうが、ツカサは決してクロウを見捨てずにいつも全力で信じてくれたのだ。
 「ブラックとアンタだけだ」と自分の矜持を抑え込んでまで、メスとしての淫らな行為をクロウに許して……ただ、受け入れてくれた。

 「ずっと一緒に居たい」という気持ちを、そのすべてで示すように。

(…………だからオレは……決心出来たんだ。ツカサが『オレなら絶対に出来る』と、今のオレを信じてくれたから。何も訊かずに、ただ、信じてくれたから)

 だから今、自分はこの場所に立っている。
 伯父の嫌悪や役割の失敗に、恐れることなく。

「クロウ」
「ム……どうした、ツカサ」

 大人の声には程遠い、少年らしい柔らかく明るい声。
 この状況ではさすがに本来の朗らかさが失われているが、つぶらな瞳で見上げて来るその姿は、いつでもクロウを奮い立たせてくれた。

「こんだけブラック達が前に出て手伝ってくれてるんだ、失敗しないようにしなきゃな。でなきゃ、あの【装置】にも曜気の入れ直しだ」

 緊張している所を見せたくないのか、それともこんな状況になってもなおクロウの事を心配して気丈に振る舞っているのか、ツカサは勝気な笑みを浮かべて見せる。
 たおやかな姫君の服を纏うメスとしては、あまり適さない少年の表情だが……その顔から見て取れる彼の優しさと意地を思うと愛おしくて、クロウはただ頷いた。

「ツカサのためにも、やってみせる。……オレは、もう二度とここから逃げない。今度は、己の手でアクサベルデを守って見せる」

 愛しい者の言葉に感化されてしまったのか、不意に過去が口を突く。
 その言葉にツカサはハッとしたが、しかし何も聞かずに頷き返してくれた。

 ……彼は、さきほどの自分の言葉を強く覚えている。
 クロウが約束した「過去を話す」という約束を、それほどまでに気にしてくれているのだ。その素直すぎる態度が、クロウの中の歓喜を更に騒がせた。

 こんな自分の過去を聞きたいと思うほど気にしてくれるくらい、ツカサは特別な思いを抱いてくれているのだ、と。

(ここまでオレを思ってくれている未来の嫁を、悲しませる事は出来んな)

 ――ツカサの信じる心に応えることこそが、今できる最大限の恩返しだ。

 息を思い切り吸いこんで、クロウはツカサの柔らかな手を握った。

「ツカサ、来るぞ」

 二人で、地平線を見つめる。
 そこには既にアクサベルデを目標とする一団が見えており、その異常な身体能力に任せて凄まじい速度で向かって来る獣たちが居た。

 トカゲのように素早く地を這い荒野を向かって来る、頭頂部から尾にかけて白い筋の毛並みを持つ漆黒の毛の特異な種族。鼬とも犬ともつかないその姿は、獣と言うよりも、獰猛なモンスターそのものだった。

 ……ビジ族。
 あの一団は、間違いなくアクサベルデの領民を食い尽くすだろう。

 その前に自分達が止めなければならない。

「あっ……! デハイアさんとカウルノスが動く!」

 頑丈な鉄柵から身を乗り出してツカサが薄い服を風になびかせる。
 同じように見やったその先では、轟音を立てて白い煙で風を巻き……その真の姿を現す、伯父と兄の姿が在った。

「あれが、二人の獣の時の姿……クロウやドービエル爺ちゃんとは少し違うな」

 アクサベルデを背後にして、左右に現れた二対の巨大な熊。
 街へ入る中央部を不自然に開けたその熊たちは、大きさからして既にこの館ほども有る。何の制限も受けずに獣の姿を解放した時、クロウ達“二角神熊族ディオケロス・アルクーダ”は他の神獣と同じように群を抜いた巨体を現すのだ。

 その姿を、自分はいつも遠くで見ていた。

 萌えるような夕陽の色を纏った毛並みの巨大な姿や、その姿から輝きを散らし敵を一掻きで屠る誰よりも強く逞しい父の姿。まだ幼い頃、伯父が快く見せてくれていた、雄牛のような上向きの角を持つ特異で勇猛な姿。

 弱い頃、誇りなき戦いを続けていた頃、己の情けなさに深く絶望し……部下の声にすら背き逃げた、家畜と罵られても仕方が無かった無様な頃。
 見上げるしかなかった彼らの姿を、自分は今遠くの高みから見つめている。

 あの頃の自分とは違う、確かな強さを己で信じられる姿で。

 その姿で――――彼らと同じ「武人」であると、彼らに認められているのだ。

「よしっ、うまいこと二人が左右からアイツらを正面に追い込んだぞ!」

 地響きを伴う巨体は素早く動き、それぞれが左右から大きく回り込んで「挟み撃ちにしよう」と見せかけるように追い込み、ビジ族の動きを自然と中央へ集めて行く。
 だが、その動きは追い込まれたからというだけではない。

 ブラックが【幻術】で、無数の兵士の幻覚を街の周囲に何千人も詰めさせ、現実の兵士達が行うように「主の後ろをついて突撃して来る」姿を見せているからこそ、あのビジ族は中央を突破しようと突っ込んでくるのだ。

(オレごときが兵法を論じるつもりはない。だが……)

 異なる世界では「普通の学生」として暮らしていたらしいツカサが、今いる男達全員の能力を最大限把握したうえでこんなことを考え付いたのだと思うと、背筋が怖気とも期待とも取れない感覚にぞわりとしてしまった。

(ビジ族は戦闘訓練でアルクーダの兵士達のやり方を学習している。それゆえに、今は『いつもの方法』と思って油断しているのだろう。しかも、彼らは地理や各地の情勢についての学が無い。この辺境の地にこれほどまでに兵士が居るワケがない事も、把握してなかっただろう。……こんなことを、戦慣れしていないという無垢な少年が、正確に把握するなど……他の種族に知られれば、いまよりも危ういだろうな)

 ツカサの世界では、戦がなくとも知識は学べと言われるのかも知れない。
 そうして「学ぶこと」を自然と覚えた彼らは、無意識に過去印象的だったことを記憶して、次に生かそうとするのだ。

 だからこそ、ツカサは己を卑下しつつここまでのことを考え付いたのだろう。

 ……末恐ろしい……と思うのは、贔屓目に見ているからかもしれない。

 だが、この愛しい少年が肉体的にも魅力的なだけでなく、知恵が回りつつも純粋で博愛的な存在だと知れば――――きっと、獣達の誰もが欲しくなる。

(そう……誰もが……力を持った、父上のような強い存在も、きっと……)

 だとしたらその時、自分は。
 “獣とは異なる高み”に至ることも未だ迷う自分は……ツカサを、自分達の腕の中で守りきる事が出来るのだろうか?

 こんな脆弱な精神と、未熟な己のままでいる武力を持った自分が。

「……ロウ……クロウっ!」
「ッ……! あっ……す、すまん、今の状況に唖然としていた。なんだ?」

 今考えていた薄暗い思いを押し込め、ツカサを見下ろす。
 すると相手は既に力を蓄えていたのか、美しい夕陽色の光をその身に纏いながら握った手をぎゅっと握り返してきた。

「ビジ族が目標ポイ……ええと、目標地点に来たら、よろしく頼むぞ! あらかじめ、デハイアさんに【緑化曜気充填装置】で、地中の曜気をギリギリまで広げて貰ってるけど……もしも目測が外れた時は、修正よろしく!」

 必死に大きな口を開けて伝えて来るツカサ。戦の只中であっても、その愛らしい顔が自然と自分に満ち足りた感覚と冷静さを齎す。
 一欠けらも不安を持たない、クロウの力を絶対的に信じた言葉。

 それだけで、全てが満たされるような感覚がした。

「…………ツカサがオレを信じてくれるなら、オレはそれに応えるだけだ」

 今だけは全てを忘れて、ツカサが信じてくれることに対して応えたい。
 その周囲を照らす夕陽色の光を吸い取るように、クロウはそう願いながらツカサの小さく柔らかな唇に己の厳めしい唇を合わせた。

「――――~~~ッ!」

 触れた唇と頬が、一気に熱を持つ。きっと、彼の顔は真っ赤になっているだろう。
 どうしてこんな方法で曜気を受け取るんだ、と、文句の一つも言いたいに違いない。だが、それでもこの行為を許してくれることをクロウは既に知ってしまっている。

 ツカサと自分には、それだけの絆があるのだから。

(戦場で武功とは別の事に興奮して幸福になるなんて、思いもしなかったな)

 過去の辛い記憶が、ツカサから勢いよく流れ込んでくる力に押し流されて全て暖かな気力に変わって行く。触れた場所から伝わる熱が、その実感を強めた。
 クロウクルワッハという名の自分自身は、今のままで良いのだと。

「っぷは……っ、はっ……はぁ……っ」
「ム……そういえば、ツカサはこういう時に感じてしまう体だったな」
「そ、そういうこと言うな……っ……て、あれ? でも、それって【グリモア】にしか適用されないコトのはずじゃ……」
「さあ、やるぞ。ツカサも大地の気を忘れないでくれ」
「あっ……わ、わかってる!」

 質量のある幻覚の圧を確かに感じたビジ族は、直進する方向を変えない。
 まるで本を閉じるように左右から挟み込んできた巨大な熊の足元を巧みに避けて、兵士達の幻影が自分達に到達する前に走り切ろうと正面を目指す。

 そこに、殺気すらも隠して大規模な幻覚を操る……「ただの人族」を装った最悪な男が立っているとも知らずに。

「いくよ……!」

 左の視界から、今度は黄金の美しい光が溢れだす。
 先程とは違い金色の光の粒子が一気に空気中へ放出されるその凄まじい光景を見て、クロウは横を振り向いた。

 ツカサが【黒曜の使者】の能力で、巨大な曜術を使う兆候。
 微かに息を切らす彼の姿を見て――――クロウは、目を剥いた。

「つ、かさ……それは、なんだ……?」
「っ……え…………な、なに……が……?」

 息も絶え絶えに声を漏らし、急に吹き始めた強風に服をはためかせる小さな姿。
 いつものように手の甲から両肩へと向けて浮かぶ蔦のような光の紋様が、その柔く細い両腕に浮かんでいる物と、思っていたのだが。

「何故……そんなに、広がっている……」

 思わず、愕然とした言葉が口から零れた。
 ……いや、クロウが今までその事に気付けなかっただけで、本当は前からこんな風な状態になっていたのかも知れない。

 金色の光の粒子に包まれながら、両手を目標へと伸ばして必死に耐えるツカサ。
 そんな彼の両腕に絡みついた光の蔦の紋様は――――

 肩を越え、既に鎖骨と肩の裏にまで侵食していた。

「ツカサ、その光の蔦……」
「くっ、クロウ、今はやるべきことをやんなきゃ……!!」

 ツカサ自身、言われて気が付いたのか動揺するような声を漏らしているが、それでも使命を果たそうとして気丈に振る舞っている。
 きっと彼も、クロウに言われて自分の現状に気が付いたのだろう。

 以前は肘の下までしかなかった光の蔦が、それほどまでに侵食している事に。

「う、グ……ッ……わかった……っ……だが、ここでじっとしてはいられん、術を発動させながら、ブラックの所に行くぞ!!」
「ギャッ」

 両手を突き出したままの姿勢で動けないツカサを、下から潜り込んで背負う。唐突なクロウの動きにツカサは可愛らしい驚き声をあげたが、それでも今はそれが一番良いのだと思ったのか、クロウの成すがままにさせてくれた。

「ツカサ、このまま屋根を飛んでいく! お前が発動した直後にオレもやるぞ!」
「わ、わかった……っ、しっかりおんぶしててくれよ……!」

 動きながら曜術を使うのは、これが初めてではない。緊張は無かった。
 しかし、失敗を恐れる緊張とは異なる怖気が、どんどん這い上がってくる。

 ……知らなかった。
 ツカサの「不可解な現象」が、これほどまで進行しているとは思わなかった。
 ただの曜術を発動する兆しだと思っていた、あの謎の光の蔦。ソレが成長しただけで、こんなにも心を掻き乱すなど。知らなかったのだ。

 その突然現れた異常に、心臓がのたうっていた。

(クソッ……今まで薄手の服で能力を使った姿を見ていなかったから、全然気が付かなかった……不覚だ……。しかも、何故か……嫌な予感がする……!)

 獣としての勘が、服に隠れて見えなかった真実に警鐘を鳴らしている。
 それが何故なのかはクロウにも分からない。

 だが、一刻も早くブラックに見せなければならないと言う事だけは確信していた。


 このまま【黒曜の使者】として曜術を使えば、何かが起こる……――


 それを、無意識に“理解させられていた”から。










※ツ……エックスで言ってた以上に遅くなりました
 _| ̄|○スミマセヌ… 
 年末もお仕事のみなさま、お疲れさまです(´;ω;`)

 
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