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亡国古都アルカドア、黒き守護者の動乱編
我が最期の戦いをクラウディアに捧ぐ
しおりを挟む石造りの無骨な部屋の壁には、ぴたりと棚が取り付けられている。
その棚には、この都市が今までどのような統治をされどのような敵と戦って来たかの記録が事細かに記され、また、街における問題を偽ることなく記載し議論を重ねている様が描かれていた。
この国が亡ぶまでは、城を支配する者以外が見る事のない記録。
恐らくは後世の子孫に受け継がれるだろう記録であるにも関わらず、この城の者達は己の不出来を恥じながら、隠すことなく欠点を刻み付けていた。
その記録を、白い指に生えた長い黒爪で軽くなぞりつつ、現在のその部屋の主人は小さく溜息を吐く。部屋には場違いな寝台に腰を掛けて流し見る記録は、部屋の主人を落胆のような安堵のような曖昧で気持ちの悪い気分にさせた。
そんな心地に酔っている主人に向けて、扉が軽く叩かれる。
招かれようとしている相手の足跡は、ない。だが、確実に「彼ら」は来たのだ。
主人は立ち上がり、資料を棚に戻すと扉を開けた。
「クラウディア様。熊どもが人族によって解放されてしまったようですよ」
黒いローブを羽織り、その頭衣を鼻先まで目深に被った正体不明の大男。
その背後には、奇妙な仮面をつけた“お付き”が二人控えている。
分かり切った事を今更言いに来る人族達に、部屋の主人――――クラウディアは不機嫌を顔に表して相手を睨んだ。
「知っている。……貴方がたが大人しくしていたから、私は従ったまでだが?」
取り繕う必要も無い相手に対して、素直な言葉が出る。
そんなクラウディアに大男……【教導】はわざとらしく口を笑みに歪めて、ずんずんと部屋に押し入ってきた。
「まあそんなに気を荒立てずに……。それとも、実際に奪われて腹が立ちましたか? やはり、模倣を続ける“二角神熊族”はすべて憎い……と?」
許可を得ず勝手に椅子に座る【教導】の言葉は、嘲るような口調ではないものの、それでも他人を諭すような声音で気に入らない。
ずっと、目覚めてからずっと気に入らない声だ。
しかしクラウディアは黒い立て耳を動かさぬまま、服に潰され苦しい胸をさすった。
「……憎い……と言いたいところだが……微塵も悔しさが湧かない」
「ほう」
「寧ろ、清々しさすらある。彼らを人質にすることで、あいつに反旗を翻された場合の反撃を考えていたが……枷が無くなったようで心は安らいでいるようだ」
「なるほど。やはり獣人族の感覚はよくわかりませんね。人質を取る方が苦しいなどという感情になるとは。むしろ、交渉がこちらに有利に傾く策でしょうに」
同じ「ヒト」であるはずのものが冷酷な事を言う様に、クラウディアは眉を歪める。
だが、この【教導】という男は……いや、少なくとも人族の大多数はそのような行動を「利益になる」と考える存在なのだ。
耳の構造や血は違えど、ほぼ同じ形をしている相手が、汚らわしい事を利益と考え「戦略」と嘯くような異なる思考を持っている。
その違和感がクラウディアにとっては吐き気がするような心地だったが、しかし今は胸の内に秘めてただ淡々と言葉を返した。
「私は……私は国さえ、王族という存在さえ消えればそれでいい。この自由な大陸に余計な法を作り広く伝えようとする存在がいなくなればいいのだ。仮にこちらが危なくなろうとも、結果的に国を崩壊させられればそれでいい。私には、その力が有る」
そう言いながら、クラウディアは自分の手を見つめる。
橙色の光がまだらに集まり渦巻く、己の奇怪な掌を。
「ふっ……そうですね。貴方の望みは、それで良かったのでしたね。……まあ、仕方がありませんよね。『本当に復讐したかった相手』は、既にもうこの世に魂の欠片すら残っていないのですから」
言葉とは裏腹に楽しげな【教導】の背後から、二つの声が飛んでくる。
「いや楽しいですね。だったらやぶれかぶれで残滓のように残った『国の概念』を受け継ぐ一族を滅亡させようだなんて。これぞ衝動! これぞ感情の動きの極致! その行動のお供が出来るんですから、もう楽しいったらないですよ」
「いや待て、今こそ冷静になるべきだろう。積年の恨みを晴らす絶好の機会を得たのだから、冷静に成功までの道筋を考えるべきだ。絶頂は綿密な下拵えがあってこそのもの……その時が来るまで派冷静に行動するんだ」
全く同じ声で、それぞれに高低の違う感情を含んだ声を同時に発する、得体の知れない仮面の男二人。最初はクラウディアも人族の双子なのかと思ったが、彼らの纏うニオイはそれぞれ異なる。
なんにせよ、異質な存在だ。
しかし今、クラウディアはそんな彼らの手を借りている。
文字通りの起死回生を与えてくれた“恩人”が付けてくれた「協力者のひとり」とは言うが……クラウディアにとっては、信用のならない相手だった。
しかし今は、こうでもするしかない。
「ところでクラウディア、仕掛けの方は大丈夫なんですか? 残った冒険者どもは我々の治験に使っていますが、本当にこれでよろしいので?」
「問題ない。元からひ弱な人族を兵士に使おうなんて思っていないし、この戦は……元から私の負け戦だ。……だが、その時に『汚い勝ち方をした』とは言われたくない。私の愛する私の家族の為に、誇りある戦いで最期を飾りたいのだ」
ずっと。
再び目覚めてからずっと、希っていたこと。
今まで一度たりとも変わる事の無かったその願いに、偽りはない。
既に目的としたものは朽ち果て、憎しみすらもどこを向けばいいのか分からない。そんな自分には、それ以外の事を望む事など出来なかった。
――己の力のみで戦うことこそが、獣人の誇り。
強者に挑んで死んだとしてもそれは名誉ある死であり、己の意志を貫く事が出来た者として斃れることこそ、悔いなく散って逝ける唯一の死に方だった。
例えそれが、何も出来ずに斃れた弱い獣の無駄なあがきだとしても。
……だからこそ、元からこの“計画”は、人族の全てが囮でしかなかった。
「しかし……このような短時間で、本当にこの城を制御できたのですか?」
【教導】の言葉に、クラウディアは頷く。
すると、彼の後ろに控えている仮面の男達がワァと声を出した。
「問題ない。上物の城は改装されてしまっていたが、内部の構造は昔のままだ。あの女どものおかげで、真実の記録はことごとく抹消されたわけだしな……。そのおかげで、神獣の熊どもには気付かれずに済んだわけだが」
「さすがクラウディア!」
重なる声は称賛しているが、ただただ薄ら寒い。
そんな声を背後に、彼らを率いる【教導】は再度クラウディアに問いかけた。
「では、彼に頂いた素晴らしい力は馴染んでいるのですね?」
「ああ。……“新たな力”で城を掌握するのは、案外簡単だったよ。……強い力を持つというのは……これほどまでに、万能感を覚える物なのだな……」
「頂点に連なる力です。当然の事ですよ」
【教導】はそう言う。
だが、クラウディアの……黒い犬の心の中は、言葉のそれとは違うかつての感情に縛られ、また胸が苦しくなっていた。
けれども、弱みは見せられない。
「……教導、メイガナーダ領地へ向かわせた“嵐天角狼族”は、うまくやるだろうか」
今更な問いを放り投げられた【教導】は、ニヤリと笑みを浮かべる。
そうして、位が上の者に行うような恭しい礼を見せた。
「無論。……いえ、やって貰わねば困りますよ。彼らには、ちゃんと役割を演じて貰わないと。それに……この城から持ち出されたという数々の『遺物』も回収しなければいけませんし……ね?」
「……遺物、か……」
残されたもの。
何もかもが消えて砂の楼閣になってしまった場所に遺された、残骸。
それを取り返したとして、自分が真に望んでいたものが帰ってくるわけはないのだと解っている。だが、それでも――――
「…………クラウディアのために……」
呟いた自分の小さな声に、また胸がつきんと痛むような感じがした。
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