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亡国古都アルカドア、黒き守護者の動乱編
熊、忘却の地に帰る。
しおりを挟む武神獣王国・アルクーダ東方。
“聖獣の首の根”とも呼ばれる大陸位置の山脈があり、その端から流れ出づる膨大な水により、大河が海へと流れるその周辺だけは辛うじて緑が残っている。
とはいえ、荒野に毛が生えた程度のものでしかなく、未開地域と呼ばれる極東部分以外は、さほど豊かな土地というわけでもなかった。
しかしその川傍の地を、せめて人が住む地域だけでもと緑地を作り上げた獣人の一族が存在する。それは、まさしくクロウの先祖である“二角神熊族”だ。
かつて強力なデイェル――……モンスターと同じ、曜気を用いない特殊な技能だと呼ばれる特殊技能のことだ――を持っていたと言われる、数代前の長が、その力を存分に発揮し、また珍しい技術を用いて大地を耕し土を蘇らせ、土と水の曜気を扱う知識を以て上手く緑地化を成功させたと言われている。
文献に残るその長は、国を興した始祖でもあり……クロウと同じく“土属性の曜術を操る”ことが出来る、特殊なディオケロス・アルクーダだったと記されていた。
(オレはその力の一つを偶然与えられたが、だからといってその始祖と同じようなことが出来るとは思えない。……子供の頃は『そういうことなのか』と納得して何も疑問に思っていなかったが、今となっては驚かされるばかりだ)
王都を囲む砂漠地帯を抜け、荒野帯を通り、大河を地平線に見ながら“聖獣の首の根”を目指し南東へ斜めに移動を続け一昼夜。
ようやく見えてきた懐かしい景色に、クロウは目を細めた。
――――山肌を割って唐突に湧き出たような大瀑布の横、少しだけ離れた場所に所在無げに佇むような小さな街。
かつて一度だけ、この街を今のように遠景で見た事が有る。
だがそれは、思い出したいような甘い過去ではない。あの時は遠ざかって行った街を見て、この街にやって来た時に感じていたぬくもりは喪われたのだと実感した。
その時の寂しさで心が凍りつきそうだった、弱く幼い自分を思い出す。
自分をいつも守り、抱き締めてくれていた母のぬくもりはもう失われた。最早、自分を一番に考えて思いやってくれる人はもういない。
否応なく、それを突きつけられたのだ。
「…………」
その思い出や残り香すらも遠ざかった記憶は、クロウにとって受け入れがたい過去の傷の一つだった。
何十年日々を過ごしても、決して消えることはない傷。
それを思えば、何とも言えない苦さが口の中に広がった。
……だが今は、その忘却したはずの地へと向かわねばならない。
己の内の葛藤など、国を守るための王命に比べれば些末な事だろう。
そう思えばこそ、かつての棲家がある街を見据えても冷静でいられた。
いや――冷静である、と、自分を偽っているのかも知れないが。
「……おい。いい加減俺の上で呆けるのはやめろ」
「っ! あ、ああ、すまない兄上」
「ったく……何故お前は未だに獣身化する時に服が脱げるんだ。おかげで俺がお前を乗せて走らねばならなくなったではないか」
地面を力強く蹴る重い音を響かせながら、下から低く響く声が聞こえる。
視線をやれば、クロウが跨いでいる巨体が見える。昏い夕日色をした立派な熊の剛毛は、クロウの足を完全に埋もれさせるほどで、その頭たるや人二人など簡単に噛み砕いてしまえるほどだ。
その立派な熊の頭には、捻じ曲がった特徴的な二本の角が伸びている。
普段は出さないが、今回はそう言ってもいられない。力を抑え込んで速度を殺す暇は無いということだ。それだけ、今の状況は緊迫していた。
だというのについ物思いにふけってしまった事と、未だに不出来な自分の技を思いクロウは素直に反省した。
「すまない兄上……練習するのだが、何故かうまくいかんのだ」
「ハァ……成獣になってもう何十年も経つというのに、何故そうなるのか……」
「ヌゥ……」
「……まあ良い。どうせお前では、俺のように速度は出せなかっただろう。この偉大な俺の背に乗れたことを一生の誉れにしておけよ」
そこまでは言い過ぎだろう、と思ったが、兄であるカウルノスはとても“獣人らしい”性格の持ち主なので、己の力に関してはとても誇りを持っている。
なので、ここは普通に褒めておくに越したことはない。
「ウム。兄上はすごいな」
ただ、クロウはあまり他人を褒める語彙を持っていなかった。
……というか、心にもない褒め方を隠すほどの必死さが無かったのである。
しかし何故か、カウルノスは分かりやすく「ンンッ」と咳を漏らした。
「そ、そうか。俺は凄いか。ふふ……まあな……俺は王と認められた男だからな!」
――――どうやら、我が兄はわりと褒められ慣れてないらしい。
少々呆れるような気持ちが湧いたが、しかしクロウはそれも心を許してくれたが故なのかも知れないと思い、少し心が温かくなった。
(兄上は本当に、オレを認めてくれたのだな……)
つい先日ようやく和解したばかりの関係だが、それでも相手は今まで蔑む対象であったクロウのことを認め、歩み寄ろうとしてくれている。
だがそれは、お互いに難しい事だ。
憎み殺そうと思うほどの相手に心を許すなど、普通は出来るはずもない。
なのに、この兄は今クロウを力ある弟だと認め、そう接しようとしてくれている。
……カウルノスは、一族で最も“獣人らしい気質”であるがゆえに、一度拳を交えたことでクロウを素直に認めてくれた。
強者を尊ぶ心は獣人の基礎とも言える。だが、自分達一族は、その「力」というものが、多岐にわたる事を長い時間で思い知り……そして、考え方も獣人らしいさっぱりとした物ではなくなってしまった。
そのおかげで、国は弱い獣も受け入れ「国家」として大成できたが――――
今となっては、その思想も悩ましいものだった。
(……他の者達は、兄上のようにはいかないだろうな)
自分達は人族を危険視して制限を作ったが、そのような思想が既に人族のように様々な物事を考え獣人らしさを失っていると、彼らは気付いているのだろうか。
今更ながらに見えてきた自分達の一族の異様さに少し寒気が湧くが、今は日差しが強すぎて震える隙すらない。
今から向かう街に、自分を決して認めないだろう存在がいるのだと思えば、震えることすら許されない厳しい気候に少し気分が沈んだ。
(少なくとも……あの方は、兄上のようにはいかない。……許されようなどとは思っていないが、それでも……やはり、気が重いな……)
こんな気弱な姿は、とてもではないがツカサには見せられない。
今まで散々甘えて来たが、しかし今はどうしてか……ツカサにだけは、このようなしょぼくれた自分の気持ちを悟られたく無かった。
……身内の問題を愛しいものに見せるのが、これほど難しいとは。
オスだからこその心情なのか、それともこれは同じ「男性」であるツカサも理解してくれる恥の感情なのか。どちらにしても、今は彼に顔向けが出来なかった。
離れたくは無かったが、今だけは離れていてよかったと思う。
そんな己の自尊心に嫌気がさしつつも、クロウは再び前方を見やった。
「…………とうとう、着いたな」
「ああ。……とにかく突っ切って領主の館に行くぞ」
間近に近付いてきた街は、人の気配が無い。
いや、街の住民は家で仕事をしているのだ。それゆえ、過ごしやすい時間帯である夕方から夜にしか出て来る事は無い。
例え緑が増えたとしても、日差しを誤魔化せるほどではないのだ。
そんな、守る壁も無い街に、カウルノスの足が難なく届いた。
ドッ、と強い地を蹴る音がしたが、重みで地面が窪むことを恐れ、乗っている体が急に一回り小さくなる。自在に体の大きさを変えられるのも、強い獣の証拠だ。
改めて兄の強さを実感しつつ、街中を歩いて行くと――――街から少し離れた場所、大瀑布のすぐ近くに、ぽつんと建つ館が見えてきた。
……その半分以上を高い壁で隠した、不可思議な館。
一度だけ外から振り返った時に見た気がする、もう遠い記憶となったぼやけた形。
その姿が急速に輪郭を取り戻したような気がして、一気に獣毛が逆立つ。
別に、なにか恐ろしい物をみたわけではない。
だがなぜか、息が薄くなる。
「……!」
巨大な門が見えてきたところで、カウルノスが大きく咆哮した。
その声に、門が震える。
「降りろ」
素直に飛び降りると、白い薄煙を纏ってカウルノスの体が即座に縮む。
手でその煙を払う姿は、既にいつも見ている人の姿をした兄だった。
無論、全裸と言うわけではない。王族らしく縛めの装飾品を付けた姿だ。
……普通は、こうして衣服も一緒に変化させる事が出来るのだが、どうして自分はこのように姿を変える事が出来ないのだろうか。
そんなことを考えてしまったが、門が開く重苦しい音に意識は持って行かれた。
「ようこそお越しくださいました。領主がお待ちしております」
厚みのある重い金属の扉を開いて現れたのは、老いた男執事。
白く髭を蓄えたその姿に何故か一瞬息を飲んでしまったが、兄が何の恐れも無く足を踏み出したのを見て、その後について行く。
背後で閉じる扉の音を聞きながら、周囲を見やると――――
「いつ見ても、この庭園は素晴らしいな」
珍しく素直に褒めるカウルノス。
その背中越しに広がる光景は、かつては見上げていた瑞々しい緑が広がる風景。
……そして。
「…………よく顔を出せたものだな」
殺意の籠る目で自分を射抜く、伯父の姿だった。
→
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元に戻してたら遅くなりました…_| ̄|○すみませぬ…
なんで今日なんだ頼むよ炎狐…
あとちょっとで新章です
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