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亡国古都アルカドア、黒き守護者の動乱編
37.心を近付けるなら1
しおりを挟む「……ブラックさん? おーい、ブラックさんやーい」
「…………」
普段呼ばない呼び方で、ちょっとおどけて呼んでみる。
だけど、相手からの返答はない。
ブラックが【教導様】の所から【黒い犬のクラウディア】の部屋まで戻って来て、少し話をした後、俺達は退散して部屋に戻る途中だったのだが――
ロクが待つ部屋に帰る前に、誰かが使っていただろう空き部屋にタックルされるがごとく抱き着かれたまま連れ込まれて、ベッドに腰掛けたままずっと俺の腹の所に頭をグリグリ押し付けられている。
……なにが何だかよく分からないが、いつもみたいに強引に引き剥がすってのも気がひけたので、こうやって優しく声を掛けているんだけど……一体どうしたって言うんだろうか。まさか、あの【教導様】とかいうのに何かされたとか……。
でも、ブラックは強いし口も上手いし、その……昔は散々女、っていうか男女問わずメスっ子と遊んでたワケだから、相手に何かを言われてもそうそう揺るがなさそうな感じがするんだけども。……いや、でも、ブラックだって言われたくないことは有るワケだし、もしかしたら凄く嫌な事を言われたのかも知れない。
だとしたら、やめろとも言えなくてなぁ……。
いつもなら唐突に抱き着いて来ても「甘えてんだな」とか「発情してんじゃねえ」とかすぐ察する事が出来る態度なんだけど、今のブラックはそうじゃないワケだし。
こんな風に無言で強引に抱き着いて来るなんて、最近じゃほとんどなかったもんで、俺としてもどうしていいか判らなかったのである。
なので、軽めに呼びかけてみたのだが。
「ブラック」
「…………」
呼びかけても、相手は俺の腹にぷうぷう息を吐くだけで何も言わない。
普通に怒ったって良かったんだろうけど……でも、なんだかそういう気も起きない。男ならビシッと元気付けてやるべきなのかもしれないが、落ちこんでるかも知れない奴に叱咤激励出来るほど、俺もちゃんとした大人ではないし。
だから、なんというか……その……昔、ガキの頃に婆ちゃんにして貰ってたみたいに、ブラックの頭を撫でてやってしまったというか。
…………冷静になると恥ずかしくなることはもう分かってるんだが、しかし、俺にはこれ以上慰めるような行動が思いつかない。
なにより、ブラックがこうして俺に抱き着いたままってことは、強い言葉が欲しいわけじゃないだろう。ただ、落ち着くための時間が欲しいだけかも知れない。
だから俺は、しばらくブラックの頭を撫で続けた。
俺にはブラックの気持ちは分からないし、説明もされてないから察しようも無い。
けど、俺に抱き着いて落ち着くっていうんなら、好きにさせてやりたかった。
【教導様】って、俺から見ても何か得体のしれない相手だったしな……。
「……ツカサくん……」
ウェーブがかった鮮やかな赤い髪を梳くように撫で続けていると、腹に直接吹きかけるような低い声が聞こえた。体の中に直接響くみたいになるのでちょっと困ったが、今更ひっぺがすのワケにもいかなくて、俺はそのまま応える。
「落ち着いたか?」
そう言うと、ブラックは否定を示すように頭をぐりぐりと動かし、俺の方へグッと体重をかける。これは……素直に押し倒された方が良いんだろうか。
……なんかイヤな予感もするんだが、しかしこの状況は最早抵抗することも出来ずそのままベッドに倒れ込んでしまった。
「ツカサ君がもっと甘やかしてくれたら落ち着く……」
「お、お前な……」
「だめ……?」
大きな体で俺の上に乗っかって来た重いオッサンは、顔を上げてわざとらしく菫色の瞳をうるうると潤ませる。夕方も過ぎて無精髭なんて朝より濃くなってるし、折角の美形も情けなくゆがんだ顔になっちゃってるし、男らしいハズの太眉もハの字でゆるゆるになってて、叱られた犬みたいだ。
そんな顔されたら、怒るどころか呆れた笑みが湧いてしまって。
「なんて情けない顔してんだよ」
「うぐぅ」
うねうね髪と一緒に頬を揉んでやると、ブラックは変な声を漏らしたが、次第に嬉しそうな顔になると、再び俺に抱き着いて来た。
今度は胸に顔が乗る。ぐええ重い。
「おっ、お前っ、重い……っ」
「ふへぇつかしゃくんしゅきぃ、好きぃい」
「言語まで幼児化するやつがあるかい」
でもなんだか怒る気にもなれず、近くなった顔の眉間にぐりぐりと指を当てる。
さっきまで皺が寄っていたのだろう狭い眉間は、俺の指に引っ張られるたびに柔く伸びて緩んでくる。やっと感情が落ち着いて来たのか、安心したような表情になってきたみたいだ。ひっつくだけで機嫌が直るなんて、不思議なヤツだよ。
……とはいえ、正直……イヤな気分ではない。
そんな自分に気恥ずかしさを覚えつつもブラックを見やると、相手は俺の顔をジッと見て、にへらと気の抜けた笑みを見せた。
「ツカサ君、ね、もっと甘やかして……」
「はいはい」
シャツ越しの胸に顔を擦りつけるブラックの頭を撫でてやる。
まるで足に頭を擦りつける人懐こいネコみたいだけど、ブラックは純粋に懐いているワケじゃない。……どうして急に甘えようと思ったのか理由を聞きたいところだけど、こんな風に強引に擦りついて来る時は、理由を知られたくないんだってなんとなく俺も理解している。俺に話せないから、ただ甘えて来るんだ。
――大人になったって、耐え切れない事は沢山あるんだろう。
今の俺には分からない感覚なのかも知れない。でも、それが悲しくて苦しいというのなら、お、俺も……ブラックの、こ、こ、恋人と、して……受け止めてやりたいなとは、思う……わけで……。とっ、ともかくまあ、これも男の甲斐性ってヤツだな!
大事な存在が落ちこんでるなら、そりゃ放っておけないし。
だから、俺がこうやって望むがままでいるのも仕方がない事なのだ。
包容力を見せるのも必要だしな。うん。
ブラックがそう望んでるのなら、そうしてやりたい。例え理由を話してくれなくても、俺に抱き着く事で痛みが和らぐならブラックの望むがままにしてやりたかった。
そんな俺の思いを知ってか知らずか、ブラックは俺を抱えたままずりずりとベッドの上に乗り上げて、添い寝するような形を作ってしまう。
……おい。俺達の部屋では可愛いロクちゃんが帰りを待ってるんだが!?
「ここで寝るなよブラック」
「わかってるよう……でも、しばらくは気兼ねなくこうさせてよ……」
「……ったくもう、しょうがないなぁ……」
ロクをないがしろにするほど、ブラックも浅慮ではないだろう。
再び俺の無い胸に顔を埋めるブラックの背中をポンポンと叩いてやると、相手は俺の足に両足を絡ませてきた。抱き枕状態だこれ。
ま、まあ……別にえっちなことしてないし、これくらいは……。
ちょっとドキドキしつつも為すがままになっていると、ブラックがくぐもった声でボソリと呟いた。
「……ツカサ君……もし……もし僕が、ツカサ君を自分勝手に襲ったらどうする?」
「そんなのいつもやってるじゃん」
「せ、セックスのことじゃなくてっ! もっとこう……暴力とか、もっと酷い事とか」
そこまで言うと、モゴモゴと口ごもってしまうブラック。
思っても見ない発言だったので少し驚いてしまったが、そんなこと悩んで答えるまでもないと思い、俺はすぐに答えた。
「別に、どうもしないよ」
「え……」
目を丸くするブラックは珍しいな。
いつもよりも子供っぽく見える相手に苦笑しながら、俺は続けた。
「例えそうなったとしても、何か理由があるんだろ? ……俺だけじゃなくて無差別に暴力振るうならヤバいし、何としてでも止めると思うけど……。でも、その質問って俺だけが被ることなんだよな? だったら、話し合うか落ち着くまで待つか……そうでもなきゃ、殴り合ってでもアンタを正気に戻すだろうさ」
「……僕が、酷いことしてるのに……?」
「あのな、アンタがヤバい奴ってのは充分解ってんだよ。俺はそれを理解したうえで、アンタと一緒にいるの。でなけりゃ何度も何度も約束をカタにスケベなことをしてきたオッサンと誰がお揃いの指輪するってんだ」
「う、うぐぅ……」
ぐうの音も出ないようで、目の前の変態おじさんが口ごもる。
さもありなん。最初は俺を快楽に酔わせてムリヤリ「恋人になる」って言わせたんだもの。……まあ、俺もなんというか……最初から憎からず思ってたから、結局のところ鞘に収まっちゃったけど、普通は怒られても文句言えないんだからなアレは。
なのに、暴行したらどうするなんて今更な質問すぎる。
むしろ殴る蹴るの方がよっぽど単純だ。この世界じゃ喧嘩したって合法だし、こっちが弱くたって、俺は自己治癒できるチート能力者なんだ。単純な殴り合いなら、俺が諦めさえしなきゃこっちだって勝てる可能性はある。
なんにせよ、暴力に屈する気はない。むしろアンタが暴力まで振るい始めたら本当にヤバい状態だし、そりゃ俺も死力を尽くして殴ってでも止めますってば。
「もっかい言うけど、アンタ最初からヤバい人なんだからな。だから今更だし……俺は、逃げないよ。絶対に理由はあるんだろうし。……まあ、俺が要らなくなったからってんなら、戦うこともないだろうけど……」
「そんなことあるワケないじゃないか!!」
うおっ、い、いきなり胸元で叫ぶなよ。びっくりするだろ。
でも……そうムキになってすぐに返す時点で、もう答えは見えたようなモンだ。
俺は微苦笑すると、ブラックの頭をポンポンと軽く叩いた。
「……じゃあ、心配ないだろ」
――絶対にいなくならないから、とは、言えない。
だって実際俺はこの世界から消えて、別の世界に帰っているワケだし、それを失う事も出来ない。二つの世界を行き来することで、ブラックの前から消えているんだ。
それを、ブラックは寂しがっていた。だから、無責任な事は言えなかったんだ。
でも、それでも……俺は、アンタが豹変したからって逃げたりはしない。
殴られたら殴り返すし、馬乗りにもなるし、怒って怒鳴るだろう。男同士だし遠慮は要らないとばかりに、暴力の応酬になるかも知れない。
普段の小市民な俺なら、そんなこと絶対イヤだって思うけど。でも、アンタの言い分を聞くまでは、何だってやると思う。
少なくとも……絶対に、何も聞かないままで逃げたりなんてしないから。
そんな思いを込めた、多分伝わらないだろうヘタクソ過ぎる返答。
けれど。
「…………へへ……ツカサ君たら、本当に……本当に、君って子は……」
こんな時まで心を読まれてしまったのか、ブラックは嬉しそうに笑う。
どこか安堵したような、泣きそうなような、そんな不思議な笑い方だった。
「でも豹変するなら事前に何か一言くらいは欲しいんだけどな? 今みたいに、部屋に連れ込んで甘えまくる理由とかさあ」
「う……ま、まあその……別に直接的に何か勘付かれたワケじゃないんだけど……自分のイヤなとこを思い出しちゃって。……だから、ツカサ君に慰めて欲しかったんだよ。……見透かされたみたいでイヤだったし」
「そんなにヤなコト言って来たのか、あの【教導様】ってヤツ……」
まあ、ブラックに変な問答を仕掛けるような相手だから、勿体ぶった言い方で相手を翻弄する厄介なタイプだろうなぁとは思っていたけど、まさかブラックですらその言葉に感情を逆なでされるとは思ってもみなかった。
ブラックって俺が思ってる以上に冷静だし、結構腹の中で色々考えたり耐えたりもするからさ。
まさか感情が剥き出しになるほど追い詰められたとは思わなかったんだ。
ちょっと驚いてしまった俺に、ブラックはゴホンと咳を一つ零すと、俺の上にずしっと乗ったままでこちらを見上げる。
「……ツカサ君のおかげで元気になったし、話したい事を整理するからちょっとだけ待っててくれる? ツカサ君の方からも、あの黒犬の話を聞きたいし……」
「おう、分かったよ。じゃあ、早速部屋に戻って……」
「いやここでやろう! ここで! イチャイチャしながらっ!!」
「何でそんな必死なんだよ……」
ロクショウに改めて説明する手間も無くなるし、そっちの方が都合が良いのに。
なのに何故頑なに部屋に戻るのを拒否するのかと目を細めると、ブラックは子供のように頬を膨らませて俺を抱き寄せて来た。
「だって……ロクショウ君のとこに帰ったら、ツカサ君は絶対僕よりロクショウ君の方を構うし、恥ずかしいからって甘やかしてくれなくなるじゃないか。だからここ! ここで二人っきりで、イチャイチャしながら話すの!」
……台詞だけ見たら、ちょっとヤキモチ焼きのヒロインっぽいのになぁ。
実際に言ってむくれてるのは無精髭だらけのオッサンなんだよなぁ……。
つい気が遠くなってしまったが、しかしブラックが持ち直してくれたのだから呆けてる場合ではない。……さっきのことを忘れさせるためにも、真面目に話し合いをした方が良いだろう。そういう所は真面目だしな、ブラックって。
「じゃあ、まずは……俺から報告しようか」
「うん。ゆっくりでいいからね、ゆっくりで」
露骨に話を引き延ばそうとする言葉には、さっきまでの切実さはない。
だけどそれが何故か少し嬉しくて、俺はつい何度目かの苦笑をしてしまった。
→
※ツイ…Xで遅れるとか言ってましたが
かなり遅れてしまいました早朝:(;゙゚'ω゚'):つ、疲れ…
応援ありがとうございます!
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