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亡国古都アルカドア、黒き守護者の動乱編
教導
しおりを挟む何故自分が給仕係になっているのか、という問題はこの際どうでもいい。
今この状況に立ってしまえば、そんな些末な問題よりも「この役目をツカサが引き受けなくて良かった」という危機感しか思い浮かばなかった。
(どういうつもりだろうな、この【教導様】とやらは……)
名前からして胡散臭さが強く漂っているが、それ以上に目の前の男は得体が知れない。……目下まで目深に黒いローブを被っているからというわけではなく、言動の全てがすんなり腑に落ちないことばかりだったからだ。
けれど、今この状況でそれを指摘する事は出来ず。
ブラックはただただ、目の前でツカサの手料理を堪能している【教導様】と名乗る男を見つめているだけだった。
「……おや、ずいぶん見つめてくれるね。もしかしてまだ食べていなかったのかい? なら、良ければ残りは君にあげてもいいんだが」
「いえ、その夜食は【教導】様に食べて頂くためのものです。ご厚意を賜ることは有り難いのですが、我々はそのご厚意に能うことは何も出来ておりませんので……」
幾度となく「目上の人間」の好意を断るために使って来た、遠回しの「お前の気持ちは要らない」を遠まわしに伝えるブラックに、相手はフフフとわざとらしく笑った。
「傭兵だというのに、君の返事はいつも騎士のようだね。野に放たれた使い捨ての兵とはとても思えないよ」
そう言われて、初めて自分が失態を犯していた事に気付く。
――この男には、丁寧過ぎてはいけなかったのだ。しかし、その言葉で勘付いたのはブラックも同じだった。
(コイツ……もしかして貴族か、そういう存在に謁見する事が許される立場なのか? だとしたら、あの食料や潤沢な【宝珠水晶】の在庫にも納得が行く……だが、恐らくは商人ではないだろうな。目下の者に謎かけをして喜ぶような面倒臭い性悪なんぞ貴族の類しかいないだろう)
商人は自分の懐に入る「利」が有れば動くが、逆に言えばその「利」もないのに他人に覆されて解釈問答になる面倒な謎かけなど好まない。
そのような言葉遊びを喜ぶのは、商売を主だった生業にする者ではないのだ。
だとすれば、この【教導】を名乗っている存在は、ある程度地位が高い存在になる。
(あの黒犬に資金援助をしているのも十中八九コイツだろう。……だが、何故支援者がワザワザ獣人大陸くんだりまで出張るのか分からない)
その出張る「理由」が、今回の騒動の核に在るのだろうか。
だが、今はそれを考えても無駄なことだろう。なにせあまりにも敵を判断する要素が少なすぎる。
もしかすると、それこそが彼らの正体を暈す靄なのかと思ったが――今は未だそれを思考する事も危ういと、ブラックは己の考えを消して【教導】に返答した。
「……かつて、貴族に使えておりましたので、多少は……。とはいえ、正式に学んだ作法でもありませんので、時折野蛮な表現になってしまうのですが」
嘘は言っていない。
偽りの言葉で相手に応える時は、相手が誤解するように「事実を歪曲して伝える」ことがもっとも騙しやすい。本人からしても、無意識に返答する時の齟齬が無くなり、虚言だと見破られにくくなるからだ。
……とはいえ、そのような話術も察知力と知性が無ければ無駄な事だが。
そんなブラックの空々しい言葉は有効だったようで、謎かけが好きそうな【教導】は、こちらの返答にクスクスと笑いながら“クレープ”という菓子を口に運んだ。
「なるほど、君は落ちぶれた騎士とも言えるわけか。……勿体ないことだね」
「……?」
落ちぶれた騎士のどこが勿体ないと言えるのか、と片眉を歪めたブラックに、相手は二又のフォークを向けて口元だけでニヤリと笑う。
「完璧な紫電の瞳。……それは、人族でも滅多に出ない色だ。かつてその瞳は“支配者の象徴”とも言われ、力が宿るとして目を刳り貫かれたものすらいる。まあ、かなり昔の話だが……実際、学術院の複数の論文で特殊な能力が発現しやすいと言われている。…………君も、曜術は使えるのだろう? それなのにお役御免だとは、実に勿体ない事をする主人がいたなと。そう、誰もが考えるんじゃないかね?」
支配者。
今まで一度もそんなことなどなかったこの身に、よくもそんなことが言える。
そもそも、傭兵に身をやつす中年男を捕まえて「支配者ほどの力が有るのでは?」などと言えるのが嫌味以外の何物でもない。
そんな力が無いからこそ、傭兵の姿をしているのではないのか。仮にブラックが今のような……ツカサと繋がる【グリモア】のような能力を得ていなくても、この指摘は傷をえぐるナイフ以外の何物でも無かった。
だが、恐らく【教導】はそんな事など考えても居ないだろう。
己の知る事実を言ったまでで、相手の事情を深く知りはしない。いや、もしくは。
(オス特有の自尊心でも擽って、取り入ろうとでもしてるのか? ……まあそりゃあ、冒険者でなく【傭兵】として今も兵士に拘る奴らにとっては、数少ない手柄や功績が自尊心を保つよすがだろうさ。そこを擽られて、動揺しないわけがない)
だが、こうして兵士の自尊心をくすぐって本心をあぶり出そうとするようなやり方は――――反吐が出るほど嫌悪感が湧いた。
「……私に、そんな力があるように見えますか?」
だが、本心を出す事は絶対にない。
ただひたすら、相手の「ゆさぶり」に対して「相手が食い付く姿」を見せる。
怒りに任せることなく「乗ってやる」ことは、ブラックにとって容易なことだった。
「おやおや……随分と自信を失っているようだね……。だが、それではこの世の理である“力あるものは、その力を行使せねばならない”という原則に反する。ここの異人種どもですら弱肉強食を是としているというのに、強者が見せかけだけの強さを持つ弱者に平伏すのは間違っているだろう?」
「……権力もまた一つの“強さ”では?」
「なるほど、そういう見方もあるが……奢った結果、多数の弱者になぶり殺しにされるような薄っぺらい力は、結局のところ脆弱と言えるのではないかね?」
「そんな惨めな末路を辿る者が多数であればそうも言えますが、現実はそれほど甘くありませんからね」
相手の見立てた物語に、うまく言葉を繋げてやる。
だが、これもまた相手に見透かされているかも知れない。
話の主導権を持っているのは、間違いなく【教導】という男だ。まさにその通り名のとおりに話の流れを己の方へと持ち込んでいる。
それとなくブラックを品定めし、こちらが「権力者に潰された兵士」という設定に成るのを補強しているようにも思えるのだ。
(何がしたい? 僕を力ある落ちぶれた兵士にして、何の得が有る)
この会話を意図的に成立させているとすれば、この【教導】という男には何か考えが有るはずだ。しかし、それを推測させる要素は少ない。
あくまでもこちらに寄り添う言葉を選んでいる以上、彼の会話から判断できる意図は限りなく薄く量り知る事が出来なかった。
――――とにかく今は、流れに乗るしかない。
違和感を覚えつつも「兵士」を演じるブラックに、笑みを浮かべたままの【教導】は、諭すような低く柔らかな声で語りかけて来た。
「現実は甘くない。そうかね? 君は“遠慮”をしている。数多の市民を、たった一人の愛しい物を巻き込む“破壊”を考え、強者ゆえの遠慮をしているのではないかね?」
「…………」
「仮に、一人の為政者を牙で砕いたとしよう。そこで生まれるのは何か。……国と言う固形化された物体が、混乱のもとに流れ渦巻き形を失う混沌の世界だ。恐らくは、国に固められた人々ですら、他の地からの人種によって淘汰またはその純粋性を失う事になるだろう。つまりは、一個体の死だ。……だが、それがどう君に影響する?」
「それは……」
どういう、意味だ。
そこまで説明して、明らかに影響が有る事は解かっているだろう。
つい顔を歪めてしまったブラックに、相手はニタリと笑った。
「強者であれば、問題はあるまい? 混沌とした場になるなら、そこで力を振るい己が望む物を奪い取ればいい。愛しい物を守るも、奪うも、犯すのも自由だ。法と言う概念が失われた場所では、それこそ純粋な力が全てではないかね? そんな場で強者である君がなにを遠慮することがある。死と破壊が当たり前の世界にしてしまえば、最早外から来る者すら問題ではあるまい。そこは、まさしく強者である君のための素晴らしい世だ」
教え導くもの、と書いて【教導】と読む。
だがこの男の「教えること」は、明らかに狂っている。
「…………例え私が強者だとしても、混沌を招いた代償は大きいでしょう」
「だから、強ければ問題はないと言っているのだよ。蟻のように群がってくる弱者も、純粋な力には結局敵わない。いずれ、自分達が死滅する未来を見て諦めるだろう。それだけの力は、君にも存在するはずだが」
「買い被りですよ。……それに、戦い続ける人生などごめんです」
「一国を破滅させるモンスターが野放しにされ、今も刺激しないように放置されていることこそが、答えとは思わんかね」
「人族では、その領域まで到達できないでしょう」
確かに、大厄災とも呼ばれるモンスター達は腫れ物のような扱いを受けている。
しかしそれらは意思疎通が出来ない異形だからであって、人であればそうなる前に誰かに討たれるか……疲れ果てて、全てを投げ捨てただろう。
そうして死んだような生活を送り、己の生に何の意義も見いだせないまま――
誰にも知られず、消える。
――――そう思っていた。本来であれば、そうなるはずだったのだ。
「そうかね? 少なくとも……君は、誰かに使われる男に甘んじるべきではないと思うのだが……まあ、自覚するにも時間が必要か……」
「…………」
「今は、ゆっくり考えると良い。だが……この城にやって来た時点で、君には“人の上に立つ者”としての素質がある事だけは覚えておくといいよ」
いつの間にか“クレープ”を食べ終えた【教導】は、空になった皿を差し出す。
ブラックは無言でそれを受け取ると、礼儀として頭を下げて部屋を後にした。
「…………チッ……」
無意識に舌打ちが漏れるが、それを抑える努力すら惜しい。
溜息を吐いて、ブラックは廊下を歩きながら伸びをするように背筋を伸ばした。
(クソッ……思い出さなくても良いことまで思い出すなんて……)
悔しいが、あの時自分は間違いなく“過去の自分”を引き出されていた。
それが故意にしろ偶然にしろ、ブラックにとっては無意識に「掘り返したくない過去の記憶」を思い出してしまった事が悔しくて堪らなかった。
今まで……――
ツカサという愛しい存在と出会い、心が繋がった時から今まで、思い出したくも無い過去の事など思い出さなくなってきていたのに。
それなのに、ぼやけていた、抑え込み冷静に見つめていられた過去の記憶が、今になって掘り起こされ揺り戻されていく。
あまりにも不快な感覚に、ブラックは思わず歯噛みした。
(あの船に乗ってから……いや……あの【アルスノートリア】に遭ってから、次々に嫌な事ばかり思い出す。ツカサ君と恋人になってから我慢出来ていたはずの感情が、どんどん溢れ出して止まらなくなっていく……ッ)
激情。孤独、破壊衝動。
ツカサが覚悟を示して己をメスだと認め、その全てがブラックのものであると自分の体を抱いてくれた時、心の奥底に沈んでいった胸をかきむしりたくなる感情。
もう感じることはないと思っていたのに、旅の途中で生まれる不安に苛まれるたび次々に浮かんできて、その衝動に身を委ねてしまいそうになる。
ままならぬことだと大人の対応で抑え込む欲望も、いっそ全て壊れてしまえば良いとツカサの意思など関係なく漏れ出してしまいそうになるのだ。
それを、見透かされたような気がして。
彼を唯一の恋人にしてもなお、満足できずに異常な行動を繰り返しそうになる自分が、本来の「ブラック・ブックスだ」と言われているようで。
(ああ、確かにアイツは【教導】だ……!!)
だが、その「教え導く」先は、恐らく天国でも人としての正しさの到達点でも無い。
何もかもを破壊すべしという、暴力の果ての地獄だ。
(ツカサ君……ツカサ君、ツカサ君、ツカサ君ツカサくんツカサくん……っ!)
何度も、何度も何度も頭の中で愛しい恋人の名を呼ぶ。
そうしなければ、耐えられない。
あの衝動が「自分の本性」だと、認めたくなかった。
先程考えた、いや、過去考えていた「自分に相応しい末路」など、もう思い返したくも無い。愛しい物が抱き締めてくれる心地良さを知った今、最早そんな破滅の末路など思い返したくも無かった。
(僕は…………僕は、何をやってるんだ……っ)
あの男の言葉には、いくつも「手がかり」があった。
だが、今はそれを吟味するほど冷静になれない。それこそが【教導】の策なのだとしたら、ブラックは完全に敗北していた。それが、悔しい。怒りが湧いてくる。
(ツカサ君…………)
会いたい。会って、すぐに抱き締めて欲しい。
自分よりも小さな体で、未成熟な腕で、それでも一生懸命に包もうとしてくれる彼の優しさに、愛情に、縋りたい。
まるでいじめられて泣きながら帰ってくる情けない子供のようだと自分でも思ったが、そんな情けない自分を、今はただ慰めて欲しかった。
……そうでもしなければ、この子供のような感情の奥底にあるどす黒い“何か”が、今にも溢れ出そうな気がしたから。
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