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神狼鎮守タバヤ、崇める獣の慟哭編
解り合うために2
しおりを挟む「俺は……。俺は今まで、庇護されるお前を“ずるい”と思っていた。俺は昔から父上や母上に厳しい鍛錬を受け、次期国王としての矜持を持てと躾けられてきたがゆえに……何をしても、自由を感じられなかった」
「…………」
「だからこそ、自由に本を読み、自由に外へ出るお前を憎らしいと思っていたんだ」
覇気を失った殿下の表情は、いつもより何歳も老けたように見える。
それだけ今まで気を張っていたのだと思うと、なんだか殿下も気の毒に思えた。
クロウに対して憎しみを持っていたとこは擁護出来ないけど、理不尽な不満なんて誰の心にも存在するものだ。クロウですら周囲の人達の優しさを受け入れきれずに苦しんで、ドービエル爺ちゃん達への不満を募らせていたわけだ。
俺だって……人の気持ちや立場を考えずに「ああしてほしい」とか「こうしてほしい」とか、自分だけに有利な事を考えちゃうこともあるもんな。
みんな何かしらの「他人への不満」はあるものなんだ。
でも、その気持ちを「独りよがりだ」と自分で理解しているからこそ、みんな心の中にその素直な感情を抑え込んで、他の人の気持ちも尊重した平和な結論を出そうとするんだよ。それが一番良い事だって知ってるから。
互いに譲歩する事で相手も自分も笑顔になれるって、そう信じてるから。
だから……不満を抑え込んで抑え込んでずっと「良い子だと言われる自分」を装い続けて、頑張り続けて……最後には、爆発してしまう。
……俺みたいなガキが何を言ってるんだって笑われるかもしれないけど、でも俺も今までこの世界で色んな人を見て来たし、色んな事を学んだ。
その中で、そうやって心を壊して最悪の結末を迎えた人をたくさん見て来た。
彼らの事を忘れられないでいるから、強くそう思ってしまうんだ。
――――本当に、難しい話だと思う。
全てを曝け出せば人は人と解り合えなくなる。
けれど、抑え込み続けて相手を尊重すれば、自分が壊れて全てを失くしてしまう。
誰もがバランスよく人と付き合えれば世界は本当に平和になるんだろうけど、色々な人がいるからこそ、そんなに上手くいかないワケだしな。
……本当に、難しい。
クロウだって、獣人にしては優し過ぎて自分を抑え込み過ぎた結果、俺みたいなのに懸想するぐらい追い詰められたんだろうし。
きっと、殿下だって……もう一つ何か違えば、爆発していたに違いない。いや、それが今の殿下なのか。期待された挙句、たった一度のミスで簡単に「不適格」だと断じられてしまった今が、まさに。
そう思うと、今相手の本音が聞けて本当に良かったと俺は思った。
徹底的に拗れる前の、今の段階で。
「……苦しかった?」
問いかけると、殿下は小さく頷いて焚き火の炎を見つめる。
「お前は、自分が不幸だと言う。だが、子供の俺からしてみれば……父上や母上に大事に思われ、表面上は“自由だった”弱く情けないお前は、俺にとっては理不尽の象徴だった。獣人の誇りすらまともに示せないようなクズを、どうして父上たちが宝のように大事にするのか……何故、その優しさを俺に向けてくれないのか……それが不思議で、理不尽で、どうしようもなく胸を重くして……怒りが、収まらなかった」
「……兄上……」
炎を間に挟み、橙色の瞳が互いを見つめる。
もしかしたら、ここでやっと二人は気が付いたのかも知れない。
優しさを求める殿下と、期待を求めたクロウ。互いの立場はまったく違ってたけど、二人が欲しかったものはとても良く似ていたのだと。
「…………愚かだと、無様だと笑うか。お前は」
静かな殿下の言葉に、クロウは無言で首を横に振った。
「負けたのは、オレが弱かったからです。追放されたことも当然のことで、それは今も悔やむ記憶ではありますが……自分以外の誰かを恨んだことはありません」
いつものクロウとは違う、眠たさも無表情さも無い声音。
かつてはそうやって「王子」として話していたのだろう口調で、クロウは続けた。
「オレは、いや……私は、王としての資質は無かった。だから、兄上やルードルドーナに嫉妬して、ままならぬ自分を恥じていました。何故二人のように、自分には武力も誇りも無いのだろうと」
「…………お前……」
今までは語らなかった本心。
それを謀りだと思うほど、殿下も相手の心が分からない人ではないのだろう。クロウを見る目は瞠目し、ただ驚いたように瞬いていた。
そんな殿下を見て、クロウは小さく頷く。
まるで、相手が何を言いたいのかを察したかのように。
そうして……自分の思いを、真っ直ぐに伝えた。
「その思いは、今でも変わりません。だけど、恨みは無いのです。むしろ、負けた自分が清々しい。……人族の世界を旅し、己より心も武力も強い人族達を見たからこそ、そう思っています。それに……私は、兄上を無様と思った事など一度もありません。私は、皆が言う通り……王として足りない物が多過ぎる。それを思えばこそ、兄上に対する尊敬の気持ちは変わりませんでした。ただ……」
「ただ?」
怪訝そうに顔を歪める殿下に、クロウは少し渋い微苦笑を浮かべる。
そうして、俺の腰を引いてぐっと自分に近寄せた。
「旅をしなければ、こういう気持ちも分からなかっただろうな、と。……あのまま王宮やベーマスにいても、そうと気付けず嫉妬と悔恨ばかりの人生だったと思います。それゆえに、追放されて良かったと……考えています」
「……本当か?」
今度は疑うかのような声で問いかけて来る殿下に、クロウはニヤリと笑った。
まるでブラックみたいに、ちょっと悪戯っぽい顔で。
「おかげで、私は自分を見つめ直す旅が出来ました。そして……愛しいメスや悪友と出会い、やはり私は王の器ではないと思い知りました。なにせ、オレは……恋敵達と正面から戦って群れの王になるより、相手の死を待ち愛しい存在を手に入れようなどと考える……粗忽者な自分を知ってしまったので」
「わひゃっ!?」
ちょっ、な、なに腰とケツを撫で回してんだお前は!
今そういうコトするシーンじゃないだろ、真面目な話してんだろ!?
これじゃ殿下もまた怒るぞ……っ。
「ッふ……はははっ、ははははは!」
えっ。わ、笑った。
怒りんぼ殿下が、初めて俺達の前で思いっきり笑った!?
なん……あ……そんな風に思いっきり笑うと、やっぱクロウにもドービエル爺ちゃんにも凄く似てるんだな、怒りんぼ殿下……。
全然険のない、ホントに普通の楽しそうな笑い顔だ。
……ってそんなこと言ってる場合じゃない。なんで笑ったんだこの人は。
こういう時にスケベな事をし出すクロウなんて、めっちゃ怒られそうなのに。
ワケが分からなくて頭上に疑問符を浮かべつつ、クロウの手をぺしぺし叩く俺に、殿下はクロウと同じような微苦笑を含めながら俺を見た。
「性欲旺盛なのは父上に似たようだな。“匂いづけ”なんぞ、惰弱なお前は一度もメスどもにしてやれなかったくせに」
「二番目は、重圧が無くて気が楽なのです。甘え癖がついてしまいました」
「ククッ……冗談も言えるようになったとは……本当に、お前は変わったんだな」
今のは、ここまでの怒りんぼ殿下ならカチンと来るような冗談のハズなんだが……それでも殿下は怒らずに、笑っている。
どうしてだかわからないけど、今の殿下はクロウのことを認めてくれているようだ。
…………いや、違うな。
今の言葉だけじゃない。
さっき本気で戦って、戦い続けて、喧嘩もして子供みたいな本音も言い合ったからこそ、殿下もクロウもお互いに嘘は無いんだと思う事が出来たんだ。
喧嘩なんてお互いに傷付くばかりだし、本当ならやらないほうが良い。でも、男同士では、そうやってお互いに力を示す事でしか伝えられない事も有る。
それに……殿下も本当は、分からず屋なんかじゃないんだ。
だから、本気の喧嘩をしてクロウの事を受け止められるようになったんだろう。
武力を尊ぶ獣人だからこそ、二人は分かり合えたんだ。
……なんか、そういうのって……いいな。
俺にはとても出来ないけど、本気の気持ちでぶつかりあって気持ちが通じ合うのは、傍目から見てても気持ちが良い。何故か、ちょっと泣けてくる。
クロウは、本当にずっと殿下の事を悪くは言わなかった。だからこそ、殿下と普通の兄弟みたいに話せていることが、自分の事みたいに嬉しいのかも知れない。
でも……。
「あ、あの……良い話のところ悪いんだけど、もうケツ揉むのやめてくれない?」
「ム……」
「ははっ、メスの尻に敷かれそうなのも父上に似たか。……だが、羨ましいな……」
「カウルノス……」
意外な事を言う相手の名を呼ぶと、少し寂しそうな目でこちらを見る。
もう不機嫌そうな顔じゃない相手は、肌は白くて髪も赤いのに……やっぱりちょっとクロウに似てて、少しドキッとしてしまった。
「……俺も、そうやって甘えられる存在が欲しかったのかも知れない。お前達を見て、ずっと……ずっと自分の気持ちが分からなかった。始終心の中が重い靄で苦しくて、情けない所を見せるこいつに何故お前が甘さを与えるのか理解出来なくて……その思いが、ずっと俺を怒らせ悩ませていたが……結局、そういう事だったのかもな」
そう呟いて軽く肩を揺らす殿下。
どこか落ち込んだようなその姿に、クロウは――唐突に問いかけた。
「兄上も、ツカサに甘えたいと思っておられたのですか」
「……そうだな。ずっと、そう思っていたのかも知れない」
「えっ!?」
な、なにそれ。
俺に……甘えたい……?
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ああ、じゃあ、つまりは殿下が不機嫌になる原因の一つは、俺がクロウやブラックに好き放題させてたからで、今まで二人きりの時に問いかけて来たことも全部、誰かに優しくされたかったっていう殿下の密かな願いからくるもので……。
…………。
だとしたら俺、割と頻繁に殿下にダメージ与えちゃってたってこと……?
う……うう……なんか急に罪悪感が……。
「兄上、オレはブラックを見て甘えるのは恥ではない事を知りました。それに、父上も言っておられたではないですか。メスは孕む財産というだけではなく、己を癒すことの出来る愛すべき貴重な種なのだと。ならば、その癒しを存分に享受するのはオスの特権です。なにも恥ずべきことは無いのです」
「ちょ、く、クロウなに言ってんの。なに言ってんの?」
「……ほ、本当か?」
殿下も猥談に加わろうとするスケベな高校生みたいな反応しないの!!
でも「優しくされたい」と殿下は思ってるんだし、嫌がるとまたこじれちゃうかな。い、いやしかしやっぱりクロウのいう事はぶっ飛んでる気しかしないんだが。
ブラックは変なオッサンだからあんな堂々と甘えてるだけで、大人が公衆の面前で甘えるってのは流石におかしいと思うんですけどね!?
ヤバい。
このままだと殿下を王様に復帰させるどころか、変な思考植えつけちゃうぞ。
クロウもブラックと気が合うだけあってちょっとヘンな奴だから、素直に聞いちゃ駄目ですって! 王様としての威厳ゼロになりますってば!
「ででで殿下違いますからね!? 大人がむやみやたらに甘えるのは普通じゃないんですからね!?」
「だがコイツもあの赤い人族もお前に甘えていただろう。俺はダメなのか。王になる者は、やはり甘えてはならんというのか」
「うっ……い、いや……そうじゃない、んだけど……」
そんな熊耳が垂れそうな目で見つめないで下さいよ殿下。
ああもうなんで兄弟そろってそういう「ショボンな雰囲気」を出すのは上手いんだ。
駄目じゃないけど、ダメじゃないんですけど、時と場合ってるじゃないすか。
つーか俺恋人いるし、こ、こんにゃく指輪持ってるんですよ。お手付きなんですよ。
だからそう言うのはダメっていうか、特に殿下みたいな位の高い人ならそういうのはマジでヤバいのではって……うううけどそれじゃ殿下がまた我慢しなきゃだしいぃ。
せっかく二人が和解したのに、俺が拒否したらまた拗れない?
いやでもさすがにこの流れは……!
「ツカサ……オレは、兄上にもツカサがくれる温かさを知って貰いたい……。ブラックが気になるなら、後でオレが半殺しになるから。……だから頼む、兄上が望むものを与えてくれ。何もかもを曝け出して良いんだと思えるようになる、優しさを……」
だーもー、クロウもそんな目を潤ませて見上げて来ないでってば!
そんな風に真剣な雰囲気を出されたら断れないじゃないか。その熊耳をぷるぷる震わせるのもやめろ、もうコレわざとだろ、絶対落としにかかってるだろ!?
でもそんなあからさまなのにドキドキしてしまう自分が一番憎いっ。
チクショー、なんだって俺はケモミミに弱いんだよー!!
「ツカサ……」
「……本当にお前は年上のオスに甘えられても平気なのだな……。さすがにコレは、他のメスだとイヤな顔をするものだが、赤面とは」
「どぇえっ!? し、してないですって、顔とか赤くなってないですってば!」
てか明かりが焚き火だけだからそう思うだけですってヤダな殿下は!
そんな、俺が熊耳ついたオッサン相手にドキドキとか……し……してるけど、してるけど赤面とかは絶対にしてないって。いつものことだしもう慣れてるし、そもそも顔は熱いけど赤くはなってないだろうし、これも動悸息切れだけだから。
いやもう本当、あの、頼むから勘弁して……勝手に約束してブラックに怒られるのは俺なんだってば。
殿下の望みはかなえてあげたいけど、甘やかすってのはその……!
「ブラックにはオレから言う。だから……」
「……いや、良い。今はやめておこう。ツカサをあまり困らせるな。……優しくされたいのは確かだが、困らせたいわけではない。事が終わってから、お前達の群れの長であるあの赤髪の人族に、改めて請おう」
「兄上……」
しゅんと熊耳を伏せるクロウに、殿下は笑う。
そうして、ゆっくり立ち上がった。
「今は、試練を全うする。……今まで散々お前を馬鹿にしたが……今からは、一人の武人としてお互いに戦うことにしよう。……俺は、お前に拳を持って敬意を表さねばならない。強くなり……誇り高い武人となったお前にな、クロウクルワッハ」
焚き火に煌めく、夕日色の光の環を作る不可思議な赤い髪。クロウとは違う肌の色と髪を持つ相手だが、橙色の綺麗な瞳だけは変わらない。
何もかもを振りきり、誠実な光を孕んだ……弟と同じ、綺麗な瞳だった。
「あ……兄上……っ!」
そんな兄から名前を呼ばれて、クロウは目を見開き震える。
クロウの今の声がどれほど歓喜に震えていたかは、言うまでも無かった。
「行くぞ。……詫びるには、今は時間が足りない。だから今は試練を行おう。お前達には、色々な事を謝らねばならないからな」
そう言って手を差し出す、殿下。
俺とクロウは顔を見合わせて笑うと、二人でその手を掴んで立ち上がった。
「オレも、精一杯戦います。兄上の気持ちに恥じぬように。そして……愛するメスを、自分が守り切れることを示すために」
「俺相手に出来るか? 認めたとはいえ、お前は弱っている俺よりも弱い。そのことを、まず拳で教えてやろう」
さっきと同じような挑発をする殿下だけど、その声はどこか嬉しそうだ。
家畜だ家畜だとクロウを罵っていた時の刺々しい雰囲気は、もうどこにもない。
ちょっとムシがいいかな、なんて思っちゃったけど……でも、二人が今仲良くしてる事が、凄く嬉しかった。
クロウと二人でゴツゴツした大きな手を握っている事も。
「さあ、外へ……――」
「ホッホ。試練終了じゃなあ」
「ッ!?」
いきなり別の声が外から聞こえて来て、一斉にそっちを向く。
するとそこには――ヴァー爺が立っていた。
えっ……ちょ、ちょっと待ってよ。
まだ半日くらい残ってるのに試練終了ってどういうこと。
「あ、あのヴァー爺、まだ時間は……」
「……もう、試す必要はない。充分見せて貰ったよ」
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「では……――――」
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その、刹那。
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大声を出しているのは、確か……ヴァー爺のお付きだった狼族の男か。
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そういってこちらを向くヴァー爺は、逆光で影になっていて表情が見えない。
だけど、何故か笑っていない事だけは解かる。
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