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神狼鎮守タバヤ、崇める獣の慟哭編
恐慄
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「ホッホ、これはまた……クロウクルワッハ様も随分とオスらしくなられて! なんとも喜ばしいことだのう。やはり、人族の大陸では鍛えられたようじゃのう」
そういってこちらを見る老狼に、反吐が出そうになる。
今ツカサが駄熊に何をされているかを知っている身としては、害虫にも等しい間男の成長……いや、邪魔者の増長を知らされても怒りしか湧かない。
“その行為”を止めさせる事が出来ないのも、ブラックには歯痒い状況だった。
(チッ……律儀に約束は守ってやがるから、大義名分で殺せもしない……。こんな事になるんなら、もうちょっと指輪にかけた術を複雑にしておくんだったな)
いくら「一応は仲間」という立場の相手とはいえ、自分の唯一の伴侶であるツカサを勝手に貪られるのは良い気がしない。
最近は、こちらの弱みに付け込んで徐々に小賢しい真似をして来るようになったので、その「良い気がしない」がそろそろ殺意に変わりそうだ。
(それもこれも、ツカサ君が弱い奴に甘いからいけないんだっ。あのクソ熊、ボコボコにされたら看病して貰えると思って、半殺し寸前でも屁とも思ってないんだから本当に八つ裂きにしてやりたくなる……)
そんなツカサの弱みに付け込みまくって済し崩し的に恋人になった自分自身は棚に上げ、ブラックは今頃“お楽しみ”であろう憎き熊を想像して歯噛みをする。
同情や共感など、結局ろくなことにならない。
だからこそ、こんな……面倒な者にばかり、好かれてしまうのに。
――――そんな自虐的な事を考えて、ブラックは溜息を吐いた。
(はぁ……悪いこと続きでイヤな考えばかりになっちゃうな……。こういう時にツカサ君が隣に居てくれたら、きっと励ましてくれたのにな……つくづく今の状況はイライラするよ……。早く終らないかなぁ……)
自分の行動に考えが及ばぬうちに思考を切り捨て、ブラックは横に居る老狼に半眼を向けると溜息を吐いた。
「まあまあ、そう怒るでない。お主とて、群れの仲間が覇気のない状態では戦い難いじゃろう? ここで自信も性欲も取り戻せて結構なことではないか」
「性欲は余計だっての……。それより良いのか? せっかく捕まえた奴らが、一瞬でどっかに消えたんだぞ。刺客の正体も分からないままで殿下を守れるのか」
そう。
ブラックが先程から陰鬱な気分でいるのは、失態を犯してしまったからだ。
――数時間前、人族達を尋問しようと捕縛した。
恐らく、駄熊の兄であるバカ殿下の差し向けた刺客で間違いないだろうが、生憎とこちらにはその確証が無い。いくらツカサと一緒に盗み聞きしたとはいえ、言葉だけでは証拠とは言い切れない。だから、わざわざ生かして捕まえたのだ。
これで、バカげた暗殺計画は終わりだ……などと、思っていたのだが。
そこで油断したのがいけなかった。
あの後、試練の真っ最中である崖下で大きな音と共に乱闘が起こったようで、その動きについツカサが心配になり気を取られた。
その一瞬の油断のせいで、男達はその場から消えてしまったのだ。
(……そう。文字通り……滲むように)
あの消え方は、異常だった。
けれども、そんな失態をやらかしたというのに老狼は全く落ちこんではいない。
むしろ飄々としていて、ブラックの方が呆れ返るほどだった。
「ホホ……まあ、そう腐るでない。お主は盗賊のような見かけに限らず、随分と自分のメスには優しいようじゃが……まあ、それほど刺客は心配することもあるまいよ」
「なぜそう言いきれる? 万が一、駄熊が殺されでもしたら面倒な事になるんだぞ。僕は良いが、ツカサ君が悲しむ。そんなのみたくない」
無論、仲間の死を避けたい……という思いからではない。
ただ単に、ツカサの心の中に永遠に駄熊が存在し続けるようになるのが嫌なだけである。そう何度も「特別な枠」など許容できるわけもない。
殺すのなら、ツカサが悲しまない方法で自分が殺すつもりでいるのだ。
だから、そのような稚拙で後先考えない殺し方をされるのは我慢ならない。
「駄熊ってお主、仮にも王子に失礼じゃの」
「それより、自分が敬われてない所から先に指摘したらどうだ?」
「別種族に敬えというのも無理な話じゃからそこは……まあええわい。お主達には、それくらいクロウクルワッハ様が気安い存在なんじゃと思っておこう」
「どうでもいい独り言より、どうするんだよ。良いのか?」
もう敬う気が失せて冒険者らしい砕けた口調になったブラックに、老狼はまた笑うと長く蓄えた白髭を扱いた。
「心配ないと言うとるじゃろう。……相手は既に周辺にはおらんよ」
「……なぜ分かる? 地中に溶けるように消えた相手だぞ」
未だに我が目を疑うが、確かにあの時見た光景はそうとしか表現出来ない。
あの人族の刺客たちは、ブラックが一瞬目を離した隙に――水が染み込むがごとく体が徐々に地面へ埋まって行き、そうしてすっかり消えてしまったのだ。
まるで、悪夢のような光景だった。
けれども呆けていたブラックではない。自分が使う幻惑系の術と同等のものを誰かに掛けられたのかと思い【索敵】で周囲を探ったし、すぐ術を解除しようともした。
しかし、術を掛けられたわけでもなく、周囲にも誰もいない。
あの男達は、本当にその場で溶けて消えてしまったのだ。
これは……どういうことなのか。
それが理解出来ないからこそ、ブラックは余計にイラついているのである。
だが、どうやらこの老狼は何かに気付いているようだ。
ならば早く説明すれば良い物をと額に青筋を立てたブラックに、老狼はようやく己が感じた事を語り出した。
「……お主達はワシが【呪術師】と呼ばれているのを知っていると思うが……それは、人族にとっての【曜術】とはちと違ってのう。正確に言うと、ワシの本当の能力は……魔族が用いる【魔術】を使えるというものなのじゃ」
「魔術って……あの、原理不明の謎の力の事か。それで分かったって言うのか?」
「察しがよくて助かるのう。その通りじゃ」
ものの本で読んだ事がある。
この世界には人族、神族、獣人族、魔族……という四つの違う種族が存在しているが、その中で最も謎に包まれた“魔族”は、独自の術を用いるのだと。
近世の獣人族が人族の大陸に訪れ始めた頃から、魔族が住む大陸【オリクト】との正式な交易などが始まったと言われているが、その浅い歴史が影響しているのか、人族は魔族に対しての情報をほとんど持っていなかった。
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現状、魔術という存在は、曜術師が至高に至った時に得る事が出来る自然を超越した力の【法術】と同等の術……という情報しかない。
それを何故獣人が知っているのかと思い、ブラックは眉根を顰めた。
(……そう言えば、魔族の大陸【オリクト】は獣人族の大陸とは古くから多少の交流があったらしい。人族よりも詳しいなら、使える奴がいてもおかしくないのか?)
しかし、そんなブラックの推測は予測されていたようで、老狼は首を横に振る。
「魔術は、魔族以外の者がそう簡単に使えるわけではない。ワシは、神獣としてそのような力を特別に与えられただけじゃよ。モンスターやワシら獣人が使う【特殊技能】の一つと思ってくれればよい。実際の【魔術】よりショボいしの」
そうは言われても、警戒するのが普通だ。
表情は変えずに密かに様子を窺うブラックに苦笑して、相手は続けた。
「たまにおるんじゃ。理から外れた能力者がの。……クロウクルワッハ様も、その一人じゃよ。……あのお方は、代々の王が引き継いだ最も偉大な【土の曜術】を扱う能力を持って生まれた。……だが、それだけだった。他の王が持ち得た他の全ての技能は、何一つ持っていなかったのじゃ」
「……曜術が、特殊技能……?」
それは……どういうことなのか。
モンスターは基本的に曜術を使えない。それは人族の間では常識だ。
獣人はモンスターの血を引いているので曜術が使えず、代わりに特殊技能を使うのだ……というのも、常識的な知識だった。
しかし、考えてみれば確かに妙だ。
駄熊は確かに獣人で、生まれもハッキリしている。それなのに【土の曜術】が使えるのだから、おかしな話なのだ。
(片親が人族なのかと思っていたから、別に変に思わなかったけど……両親どちらも獣人ってことなら確かに変だ。だけど……代々の王が【土の曜術】を使えたというのはどういうことだ。コイツらは【神獣】と言っていたけど、そう名の付いた獣人族には、そういう特殊能力が発現するのか?)
よく分からない。
詳しい事が把握出来ない今の状況では、何とも言えなかった。
即座に考察を始めたブラックの変化に気が付いたのか、老狼は何故か満足げな顔をして目を細めると、軽く頷いた。
「……お主は随分と知識に貪欲なようじゃの。……良いことじゃ。他の物とは違う力を持つものは、多くを知り己を律し己が成すべきことを知らねばならぬ。傑出した者は、その力を使うための知識を得ねばならぬのだ」
「…………」
知ったようなことを言う。
睨む視線を送るが、老狼は笑みを浮かべたままだった。
「まあ、それは置いといて……ともかく今はワシの話を聞くと良い。……さっき、あの人族らを脅かしたのも【魔術】じゃ。魔素さえあれば、多少は術が使えるでの。その力で、地中を出来る範囲まで探ってみたのじゃよ」
「ッ……!? そんなことが出来るのか!?」
通常、土の中を探る事が出来る人族は【土の曜術師】だけだ。
付加術である【索敵】では、曜気が混じり合い流れている場所には干渉できない。水の中や海の中を探れないのも、同じ理由である。
だが【魔術】であれば、その抵抗を受けないと言うのか。
驚くブラックに満足したのか、老狼は再び己の白髭を扱いた。
「ホッホ、まあ短い距離だけじゃがの。だが、それでも分かった事がある。
……あやつら……土の中に潜って、土の中の“空洞ごと”移動したぞ?」
「…………え?」
「言葉通りの意味じゃ。……つまり、かなり離れた場所から“何らかの術”を使った者が、相手の仲間に居る……ということじゃ。まあ、それが【魔術】か【曜術】かまでは、ワシには分からんかったがのう」
「ちょっ……ちょっと待て、曜術ならそんな規格外の曜術師が居ることになるし、魔術だったら魔族が関わっていることになるぞ、それは」
何だか嫌な意味で大ごとになって来た。
眉を歪めて顎を引くが、老狼はと言うと何故か楽しそうに笑っている。
まるで面倒事を楽しんでいるかのようで、不気味な様子だった。
「ふふ……楽しいのう。ワシが知覚できぬほど遠くから術を使用するなど、それこそ強大な力を持つ魔族か人族か……それか、唯一強大な【曜術】を使える種族……ディオケロス・アルクーダの“正当な血”を持つ他の誰かか……」
「……!? おい、それって……」
「さて、ワシが知らぬ他の誰かがおるのかのう。ドービエルが愛息子達に刺客を差し向けるわけもなし……だが、王族にはクロウクルワッハ様以外に【土の曜術師】など存在しなかったはずだがのう。……まったく面白いことじゃ。ふふふっ」
含み笑い。
そうして笑ったかと思ったら、今度は「ははは」と若者のように老狼は笑った。
天を向いて大いに笑うその姿は背筋を伸ばしていて、既に老人の格好ではない。この狼もまた、あの駄熊の父のように「老いを装って」いる。
恐らく数百年も生きている【神獣】という名を持つ獣人の一人が、この狼なのだ。
それをまざまざと思い知らされる、どこか怖気だつような姿だった。
(あの駄熊の父親とクソ牛王も含めて四人の【神獣】がいると言ったが……どいつも数百年生きててまだ“これ”なのか……)
拳を交えなくても分かる、相手の異常な力。
駄熊と初めて戦った時も思ったことだが、仮に彼らがモンスターとして人族に立ちはだかるとすると、その脅威度は恐らく神話級でもおかしくはない。
そんなデタラメな存在が今目の前にいて、まだあと一人存在するのだ。
ならば、刺客達を連れ去るほどの力を持つ能力者も、もしかすると何人も存在するのかも知れない。だとしたら、刺客がどうのという問題ではなくなる。
もっと大きくて面倒臭い、推測が何本も立つ話になってしまうのだ。
(……要するに……ベーマス大陸の事をほんのちょっと齧っただけの今の僕達じゃ、予測を立てる事すら出来ないってわけで……)
結局、今の段階では何を考えても無駄だということになる。
まあこの老狼に教えて貰えば別かも知れないが、そうなると遜りたくも無い相手に頭を下げないといけないワケで。
絶対に、面倒臭い事になるワケで……。
「…………」
そう気付くと何もかも嫌になってしまい、ブラックは指輪を包むように拳を握った。
(ああもう嫌だ。こんなデタラメクソ爺が居るんなら、どんな推測だって立てられちゃうじゃないか。そんなんじゃ、敵の事を今考えたってもうどうしようもない! じゃあもうこのクソ爺とかクソ牛とかに頭を下げなきゃ行けないワケで……ああもう、疲れた。考え疲れた、もうイヤだ。癒しが欲しい……ツカサ君、うう……)
過去に何度も「知識が有ってもどうにもならない」と嘆いた事がある。
だが、今回ほど知識が無くて嫌になった事は無い。
己の知り得ない未知の物ごとに、自分は脆弱過ぎる。
(……人族の大陸で……あの一族の書物で得られることなんて、本当に世界の知識のほんの一部でしかないんだな……)
そんな事実に、ブラックは深い溜息を吐いたのだった。
→
※ちと遅れました:(;゙゚'ω゚'):スミマセヌ
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