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神狼鎮守タバヤ、崇める獣の慟哭編
瞬殺
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ゆっくりと立ち上がり、今まさに拳闘が行われている闘技場から背を向ける。
あんなろくでなしどもに揉まれるツカサの事が心配ではあったが、そんなツカサを更に苦しめるだろう存在が現れたとなれば反応しない訳にはいかない。
いけ好かない老狼の思い通りになるのは癪ではあったが、それでも愛しい恋人がどうでもいい男の死に悲しむ未来は見たくなかった。
自分の、自分だけの恋人であるあの少年の心を、要らない男がまたもや一時的に縛るのかと思うと、果てしない嫌悪感と怒りが湧いてくる。
そんな体験を二度も迎えるなんて、ありえない。
なにより勝ち逃げされたような気分になって激しく殺意が湧くので、どれほど面倒だろうが、外敵の排除という役目を受け入れざるを得なかった。
例え、それがいけ好かない獣人の利益になると知っていても。
(チッ……。どうして僕があのクソ駄熊どもに塩を送らなくちゃいけないんだ)
そうは思ったが、最早やめられるものでもない。
ブラックは宝剣・ヴリトラを鞘から抜くと、薄霧の向こうに紛れた相手を見た。
――――その姿は、見えない。
だが確実に気配を感じる。
この【タバヤ】という狼獣人達の聖地に来てからと言うもの、妙な違和感を感じてはいたが、視線の先の存在は、それと明確に違う“生きた者”の気配だ。
しかし相手も手練れなのか、こちらの間合いを警戒して近付いては来ない。あちらもブラックと同様に気配を慎重に探っているようだった。
(……分かっちゃいたけど、素人じゃないな。“根無し草”とかいう、獣人の暗殺者が相手なのか? それにしては気配の消し方がお粗末だが)
暗殺者というのは、気配を完全に殺して動く。そう訓練されている。
だからこそ、その気配すら特異な感覚で察知してしまえるブラックには「暗殺者特有の気配」というものが分かるのだが、今回の相手はどうも違うようだ。
付加術の【索敵】を使うまでも無く流れてくる、かすかな物音と気配。
手練れであるのは間違いないと言うのに、どうも暗殺に関しては不慣れなようだ。
「どうも……おかしな感じじゃな。ワシらが警戒している存在とはちと違うようじゃ」
いつの間にか横に立っていた老狼は、霧に紛れそうなほどの白いひげを扱きつつホッホなどと癇に障る笑い方を漏らす。
余裕ぶったその笑い方が気に入らなくて目を細めるブラックに、老狼は額の三つ目と共にこちらを見て面白そうに目を歪めた。
「ちょいとつついて見ても良いかのう? 逃したぶんは、お前さんに丸投げすることになるやもしれんが」
「やるならやれよ。とっとと終わらせたいんだこういうのは」
意地の悪い事を言う老狼に、もう敬語を使う気にもなれない。ぶっきらぼうに返したブラックに、老狼は再び嫌な笑い声を漏らすと錫杖を軽く掲げた。
「天眼魔狼王ヴァーディフヴァの名により、聖獣ベーマスの聖体を僅かながらお借り致します。西の果て、巌連なる背鰭の亡骸を、神獣の名において手足と成すことを、どうかどうかお許し下さい」
聞き慣れない文言。
まるで上官に拙い願いの言葉を伝えているような、装飾のない言葉の羅列だ。
(これは……何かの呪文、なのか……?)
老人の口から出たとは思えない言葉に目を丸くしたと、同時。
錫杖に何か――目に見えない圧力のような力が加わったのを感じて、ブラックの体が反射的に緊張した。ゆらゆらと揺れる、炎のようなその圧に、喉が締まる。
これは、空気が動いたのではない。
自然現象では無くて、どちらかといえば曜術に近いような力だ。
けれど、獣人はモンスターと同じく【特殊技能】と呼ばれる曜術とは異なる能力しか使えないはずである。それらは基本的に、身の内から発される力のはず。
曜術のように見える力だとしても、獣人の【特殊技能】は確実に体に何らかの変化を起こしながら発動するものなのだ。
それなのに、今この老狼が使おうとしている力は――明らかに、錫杖の身に集まる不可解な圧力を発していた。
(どうも、本能的な嫌悪感がある。こんなのは初めてだ)
まさかこれが【呪い】などとは思わないが、そう思ってしまう禍々しさを感じる。
そんなブラックを余所に、老狼は余裕ある表情を一部も動かさず言葉を吐いた。
「どうかその亡骸に、我らの願いがあらんことを」
静かに呟いて、その言い知れぬ力が籠った錫杖を振った。刹那。
錫杖を中心にして竜巻のような強い風が一瞬で噴き上がり、言い知れぬ“圧”が、目に見えぬ塊となって錫杖の頭が向けられた方へと走った。
「ッ……!?」
もしや、風の塊を発したのか。
そう考えたが、しかしブラックの予想は外れた。
風の塊は薄霧を裂きながら一直線に進んだが――――その塊は、目標へと到達することなく、急にその場ではじけ飛んだのだ。
あまりに急な事に、ブラックは息を呑む。
文字通り霧散したように思えた老狼の「力」だったが、それらは唐突に、目に見える姿となって目標のすぐそばに現れたのだ。
「なにっ!?」
「ほう、うまく届いたようじゃのう」
向こうから、男らしき叫びが聞こえる。
薄霧の先で見えなかった「敵」が複数人動くような気配がしたが……それとは別に、また妙な気配が増えている。人のようだが、人ではない。
アレと似た気配は、以前に感じた事が有った。
(地下水道遺跡にいた、ゴーレムという古代の遺物……アレと少しだけ似ている)
片足を一時的に失った代わりに、ツカサに初めて心底心配して貰えた思い出深い戦いだったが、あの時戦ったゴーレムと老狼が出現させたのであろう“アレ”は、少し気配が似ているような感覚がしたのだ。
けれど、明確に同じと言う訳ではない。老狼が出した、人形のような“アレ”は……ゴーレムよりも確実に禍々しく、全身の毛を悪寒に震わせるような存在だった。
本能的に避けたくなるような気配だ。
(けど、そのおかげでこっちに出てきたな)
強襲と不可解な存在に驚いたのか、泡を食ったような動きで数人の人影が、こちらへと走って来る。退路を断たれて向かって来るしかなくなったのだろう。
ブラックは気配だけで、ハッキリと“アレ”の姿を見てはいないのだが、生きている者からすれば“アレ”はよほど悍ましい物だったようだ。
腐った死体のようなモンスター【コープス】にでも似たものだったのだろうか。
だとすれば、そんなものをいとも簡単に作り出してしまえる老狼は、【呪術師】という異名に相応しい存在だ。褒められるようなことではなかろうが。
「お主の番じゃの。よろしく頼むぞい」
「……捕まえるべきか?」
「殺した方が手間は減るじゃろうが、別に逃しても構わんぞ? 久しく別の獣人の肉も食べておらんからのう。モンスターばかりじゃし、ご馳走もたまにはよかろうて」
栄養や味などはモンスターの方がよほど美味かろうに、それよりも同じ種族の肉の方が「ご馳走」だと言うのだから、獣人と言う存在は心底野蛮だ。
しかしそれも、人族の倫理観に則った嫌悪に過ぎない。
モンスターの血が流れる獣人からすれば、勝ち得た強い戦士の肉がこの世で最も尊い肉なのだろう。とはいえ、それに賛同してやる義理など無いが。
野蛮なモンスター種族に協力していると思うとゲンナリしてしまうブラックだったが、これもまたツカサの目を自分だけに向けておくためには必要な事なのだ。
ならば、自分には迎え撃つ選択肢しかない。
見事に上手く転がされている事を心内で嘆きつつ、ブラックは事を早く終わらせようと思い、軽くその場から飛んだ。
「おお、人族にしては早いのう」
背後で老狼の暢気な声が聞こえる。
(クソ獣人は一々上から目線じゃないと満足出来んのか!!)
つい額に青筋が浮かんでしまうくらいイラッとしてしまったが、視線は背後に戻さずブラックは宝剣・ヴリトラを低い位置で構えた。
一歩、二歩、長い距離を飛びその踏込みを徐々に強くする。
やがてうっすらと見えてきた人影にブラックは目を細めた。
(二、四……六人か。混乱から立て直そうとしてるけど、地形を把握していないのか逃げ場を探して彷徨ってるな。五感が鈍くなっているのか?)
普通、獣人ならば、この距離まで来るとこちらの気配に気付いたはずだ。
しかし六人の刺客は急激に詰めて来たブラックに視線を向けもしない。【索敵】など使うまでもない彼らの混乱具合に、ブラックは妙だなと思ったが。
(まあ、動きを止めて後で確認すればいいか)
この程度の刺客、本気を出すまでも無い。
まるで格下の冒険者を相手にしている時のような感覚を思い出しながら、ブラックは再び踏み込んで姿勢を低くすると――――すぐ近くにいた大きな人影を、剣の腹で下から打った。
「ギャアッ!!」
間抜けな声を上げて、薄霧の中で見覚えのある格好をした相手が倒れる。
その断末魔に残る五人が硬直した。すぐに体勢を立て直そうとしている。
(なるほど、ただのバカじゃないらしい)
しかし、地理を知らず敵に簡単に位置を把握されてしまうような刺客など、ただの雑魚でしかない。体力のないツカサですら、いざと言う時には胆力を発揮して冷静でいるのに、これではツカサ以下としか言いようが無かった。
……雑魚以下の雑魚となると、何と言えば良いのか迷う。
しかし、そんなことを考えている暇などないだろう。
「人を殺そうってのに、なってないな」
二人目。死ぬかもしれないが構わずに背後から首を打つ。倒れざまにその背中を足蹴にして飛び、即座に三人目の脳天を叩いて始末した。
まったくもって手ごたえのない相手の、四人目。
最早確認する気も起きず真正面から薄霧を絡め、逃げようと無様に動いた五人目の腹を叩く。こちらの動きを予測した動きで避けようとしていた多少知恵ものの六人目は、弓を引こうとした。が、至近距離でそのような動きをするのはただの馬鹿だ。
飛んだ低空で体を回転させて軌道を変えると、ブラックは横から腕ごと六人目の体を打ち、その衝撃で飛んだ相手にすぐ追いついて最後の一撃を放った。
「がっ……!!」
どご、と、鈍い音がする。
骨が折れたかもしれないが、それくらいは獣人ならば我慢できるだろう。
そう思いながら倒れた六人目を見て――――ブラックは眉を上げた。
「…………あれ。コイツ……もしかして、人族か……?」
痙攣しながら吐瀉物を吐いて気絶している相手。
その相手は――――耳が、確かに人族と同じ形をしている。
よく見れば、彼ら六人ともが人族であり武器を手にしていた。……一瞬、人族によく似た獣人かとも考えたが、彼らはほとんど武器を使わない。服装からしても、人族の大陸に居る冒険者や傭兵そのものだった。
彼らの武器や服は、恐らくこのベーマス大陸では入手できないだろう。
(どうりで見た事のある服装をしていると思った……しかし、どういうことだ?)
何故、人族がわざわざベーマス大陸で獣人を殺す役目を引き受けたのか。
そもそも、この人族の冒険者らしき男達はどこから来たのだろうか。
暗殺にもこの場にも慣れていないような外様が、無様を曝して暗殺者になる理由が理解出来ない。わざわざ別の大陸に来てやる仕事でもないだろうに……このような事をしなければいけない理由でもあるのだろうか。
(気絶させずに捕えれば良かったな……)
無理に起こすにしても、かなり強く打ったので目覚めさせるのも手間だ。
水がないこの場所では、水で無理矢理目を覚まさせるのも難しい。
どうしたものかと考えていると――――熊どもが戦っている方から、やけに強い獣の咆哮が聞こえてきた。
「……あっちも、段々と煮詰まって来てるみたいだな」
激しく打ち合う音が微かに耳に届くが、さして興味はない。
ただ、その場にいるツカサが無体な事をされていないかという一点だけが心配で、ブラックは息を吐くと剣を鞘におさめた。
「ともかく、狼ジジイのところに連れて行くか……」
この場で観察していても仕方が無い。
そう思い、ブラックは一先ず男達を引き摺って戻る事にした。
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