異世界日帰り漫遊記!

御結頂戴

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神狼鎮守タバヤ、崇める獣の慟哭編

6.上下左右の攻防

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「――――ッ!!」

 霧の中から浮かび上がってくる赤い髪。
 誰が来たかを認識した瞬間、俺の体は衝撃を受けて傾いだ。けれど、倒れる前に何かが俺の体を掴んで浮かせる。

 わずか数秒の出来事に、認識は出来ても意識が付いて行かない。
 いきなり周囲の霧が流れ始めたと思ってハッとする頃には、俺はもう怒りんぼ殿下に体を抱えられていた。う、うわっ、どうりで顔に風が掛かると思った。

 つーかいま十秒も無かったんですけど、全然ついていけないんですけど!?

「ちょっ、は、はやすぎ……っ」
「うるさい、黙ってろ」

 またこの殿下そんなことを言う。
 こちとら生きて呼吸してるナマモノなんだから、そりゃ喋るし驚きますっての。ずっと黙っていられるワケないだろ。もー、こう言う所が問題なんだけどなあ。

 でも俺が文句を言っても全然聞いてくれないだろうし、どうしたもんか。
 そう思っていると――唐突に、横から白では無い色が突き出て来た。

「ッ!?」

 ゴッ、という、重くて硬い音がぶつかる。
 何かと思ったら、褐色の拳が殿下の肩にめり込んでいたのだ。

 うわ、衝撃が強すぎて、抱えられてる俺までぶるぶる振動してる。なんつう威力のパンチなんだ。っていうか、これってクロウのパンチだよな。
 俺は本気でぶたれた事は無いから分からないけど、もしかしてブラックとか敵さんが喰らってるパンチって、いつもこのくらいの威力あるの?

 おい良く死なないな、俺が喰らった不良先輩達の拳より何倍も思いじゃねえか。
 これが獣人の拳なのだと今更ながらにゾッとしていると、わずかに怒りんぼ殿下の腕の力が緩んだ。刹那、また体がぐいっと引かれる。

「――――ッ!!」

 俺の上。いや、殿下の口から獣が唸るような声が聞こえる。
 だが一瞬遅く、俺は上半身をぎゅっと何かに押し付けられた。あっ、この感触覚えがある。これは、クロウの分厚くて硬い胸板だ。分厚すぎて逆に寝辛いやつだ。

「く、クロウっ」
「陣地に連れて行く。天井があれば、相手を牽制しやすい……!」

 いつになく、語気に感情が籠っている。
 無表情ではあるが、その体から出る熱で霧が水になったのか、クロウの肌は水気に湿っていて、汗が全身から噴き出しているかのようだった。

 いや、これは……焦ってるんだ。
 珍しく感情が言葉に強く出てしまうほど、クロウには余裕が無い。
 それだけ相手が強いと言う事なんだ。

 くそっ……俺に何か出来ればいいんだけど、片方に肩入れするなんてスポーツマン精神に反することは俺には出来ない。
 クロウだって、そういうことは嫌いなはずだ。でも……。

「ぐあっ!!」

 また体に衝撃が来る。今度は、ドッという重い音と共にクロウの体が飛ばされて、前のめりになった。ヤバい。倒れる。そう思ったのに、地面が遠くなった。
 クロウが足に力を籠めて衝撃を受け流し、そのまま飛んだんだ。

 恐らく、背中から殿下に攻撃されたに違いない。
 相手も生半可な力じゃないだろうに、なんて胆力があるんだ。

 うん。うん……!
 やっぱりクロウって強いんだよなっ!

「クロウっ」
「だ……大丈夫だ。陣地は近い……っ!」

 着地しようと、クロウが足を延ばした。
 が、その足は突如現れた別の足に、下から討たれて体が大きく傾く。

「グッ……!!」

 鋭い音で攻撃され、クロウの顔が歪む。
 だがその顔に何かを言う暇もなく――横からの掌底で、クロウの腕は痺れて硬直し俺の体を空へ投げ出した。

「ぅ゛っ、ぐ……っ」

 い、痛い。
 ただ抱えられていただけなのに、俺にまで痛みが走った。
 なんて威力の掌底だ。拳で殴ってないのにこんなに衝撃が来るのか!?

 こんなの何度も喰らってたら、クロウもタダじゃすまない……――――っ。

「うあ゛っ!」

 ま、また衝撃。いや違う、これは受け止められたんだ。
 クロウの手から今度は再び怒りんぼ殿下に。脇に抱えられるのは良いけど、さっきのビリビリした痛みがまだ体から離れない。
 こ、これじゃ贔屓しろったって無理だ。

 やっぱこれラグビーボールだよ。俺ボールの代わりだよこれ!

「た、頼むからもうちょい穏便に……」
「獲物の癖に喋るなと言っただろうが。それともなにか、惰弱な“アレ”に対して手心を加えろとでも?」
「ちっ……違……お、俺が死にそうなんでもうちょい刺激が少ないのを……」
「ぶんどりに刺激が少ないも何もあるか。そもそもこれは、獣人が親離れするために必要な訓練が起源だ。野蛮な者達は今でも生死を掛けた“ぶんどり”で兄弟の命すら取り合うというのに、その真剣な試練にお前は水を差せというのか?」

 えっ、そ、そんな獣人族もいるの!?
 いやでも野生の動物ってそういうこともあるんだよな。遊びといっても、そのなかで弱い個体は死んでしまったりもするんだ。それが動物の世界なんだよな。

 人型にするとえらくエグいけど、考えてみれば動物も虫も魚も、そうやって強い個体を残していく事で連綿と続いて来たんだし……そう考えると、それもまた獣人族には必要なサイクルなのかもしれない。

 ……でも怖いもんは怖いよ!
 真剣な試練ってのは俺も分かってるけど、もうちょいこう……格闘技的な手心とかを加えて頂けませんか。お互い本気で殴り掛かり過ぎて俺も死にそうだし、そもそもアンタらの体が心配ですよ普通に!

「い、生き死にとかじゃなくて、普通に鍛錬とかそういう感じで戦えないの!?」

 試練とは言っても、殺し合えってわけじゃないはずだ。
 人が戦う事をスポーツとして見ていられるのは、その行為をあくまでも演技のためや「正々堂々戦う事」が本位で相手を殺す事じゃないと考えているからだ。

 そうでなければ、殺し合いになってしまう。
 試練だって、殺しの場じゃないだろう。お互い本気で仕合う必要は絶対にない。

 だけど、殿下はそんな俺の言葉に……

「馬鹿が。命を賭さぬ試練など……馴れ合いと同じだ」

 深い憎しみに歪んだ顔で、そんな言葉を吐き捨てた。

「っ……」

 眉間に皺が寄った、いつもの不機嫌顔。
 だがその目は、心底嫌悪している物に向ける鋭い光を灯していて……俺は、その目に何も言い返せず言葉を飲んでしまった。

 ――――何か、言うべき事があるのかも知れない。

 だけど、今の俺には何も言い返せなかった。






「……始まってたったの数分なのに、容赦ない攻防だな」

 薄霧でぼやけた、崖の底。
 そこだけ円形に大地が抉り取られたかのような“おあつらえむき”の空間では、先程から鋭い音の応酬が続いている。

 木々のように疎らに巨岩が生えたその場所は、自然に出来た物であるなら、出来過ぎた闘技場だ。そんな細かい所まで考察する気はないが、しかし今まさに二匹の獣が戦っているのだと思えば、この土地の形成には何か薄ら寒い理由があるのではと思わずにいられない。

 だが今は、そんな場所に愛しい恋人が放り込まれていることの方が重要だ。
 とにもかくにも、弱くて柔らかくてぷにぷにした恋人が、粗暴な熊どものせいで酷い目に遭わされないか……それだけがブラックにとって唯一の心配だった。

(はぁ……ツカサ君大丈夫かなぁ……)

 始まってしまった事はもう仕方ないが、それでも溜息を吐かずにはいられない。
 本来ならば関係が無いはずのツカサを巻き込まれたせいで、自分は今こんな所で見たくも無いつまらぬ攻防を見せられているのだ。

 でなければ、こんなつまらない拳闘など見る気も湧かない。
 本来なら、獣どもの都合などブラックにはつゆほども関係が無かった。

 だが、残念ながら今の状況は違う。ツカサが関わっている。
 ツカサを強引に参加させられてしまった以上は、こうして根気強く見張っているしかなかった。……やりたくもない「審判」という役目を押し付けられたのも、あの意地の悪い老狼の策略の一つだ。

 ツカサを巻き込めば、ブラックも何らかの形で関わらざるを得ない。
 だからこそ、あの小賢しい老人はツカサを巻き込んだのだ。

(……いや、一石二鳥って感じだったのかも知れないな。ツカサ君をダシに使えば、熊公も本気で動くし、それに釣られてあのクソ殿下も殺意を露わにする。結果的に、あいつらは全力で戦う事になるんだ)

 そしてそれを見て審判するのは、どちらにも肩入れしない者が望ましい。
 老狼以外で熊どもの動きについて行ける能力を持ち、例え味方だろうと忖度なんてしない存在。そうなると……恐らく、適任はブラックしかいなかったのだろう。

 初対面でよく見極められたなと思うが、そうでなければ獣の長など務まらないのかも知れない。それか……獣人の呪術師という存在は、人族の曜術師と同じで【鑑定】に似た術でも使えるのか。
 ……ともかく、釣られてしまったのは確かだった。

(そりゃ熊公の勝ち負けなんて僕にはどうでも良いけど、ソレを頼むんならツカサ君をエサになんてするなよなクソ狼が。獣ってのはやっぱりいけ好かない)

 モンスター由来のずる賢さでも受け継いでいるのか、と毒づきたくなったが、さすがに当の本人が横に居る状態ではそうも言えない。

 だから、ブラックは溜息を吐くしかなかったのである。

 そんなこちらの様子を知ってか知らずか、天眼魔狼の長ヴァーディフヴァは、白髭を手で扱きながらフォッフォと笑う。

「いやはや……やはり、クロウクルワッハ様は成長しておられますな。人族の大陸でよほど強力な敵と戦ってきたようだ。成長なさったことを嬉しく思いますぞ」
「敵、ですか……。アレで強いなら元々はどれほど弱かったんでしょうね」

 一応、長と言う立場の者には敬語を使う。だが敬う気持ちなどさらさらない。

 「容赦ない攻防だ」とは呟いたが、本音を言えばさっさとどちらかが斃れでもして、早くこの“試練”とやらが終了して欲しかった。
 切実に同士討ちでどちらも死んでくれないかと思うばかりだ。

「ホッホッ。まあそう腐りなさるな赤毛の坊……いやブラック殿。ワシらには、ワシらの仕事がある。まずはそれをこなさねばのう」

 そう言って、独特な飾りのついた錫杖を地面に突き立て音を鳴らす老狼。
 ニコニコと笑っていて緊張感の欠片も無いが、それが老人特有の穏やかさからくるものではなく、強者が故の安閑とした様だとブラックは勘付いている。

 この年老いた狼は、確かに他国の王を選定するほどの力を持った獣だ。
 “神獣”と呼ばれる獣人族の中でも、アルクーダという国に深く関わる三人の王。
 特殊な種族名を持つ三人のうちの一人である“天眼魔狼王”は、確かに――――

 言い知れぬ不気味な強さを、身の内に隠していた。

「…………私がお手伝いをせずとも、長老様一人で収められることでは?」

 よそ行きの一人称で己を押し隠すブラックに、狼の長老は笑う。
 好々爺の笑みだが、その佇まいに隙は一切見られない。そんな異質さがブラックにとっては“侮れない相手”である根拠の一つであるのだが……ヴァーディフヴァは特に隠しもせず、そのまま毛長の耳を軽く動かして見せた。

「買い被りじゃよ。それを言うなら、お主こそ本当は“一人で出来る”じゃろう? ……けれど、何事も“やりすぎ”というのは良くない。このじじいが間に入ってようやくことも無く済ませられるじゃろうて」
「…………」
「お主でなければ、相手は気を緩めて姿を見せぬはずじゃ。……こんな格好の場で暗殺せぬ“根無し草”なんておらんじゃろうからなあ」

 とんでもない事を平然と言って笑う相手は、ただ飄々として笑うだけだ。
 そういう所が「侮れない」というのに、わざとやっているのだろうか。

 考えて、ブラックは面倒臭くなり口をへの字に曲げた。

(こんな状況じゃなけりゃ、従う義理もなかったんだが……そういう可能性がある以上は、従った方が得策だろうからな……)

 ――――根無し草。獣人達の言葉では「暗殺者」を意味する単語でもある。

 長老の言う通り、この試練は暗殺計画を行うのに絶好の機会だ。
 王族の三男ルードルドーナが暗殺者を差し向け、そいつらに「いつ暗殺するか」を命令するとすれば、恐らく「殺されても仕方ない場面」を指定するだろう。

 獣人族は名誉ある死を重んじる。
 反対に、誇りある死でなければ恥と考えるような面倒な種族なのだ。

 ということは……熊公が不慮の事故で死ぬより、戦って死んだ方が周囲もすんなり受け入れられるだろう。

 旅の途中に事故や暗殺で命を奪うことも当然考えていただろうが、仮にも上位の者に武力を認められた熊公をそんな方法で殺せば、その上位の者達にも傷がつく。
 それを避けるのであれば、やはりこういった「人をけしかける場面」の方がやり易く、禍根も残らない。ついでにあのクソ殿下の力も称賛されるかも知れないのだ。

 様々な思惑を汲めば、確かに今この時間が最も暗殺に向いていた。

「戦いの最中に暗殺した方がすんなり行くなんて、獣人は変わってますよ」
「ワシらからすれば、寝こみを襲う方が不名誉じゃがのう。……まあそこは、祖とする者が違うせいじゃろうて。だが、そのおかげで上手くいけば敵を捕らえられるのじゃ。そう考えれば、悪い慣習でもあるまい?」
「確かに……寝ずの番なんて、ツカサ君に心配されてしまいそうですからね」

 めまぐるしく奪われ続ける今の状況なら、きっとツカサもこちらには気付かない。
 だから……存分に、動く事も出来る。

 あんな状況にツカサを置かれたことは恨みに思うが、いま面倒事が片付くと言うのなら、やらない手は無い。これ以上、あのクソ殿下以外の存在を気にしてセックスに身が入らない状況なんてごめんだった。

「……さて、まずはワシが見張っておくかの。審判はよろしくたのむぞい」
「…………わかりました」

 さて、いつ状況が変化するのか。

 下方で行われる泥仕合を眺めながら、ブラックは頬杖をついて息を吐いた。










 
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