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神狼鎮守タバヤ、崇める獣の慟哭編
5.試練開始
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「それでは、此度の“三王の試練”が一つ【魔狼王の試練】を説明するぞい」
狼族の聖地【タバヤ】から少し離れた、霧が薄い地帯。
三方を崖に囲まれ地面から突き出た岩が群れているその独特な光景の広場は、遠方が霞んでいて結構な規模である事が窺える。
この場所で、いよいよ試練が始まるのか。
そう思いヒンヤリした息を呑む俺を余所に、ヴァー爺は説明を始めた。
「天眼魔狼王の試練は、古くより静謐の試練とされておる。つまりは、感情を鎮め、冷静で穏やかであれということじゃな。……で、肝心な内容じゃが」
「内容は……」
ゴクリと喉を鳴らさんばかりに注目した俺達に、ヴァー爺はニコリと笑う。
「さほど難しいものではない。まあ“ぶんどり”のようなモンじゃ。お主達も子供の頃はやっておったろう? その要領で、ツカサ坊を自分の陣地に連れ帰り、最後の判定の時にツカサ坊を掴んでいた方の勝ちじゃよ」
「ちょ、ちょっと待って下さい。“ぶんどり”ってなんですか」
知ってる単語とは微妙に違う感じのニュアンスで言われた単語に、俺とブラックは戸惑ってしまう。すると、クロウが説明してくれた。
この“ぶんどり”というのは、獣人の子供達がよく行う遊びで、元々は“分取り”と言う名称だったらしい。というのも、遊びの内容が「獲物に見立てたモノを、双方の陣地に持って行き、最終的にその量が多い方が勝ち」というものだからだ。
ここまでなら普通に全世界で似たような遊びがありそうだが……そこは弱肉強食の獣人ルール、得物を取って帰るだけというワケにはいかない。
なんとこの遊び、相手を攻撃して相手の陣地から強奪するのもオッケー。乱闘前提のとんでもない「子供の遊び」なのだ。
相手と決められたフィールドで格闘しながら、獲物を奪って陣地に運び、総取りするか決められた量をゲット出来れば試合終了。それまでは殴る蹴るなんでもアリだ。
他の奴の陣地に入って獲物を盗るのも良しとされていた。
この遊びにおいて、強奪は正当な行為なのである。
……うん、なるほど。だから“ぶんどり”なのな。
「ってことは……今回は獲物が俺一人だけだから、俺は四六時中どっちかに引っ張り回されなきゃいけないってことですか……」
「安心せい。定期的に綺羅笛を吹くから、その時は休憩じゃ。体が丈夫ではないメスの人族を獣人の力で始終引き回せば、どこがもげるか分からんからのう」
ヒエッ……。
そ、それは流石に冗談ですよね……いや冗談なら休憩なんて挟まないか。
ヴァー爺が今手に持ってるクリスタルで作ったオカリナみたいな笛が【綺羅笛】なんだろうけど、それで二人が落ち着いてくれるだろうか。
クロウも怒りんぼ殿下も大人だし、さすがに休んでくれる……よな?
ちょっと不安になっていると、意外な所から声が上がった。
「……何故、二日も時間をかけるのですか。定期的に休みを取るくらいなら、一日で決着をつけた方が効率的では」
珍しく敬語を使う怒りんぼ殿下が、軽く挙手をしてヴァー爺に問う。
賛同するのはちょっとシャクだけど、確かにそうだよな。二日間も奪い奪われの戦をするなんて精神が摩耗するし泥仕合になりかねない。
そんな心配を読み取ったのか、ヴァー爺は己の顎髭を触りながら笑った。
「ホッホッ。一日で着く決着なんぞ、ただの児戯。“三王の試練”はそんな生易しい物ではないと、殿下もご存じのはずでは? 前回の試練で五日間この山の頂上で飢餓や幻覚と戦う試練を見事乗り越えたばかりではないですか」
えっ、殿下そんなことしてたの。
それは流石にキツいなと顔を見上げると、怒りんぼ殿下はそのつらい試練を思い出したのか苦さを滲ませた顔で口を曲げる。
そんな表情を見て、ヴァー爺は目を弧に歪めた。
「魔狼王の試練は王としての胆力と冷静さを問う試練。たかが一日で試練が終わるなどと思われては、このヴァーディフヴァ……三つ目の名折れ」
金の冠の奥に光る額の目が、ぎょろりと動く。
決して飾りなどではないその生きた瞳に見つめられて、怒りんぼ殿下が怯んだ。
「ぐ……。そうは思っていませんが……」
「これもまた、重要な試練。王になるために必要な事……我慢なされませ」
「そうザンスよクロウクルワッハ様っ! けれどアタシは心配してません、なんたってクロウクルワッハ様は忍耐強くいつも冷静でいらっしゃる! そして獲物役はいずれ奥方様になるツカサさんなんですから、夫婦のきずなで大勝利ザンス!」
「オイ誰が誰と夫婦だって? 誰が奥方になるって?」
やだ……間髪入れずにブラックが数ミリ距離でシーバさんに詰め寄ってる……。
さすがのシーバさんもこれは怖かったようで、耳を後ろに伏せながら尻尾を巻いて怖がっているワンコのようになってしまった。目がチワワみたいになっててクゥ~ンて怯えた鳴き声が聞こえてきそうだ。ごめんよシーバさん……。
でもこの状況で夫婦だのなんだのは勘弁してくれ。
なんでこうシーバさんは俺をクロウの嫁扱いしたがるんだ。クロウの前にブラックが居るってことを知らないシーバさんでもないってのに……いや、もしかしてコレは殿下への牽制って奴なのか。おい勘弁してくれ、結果的にブラックまで不機嫌になってるじゃねーか。二次被害は俺に降りかかって来るんだよ、頼むから煽らないでくれ。
「群れの長にも成れないような惰弱な家畜が勝利だと? ……面白い冗談だ」
ああもうほら殿下怒ってるじゃん、静かに怒ってるじゃんかああ!
しかもしっかりと額とか力が入ってそうな腕に青筋が……
「かかか家畜!? いくら戦竜殿下であらせられるとて、くっ、クッ、クロウクルワッハ様にそんな屈辱的な言葉を投げつけるとは……っ!!」
「ああもう、うるさいっ! いつまで経っても試練がはじめられんじゃろうが、ちょっとは黙っておれシーバ! でなければ試合を見守る事も禁ずるぞ!」
「ぐぅうっ」
ヴァー爺の諌め台詞は、さすがにシーバさんにも効いたようだ。
話がこじれそうだったので、本当に助かった……シーバさんはほとんど【タバヤ】に帰って来てなかったっぽいけど、それでもやっぱり長であるヴァー爺には頭が上がらないんだな。ともかく口を噤んでくれて良かった……。
クロウに酷い事を言われて反論したくなる気持ちは俺もよくわかるけど、これ以上殿下につっかかっても話は進まないし、時間が過ぎて行くだけだもんな。
「ふう……だいぶん話が長引いてしまいましたな。それでは続きを話しましょう。――この二日の間、双方ここから抜け出す事は許されません。我々外野が差し出すのは水のみ、食事をする事は禁じておりませんのでモンスターが乱入して来たのであれば、自由に食って頂いて結構です。あ、ツカサ坊にはちゃんと食事を出すでの」
それはありがたい。でもどっちかに捕まったままの食事は居た堪れなさそうだな。
出来れば外に居る時に【綺羅笛】が鳴って欲しいが……なんて考えていると、今度はクロウが控え目に手を上げた。
「失格、などは……あるん、ですか」
年長者への礼儀は忘れないクロウの問いに、ヴァー爺は笑って答える。
「なに、破る方が難しい掟ばかりですよ。試練が終わるまでこの場所から出ないこと、ツカサ坊を殺したり傷付けたりしないこと、休憩の時には必ず己の陣地である洞窟に戻り休憩する事……これを破らなければ失格にはなりませんでな」
けれど、万が一この掟を破れば……失格だ。
暗にそう言う不敵な笑みの爺ちゃんに、クロウと怒りんぼ殿下は息を呑んだ。
別段珍しくないルールではあるけど、戦いで興奮状態になっていたら破ってしまいそうなルールでもある。
人間なら「それくらいなら」と思うけど……クロウ達は獣人だもんな。
獣の本能を煽られたら、どうなるかは本人も分からないだろう。
「ホッホ、御二方とも良いお顔になられましたのう。……ではツカサ坊、参ろうか」
「は、はい」
うわぁ……つ、ついに始まるのか。
これから二日間、本当に腕がもげずにいられたらいいけど……。
嫌な予感をひしひし感じながら歩き出そうとすると、ブラックが俺の腕を引く。
「ツカサ君……何か有ったら指輪だよ。絶対に僕を呼ぶんだよ!? 休憩の時は僕が行くからね。あいつらなんかに渡さないからね!?」
「お、おう。わかった、わかったから」
頼むから至近距離で鼻息荒く迫らないでくれ。
とかなんとか思っていると、ブラックの肩当て付きマントの奥から可愛いロクショウがぴょいっと飛び出してきた。
「キュ~」
「ううっ、ロクぅ……少しの間ブラックと待っててなぁ」
小さくて魅力的すぎるコウモリ羽をパタパタさせて心配してくれるロクに、心と鼻が熱いもので満たされる感覚を覚える。うう、ロクってば本当に最高のヘビトカゲちゃんだよぉ……出来れば一緒にいたかった……。
「もうツカサ君っ、ちゃんとわかってる!?」
「イデデデ」
腕を引っ張られたままじゃ歩き出せないっての、気持ちはわかるが離してくれ。
せっかく決めた覚悟が揺らぐだろうがもう!
「ツカサさん、アタシからもお願いします。どうかクロウクルワッハ様が負けないように、祈っていてくださいね……!」
「うるせえクソ狼!!」
横からシーバさんが入って来たと思ったら、ブラックが即座に締め上げた。
こらこらこら、だからそう安易に殺そうとするなってば!
「ブラック!」
「ホッホッホ、血気盛んなのは良いことじゃ。……さてツカサ坊、おいで」
「は、はいぃ……」
気弱な返事になってしまったが、なんとかブラックを引き剥がしヴァー爺の後に続く。俺がブラックとワーワー言っている間に、クロウ達はもう自分の陣地に到着していて、後は俺がスタンバイするのを待つだけらしい。
ちなみに二人の陣地は、右左の崖にそれぞれ掘られている洞窟だそうだ。
「色々不便じゃとは思うが、これも試練……許して下され」
「あ、いえ……お、俺しか出来ないのなら、やるしかないですし……」
オッサンに取り合われるとか嫌過ぎるけど、でもこうしないと試練に差し障りがあるというのなら仕方がない。
それに、わざわざ関係ない俺を巻き込んだのも……何か理由があるんだろうし。
「あの……ヴァー爺……」
「なんじゃ?」
地面から突き出た巨石群の間を縫うように歩き、薄霧が掛かる周囲を警戒しながら進みつつ俺は問う。
「どうして無関係な俺を巻き込んで、取り合うような試練を出したんですか?」
それくらいは話して貰ってもいいんじゃないかと思ったが、ヴァー爺は少しだけ俺の方を振り返ると、額の第三の目ごとニッと目を笑ませた。
「執着するものの選定は、今現在を基準に考えた方がええじゃろう?」
「は、はい……?」
「まあ……お主も恐らくは途中で気付くじゃろうて。……願わくば、これで王としての素質を取り戻す事に繋がればよういのだが。……二人とも、のう」
二人ともって……どういうことだ。
それも、聞いたって教えてくれないんだろうな。
「……よし、ここが中心点じゃな。ツカサ坊、ここに立って決して動かぬようにの。お主の役目は【大事な獲物】じゃ。決して自分から動いてはならぬし、捕まった時は逃げようとしてはいかんぞ。まあ投げ出された時などは受け身を取って良いがの」
「は、はい……」
先程の答えも聞かない内に、とうとう配置場所まで来てしまった。
にわかに緊張して来た俺を見て、ヴァー爺は笑って俺の肩を叩く。「緊張しなくても良い」と言ってくれているのだろうが、自分がラグビーボールのように扱われそうだなと思うと、どうしても緊張してしまうのだ。
試練がついに始まるのだと固まってしまった俺に、ヴァー爺はもふもふした毛長の狼耳をふるりと動かして肩を竦める。
そうして――――不思議な事を、告げた。
「ただ、見つめて考えてやって欲しい。……彼らの間を渡り歩く事は、無駄ではない。少なくとも……クロウクルワッハ様を目覚めさせたお主なら、理解出来るはずじゃ」
「え……」
理解出来るって……どういう意味だ?
もう一度問いかけようとしたが、既にそこにヴァー爺の姿は無い。
俺が一瞬気を逸らした間に、今までゆっくり歩いていたはずの老人は忽然と消えてしまっていた。……あとには、遠くの方が霞む薄霧が広がっているだけだ。
まるで幽霊にでも出会ったかのような唐突さに目を見開くと。
「――――あっ……」
ピィ――……という、鳥が囀るような綺麗な音が周囲に反響する。
穏やかな音色なのに強くしっかりと響く笛の音は、三方を囲んでいるだろう崖と、そこらじゅうに散らばる巨石にぶつかって何重にも反響する。
それでも不思議と重なる事のないそのハッキリとした音に、俺は息を呑んだ。
これが、開始の合図だ。
ということは――――
「!!」
右の方から、霧を押し流す風が来る。
開始の合図とともに突進してきた相手を見て、俺は拳を握った。
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