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神狼鎮守タバヤ、崇める獣の慟哭編
2.他が為の決心
しおりを挟む「本来は無礼な行為ザンスが、義も礼も無く言わせてもらいます。ヴァー爺、此度の“三王の試練”には、クロウクルワッハ様の名も挙げて欲しいんザンス」
「なっ……何を言っている貴様!!」
シーバさんの真剣な声に驚いたのは怒りんぼ殿下だ。
さもありなん、唐突にやってきて「試練にクロウも参加させろ」だなんて、そりゃ誰が聞いたって驚くだろう。俺やブラックだけじゃなく、ロクだって可愛いお目目をパチパチさせちゃってるんだもの。
名指しされたクロウなんか、いつもは無表情なのによっぽど驚いたみたいで、熊耳がブワッと毛を膨らませ目を丸くしていた。……これはだいぶびっくりしたんだな。
無理もないと思ったが、上司が背後でそんな顔をしているのにも気付かず、シーバさんは殿下を一瞥して、ヴァー爺に更に訴えかける。
「アタシは、追放され人族の大陸に流されてからずっと、元【チェラーグ・ギール】大隊の一員としてクロウクルワッハ様に付き従ってました。……確かに、過去の御姿は、今の戦竜殿下よりも劣っていたかもしれません。ですが、今のクロウクルワッハ様は、皆が認めるほどの強さになって帰って来てくだすったんです!」
「ほう?」
もっさりとした柳のような白眉を片方だけ上げるヴァー爺に、シーバさんはこれでもかと熱弁を振るって食い下がる。
「武力は猛々しく知略も冴え、なにより……なにより、良き奥方を見い出され、下々の物への慈愛は更に深まり“他者を守る”という思いに溢れておいでです。そんなお姿に、かの海征神牛王陛下も言祝ぎ下すったのですよ!?」
「なに……あのドグサレ黒牛が? なんじゃ、それはずいぶん珍しいのう」
あっ、ヴァー爺が乗っかった。
興味深げにもっふりと長い毛足の銀の狼耳を動かしてるけど……今、ドグサレとか凄い罵倒しなかったかなおじいちゃん。
「そうざんしょ!? アタシも他の奴の教えて貰った時は、ああ、やっとみんなが我らの隊長を認めて下すったと、残ってる仲間達と涙をつまみに酒を飲んだもんです! ワハハハ、どんなもんですかって! クロウクルワッハ様の凄さがバカどもにも明確に分かったってもんなんザンス! 今まで散々バカにしてたヤツらめザマでバーローチクショーめ」
「も、もうやめろ。頼むからやめてくれシーバ」
ノリにノッているシーバさんが身振り手振りで喜びを語る姿に、流石のクロウも耐え切れなくなってきたようだ。褐色肌だけど顔が赤いのが分かる、わかるぞ。
片手で顔を覆うなんて普段ほぼしない仕草だし、よっぽど恥ずかしいんだろう。
まあでもクロウは実際に強いし、褒められて当然だろうと俺も思ってるから素直に聞いてるが、しかし本人からしたら褒め殺し過ぎるのかしら。
っていうか……横に居る殺意百パーセントの兄貴の手前、余計に居た堪れないのかも知れない。ブラックもなんか凄い嫌そうな顔してるし。
ここは止めた方が良いだろうか……と、首を小刻みに動かして周囲を見ていると、ヴァー爺が掌を見せて「待て待て」とシーバさんに示した。
「確かに、以前お会いしたクロウクルワッハ様は控えめな印象じゃった。しかしのう、唐突に試練に参加させよと言われても困るぞ。大体シーバ、お前、人族の大陸から戻ってきた時以来顔も見せんで何を急に」
「そんな事はどうでもいいザンス! “三王の試練”をクロウクルワッハ様にも行って欲しいザンス! これはチェラーグ・ギールの総意ザンスよ!!」
やたらと【チェラーグ・ギール】と言っているが、これはクロウが居た軍だろうか。
確か……護国武令軍、だっけ。
元々は三兄弟それぞれに大隊を指揮していた大将だったみたいだけど、何故だかクロウの部隊だけは残ってないんだよな。……追放された時に潰されてしまったのか理由は判らないけど……その、昔率いていた軍の名が【チェラーグ・ギール】だったんだろうか。だとしたら、なんだか納得が行く。
クロウは出会った時から自分の事を「武人」と言っていて、最初に一緒に居た獣人さん達もクロウの事を上司のように慕っていた。
彼らもかなり屈強な獣人だったな。部下の中のリーダー格だった金毛の巨大な猿のスクリープさんや、隻腕の青い虎のタオウーさんは元気だろうか。
ともかく、あれだけ多くの部下が人族の大陸にまで付いて来てたんだから、クロウは部下に慕われるほどに強くて頼りがいのある大将だったのには違いない。
だから、シーバさんもこうまで食い下がっているのだ。
でも何でクロウを試練に参加させたいんだろう。
「あの、シーバさん……どうしてそんなにクロウを参加させたがるんですか?」
興奮しまくっているので聞いて貰えないかも知れないと思いつつ問うと、意外にもシーバさんは俺の方を振り向いて目を輝かせながら答えてくれた。
「そりゃあもう決まってますよっ! 我ら王宮に仕えて十数年、苦汁を舐める日々ではありましたが、それでも偉大な王であったドービエル様を我々は敬愛してるザンス! 強さには、アタシらのような“あぶれ者”をも抱え込む度量や、優しさも必要。……普通の群れでなく国という特別な群れだからこそ、アタシらはクロウクルワッハ様に王になって頂きたいんザンスよ。ドービエル様のような優しさがあるからこそ」
確かに、クロウにはドービエル爺ちゃんのような優しさがある。
いや、もしかしたら爺ちゃん以上に優しい心の持ち主かも知れない。
この獣人の国に来ると、尚更そう思う。
――本来なら、怒りんぼ殿下みたいな考え方が普通の事なんだろう。
弱肉強食で、弱い物は戦った後に潔く食われてこそ誇り高いと讃えられるような、戦う事が当然とされる世界。そんな場所だからこそ、優しさよりも誇りやメンツなんかを殿下は大事にするんだろう。それ自体は、間違っちゃいないと思う。
だけど、弱い獣人達も抱える「国」という集合体を治める長なら……その弱い立場である民が望むのは「優しい王様」以外にない。
平和に、食われずに生きられるんならそれが一番いい。
アルクーダという国の中で生きる国民達はそう思っていたからこそ、何百年も国は続いて来たんだろう。そんな王の素質たる優しさを、クロウは持っているんだ。
だから、シーバさんもクロウに王になって欲しかったんだろう。
でも……。
「……お前は俺が王であることを不服だと言うのか?」
地を這うような、低い怒りの声。
その声に、シーバさんは耳と尻尾の毛をぶわっと膨らませ、ぎこちなく怒りんぼ殿下の方を向いた。明らかに硬直しているが、殿下はそんなシーバさんを睨む。
いつもの怒鳴り声と違って静かだが、それが尚更怖かった。
「あ……い、いえ……」
「お前は、そこの腑抜けよりも俺が弱く王として不足だと言いたいのだな?」
「こ、これこれ! 二人ともやめなされ、怒りは混乱を生むだけじゃぞ」
杖を二人の間に振り下ろし空気を遮ると、ヴァー爺はフゥと溜息を吐く。
今後どうするのだろうかとその老獪な表情を窺うと、相手はもっふりした白いヒゲを何度も扱きながら肩を竦めた。
「……まあ、確かに今のクロウクルワッハ様なら試練を受ける資格はある」
その言葉に、シーバさんが顔を明るくした。
けれど、ヴァー爺は「しかしな」と一呼吸おいて続ける。
「王というものは、その権威や責任を覚悟したものが成るべきもの。クロウクルワッハ様は、素質はあれど王になる事を望んでおられる様子ではない。お前達が望んだとて、それで王になっても良き治世にはならぬだろう」
「だけど……っ。このまま、アタシらの強い大将がみんなに認められないままなんて、アタシは……!」
シーバさんの顔が苦しげに歪む。
……本当に、クロウの事を尊敬して大事に思っているんだろうな。だから、今までの扱いを不当だと思って、シーバさんは一生懸命直談判しているんだ。
怒りんぼ殿下に睨まれることは分かっていただろうに、それでも。
「…………」
暫し、沈黙が流れる。
みんなどう話を繋げればいいのか、迷っているのかも知れない。部外者である俺やブラックは、そもそも口を挟んでいいのかって感じだし……クロウも、唐突な出来事にどう反応して良いのか分からないに違いない。
怒りんぼ殿下は怒気を強めてシーバさんを睨んでいるし、そのシーバさんは殺気と使命感の板挟みで動けずにいる。
ヴァー爺は、そんな俺達の様子を見て熟考しているようだった。
けれど、そんな中で――――意外な人物が、口を開いた。
「……良いだろう。それで納得が行くのなら、こいつも加えるがいい」
「えっ……!?」
お、怒りんぼ殿下、いま何て言った。
クロウを試練に加えても良いって言った!?
いや、ちょっと待ってよ。アンタさっき難色示してたじゃんか。
それが何で急に「一緒にやってもいい」みたいな事を言い出したの。まさか、何かを企んでるんじゃないだろうな。暗殺計画か、これも計画の一部なのか!?
クロウの事を侮蔑の目で見ているのに何故そんな事を言うのか解らず、穿った目で見てしまうが、そんな俺のことなど知らずヴァー爺も「そうだのう」と漏らす。
「本来であれば、予定の無かったものを参加させるべきではないのだが……此度は、色々と珍しい事が重なっておる。それを踏まえて、本来の参加者であるカウルノス様が認めたのであれば、ワシも認めざるをえんじゃろう。まあ、試練を実際に行うかはクロウクルワッハ様の意思にもよるがの」
「あっ……あ、ありがとうザンス、ヴァー爺!」
狼耳をピンと立てて喜びを表すシーバさんは、すぐに喜びに輝く顔でクロウのほうを振り返る。クロウは困惑したような雰囲気なのだが、それを分かっているのかいないのか、シーバさんはクロウに喜びの熱視線を送る。
こうなるともう狂信者かなという感じだが……クロウを認めて欲しいと言う気持ちは理解出来るので、なんともいえなくなっちゃうなあ。
でも、クロウの意思はどうなんだろう。
心配になってクロウに話し掛けようとすると、殿下が俺の行動を遮るように、不機嫌な声でクロウに問いかけて来た。
「お前はどうなんだ。俺と勝負するのか?」
あからさまにイラついた顔で言う兄に、クロウは一瞬躊躇したように固まる。だが、すぐに元に戻ると――俺の方に一度視線を寄越し、相手に向き直った。
「…………オレは、王になる資格は……ありません。だが、オレが武力を示すことを、部下達が望んでくれているのなら……挑んで、みたい……です」
あくまでも「王になるため」ではなく、強い相手と競う為に。
それならば試練に参加して居ようとしていまいと、武力は示せるはずだ。
そんな言い方をしたクロウに、少しだけ溜飲が下がったのか殿下はフンと居丈高な鼻息を噴いてそっぽを向く。
王様になりたい、とかじゃないのを聞いて少しホッとしたんだろうか。
そんな二人のやりとりをみて、ヴァー爺はパンと手を叩いた。
「よしよし、うまくまとまったところで……まずは宴の準備をしようかの。ここに来るまで大変な道程じゃったろう。まずは疲れを取らぬとな!」
でなければ試練も上手くかぬ、とヴァー爺は立ち上がる。
すると、どこに居たのかすぐに数人の狼獣人達が近寄って来て、ヴァー爺の指示を聞いて動き出す。あの人達は長の部下ってところだろうか?
「……はぁー……また面倒臭い事になりそうだなぁ……」
ぼーっと事が動き出すのを見ていた俺の頭に、なんだか重い物が乗る。
なんだと思った視界に赤いキラキラしたうねり髪が下りて来て、ようやくその「重い物」がブラックの頭だと知り俺は頭を避けた。
だがその頭は離れず、俺の肩に降りてくる。ぐわー、頬や首筋が髪の毛でくすぐったいからやめろっ。
「懐くなっ!」
「ツカサ君のいじわるぅ……ちょっとくらい良いじゃないか、僕のこと癒してよぉ」
……この状況だと、クロウの方が心労が溜まってそうな気がするんだが……まあ、何とも言い難い話を黙って聞くのも疲れるってのは分かるしな。
「ったくもう……」
呆れたような声で「仕方が無い」と暗に言ってやった俺に、ブラックは「えへへぇ」と変な声で笑う。そんなブラックの姿を、熊の兄弟が複雑そうに見ていた。
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